グリムの勇気
俺は覚悟を決めて、アリスの部屋までやって来た。そして、一度深呼吸をすると、その戸をノックした。
「……ど、どうぞ、お入りください」
中からアリスの声が届く。俺は入室の許可を得た事で、扉を開いて中へと踏み込む。
だが、何故だか部屋が真っ暗だった。普段の寝る時間には少し早い。そして、アリスがまだ寝ていないのは、魔法の探知で確認していた。
ただまあ、窓からの月明りで顔が見えない程では無い。別に問題は無いかと思い、ベッドに座るアリスの元へと向かう。
「……ん?」
何故だかアリスは緊張した面持ちだった。そして、月明りで分かりにくいが、顔が少し赤い気がする。
それと着ている服も見慣れない物だ。肌が透ける薄い布地で、保温効果も余り期待出来そうに無い。そういう、来ている意味が余り無い服だった。
これは恐らく、グレーテルの趣味だな。あいつは可愛いからと、意味の無い服をアリスに着せたがる。これもその一環なのだろう。
「アリス、話がある。少し時間を貰うぞ」
「だ、大丈夫です。覚悟は出来ています」
覚悟が出来ている? もしや人格への影響について、薄々何かに気付いていたのか?
ティアマトかペローナが何か話したか? 或いは賢いアリスは自分で気付いた?
だが、それは重要な要因ではない。俺が成すべき事に、何一つ影響はないのだから。
「数日の内にダンジョンへ挑む。そして、気付いていると思うが、それはアリスの人格に影響が出る。継承される多くの記憶が、アリスをアリスで無くしてしまうかもしれない」
「――えっ……? 私の人格に、影響が……?」
アリスはポカンと口を開いて俺を見上げる。どうも気付いてはいても、人格への影響までは知らなかったらしい。
「そうだ。他人の記憶が流し込まれる。その人生経験がどう影響するか不明なのだ。それでも俺は、お前をダンジョンへ連れて行かねばならない……」
スタンピート等が起きないならば、アリスをダンジョンへ導いたりしない。俺はきっとアリスの身を第一に優先しただろう。
しかし、この街にはヘンゼルとグレーテルが居る。そして、ダンジョンの暴走はこの街を滅ぼしても続く。この街から逃げても意味は無い。
更には俺がアリスを連れ出せば、ティアマトが俺を殺そうとする。上手く逃げ出せても、オズが俺を殺しに来るだろう。
そう、俺にはアリスを守る力が無い。ならばせめて俺がアリスを連れて行き、その変化を一番側で見守るべきなのだ。
「済まない、アリス。情けない主人で。お前の身を第一に優先してやれず……」
「い、いえ、そんな……! グリム様は情けなくなんて……!」
アリスが慌てて立ち上がる。そして、心配そうに俺の事を見上げていた。
俺はアリスの小さな体を、そっと抱き寄せる。そしてその温もりを感じながら勇気を振り絞った。
「俺は、アリスの事を大切に想っている……。ずっと、俺の側に居て欲しい……。アリスの事を、手放したくない……」
「グ、グリム様……」
アリスは戸惑った様に声を漏らす。ただ、その両手がそっと俺の背中に回る。そして、そのまま俺の事を優しく抱きしめた。
その抱擁が俺の気持ちを楽にしてくれる。アリスが俺を受け入れてくれたと思えたからだ。
「最後まで、アリスを守ると約束する。俺の全力でアリスを守る。だから、ずっと俺の側に居てくれ……」
「はい、グリム様……。決してアリスは離れません……。いつまでも、グリム様の御側にいます……」
アリスの返事に俺の心が軽くなる。かつてない程に、軽やかな気分となった。
俺はアリスの両肩に手を置き、そっとアリスの抱擁を解く。すると、アリスは緊張した面持ちで、そっと目を閉じた。
「ふっ、そう緊張するな。全て俺に任せておけ。それでは……。――お休み、アリス」
俺はアリスの白い髪をくしゃりと撫でる。柔らかなその髪は、撫でているこちらまで気持ち良くなる。
「――えっ……? お休み……?」
アリスは目を開き、不思議そうに首を傾げた。そんないつも通りの姿も、何故だか今の俺には愛おしく思えた。
「ああ、ゆっくりと休め。それと、そんな薄着では風邪をひくぞ? しっかりと温かい格好で寝るんだぞ?」
「え……? あ、はい……」
俺の忠告にアリスはコクコクと頷く。そして、何やら納得いかない様子で首を傾げていた。
「では、俺はもう行く。時間を取らせて済まなかったな」
「い、いえ……。それは別に問題無いのですが……」
アリスは混乱した様子を見せていた。それは恐らく、俺の気持ちを急に告げられたからだろう。
彼女にもそれを受け止める時間が必要はなず。俺はそう考えて、何も言わずに部屋を去る事にした。
「――えっ……? どういうこと……?」
混乱したアリスの声が、静かな部屋に響く。俺はくすっと笑い、扉を閉じて部屋を去った。




