桜と梅
この作品は私の作品である「栞」を読んでたから読むことを勧めます。
注)この作品は前作「栞」を読んでから読むことをお勧めする。
一匹で街を歩く野良猫の姿、群れから外れ一匹寂しく泳ぐ金魚。高校の入学式の日、桜が私を迎えてくれる中心で私は猫やら金魚やらの気持ちになりながら落ちた花びらを踏み潰して門をくぐった。新転地での孤独感。これだけは誰もが共感できる感情だと思う。しかし、私は孤独じゃない2人を見かけた。ゆっくりめのペースの女の子に合わせて歩く男の子の姿。私にはまるで2人だけの世界がその周辺で作られているように見えた。
クラス発表の紙をもらい、教室の場所を確認しながら階段を登る。2、3回迷ったがなんとか教室に到着することができた。中学と大差ない教室の扉がまるで城を守る重く分厚い扉のように見えた。ひとつ深呼吸を入れ、右手を取っ手にかけた。ガララララという音が教室中に響いた。皆が行儀良く並んで座っている中で1人、いや2人だけが違う世界にいた。女の子が男の子に絡んでは弾き返されるようにすぐに席に座る。これを3分おきくらいにやり続けていた。私の席は窓側から3列目の前から4番目。目の前に座っているのはあの女の子だった。
入学式前のはじめてのホームルームでそれぞれの名前が順番に呼ばれていった。席と名前の順番は関係ないことをこの時に知った。右には相田くんがいて、左には伊藤くん、後ろには栗本くん、そして前には東崎さんがいる。
「紫藤さん。」
担任の先生の声に反応が遅れ一瞬経ってからはいと返事をした。声裏返ってないかな、声変じゃないかなってそのあとずっと気にしてたせいかめちゃくちゃお腹が痛くなって入学式直前私はトイレにこもってた。入場の時間まであと3分のところでコンコンとノックが聞こえた。担任の先生かと思いはいと声高らかに返事するとそこにいたのは担任ではなく東崎さんだった。
「紫藤さん大丈夫?薬いる?」
優しく心配の声をかけてくれる東崎さんに感動した私はたったの2秒でトイレを終え、扉を開けた。そして、
「大丈夫です、心配してくれてありがとうございます。」と敬語で返事をした。
…と東崎さんが沈黙した後私に話しかけてきた。
「紫藤さんっていい子そうだよね。今も緊張でトイレ行ってたんでしょ!私わかるよ。私も中学の頃よく…トイレ行ってたんだー!」
一種の沈黙に疑問を抱きながら会話を交わした。体育館までのおよそ1分くらいの会話で私たちは打ち解けそれからは教室でも前後で話すようになった。
東崎さんは俗に言う陽キャだから私は正直最初は怖かった。野良猫の私には、群れから外れた金魚の私にはついていけないついていってはいけないそんな気がしていたから。けど東崎さんは優しかった。ずっと私に構ってくれて、それでいてくクラスの人たちともしっかり交流を持ってて。けど私が知りたかったのはあの本ばかり構っている男の子、確か名前は東山拓己くんとのことだった。けど東山くんとの関係はまぁ、聞くまでもなかった。東崎さんの話にはずっと東山くんが出てきてある程度関係は掴めた。
東崎さんと東山くんは幼馴染で東崎さんは東山くんに恋をしているってこと。
「桜ちゃん私のこと梅って呼んでよ!」
「え、あ、う、梅ちゃん?」
「そう!」
東崎さんは本当に優しくしてくれるし、仲良くしてくれるから大好きだ。今日からは梅って名前で呼べるし。梅ちゃんは梅の花言葉にあるように上品で高潔でそんな女の子だった。まさに名が体を表すとはこのことだろう。
桜が全て散り、桜の木に新緑が見えた時私は全てを知った。
5月。高校での生活に慣れてきて私はバイトを始めていた。バイト環境はとても良く、楽しく働くことができている。ある日いつものように席につき梅と話していたとき私は全て聞いてしまった。
「これ誰にも言ってないし、拓己にも絶対言ったらダメだよ!?」
「うん?」
「私、もうすぐ死ぬんだ。」
死ぬ。その言葉は冗談でしか聞いたことがなかった。しかし、梅の孤独から解放されたような様子をみてそれが嘘じゃないことがわかった。これまで梅は金魚だったんだ。1人でひっそりと耐えて、私なんかみたいな人に優しくしてくれて。上品でも高潔でもない、梅の花のもう一つの花言葉。忍耐こそが梅にとっては最適な言葉だった。死に直面する人の様子を私ははじめて見たから何を声掛け何をしたらいいかわからなくなった。
「え、あ、え?」
「私病気でさ。後天性の免疫不全の。寿命はあと1年とちょっとって中2の頃に言われたからもうあとちょっとかなって自分の死期感じてるんだよね。」
「う、うん。」
「だからさ桜。私が急にどっかいったらそーゆーことだって覚悟しといてね。」
胸が締め付けられたかのように呼吸が苦しくなった。本当に苦しいのは梅のはずなのに。
緑の桜がガサっと揺れて教室の中に風が吹き付けてきた。ペラペラと風に本のページを捲られている拓己くんは悲しそうな表情で元のページを探していた。
その日のバイトは気持ちが重かった。ずっと梅の話が頭にあって。梅がどこか届かない遠くの場所に行って仕舞えば私はまた野良猫になってしまう。屋根の上で一匹陽のあたりを感じながら眠る野良猫に。けどそれを残念とは思わなかった。だって今の日常が非日常なだけで私の本当の日常、私が生きるべき本当の世界は野良猫の世界なんだから。
「紫藤さん、これ落としたよ。」
