プロローグ 目覚めし不死の眼
気付いたら設定練って3年経ってたので、とりあえずやるの精神で遅筆ながら不定期に更新します。
久しぶりの筆持ち故に暖かく応援してくださると幸いです。
山賊街ネクリア。
日頃は酒場も満員で賑わい、山賊や傭兵の笑い声が絶えず溢れ、賑わう大通り。
しかしこの日は阿鼻叫喚と言える状況だった。
「急いでください!こちらへ!」
「荷物は後にしろ!死んでも知らねえぞ!」
「自分の荷物より命を優先しろ!アレが何匹も来たら終わりだぞ!!」
無法に乱立された建物の合間からは、そう遠くない距離で謎の巨大な魔物が暴れているのが見えた。
山のように大きな身体を大砲が直撃しても気に介することなく、周囲の建物を破壊している。
遠方から爆発音や発砲音が響く。
街中は敵襲への対処に向かう者達と、避難する非戦闘員の者達で双方向となり入り乱れ、混乱を加速させていた。
身なりの整った男とモヒカン姿の荒っぽい男が多数見受けられ、声を張り上げて人々に避難誘導をしている。
それでもあちらこちらですれ違えず激突したり、落としたものを拾おうとしてトラブルになったりしている。
「テメェ何座ってんだ!危ねえだろうが!」
「テメェっ、人の弓踏みやがったな!?」
「知るかっ、そんなモン…クソ!気をつけやがれ!」
「あッ待てっいやクソ、二度とツラみせんなボゲ!」
小競り合いが起ころうと誰一人それを諌めようともせず、当事者たちも怒りは二の次にして己が身を守るために駆けていく。
人混みの中を、執事服の背高い女性が子供を抱え、息を切らしながら走っていた。
人の群れの中を、川を遡る魚のように流れを見極めて素早く動き、時には建物のベランダなどを通り、手慣れた様子で進んで行く。。
抱えられた子供は真っ白な上質な服を着ており、綺麗な黒髪が風になびいていた。
「はぁっ、はぁっ、大丈夫です、お嬢様…!
絶対、助かりますから!」
よく鍛えられた健脚は、子供一人を抱えたハンデありでも周りの避難者を次々追い越していく。
ただ汗の量、息の切らし方からかなりの距離を走っている様子だった。
それでも彼女は脚を緩めず、時折指で魔術陣を結び、自らの脚へ魔術を施して走り続ける。
「シャル、私走れるから…」
「だめです!お嬢様はっ、エスハリック商会を背負って立つお方!こんなとこで、転んだりしたらっ、一大事なんですから!
私が、『ランナー』で運んだ方がっ、安全です!
ご安心を、絶対守りますから!」
シャルと呼ばれた執事服の女性は人混みの中を縫うように走りながら、建物の合間を抜け、目的地へ向けて迷うことなく走っていく。
「それにっ、一刻も早く馬車を出さないと!アレがいつまでも、入り口にいるとは限らないんですからっ!」
抱えられた少女はシャルの肩越しに"アレ"と呼ばれたモノを見る。
建物を踏み潰すほどの巨大な姿。
何十、もはや何百と弓矢や魔術の攻撃を受けても血を流す様子もない怪物、『異獣』。
真っ黒な毛皮に、紅く煌々と光る複数の眼。
少女も都市郊外で、小さな個体を見たことがあった。
両親の制止を無視して馬車の窓から見たのは、草原の真ん中で空をただ見上げるだけの、犬ほどのサイズをした異獣。
しかしその周囲には食い散らされた動物の死骸が無数に倒れ、周囲の草むらだけ真っ赤な絨毯のようになっていたのを強く覚えている。
恐らくは、あの異獣の足元はもっと酷いことになっているのだろう。
自分達の家も、屋敷も踏み潰されてしまった。
みんな避難はできたけれど、アレを止めるために何人も使用人たちが武器をとり、走って行った。
彼らも、絨毯になってしまったのだろうか。
不意に少女の思考を遮るように視界が建物で塞がれ、化け物は見えなくなる。
シャルは急に建物の合間に入り、西街道行きの人混みから離れるように走っていく。
「こっちで、避難用の馬車が待機してます、してる筈です!」
