人の子など孕みとうない
空一面に、星が輝く夜。神社の本殿にて、ひとりの妖狐の影があった。
縁側に座り、空を眺めていた彼女。その横には、彼女の膝を枕にし、横たわっている老いた男の姿があった。
「綺麗じゃな。」
妖狐はつぶやくように言う。男は彼女の膝の上で、小さくうなずいた。
「…おぬし。おぬしの人生は、幸せじゃったか?」
妖狐は、男の方へ向き、そう聞く。しばらくの間があった後、男は静かにうなずいた。
「…思う存分、生きれたと思うか?」
男は、またしばらくの間考え、静かにうなずいた。
「そうかそうか。それならば、わらわもうれしい限りじゃ。」
そういい、妖狐は静かに空へと視線を戻す。雲一つない夜空に浮かぶ星々は、月明かりと共に、その光を小さく灯していた。
妖狐は、男の頭をゆっくりと撫でる。男は、優しく触る彼女の手の中で、気持ちよさそうに目を細めた。
しばらく、夜の静寂の中で、二人は星を眺め続けていた。時折風が吹き、草木がざわめく。その風が吹くのに合わせて、妖狐の長い髪もなびいた。
「…人は、死んだら、どこへ行くんじゃろうな。」
ひとりごとのように、妖狐はそうつぶやいた。
「わらわにも分らぬ。けれど…」
少しの沈黙の後、彼女はもう一度口を開く。
「死後の世界があるなら、わらわも、その世界をおぬしと見てみたいな。」
流れ星がひゅっと、空を流れ、静かに消えていった。男は、もう、静かに眠っていた。
「またな、坊や。」
優しく、温かく包み込むようなその声で、最後の言葉を交わした。
「…これじゃから、人の子など孕みとうない。」
消え入りそうな声でそうささやいた彼女。頬には、大粒の涙が、滴り落ちていたのであった。