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英雄の役目

「──……」


 思いもしない問いを前に、シャインは薄く口を開いたままで動きを止めた。

 まさか。聞かれていたのだろうか。

 そんな、有り得ない。この場所から相当遠い位置にいて、そして、人が近付かないか気にしていたはずだ。

 メッセンジャー側も、何者かの気配がすれば姿を見せないだろう。


 何より、普段からメッセンジャーとのやり取りには気を配っていた。

 他の誰にも見つからず、気取られず、この三年近くそうしてきたはずだ。


「……知って、いたのか」


 シャインは、震える喉奥から懸命に声を絞り出した。

 いつから知っていたのだろうか。いつから。いいや、その命令は先ほど出されたばかりだ。

 混乱しつつあるシャインの様子を意に介することもなくルクリアは軽く笑い、折っていた枝を火に投げ入れた。


「知らない。でも、今、正解なんだって分かったよ」

「……そうか……では、私の方が軽率だったな」

「シャインのそういうところ、嫌いじゃないよ」


 くすくすと笑うルクリアを前に、シャインは複雑な気持ちで眉を寄せた。

 二十代も半ばに差し掛かる自分が、十代そこそこの少女に遊ばれていることに、ではない。

 たったひとりの少女にすら、隠し事ができずにいる自分の不甲斐なさに対して、だった。


「シャインが担ぎ上げられた理由は知らないけど、私が選ばれた理由なんてひとつでしょ」


 魔王討伐。

 実際に成し得ることができるのかも分からない途方もないような目的だ。

 シャイン自身、どうして自分が選ばれたのかなど知りもしない。

 表向きの理由しか、分からないのだ。誰が知っているのかといえば──国王陛下、くらいなものだろう。


「なら、少し考えたら分かることだよ。気付かれないと思ってる方がどうかしてるんじゃない?」


 軽薄そうな笑みを浮かべたルクリアは、シャインからすればまるで得体の知れない魔法使いのように見えた。

 その命令は先ほど知ったばかりだ、などと言い訳に過ぎない。

 自分よりも先に、彼女は自分が殺されるかもしれないと気づいており、そしてその上で旅に同行していたのだ。


「別にシャインを責めてるわけじゃないよ。けど、人間ならそうするだろうなって、思ってただけ」

「……すまない」

「責めてるわけじゃないってば。謝るのやめてよ」

「……ああ」


 言葉を探しても探しても、見つけられない。

 ルクリアの顔を見ることもできなくなったシャインは、手元の枝で焚火を掻き混ぜた。


「そうしないと、シャインは帰れないんでしょ」

「……」

「そのために選ばれたんだと思うよ。シャインは真面目で、使命感があって、無責任に投げ出すタイプじゃないもん」


 ルクリアは平然と言った。

 明日、恐ろしい魔王討伐に取り掛かる。

 それが成功したとしても、殺されるかもしれないというのに、だ。

 シャインは枝を握る手指に力を込めた。


「……君は本当に、……頭が良く回る」

「賢いってよく言われてたよ」

「……ああ、本当に」


 気付いていながら、気付いていない振りをして。

 気付いていることを、気付かせないようにして。

 自分の方がどれほど鈍く愚かなのかと、思い知らされるほどだ。

 シャインは、揺らぐ焚火から舞い上がる火の粉を眺めながら緩やかに息を吐き出した。


「……魔族の王を討伐するなど、そう容易い話ではない。魔法があったとしても、だ」

「うん」

「……半信半疑だった。魔法の力も、この旅の成功も、討伐の成功も、何もかも」

「うん」

「……不安だったんだ、本音を言うと。だが、君の力を見ているうち、成せるのではないかと思い始めた」

「うん」


 シャインが言葉を途切れさせる度、ルクリアは小さく相槌を入れる。

 それは先を促すようでもあり、そこで終わっても良いのだと許すかのようでもあった。

 少なくとも、シャインにはそう感じられた。


「君と一緒なら、成し遂げられると思ったんだ」


 本当に、そうだった。

 先ほど国王陛下からの命令を受け取るまでは。

 ふたりで、成し遂げられると。

 そうすれば、彼女もまた認められるのではないかと。受け入れられるのではないかと。

 思っていたというのに。


 枝を落としたシャインは、両手を重ねて握り締めた。

 合わせた掌がひどく汗ばんでいて、自分が緊張しているのだと思い知る。