人混みを抜けた途端に、さらに速度を上げて走るシャル。人との激突を避けるために速度を抑えていたのか、或いは自身の身体など構わず、一刻も早く少女を目的地へと連れていくためか。
魔術の恩恵か、常人離れした速度で入り組んだ路地を前傾姿勢で駆ける様子は、土地勘と経験あっての技術。彼女がこの町で長く生きてきたことを感じさせる。
その甲斐あってかあっという間に路地を抜け、見張りの兵も出払って無人の外壁門前に出る。
門の周りには魔物の死体が軽く山にされており、辺りにはまだ新しい血痕が残っていた。
表の巨大異獣以外にも敵がいるのを、何か知らない陰謀を感じながら、
開け放たれたままの門を通って街の外へ出る。
「どこ、どこに…この辺っつってたよね」
シャルは焦った様子で息を切らしたまま辺りを見まわして馬車を探す。
「壁沿い、壁沿い…っ居た!居たぁ!」
門を出て右手、やや西にある馬貸し店前で不相応な高級馬車が止まっていた。
少女を抱えたまま喜びのあまり馬車の方を指差して喜び、先ほどよりも速く駆け出す。
指差した先には、既に出発準備を終えた様子の、小型の中階級馬車。貴族御用達の、大型動物の襲撃も耐える頑丈仕様。
少女の両親は二人を待っていた様子で、母は姿を見るや否やこちらへ手を振り、父はすぐに出発できるよう御者席へと乗り込んで行く。
「奥様!よかった、無事で!いなかったらマジ、本当どうしようかと!」
「ありがとう、ありがとうシャルロット!あなたのおかげよ、ありがとう…!」
駆け寄ったシャルもといシャルロットが少女を下すと、母親は大粒の涙を流しながら少女に抱きつく。
「母さま、くるし…」
「あぁごめんなさい!ほらアルヴァノ早く乗って、直ぐに出るから。」
あまりに強く抱きしめられて、けほけほと咳き込みながら馬車に乗り込む少女。
座席に座って、後部席の窓から二人を見る少女。
何かを話している様子だったが、声が小さく聞き取れない。
シャルロットは安心した様子で笑いながら話し、母は何度もお礼を言って頭を下げている。
その内母は懐から封筒を取り出し、手渡そうとするがシャルロットは受け取れないと困った様子で拒否していた。
子供心にもアレがお金だろうということは感じ取れたが、ここでお金を渡す、ということはどういう意味かまでは分からなかった。
その意味を考えているうちに二人の間で話がまとまったのか、シャルロットは渋々といった様子でお金を懐にしまい、互いに抱きしめ合う。
が、シャルロットが高身長なせいでその胸に顔が埋まっており、息が詰まったかその背を懸命にタップする母。
思わずふふ、と笑ってしまう少女。
街での襲撃や混乱の恐怖を和らげるような一幕だったが、シャルロットは母と握手すると踵を返し、門の方へと走り去ってしまう。
「…シャル?どこ行くの?」
席から降りて、追おうと車外に行こうとした少女を止めるように、外から母が乗ってくる。
「母さま、シャルが!」
「…シャルロットは街に残るそうよ。意思は固いみたい。」
「どうして止めないの!?アレが来てるのに!」
少女は窓を指差し、巨大な異獣がいた方を指す。
「…シャルはこの街を守る、守護騎士なの。いくらお金を渡されても、その意思は変わらないって。」
「でも!」
少女が慣れない感情に振り回されながら言葉を選んでいる内、地面が大きく揺れる。
「ひゃっ」
傾いた馬車内で母にぶつかる形で倒れるが、しっかりと母親に受け止められて事なきを得る。
「…大丈夫よ、これ以上ひどくはならないわ。」
母は安心した様子で窓の方を見ていた。
少女も不安ながら窓の外を見る。
すると遠くの方で、先に見えた巨大異獣が吹っ飛んでいるのが見えた。
異獣の正面には、同じかそれ以上の大きさの人型の異形が戦っていた。筋骨隆々、ゴーレムのように綺麗に作り上げられた体は不気味だったが、それよりも顔に当たる部分は真っ白な面になっており、その異色さを強く引き立たせていた。
