動揺
アリスをグレーテルに預け、俺は一人で家へと戻った。そして、先程までの自分らしくない行動に苛立ちを感じる。
俺はどうしてあれ程に動揺した? あんなものは只の生理現象に過ぎないだろう?
女ならば誰だった起きる事だし、グレーテルもこれまでそれで体調を崩す事があった。
あれ程までに慌てる必要など無かった。今までならば、口にするのを躊躇う事は無かった。
ただ、それが起きたのがアリスと言うだけの事だ。今までなら他人事と思い、軽く流していたはずなのに……。
「――他人事と思って? 他人事と思えなかったのか?」
俺は研究室に入ると、椅子へとそっと腰を落す。そして、顎に手を当て考え始める。
最近の俺はらしくない。今までみたいに冷静な行動を取れない事がある。それらは全て、アリスに関わる事ばかりだ。
アリスは奴隷であり、俺の道具とするべく購入した。俺はその道具を最高の状態に仕上げる為に、必要なメンテナンスを行ったに過ぎない。
そのはずなのに、何故だか今の俺はアリスを奴隷として見ていない。道具として見ていない自分が確かに存在する。
「何故、こんな事に……?」
アリスを始めて見た日。彼女はガリガリに痩せ細った子供だった。十三歳とは思えない、小さな子供でしかなかった。
初めは酷く怯えて警戒していた。それなのに、数日もすればその警戒心が消えた。むしろ、俺に対してキラキラした眼差しを向ける様になった。
アリスは俺の為に役立とうとする。役立てなければ落ち込み、俺が褒めれば嬉しそうに笑う。
初めは奴隷なので、そんなものかと思っていた。そのはずなのに、俺はアリスの笑顔を好ましく感じる様になっていた。
俺に笑顔を向ける者は少ない。思い付くのはヘイゼルとグレーテルだけだ。けれど、あの二人とアリスでは、俺の感じ方がまったく異なる。
「何故、アリスには……?」
あの兄妹の笑顔を見て、俺が嬉しいと感じる事は無い。付き合いが楽だとは思うが、取引以外で付き合う気にはならない。
俺にとって二人は他人。そして、アリスは道具であっても他人のはずだった。そう思わなくなった原因は何だ?
俺が保護すべき対象だから? アリスがまだ子供だから?
「――っ……?!」
俺は今日の光景が脳裏を過る。アリスが血を流して、恥ずかしそうに震える姿を……。
その姿を見てから、俺は明確におかしくなった。今日の俺は激しく動揺した。それこそ、人生で指折り数える程の大きな動揺だ。
目の前に死が迫っても、ここまで動揺した事は無い。ハインリヒが俺を追放した時も、怒りは感じても動揺は無かった。
そういう事も有り得ると考え、次なる行動へと移れた。ならば、俺があれ程の動揺した原因は何だ?
「――まさか……」
アリスの姿を再び思い出し、俺はある可能性に思い至る。それは俺がアリスの事を、初めて女と意識したからではないかと。
勿論、アリスの性別が女である事は知っている。体の構造も把握しており、人間と同じ女の特徴を持つ事も確認出来ている。
しかし、俺にとってアリスは子供でしかなかった。女であると言う意識がこれまでは無かった。その認識が突然壊され、俺は混乱してしまったのだ。
「そんな、愚かな理由なのか……?」
アリスが女だから何だ? それを口にするのを躊躇ったのは何故だ?
それがわからぬ愚かさに、俺は強い苛立ちを感じる。しかし、アリスを女と認める事に、どこか否定的な感情が湧き上がる。
俺が愚かな行動を取るのは、この辺りにヒントがある。何らかの原因が有るのは間違いないのだが……。
――ガタッ! ガタタッ!
「うん? 何だ……?」
玄関の方で物音が聞こえた。家に入れた以上は、アリス、グレーテル、ヘイゼルのいずれかだろう。
しかし、その気配が玄関で動かない。何をしているのか気になった俺は、玄関の方へと足を運んだ。
そして、俺は驚きに息を飲む。そこにはスカートを赤く染めた、倒れるグレーテルの姿があったのだ。
「グ、グリムさん……」
「待て、動くな! まずは状態を確認する!」
俺は素早く駆け寄ると、膝を折ってグレーテルを抱き抱える。体にスキャンを掛けると、右の太ももに深い刺し傷があった。
俺は魔力を流して治療に取り掛かる。しかし、そんな俺の腕を掴み、グレーテルが泣きながら訴えて来た。
「助けて、グリムさん! アリスちゃんが! アリスちゃんが攫われたの!」
「なん……だと……。アリスが攫われた……?」
俺はグレーテルの言葉に激しく動揺する。そして、泣き崩れるグレーテルの姿を呆然と見つめる。
俺は心を鎮めて治療を続け、動揺を悟られない様に落ち着いた声で問い掛けた。
「グレーテル、詳しく説明しろ」
「ごめんなさい! ごめんなさい、グリムさん! 私が街に連れ出したから……!」
泣き喚いて理路整然としない説明。それに対する苛立ちを抑え、俺は努めて冷静に問い掛ける。
煮え立つ怒りを何とか抑え、成すべき事を成せと、自分に必死に言い聞かせながら……。




