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亡き人


トイレに立った俺は玄関に向かって歩いていく。

その途中、ある部屋が目にはいった。

不思議と興味が湧き、少し覗いてみた。


そこは珠理の部屋だった。

綺麗に整頓された部屋には生活に必要なものしかないように感じた。

高校生の、しかも女子の部屋というのは、もっといろんな物が置いてあると思ったがそうでもないのだろうか。

部屋に少し足を踏み入れ、まず目にはいったのは写真立てだった。


家族写真だった。


母さんも父さんもまだいる時の写真。

すごく懐かしい気持ちになった。

4人が家の玄関の前で笑っている。

「母さん、父さん」

写真立てを手に取り呟いた。

うっかりすると涙がこぼれそうになった。

もう会うことのできない2人。

そしてそこに、もう1人が加わろうとしている。

こればっかりは自分の力ではどうしようもなかった。

「ごめんね......俺には力がないからさ。珠理の病気を治してやることができない。せめて新しい麻酔が開発されればな。そうすれば助かるのに...。手術で治せるってんだからな」

俺がもう少し大人だったら、新しい麻酔を開発できたかもしれないのに。

そうなれば珠理はもっと楽しいことができるのに。

後悔なんて俺がすることでもないのかもしれない。

でも「もし....」と考えてしまう。

考え出したら頭の中がそれで満たされる。

だからあまり考えないようにしていたし、忘れるようにしていた。

だが、なんだかそれではダメなような気がした。

その思いはこの家に来てからより強くなった。


高校に上がると同時に親戚の家を出た彼女。

2年ぶりに会う妹は、あの頃よりも活気に満ちているようだった。

だが机の上に置かれた複数の薬は、昔よりも量が増えているように感じる。

やはり病気は進行しているのだろう。

いくら心配だと言っても、2年も連絡をしていなかったのだ。

「何をいまさら」

と言われれば反論はできない。

でもこの世に残された唯一の家族を失いたくないという気持ちは強い。

さらに昔の自分の態度を考えれば申し訳なさが積もる。


珠理は母さんと同じく病気のことは周囲の人には明かしていないようだった。

知っているのはおそらく俺と、引き取ってくれた親戚だけだろう。


“心配をかける人は最小限に”


というのが母さんの考えであり、娘である珠理にも引き継がれている。

それは母さんが生きていたという証でもある気がした。


それにしてもこの家はダンボール箱が多い気がする。

まるで引っ越したばかりのような.....。

いや、引っ越しか?

引っ越しだとしたらどこに引っ越すと言うのだろう。

病院から近いこの家は珠理にとって悪い家ではないはずだ。

なのにどうして。

親戚の家に帰るつもりなのだろうか。

それとも......。


思考を巡らせているうちに、そういえば自分はなぜこの部屋にいるのだろうと疑問に思った。

「なんで俺はここにいるんだっけ?」

すると急にある欲求が溢れるように湧き出てきた。

「!!!!!漏れる!」




兄が戻ってくるのを待ちながら、目についた1つのダンボール箱を手に取った。

抱えられるほどの大きさのそれは思っていた以上に軽かった。

床に座り中を見れば、数着の服が入っていて、どれも母からのおさがりだった。

母が亡くなった時はまだ8歳で、サイズがすごく大きかったが今ではぴったりだ。


身長は母とほぼ同じ高さで止まった。

服のサイズも身長も母と同じになることができたが、年齢だけはどうにもならない。


母が何歳で亡くなったのかは正確には分からない。

だが、かるく30歳は超えていただろう。

私は今17歳。

あと13年は生きなければ30歳には届かない。

でも私の命はあと半年。

30歳どころか18歳にもなれない。

胸に虚しさがこみ上げる。

涙は出なかったが寂しさはどうにもならなかった。

夏なのに部屋の中がひんやりと冷たく感じた。


箱の中に入っている形見を撫でながら、ふとある物が目に入った。

箱の中に入れた覚えのないそれを取り出すと、ネックレスのようだった。

小さいハートの飾りがついた、とてもシンプルなものだった。

おしゃれをしてたイメージのない母でも持っていたのだと思い、嬉しくなった。


やはり母も女性だったのだ。

にやけが止まらない。

冷えた心が温もりに包まれて温かくなっていく。

暗くなりつつあった思考が急に明るくなって、快晴の空のようにまっさらになった。

頭の中には母との思い出が次々に現れる。

真っ白なキャンパスがカラフルに彩られ、あっという間に華やかになった。


思い出に浸りつつ、いつもの思考を取り戻した私は喉の渇きを覚えた。

「なにか飲も。お兄ちゃんはコーヒーでいっか」

床に座っていた私は立ち上がり台所へ向かう。

「!!......」


しかし台所に着く前に耳鳴りが私を襲った。

鼓膜がちぎれるようだった。

それに続くようにめまいにも襲われ、立っていることができなくなった。

近くにあった壁に寄りかかるようにしながらゆっくりと腰をおろす。

耳鳴りが酷くて周りの音はほぼ聞こえず、めまいのせいで目を開けていることができない。

視界と聴覚が一時的に失われ、恐怖に包まれた。

一歩一歩死に近づいている気がした。


「お兄...ちゃん......」

呟くような声で兄を呼んだ。

当然聞こえるわけがないのだが、今頼れるのは兄しかいない。

少しずつ酷くなってくる症状に耐えながら来てくれるのを願う。

「おにいちゃん.......」

次第に意識が遠のいていくのを感じた。

自分はこのまま死んでしまうのだろうか。

やり残したことがあるからまだ死にたくない。

だが私の意思に反して意識は遠のいていく。

手足の感覚がなくなっていくように感じた。


嫌だ。


まだ死にたくない。


まだ生きていたい。


嫌だ。


嫌だ。


いやだ.......!






気づくと私は知らないところにいた。

不思議と耳鳴りもめまいも無くなっていた。

暗闇に私が立っていて、向かい側に誰かがいる。

だが姿形ははっきりせず、モヤのようになっている。


『誰?』


そう聞いても反応はない。

言葉が通じないのか、返事ができないのかは定かではないが、無視をされるのは気持ちよくない。


『誰って聞いてるんだけど』

『私はーーーだよ』


返事が返ってきたはいいが肝心のところが聞こえない。


『なんでこんなに真っ暗なの?あとさっきなんて言ったの?』

『君の心は黒いんだね.....真っ黒だ。これが人間というものなのだろうけどね。やれやれだよ、まったく。あと私はーーーだよ』


他のところは聞こえるのに、名前と思われる部分だけノイズが酷くて聞こえない。

そして少しずつこんな思考になっていく。


“死んだのではないか”   と。


死後の世界は誰もみたことがないからよく分からないが、こんな感じではないだろうか。


暗い世界に1人だけ。

現世とは切り離された世界。

寂しさばかりが積もる世界。

人々が想像する華やかな天国というものは無く、ただ暗く冷たい空間。

熱を感じず、感情もなくなっていく空間。


そんな世界なのではないだろうか。

不思議と頭が冴えている。

これも死んだからなのだろうか。


『キミ、まだ死んでないからね』


目の前のモヤはそう言った。


“死んでいない”


その言葉に内心ホッとした。

まだ生きていることが嬉しかった。

こんなにも生きていることに喜びを感じたのは初めてかもしれない。


『そろそろかな』


何が?そう言おうとしてとき、上の方から鮮烈に襲われた。

視界があっという間に白くなり、何も見えなくなる。

あのモヤは一体なんなのか。

近いうちに解決しそうだと、不思議とそう感じた。


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