大きさに見合わない俊敏さで地を蹴り、吹っ飛ぶ異獣めがけてさらに蹴りを叩き込む姿は、少女の目には恐ろしくも輝かしく映っていた。
「…ネクロマギア様がいるから、ネクリアは安心よ。何があっても、ネクリアはなくなったりしないから。シャルも無事な筈よ。」
「…あれが、ネクロマギア様…」
少女は自身の家にある胸像が、似たようなものだったのを思い出す。
あんな顔だったかな、と考えていると馬車が揺れ、馬の鳴き声が聞こえるとほぼ同時に動き始める。
「ちっと速度とばすからな、二人ともちゃんと座っといてくれよ!」
父の荒い手綱裁きで馬車はみるみる速度を上げていき、森林通りの街道へと向かっていく。
母は少女を抱き上げ、座り直させる。
「…心配しなくても平気。来月の予定だった引越しが、ちょっと早まっただけよ。」
「…うん」
母に言われ、遠くなっていく街を見る少女。
生まれ育った街を離れ、来月にはネクリアがある大陸の北部から、大きく離れた南部のレフォン大通りと呼ばれる発展中の商区への移動が決まっていた。
それが1週間ほど前変更になり、急遽移動の予定が繰り上げられた。
まだ齢11の少女には知る由もないが、各地で転移者殺し集団の噂や異獣発生頻度の上昇が噂され、時間が経つにつれて激しくなっていた為だった。
しかしそれも間に合わず、運悪く出発前日にネクリアが襲撃を受けてしまった。
運び出す予定のものは一部放棄し、無理やり出発したのだった。
「…ごめんなさいね。直接迎えに行ってあげられなくて。」
「え?」
考えていなかった母の謝罪。
少女は驚いて視線を上げる。
「大急ぎで馬車の手配とか、道の計算をしてたら人手が足りなくて。シャルを信用していなかったわけじゃないけれど、お家はネクリアの東…大通り近くで、あの異獣が現れた時には私たちじゃ間に合わなかったの。だから、連絡機でシャルに…」
「打ち合わせがあったんでしょ?母さまも父さまも忙しいって知ってるよ、大丈夫。
二人とも無事で、私も元気。メイドさんたちみんなが無事かは分かんないけど…みんな、私が無事に逃げられるようにって言ってた。だから、私が元気じゃないといけないから。
難しいことはよくわかってないけど、ここで悩んでもみんな喜ばないから。」
「…ほんと、父さんに似て賢い子ね。誇りに思うわ。」
「えへへ…わっ」
頭を撫でてもらってご機嫌だったが、また地面が大きく揺れて馬の走りが荒くなり馬車が揺れ、座席に倒れ込む。
「っぐお、ごめんな!戦闘の余波がヤバくて、馬も怯えてんだ!しっかりなんかに掴まっててくれ!」
車外の父が声を張り上げている。
元よりそう手綱を掴むような状況がない家長であり、不思議なほどに動物から好かれない父の運転が荒いのはギルド騎兵の酔っ払いたちからお墨付きを受けるほどではあるが、過去数回の運転でここまで揺れたことはなかった。
既に森林道に入り、異獣達の方は見えず、真後ろの方しか見えなくなってしまっているが、街の方は砂埃が舞い、時折魔力によるものか空気が歪み、風が吹き荒れている。
相当大規模な戦闘が続いている様子だった。
生まれて初めて経験する、戦争並みの大戦闘。
人が死に、被害が出る恐ろしいもの。
普通ならば恐怖するものだったが、少女はどこか高揚感を覚えていた。
歳不相応に落ち着いた思考と、人とズレた感性は両親の知るところではあったが、そこまでは知る由もなく。
しかしそれを外へ出す手段も知らず、高揚感というものも知らない彼女にとって、得体の知れない未知の感情であり、押し殺すものでしかなかった。
あまりにも突然の故郷との別れ。
生まれてから一緒だった、姉のようなメイドとの別れ。
幼い心に傷が付いていないか。
