継承と不安
一度はこの世界への浸食を試みた。そう告げたティアマトに、俺は強い警戒心を抱く。しかし、彼女はすぐに言葉を続けた。
『そう警戒するな。我々はもうこれ以上の侵略行為を行わない。そうでなければ、この場でグリムに今の話をするはずがないだろう?』
「……ふむ、確かにその通りだな」
確かに牽制目的でも無ければ、俺へと浸食の話をするはずが無い。特にティアマトとは、これからダンジョンで行動を共にするので猶更だ。
『この話はアリスの今後にも直接的には関りが無い。この街のダンジョンの神とて、兎人族を守る以外の意思は持ち合わせていないはずだしな』
「ふむ……?」
ティアマトの言いたい事はわかる。兎人族は滅びた神が再構築して生まれた、自らが守るべき存在なのだと。
けれど、逆を言えば兎人族の敵は、その神の敵とも言える。兎人族を追い出して、ダンジョン上に街を築いた人間達。それをどう思うかは不安が大きい所だ。
『それに既に話した通り、神は既に死んでいる。残留思念が残るのみなのだ。それ故に神の本能として浸食を行ったが、それ以上の明確な意思は存在しない。ただ、力と方向性だけが存在し続けている状態なのだ』
「力と方向性だけ……?」
世界の滅びと共に、その世界の神も死んでいる? それ故に、残された力には意思が存在しないと言うのか?
だとすると、余計にティアマトの存在は稀有だ。本来は対話出来ないはずの死者と、こうやって会話が成立しているのだからな。
そんな貴重な存在を、どうしてオズは俺に預けた? あの魔女が只の善意でそんな行動を取るはずが無い。
いや、今はその件は置いておこう。それよりも、今はアリスの今後を考えるのが先だ。
「アリスがその力と方向性を与えられたとする。その変化は継承直後に起きるのか? それとも、ダンジョンに入った時点から始まるものなのか?」
『変化が起きるのは継承後のはずだ。急激に変化するか、ゆるやかに変化するかは、その神の気質による部分が大きい。実際、私はこの子には対して、継承を完了させていないしな』
「継承を完了していないとは? それはどういう状態なんだ?」
『分霊であり、憑依している私が、継承すべき力を保持し続けている。この子自身は未だ、自身で一切の力を使う事が出来ない』
俺はティアマトの回答に目を見開く。それと同時にようやく気付いた。ハーシーの『魔力の器』が二つ存在する理由に。
彼女は左右の乳房に、それぞれ大きな『魔力の器』を所持している。本来ならば、どんな魔法使いも一つしか持たない物をである。
そうなった理由は、片方がハーシー自身の物で、もう片方がティアマトの物。二人分の別々の『魔力の器』だからと言う訳である。
だが、そうなると今は『魔力の器』を一つしか使っていないのか? もし、それが両方使える様になるとどうなるのだろうか?
俺の好奇心が疼き始める。しかし、俺は首を振って意識を切り替えた。
「話を戻すと、アリスの変化は継承するまでわからない。どうなるか予想出来ないと言う事なのだな?」
『そういう事になる。ただ、アリスの性格を考えると、この街の神は穏やかな性格だろうと思うがな』
継承者を待つ神は、自らに似た物を選ぶそうだからな。そういう意味だと、少しは安心材料になる。
アリスについて、事前に確認出来る事はこんなものだろうか? そう俺が考えていると、ティアマトがトーンを落として俺に告げた。
『……ただ、アリスは普通では無いかもしれない』
「……それは、どういう意味だ?」
ここに来て話が不穏な方向へと流れる。俺はは眉を顰めてティアマトの言葉を待った。
彼女は俺の様子を伺う様に、慎重な口調で話を続ける。
『アリスはまだ継承を終えていない。けれど、継承者の雰囲気を微かに感じる。何故、そんな事が起きている? どうして僅かながら、その力を与えられているのだ?』
「…………」
それは俺も気になっていた。先程もティアマトに問い掛けたが、変化は継承後にしか起きないと言う回答だった。
けれど、アリスにはその変化が既に見られているのだ。それがダンジョン内に限定された事象だとしても。
『神に触れずにどうやって力を受け継ぐ? それとも既に、彼女は触れているのか? それは私にも女王にも、予想すら出来ない事象なのだ』
アリスについては不明点が多い。それは彼女が超越者――ダンジョンに選ばれた者だからと考えていた。
しかし、神であるティアマトにも、継承者であるオズにも理解出来ない事象だったらしい。
『アリスの継承では何が起きるかわからない。それ故に、私をそれを大いに心配している』
「…………」
先程、俺は疑問に思った。何故、オズが俺にティアマトを預けたのかと。
もしかすると、その答えはアリスなのかもしれない。いざという事態に対応出来る様に、虎の子のティアマトを監視に付けたのだと……。




