つかの間の休息
ダンジョン攻略を終え、俺達は自宅へと帰って来た。身体的には問題が無いが、流石に今回は精神的に疲れた。
俺は研究室には向かわず、リビングのソファーでぼんやりとする。すると、アリスが手早く用意したコーヒーを、俺へと差し出して来た。
「……アリスも疲れているだろ? 休んでいて構わんのだぞ?」
「いえ、全然平気です! この後も食材の買い出しに出ます!」
アリスはニコリと微笑む。その顔には疲労の色が見えず、無理をしている様子もない。
俺はアリスを手招きする。不思議そうに彼女が近寄ると、俺はその白い髪をそっと撫でた。
「はわわっ……! グ、グリム様……?!」
顔を赤らめ俯くアリス。しかし、嫌そうな雰囲気は見られず、いつも通りのアリスに見える。
俺は合わせてスキャンを掛ける。魔力の器は大きくなったが、それ以外に変化は見られない。本当に何の異常も見つからなかった。
「……今回は良くやった。お前のお陰で、ダンジョン攻略も大きく前進した」
「ほ、本当ですか! 良かったです! グリム様のお役に立てたのなら!」
アリスは満面の笑みで顔を上げる。目はキラキラと輝いており、心の底から嬉しそうな表情だった。
やはり、いつも通りのアリスだ。どこにでもいそうな小柄な少女。人畜無害に見える兎人族の少女。
俺は少し悩んだが、アリスへと直接聞く事にした。ダンジョンでの彼女の変化についてだ。
「アリスはどうして魔物を憎む? 地下九階へと向かいたかった?」
「え、何のことですか? そんな事は考えていませんでしたが……?」
アリスは不思議そうに首を傾げている。その想定外の反応に、俺は彼女を撫でる手を止めた。
そして、手を下ろしてアリスを見つめる。アリスは少し寂しそうに下ろした手を見つめていた。
「……魔物を一匹残らず殲滅したな? どうして、あれ程果敢に魔物を屠った?」
「グリム様のお役に立てると思ったからです。ほ、褒めて頂けると思いました」
アリスは顔を赤らめ、モジモジとし出す。照れる様子からも、それが嘘とは思えなかった。
しかし、俺の記憶違いなのか? あの時のアリスは、鬼気迫る表情で敵を狩り続けていた。そんな殊勝な思考には見えなかったのだが……。
俺は顔を顰めて低く唸る。そして、目の前のコーヒーを思い出し、何気なくそれを口にした。
「――っ……。旨い……」
「ほ、本当ですかっ?!」
俺の漏らした呟きに、再びアリスの顔が花咲く。心底嬉しそうに小さく拳を握っていた。
俺は再びカップに口を付ける。そして、その味をゆっくりと味わった。
使う素材が変わった訳では無い。これまでにアリスやグレーテルが淹れたコーヒーと同じものだ。
しかし、これは何と表現すれば良いのか……。
――そう、絶妙なのだ……。
薄すぎもせず、濃すぎもしない。俺の好みにピッタリと合う味わい。これが俺の好みの味なのだろう。
俺が静かに香りを楽しんでいると、アリスは邪魔にならない程度に、小さく俺に囁きかけた。
「グリム様の好み、一つ覚えました。次からもお任せ下さい」
「……ああ、頼もうか。コーヒーはアリスの味が一番好みだ」
不思議とするりと言葉が出た。何故だか俺は、アリスには何の抵抗も無く、思いを口に出来るらしい。
アリスはポカンと口を開け、それからジワリと涙が滲み出る。彼女は慌てて両手で顔を隠し、小さくコクコクと頷き続けた。
俺はそれを横目に、再びコーヒーを口にする。喉に流れる風味を味わいつつ、それでも俺の冷静な部分が思考し続ける。
――これもダンジョンの影響か……?
ダンジョンの攻略前日にも、アリスはコーヒーを淹れてくれた。まだ練習中と言う事もあり、まだグレーテルには及ばない味だった。
それなのに、ダンジョン攻略から戻ると、格段に腕が上がっていた。普通に考えれば有り得ない上達なのである。
いずれはこの味に辿り着いたかもしれない。しかし、それはこの短期間で習熟可能なものでは無いはずだ。
恐らく、アリスには自覚が無い。戦闘スキルの異常な上達。ダンジョン内での性格の変化。そして、コーヒーを淹れる腕の異常な成長……。
――いや、今は止そう……。
目を赤くして俺に微笑むアリス。その姿を見て、俺はそれ以上考えるのを止めた。今はそれを彼女に伝える時ではないと思った。
アリスの思考も今は正常に戻っている。ダンジョンにさえ入らなければ、彼女への悪影響は無いはずだ。今は静かに彼女を見守るとしよう……。
俺は再びアリスの白髪に手を伸ばす。その髪を優しく撫でると、彼女は涙を堪える様に笑みを浮かべた。
「――お姉ちゃんが来たよ! アリスちゃんは元気かな~♪」
玄関から響くけたたましい声に、俺は内心でげんなりとする。そして、撫でる手を下ろし、扉へと視線を向けた。
その扉はすぐに開き、グレーテルが弾丸の様に跳び出して来る。そのままアリスを抱きしめ、抱かれたアリスは目を白黒していた。
「うむ、戻った。と言っても、すぐまた買い出しに出るがな」
開かれた扉の側に、ペローナが立っていた。今回もまた、彼女がグレーテルを迎えに行ったのだろう。
そして、手には買い物用のバッグを手にしている。タフなペローナは、夕食の買い出しにも護衛として同行するのだろう。
「ああ、そうか。では、後の事は頼む」
俺はコーヒーを飲み干すと、ソファーから腰を上げる。研究室へと向かおうとしたのだが、何故かペローナは不思議そうに俺を見つめていた。
どういう反応かと気になったが、ペローナはくすりと小さく笑う。そして、俺に対して嬉しそうに口を開いた。
「ああ、任された」
俺はゆれる尻尾に気付き、無言で小さく頷いた。そして、彼女の肩にポンと手を置き、そのままリビングを後にした。