母親は心配で、物憂げに窓の外を見続ける娘に声をかけようとした。
その瞬間、ちょうど窓ガラスがノックされる。
御者席が見える窓ガラスから、父親が覗いていた。
窓ガラスの固定金具を外し小さく開く。
かなり早く走っている為、隙間から強く風が吹き込む。
「何かあったの!?」
「馬の怯え方がおかしい!何かいるかもしれん、防御の術式を張っておけ!」
懐から術式の書き込まれた符を渡され、母親は何も言わずに頷いて窓を閉める。
すぐさま渡された符に魔力を込め、魔術式の起動に取り掛かる。
指先から紙へと魔力が流れ込み、黒いインクで書かれていた紋様がみるみる色が変わっていく。
魔術の心得の鈍いものでも、魔力の流し方さえ覚えれば魔術が使える道具。エスハリック商会はそういった物品を仕入れ、時には製造まで行って販売する魔術道具の商売人だった。
符全体に魔力が行き渡ると魔術陣が浮かび上がり、回転しながら広がって馬車の内側から全体を覆っていく。
「…母さまは上手だね。わたしも早く上手くなりたいな。」
「ふふ。焦らなくても、いつか使えるようになるわ。どんなに不器用でも、不得意でも魔術が使える…格差のない商品展開を!エスハリック商店へようこそ〜、ってね。」
魔術陣が馬車全体を覆い、手元で小さく強い光が輝くと魔力で紡がれていた陣が溶けていき、馬車全体を硬質化する。
「ふぅ…一旦はこれで大丈夫かしら。」
「母さま、外にいる父さまはどうするの?」
「大丈夫よ、元々この馬車を引く馬達も守れるように作られてるから、パパも防護壁の内側よ。それに、パパは元々冒険者だったんだから多少なら避けられるわ。
昔は『煙玉のヴィクタ』なんて呼ばれてたのよ。」
「なんか…ちょっと弱そうだね」
「まあ、仲間達の中じゃ強くなかったかな。けど逃げるのが上手だったおかげで、たくさんの人を助けてたのよ。」
御者席窓から、車外で手綱を握る父がくしゃみしている姿が見えた。
母も同じく窓の外を見ていたが、少女の眼は違うものに惹かれた。
「…?」
車体横の窓から、進路の先、森の木々の隙間から白い何かが見えていた。
森林に似合わない、真っ白な何か。
街で暴れていた異獣とは真逆の色。
「母さま、アレ…」
「何かあった?」
少女が指差す先を窓から覗き込む。
森林は光を拒むように薄暗く、少女が言う何かを母親は見つけられなかった。
しかし、まだ年若い娘の動体視力の方が頼りになる。
不安は全て考慮した方が良いと考えた母親は、夫へと声をかける。
「…ねえパパ、ちょっと速度を下げて…」
次の瞬間、大きく馬が嘶き、車体が横に揺られる。
「きゃあっ!」「いやっ!」
母親は、揺れる視界の中で、森から巨大な影が飛び出すのが見えた。
娘の言う、白い影。
危険を感じ取った母親はとっさに娘に手を伸ばす。
「っアルヴァノ、伏せ」
轟音が響く。
目の前で天井が歪む。
壁へと叩きつけられ。
頭に強い痛みが走る。
悲鳴が最後に聞こえた。
母親の目の前で車体がひしゃげ、上から叩きつけられた何かによって真っ二つに叩き割られ、車体が斜めに削り落とされた。
運良くか運悪くか、魔術によって強化されてしまった歪んだ箱に閉じ込められたまま、少女がいた車体部分が落ちて転がっていく。
母親は呆然としていた。
強い衝撃の直後、顔を上げると目の前にいたはずの娘が車体もろとも居なくなり、車体が大きく歪んで半分になっていた。
天井が傾いて強く曲がり、天窓が運悪くまるで車窓のような角度で固定され、後ろの様子が全て、しっかひと見えるようになってしまっていた。
娘が入っている筈の歪んだ車体の箱が転がっていき、目の前で大蛇に狙われているのを見せつけられた。
生きているかも分からない。けれど、そんなことを考えられるほどの余裕は彼女に無かった。
「嫌、アルヴァノが!止まって!あなた!」
張り裂けそうな胸を抑えながら振り返り、御者席の夫に叫ぶ。