「私の首でも持って帰れば、シャインは間違いなく英雄だよ。魔王も魔法使いも消えて、みんなは安寧を得て、自由を謳歌できるでしょ」

「そんなことは……!」

「できない?」


 ルクリアの不可思議な、赤と青が入り交ざるグラデーションがかった双眸に見つめられて、シャインは息を飲んだ。

 彼女は、こんな瞳をしていただろうか。

 どこまでも見透かすような、見通すような、こんな眼差しをする少女だっただろうか。


「……ルクリア」


 シャインは、絞り出すようにしてその名前を口にした。

 もう、あと何度呼べるかも分からない名前だ。


「……君は、なぜ逃げないんだ。知っていたのだろう。君の力があれば、我々から逃れることなど造作もないのではないか」

「そうだね、たぶん簡単だと思う」


 人間には使うことができない魔法。

 言葉だけで風や火、土や水、さまざまなものを操ることができ、あらゆる事象を発生させられる。

 どのような魔法があるのか、人間側では把握しようもない。

 対策など不可能だ。


「……どうして」


 簡単だと答えた彼女は未だに自分の前にして、そして逃げるどころか立ち上がる気配すらない。

 殺されるかもしれないというのに、殺さなければならないというのに、だ。

 シャインの続けざまの問いに、ルクリアは微笑んだ。


「逃げたくないから」


 シンプルすぎるその答えに対して、シャインはすぐさま反応できなかった。


「逃げたくないの」

「……死にたいのか?」

「そんなわけないでしょ」


 パキ、と火の中で弾けた音がした。

 森は相変わらず静かなもので、こうして交わしている言葉だけが空気を震わせているようだ。

 軽く笑ったルクリアは、長い髪を揺らして首を傾げたあと、笑みを深めて目を細くした。


「どこに行っても同じだもの。私は憎い魔族の子。混血児。合いの子。隠せないし、隠れられない」

「……それは」

「ううん、そんなことはどうでもいいの」


 何かを言おうとして言えなくなったシャインに向かって、ルクリアは軽く首を振る。


「逃げられるよ。でも、逃れられない。私は私のまま、私でいる限り、ずっと混血児のままだから。隠れて生きるのもバカバカしいもの。それなら、私は好きなことをするの」

「……好きなこと、か?」

「そうだよ。私はね」


 そこで言葉を区切ったルクリアを見て、シャインはぞくりと背が震えたように感じた。

 朝日のようで、夕陽のようで、夜空のようで、朝焼けのようで、深海のようで、青空のような。

 そんな不可思議な双眸に見つめられて、数秒ほど視線が釘付けになる。


「生きていたい。好きな場所で。最後の、最期まで。いっしょにいたいの、シャインと」


 その言葉にシャインは頭を殴られたような衝撃を受けた。

 あれは旅を始めて数ヶ月ほど経った頃のことだ。

 最後までいっしょにいようね、と。ルクリアは確かに笑っていた。確かに、そう言っていた。

 あのときは、旅の行く末について言っているのだと思っていた。


「だから逃げないよ。私はちゃんと戦う。勝っても負けても、いっしょにいてくれるでしょ」

「……弔えというのか」

「そこまで言ってないけどさー」


 笑うルクリアを見つめながら、シャインは自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。

 他の仲間たちを見送ったように。見届けたように。看取ったように。

 そうしてほしいというのだろうか。


 真面目で、使命感があって、無責任に投げ出すタイプじゃない──

 だから、国王陛下の命令とあらば、殺すだろうと思われていたということか。

 だから、自分が魔王討伐の任務に適任だと思われたのか。

 何も知らずにいた馬鹿は、自分だけではないか。


「いっしょにいるって、約束してよ。私が死んだら抱き締めて」

「……ルクリア」

「それで私が生きてたら、ちゃんと殺して。それが、シャインの役目でしょ?」


 笑う少女を前にして、シャインはぐっと歯を食いしばった。


「やめてくれ……」


 割り切れない。

 やり切れない。

 魔族が敵だとしても。魔王討伐が必要なことだとしても。

 それでどうして、彼女のことまで殺すことができるのか。


 殺せない。


 だとすれば。

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