怒りの対価
アリスとハーシーの手合わせは無事に終わった。最後にオズが横やりを入れなければ、二人の手合わせには何の問題も無かったのだ。
しかし、オズは最後に即死級の魔法をいきなり展開した。そのタイミングと展開速度の速さで、俺ですら防御が間に合わない状況であった。
しかし、アリスは自らの足で危機を回避。もし反応出来なければ、アリスはその場で空間ごと圧殺されていたかもしれない。
流石にこれは見過ごす訳には行かなかった。警告を発する等、悠長な事を言っている状況ではない。今のが明確な敵対行為であると、オズに知らしめる必要があるのだ。
「そういきり立つな、グリムよ。お主が怒るのも最もだ。今のは余が悪かったと考えておる」
「だから許せと? いくら貴様が王国の魔女だろうと、国を敵に回すとなったとしても……!」
しかし、そこでオズの鋭い視線が飛ぶ。それ以上を口にしてはいけないと、その視線が語っていた。
ただ、オズの視線は俺を非難するものではない。何故か焦りが滲み出ている様に見えた。それが何を意味するか訝しんでいると、彼女は意外な行動に出る。
「すまぬ、グリム。今のは余が軽率であった。この通り許してはくれぬか?」
「「――っ……?!」」
オズが俺に頭を下げ、背後に控える二人の従者が動揺を見せる。俺としても内心では、オズがこんな態度に出るとは思っていなかった。
いつでも人を食ったような態度の奴だ。それがこんな真摯な姿を見せるなど、誰にも予想出来るはずが無いだろう?
「お詫びと言う訳では無いが、先にこちらの誠意を見せよう。――アリスの母、キャロルを我が手元で保護しておる」
「なん、だと……?」
アリスの母親だと? アリスからは奴隷として捉えられ、別々に売り飛ばされたと聞いている。
俺は驚きを隠してアリスに視線を向ける。すると、闘技場で様子を窺っていた彼女は、その耳で会話を聞いていたらしい、動揺で目を見開きながら、必死な視線を俺に向けていた。
「元々、余は昔から高い魔力を持つ獣人を保護していてな。その中にキャロルも混じっておった。今回はアリスの情報を掴んだ事で、そちらの意向を確認しようと考えておったのだ」
「こちらの意向だと? それはどういう意味だ?」
オズが獣人を買い漁っているのは有名だ。彼女の配下の三獣士の様に、私兵として使う為だと噂されている。
そして、高い魔力さえ持つなら、それは女性でも問題が無い。現に三獣士の一人は、鳥人族の女性である訳だしな。
ただ、問題なのはオズの言う意向と言う言葉だ。オズはアリスの母親というカードを使い、俺に何を要求するつもりだろうか……。
「そう警戒するでない。元々は交渉のカードと思っておった。しかし、今回は余が下手を打ったのでな。グリムが望むなら、無条件で引き渡そう」
「アリスの母親を、俺に譲ると言うのか?」
俺の言葉にオズは頷く。今のオズは笑みも浮かべず真剣な表情だ。いつものふざけた空気はまったく無い。
信じるべきかは難しい判断だ。しかし、この場で嘘と断じる事も難しい。もし本当であった場合、アリスがどう考えるか読めないのだから。
「……この場では判断を保留する。その話は後ほど改めてさせてくれ」
「あい、わかった。アリスとしっかり相談して、決めるとよかろう」
オズの視線がアリスに向く。視線を向けられたアリスは、ビクッと肩を揺らした後にペコリと頭を下げた。
アリスからすると母親と合わせて貰えるかもしれない。そう思って感謝を示したつもりなのだろうな。
「ならば、この茶番は終わりで良いのか? 見たいものは見終わったのだろう?」
「いや、それは駄目だ。状況が変わった。グリムの実力も見せて貰う必要がある」
事情が変わっただと? オズは一体、何のことを言っているんだ?
だが、オズにはふざけた空気が未だに無い。未だかつて無い程に、張り詰めた空気を纏っていた。
それは女王と呼ばれるに相応しい存在。そう思わせるだけの気迫が彼女にはあった。
「ブリジット、心得ておるな? グリムの相手を頼むぞ」
オズは背後に控える銀鎧へと声を掛ける。その銀鎧は胸に手を添え、恭しく頭を下げる。声は発さなかったが、それが了承の意思表示なのだろう。
オズは俺へと視線を向ける。そして、有無を言わさぬ物言いで、俺へとこう命じた。
「事情は後ほど改めて伝える。今は余にその実力を示せ」
「ふん、仕方あるまい。どうせ断っても無駄だろうしな」
俺は渋々頷いて、観覧席から腰を上げる。それを見上げるオズは、微かに口元を綻ばせていた。
俺が闘技場へと足を向けると、それに続くように銀鎧の気配も続く。俺達は揃って闘技場の中央へと向かった。
そして、観覧席へと向かうアリスは、俺とのすれ違いざまに、俺へと心配そうな視線を向けていた。俺はそんな彼女に微かに微笑んで、安心させる様に頷いて見せた。