しかしそこから見えるのは、頭から血を流して御者席で気を失っている最愛の人。
幸い、馬は無傷で森林通りを走り続けていた。
手綱は魔術制御が続き、森へ突っ込んでいくようなことはなく道沿いに走り続ける。
つまりそれは、このまま娘を置いて走り去ることに変わりない。
「あなた…っ」
母はすぐに救援を諦め、己の力でどうにかしようと、多少の怪我は覚悟で飛び降りようと扉に手をかけた。
しかし衝撃で扉枠が歪み、びくともしなかった。
めいいっぱいの力をこめてもズレたりもせず、全体重をかけてぶつかっても一切動かず。
車体は己がかけた魔術で強固となり、頼れる最後の砦たる夫は既に倒れ、何も出来なかった。
策を、案を考える間にも娘は遠ざかっていく。
「嫌、嫌よ、そんな、だめよ…!」
衝撃で地面に叩きつけられていた鞄から、折りたたみの杖を取り出して急ぎ引き延ばす。
「お願い、お願いだから返してよっ、アルヴァノ…!」
しかし気が動転した状態では杖があろうとまともに魔力を束ねられず、魔術の行使などままならず。
何よりも、落下の衝撃か叩きつけられた衝撃か、杖は割れており、まともに使える状態ではなかった。
熟練の魔術師ならばあるいは、しかし彼女は既に前線を引いた元魔術師、叶わぬ夢。
「どうしてっ、あの子は何もしてないでしょう!?
殺すなら私にしなさい!」
杖を投げ捨ててひび割れた天窓を叩き、悲痛な叫びを上げる。
ひび割れたガラスは魔術で強化されたまま、非力な母親の力では砕くことも叶わず。
最早手のひらほどにまで遠ざかった敵の大蛇を睨み、なおも声を枯らして叫ぶ。
「お願いだから…!どうして、あの子が…!」
視界が歪み、ふらつく頭を抑えながら窓に縋り付く。
痛む頭を抑えた手を見ると、頭から相当量の出血をしていた。
遠のく意識を許せず、感情一つで意識を繋ぎ止めた。
非力を恨み、不運を恨み、全てを恨み。
遠ざかっていく大蛇を睨み続けた。
「嫌よ…アルヴァノ…」
曲がりくねった林道に入り、窓から見えなくなっても、意識を失う最後まで、娘の名を呼び続けていた。
夜。
薄暗い洞窟の中。
街から離れた森の中、小高い丘の麓に掘って作られた、元魔物の巣を利用した巨大な巣。
人も魔物も寄りつかない、近辺のヌシが過ごす巣穴。
その最奥、何かの寝床と思われる場所には、無数の人骨や獣骨が壁側に堆く積み上げられ、犠牲者の数を物語っていた。
その傍ら、一人の少女が倒れていた。
まるで何かに飲み込まれていたかのようにベタついた液体に濡れている。
一度吐き出されたようなそれは、保存食としてか、あるいは別の理由か。
肩から腹にかけて鋭い牙が抉った傷。白い衣服はもはや別の服のように真っ赤に染まっており、出血が酷い。
ベタついた液体によって僅かながら出血を抑えられているが、寒い洞窟内、多くの血を流したであろう状態。
巣の主に襲われたであろう彼女の呼吸は浅く、もう長くないことが伺えた。
目は開いているものの、身動きしない。
衰弱しているだけではなく、なんらかの毒が体に回っている様子だった。
巣の主は近くにおらず、巣の外に出て行った後の様子。
天井から水が滴り、洞窟の端で天然の水飲み場を作っていた。
ピチョン、ピチョン。
一定間隔で水が落ち続ける音を、少女は薄れる意識で聞き続けていた。
ふと気付くと、倒れ伏した視界の端で、削れた岩の上に鎮座する白い骸骨が見下ろしていた。
まるで宝物のように置かれた、白いやつ。
わたしを襲ったのも、白いやつだったな、そんな考えが浮かび、ぼんやりと薄れていく。
身体の重みだけがハッキリと意識にのしかかり、弱い呼吸と水の音だけが遠く縮んだ耳に僅かに差し込む。
なぜこうなったのか。
わからない。
両親はどうなっただろうか。
わからない。
自分はどうなるのだろうか。
死ぬのだろう。それはわかる。
