魔力酔い
ゴブリンの討伐数が二十を超えた辺りで、アリスの顔が蒸気し始める。俺は眼鏡を通して、彼女の下腹部を確認する。
「ふむ、そろそろか。少し休んだ後、今日は帰るとしよう」
「もう、帰るのですか?」
俺の指示を聞き、アリスはその場で腰を落す。そして、不思議そうに俺を上目遣いに見つめる。
現在はまだお昼前の早い時間。ダンジョンに入って一時間少々と言った所だ。
更にアリスは調子も良く、上手くゴブリンを狩れている。本人としては、まだまだ余裕だと考えているのだろうな。
「これ以上は魔力酔いを起こす。今日は帰って休むべきだ」
「魔力酔いですか? それは何なのでしょうか?」
未だ症状が軽度な為、アリスに自覚は無いのだろう。しかし、その症状は確実に出ている。
俺はアリスの下腹部を指さして、彼女の症状を指摘する。
「いつもより調子が良いと感じているな? それはダンジョンに満ちた魔力を、体が吸収している為だ。魔力を生まれつき持つ者に起きる現象で、行き過ぎると魔力過多を起こす」
「魔力過多……。それが起きると、どうなるのでしょうか?」
「初期症状では酒に酔ったみたいな状態となる。判断能力が低下して、無謀な行動を取る事が多くなる」
「それは、危険ですね……」
アリスがゴクリと喉を鳴らす。今の自分の状態に、多少なりとも重なる部分を感じたのだろう。
「そして、重度になると頭痛、嘔吐、眩暈等の症状が出る。更にそこから無理をすれば、最悪は全身から血を吹き出して死ぬ」
「ひっ……!」
アリスの顔から血の気が引く。このまま無理をした時の未来を、頭の中で描いたのだろう。
とはいえ、そこまで魔力を吸収出来る者は稀だ。大抵は死ぬ前に気絶する。
まあ、ダンジョンで気絶すれば、そのまま魔物に殺される可能性もあるがな。
「魔力酔いは魔法や魔道具の使用時に起きる。帰りは俺が魔物の相手をする。アリスは魔道具をこれ以上使うな」
「は、はい! わかりました!」
先程の脅しが効いたのか、神妙な顔でコクコク頷いている。素直な反応に俺は満足する。
そして、俺は眼鏡越しにアリスの魔力を確認し続ける。徐々にではあるが、体内の魔力が馴染み始めていた。
「ダンジョンって恐ろしい所ですね。知らないと、危険が一杯です」
「ああ、そうだな。だが、それに見合うだけの見返りもあるんだぞ」
俺はアリスの下腹部に触れる。勿論、メイド服の布越しにではあるが。
アリスは驚いて肩を震わせる。そして、目を見開いて俺を凝視した。
「軽度な魔力酔いは、魔力の器を拡張してくれる。アリスの持つ魔力量が、徐々にだが増やす事が出来るのだ」
「ま、魔力量が増える……?」
俺は触れた指からスキャンを行う。アリスの魔力と身体の状況を素早く確認する。
「ダンジョンの外でも、より多くの魔力が使える様になる。更にダンジョン内では大きな魔力を行使可能になる。手っ取り早く強くなるには、ダンジョンで魔力を強化するのがお勧めだ」
「そ、そうなんですね……!」
魔力を持つ者は十人に一人程度の割合。だが、限られたその魔力持ちは、人外へと至れる可能性を持っている。
人間の数倍の力を発揮したり、素早く動く事も可能。炎や洪水だって発生させる事が出来る。
当然、その魔力を制御する訓練は別に必要となる。しかし、大金で魔道具を揃えなくても、訓練次第では奇跡と思える力をいつでも使えるのだ。
「魔力の制御は改めて訓練する。だが、魔力の器を広げておけば、訓練時にも役に立つ。今から魔力酔いに慣れるのも無駄では無いと言う事だ」
「う、うぅ……。グリム様ぁ……」
何故だかアリスが涙目で肩を震わせている。顔も真っ赤で、心拍数も非常に高い。
アリスは俯いて顔を伏せると、小さな声を絞り出した。
「お、お手洗いに……。行きたいです……」
「お手洗いだと……?」
以前のパーティーなら、見張りを立ててその辺りで用を済ませた。適当に穴を掘って、終わったら埋めるだけで終わりだ。
しかし、それをアリスに告げるのは躊躇われた。何故だか、怒り狂うグレーテルが脳裏に浮かんでしまったのだ。
「……走れば十分程か。俺に付いて来れるな?」
「は、はい! そのくらいなら大丈夫です!」
俺は自らの足を魔法で強化する。これでアリスと同程度の速度が出せるだろう。
そして、俺は魔力の波動で魔物の存在を探索する。接近する魔物が居ても、即座に迎撃しながら走り抜けられる。
「よし、それは行くぞ!」
「宜しくお願いします!」
走り出す俺の背に、アリスはしっかり付いて来る。魔力酔いも軽度なので、今なら魔道具のブーツも問題になるまい。
……それにしても、アリスの体質は厄介だな。
魔力酔いが酷いの初めの一ヵ月程度。それを過ぎれば体も慣れると思うのだが。
俺はやれやれと息を吐きながら、ゴブリンを蹴散らし走り続けた。