バイトからの帰り道トボトボと歩いていたら後ろから誰かに声をかけられた。男の人だった。夜の8時過ぎでバイトはいつも終わるからそんなに早い時間なわけではない。スッと後ろを向くとそこに立っていたのはあの拓己くんだった。
「あ、ありがとう。」
本当にそれだけを交わして拓己くんは家に帰っていった。
拓己くんのことを知れたのも拓己くんにこうして名前を覚えていてもらえたのももしかしたら梅のおかげだったって考えたら泣きそうになった。私は桜だ。桜は花柄によって枝と繋がれてる。その花柄が私にとっては梅なのかも知れない。こうして私が1人でいないのは梅のおかげだから。けど、梅は花柄がない。一つの節に一つだけ花が咲く。まるで1人で綺麗な花を咲かせる、綺麗な花を咲いたまま耐えるのが梅がこれまで戦ってきた孤独を表しているように思った。
7月、私の生活が一変した。
夏の暑さが厳しくなってきて、蝉の鳴き声がサビに入ったくらいの時期に梅はどこかにいった。ホームルームが始まるまで梅は学校に来なかった。そして、私たちの担任が何か隠すような言い方で私たちに報告をした。
「東崎は昨日引っ越して転校しちゃいました。」
私は全てを察した。梅はもう、いやもうすぐこの世から旅立つんだとわかった。
確かに昨日の夜梅からLINEで【桜いってくるね。】ってきてたからなんとなくそうだとは思ってた。
私は通知に気づいていたけど実際それに触れるのが怖くてまだ既読をつけれていない。最後の最後無視してしまっていることになってる。
3日後私のバイト先に知ってる人が来た。拓己くんだ。私は話しかけて拓己くんにバイトを始めた理由を聞いた。そしたらお金が必要って。多分梅に会いに行くんだろうな、梅のところに行くんだろうなってなんとなく思ってた。拓己くんはめちゃくちゃ仕事覚えが良く、1ヶ月経つ頃には私なんかより全然働けるようになってた。
けど、段々とシフトが増えていく拓己くんを見て心配になってた。
「最近バイト増やしすぎじゃない?」
って聞いても
「本当にお金が必要だから」
って切羽詰まったような表情で言ってくるから私はこれ以上詮索することができなかった。いや、しなかった。
けど話を広げてきたのは拓己くんの方だった。
「紫藤さんは梅からなんて聞いてたの?」
「なんのこと?」
「僕のこと。」
梅は拓己くんの話をする時1番幸せそうだった。だからいろんな話を梅から聞いてた。拓己くんのことが好きなことだったり、拓己くんとの思い出だったり、拓己くんの幼少期の話だったり、ほんとうにいろんな話を聞いてた。けど私は何も言えなかった。適当にあしらって、拓己くんの気を逸らしたりした。
梅は拓己くんのことが好きだったよって。冗談でもそんな軽々しいこと言えなかった。
次の給料日が来てから拓己くんはバイトに来なくなった。学校でも大好きなはずだった本も読まずに窓の外をぼーっと眺めているようで。全てを知ったであろう拓己くんはこれまでの拓己くんとはまるで別人だった。
拓己くんが帰ってきて3日が経った雨の日。家に一通の手紙が届いた。宛名は東崎梅。
まだ既読をつけれていないLINEを後ろに私は丁寧にその封を開けた。ペリッと言う音と、紙の擦れる音にかすかに梅の最後の声が聞こえた。ベッドに横たわりながら点滴に繋がれて動きにくくなった手で書いた様子が伝わってくる梅の崩れた筆跡をみて、胸が締め付けられた。
【桜へ。ごめんね急に学校辞めちゃって。私はさ、この人生に正直悔いしか残ってないんだよね。だって普通こんなに早く死ぬと思わないじゃん。まだ拓己にも気持ち伝えれてないし、それも昨日変なこと言っちゃったの。結婚したいって。本当に何してるんだろ。それに桜にも悔いがあるよ。最後まで、桜の近くにいてあげられなくてごめんね。桜とずっとこれからもいろんなとこ行きたかった。いつもすぐ立ち止まる私に合わせてくれてありがとう。いつも私の恋バナ聞いてくれてありがとう。あー、死にたくないな。けど、私もう死ぬんだよね。いやだいやだいやだ。ずっと一緒にいたかったよ。梅より】
頬に涙が伝わり息が苦しくなった。膝が抜けたように地面に膝をつけ、私は泣き崩れた。その泣き声は蝉の鳴き声に匹敵するだろう。隣の家に伝わっていてもおかしくない。けど雨がその声を隠してくれた。まるで梅の優しさのように、梅が隠しているかのように。一日中泣いて涙が枯れてきたころ手紙の封に丁寧しまわれた梅の押し花が入っていた。それは綺麗に作られてたけど、押し花になっても花を綺麗に保つ忍耐強さがあって。まるで梅のような押し花だった。それを見てまた涙が溢れたけど忍耐強い梅に憧れを持っていた私は今回はすぐに泣き止んだそして前を向こうと思った。
「拓己くん」
次の日窓際の席で外ををただぼーっと眺めている拓己くんの元に行って話しかけた。私は全部謝った。言えてなかったことと、隠してたこと。けど拓己くんは優しげな様子で私を許してくれた。
「いいよ。それが梅が望んでたことなら俺は受け入れる。」
そして何か決意したかのようにカバンの中に手を深く入れ小さな文庫本とそれに挟まれた梅の花で作られた栞を出した。そしてまた1ページ、1ページとページをめくるごとに作られる世界にまた入っていった。
私は頑張って群れについていく金魚になって、クラスの人に恵まれて、新しい環境を作った。もちろんあの、押し花を握りしめながら。
「桜と梅」完