死ぬとどうなるとだろうか。
わからない。
けれど、母さまが言っていた。
人は死んだら、魂になる。
魂は輪廻転生して、また人になる。
けれど、悪いことをした魂は、ネクロマギア様に捕まってしまう。
そうして、悪いことを反省してから、また輪廻転生する。
私はどうなるんだろうか。
何もできていない。
父さまのように、誰かを助けることも。
母さまのように、家族を守ることも。
何者でもない、空っぽのわたし。
魔力も持たず、祝福も受けなかったわたし。
母さまは、いつか、みんなを助けるって。
父さまは、いつか、世界を救うって。
ありえないって思うけど、そうだったらいいなって。
…さむくて、ぼんやりして、くるしくて。
だれも、手をにぎってくれない。
ひとりぼっちで、死んでいく。
…いやだな
少女の意識が薄れていく。
目から少しずつ、光が失われていく。
深い深い闇の中に、少しずつ身体を奪われていくような感覚。
鈍かった身体が、どんどんと本当に無くなっていくような。
自分から、自分が失われていく…
突如、地面を大きく揺らす地震が起こる。
まるで日中の巨大な二つの戦闘の時のような、大きな揺れ。
沈んでいた意識が、ごく僅かに浮かび上がり、視界が戻る。
しかし失われた血も、衰弱した体力も戻るわけはない。
また再び、少しずつ深い深い底へと意識が沈降を始めた。
ふと、目の前に白い何かがあった。
少しだけ見えるようになったそれは、先まで岩上に鎮座していた白い骸骨。
少女が広げた真っ赤な血の池の上に落ち、顔の前で同じように転がっていた。
意識もほとんど薄れ、思考もままならない中で、その骸骨を見ていた。
額に大きな単眼を持つそれは、真っ直ぐに少女を見つめていた。
互いに身動きせず、ただ見つめ合うだけ。
しかしその時間は長く続かず、少女の意識が遠ざかっていく。
深い深い水底へ、数多の手に招かれ引き摺られ、水面は遠ざかっていく。
しかし、少女の薄れ溶けていく視界の中で、白い骸骨も同じように溶けていく。比喩でなく物理的に、大きな眼も、輪郭も、歯も、全て形を失っていく。
真っ赤な池にどろりと溶けて、その白さを溶かしていく。
血の流れを遡るように、赤を塗りつぶして、白を広げていく。
あっという間に血の池は白に染まり、真白な池は不思議な淡い光をぼんやりと放つ。
少女の身体から流れ出ていた血の池を真っ白に染め上げるだけでは飽き足らず、その流れ出る血を逆流し、身体へと白が入り込んでいく。
少女は身体に何かが入ってくるのを感じながら、薄れる意識で喜んでいた。
ひとりじゃないんだね、わたし。
あなたも、いっしょにくるんだね。
いっしょに来てくれるんだ、うれしい。
嬉しいけれど、どうしてか悲しい。
ああ、悲しいにきまってる。
こんな最期はあっちゃならない。
こんなモノが、幸せなものか。
「…こんなの」
これで終わるつもりならそのまま眠って構わない。
けれど、終われないなら目を開け。
の意思の元に。
「…いいわけない」
白い血が身体へと逆流し、少女の眼が見開いた。
『破滅の使徒』と呼ばれる、過激派転移者殺しのネクリア襲撃事件から数日後。
各地で同時多発した襲撃をネクロマギア率いる十覇の王が鎮圧、ネクリアの襲撃者もネクロマギアが生み出した巨大な変身体がぶっ飛ばし、事件は解決した。
しかし被害は甚大であり、どの地域でもその復旧に追われていた。
例外はなく、ネクリアでも倒壊した家屋の瓦礫撤去も進み、復旧作業が本格的に始まっていた。
そんなネクリア東部、最も被害を受けたとされる商業区の一等地、一階層の大半の壁と二階層以上が吹っ飛んだ事務所で一人のメイドが椅子に座って頭を抱えていた。
シャルロット・モルトゥ。
今やネクリアのエスハリック商会唯一の人間だった。
「…ハァ」
魔力による長距離連絡技術の結晶である、黒い電話「だけ」しかない事務所の机。
ほぼ全てを移転先へと早期に送っていた影響で、かろうじて残っていた物品も二束三文、エスハリック商会のネクリア支店は開店どころか商人を名乗ることすら困難な状況だった。
もはや壁もほとんどない為、近くの商店が再建工事をしたり土地を売っている中、倒壊した瓦礫を撤去しただけで電話を待ち続ける高身長の執事女の姿は非常に奇異に映る。
道行く人も何かと見ながら通り過ぎていく。
なんなら隣の商店で工事をする大工も休憩時間にはこちらを眺めてくる。
遠距離移転のために商人達もほとんど退職か転職した関係で、残っていたのは最後まで一人娘の面倒役として残った自分一人。
「…森林通りはウワバミの出現で閉鎖状態、会長達も大怪我、お嬢様は…」
商会長達を乗せた馬車は森の中で名付き魔物の大蛇に襲われ、その暴れた影響で道は崩落、森の木々は薙ぎ倒されて近寄れない状況という。
その上で、ずっと面倒を見てきた妹のような存在だったアルヴァノは、馬車から落下し、ウワバミに狙われた姿を最後に行方不明。
シャルロットは失意のどん底にいながらも、最後の務めとして、レフォンから来るはずの到着連絡を待っていた。
商会長夫人からの最後の頼みで受け取った退職金に手をつけず、勝手に出来る範囲でエスハリック商会の復旧を続けながら。
「…お嬢様」
自身が傭兵として食いっぱぐれていた時に、長期依頼として雇ってくれたエスハリック家には頭が上がらない彼女だったが、その恩よりも赤子の頃から面倒を見てきたアルヴァノへの姉妹愛は深く、その喪失感も大きいものだった。
数日の間、日中の連絡予定時間には机の前の椅子に座って待ち惚けた後、夜が更けるまで事務所の清掃、商会の支援者を探す日々。
夜には近場の安宿で眠り、目を覚ましたら朝食も粗雑にまた掃除をして電話を待つ日々。
もう諦めて受け取った退職金で暮らしていけるはずの彼女だったが、思考で割り切れるほどの感情ではなかった。
ふと電話が鳴る。
「来ちゃったかぁ〜…」
待ち侘びていた筈の商会からの電話。
この魔術は前もって決めた紋章同士を魔力で結ぶ術式、他の電話との混線はありえない。
それを取れば自分の仕事が終わる。
ネクリアのエスハリック商会も無くなり、いよいよ関わりが失われてしまう。
しかし、出ないわけには行かない。
覚悟を決めて受話器を取り、声を出す。
「…はい、こちらはネクリア支店、シャルロットです。」
「…久しぶりね、シャル。」
「あっ、えっ奥様!?」
重傷と聞いていた商会長婦人からの電話。
少なくともあちらの商会から誰かがかけてくるとはわかっていたがまさか本人とは思わず椅子から立ち上がって気をつけの姿勢を思わず取るシャル。
突然の奇行に周囲の人々の目線が集まる。
「…ふふ、畏まらないで。どうせ立ち上がってるんじゃない?電話越しでも分かるわよ。」
「あっ、えっ、すみません」
周りにペコペコと頭を下げながら椅子に座り直す。
道行く人も自身の目的のために足を早め、去って行く。
「…ありがとうね、残ってくれて。もう誰も出ないかな、って思ってたわ。」
「いえ、頼まれた以上勤めは果たします…。」
「…そうね。」
重い空気。切り出すべき話題はわかっていた。
母親からその話題を切り出させるわけにはいかないが、それを言う資格が自分にあるのか。
そう葛藤する内に、電話越しに話が続く。
「…こちらは道中で手当を受けて、なんとか事なきを得たわ。
商会長は二月ほど安静に、私は一月ってところ。
防護魔術の符が無かったら、会長は死んでたかもって。」
「それは、また、なんというか…
お二人が無事でよかったです。」
言葉選びを必死にするが、口に出してからどう考えても失敗だったと気付いて頭を抱えるシャル。
何年も前とはいえ傭兵上がりの彼女にとって上等な教育など受けておらず、人を傷つけない言葉回しを知らなかった。
「…アルヴァノのことだけれど。」
「っ、はい…」
本題。本来なら自身の雇用状況などの方が重要なはずだが、彼女にとってはそちらの方が大切だった。
実は生きていて、助かっていた。
後から迎えに戻って無事だった。
そういって欲しい。
そうであって欲しい。
「…既に奈落街側からの森林通りの入り口も崩落で立ち入れない状況で調査不可能らしいの。
…そちらで、何か知らせはない?」
「…こちらは」
言葉に詰まる。
だが、真実を伝えるため。
そのために残っていたとも言える。
「…こちらからも捜索隊は出ましたが、森林通りの入り口で樹木の倒壊がひどく立ち入れず、絶望的かと」
「…つまり、死んでしまった、のね。」
「…平気よ、覚悟はしていたわ。」
電話の向こうで震える声。近くに商会の人間でもいるのだろうか、虚勢で耐えているようにしか思えなかった。
「…大丈夫。まだエスハリック商会の損害は大きくないわ、こちらの荷物は全て無事届いていたから。」
「…奥様」
「夫が回復次第、また事業再開予定よ。だから、大丈夫だから。心配しないでね。」
誰に向けた言葉なのか、電話越しのシャルか、はたまた自分自身に向けたものか。不明瞭なまま、聞けるはずもなくシャルは頷くしかできなかった。
「…そちらの復旧は、どんな調子?進められそう?」
「こちらは…建物はほぼ全壊で、物も何も無く…」
「大丈夫。急ぎで載せてしまったから殆ど残せなかったものね。無理せずあなたの退職金の足しに」
突然手元から受話器が奪われ、言葉が途切れる。
「あっ、何を」
椅子から立ち上がって相手から受話器を奪い取ろうと振り返った
が、心臓が跳ね上がるほど驚いて固まってしまう。
「こちらは土地とコネで建て直せます。母さまはさっさと寝て直してください。」
受話器を奪って話すその声は、紛れもなくアルヴァノだった。
「今だって無理して立ってるんでしょ、ダメです無理しちゃ。
身体が資本、しっかり食べて寝るって教えてくれたのは母さまです。」
しかし綺麗だった黒髪は白く染まり、黒色は毛先の方に残るのみと大きく変わっていた。
目付きも鋭くなり、誰も彼もを気遣うような優しい目は無くなっていた。
それでも、声も風貌も同じ。雰囲気だけが、変わっていた。
「一月以内にまた連絡します。それまでに事務所と商店だけは建て直しときますから。
ちゃんと寝て元気な声聞かせてね、母さま。
…うん。大好き」
かちゃんと受話器が置かれて電話が切れる。
シャルは目の前の出来事に固まり、動けずにいた。
「…お嬢さ」
「まっったく!!!昨日から様子見てたら何してるの!?」
「まっ、あっ、でぇ!?」
あまりにも想定外の大きな罵声に椅子ごとひっくり返るシャル。
十年余り連れ添ってきて一度も聞いたことのない大声。
「ご飯は食べないわ風呂も入らない!あなたかなり匂うからね!そんな臭くはないけど!」
「うぇ、お、お嬢様?」
倒れ込んだ椅子の上から足を押さえて身を乗り出してくるアルヴァノ。
シャルはこんなに怒った表情を初めて見たなと思いながら混乱する頭を整理していたが、やはり訳がわからず思考が止まってしまう。
「さっさと商会立て直して、森林通りを復旧させてあのデカ蛇ぶっ倒して、父さまと母さまのとこ行くんだから!手伝ってくれなきゃ困るのよ!」
「本当に、お嬢様ですか…?」
あまりにも似通わない物言いと振る舞いに思わず聞いてしまうシャル。
「何、シャル。あたしを疑ってるの?」
「一度も怒鳴ったこともない、虫も殺せないような、…そんな感じだったけどなって」
アルヴァノは大きく溜め息を吐きながら身を起こし、ふんぞり帰って胸に手を当て、高らかに名乗りを上げた。
「あたしはエスハリック・アルヴァノ!」
「何もかもからみんなを助けて、世界を救う為に生き返ってきたのよ!」