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平凡な家族


目の前に座っている兄は私の気も知らず平然としている。

ここまで普通でいられることにもの凄く違和感をおぼえた。

何も悪いことはしていないとでも言うように私のことを見ている。


私は気まずくなって目を逸らした。

あの時のことを引きずっているのは私だけ。

私だけが前に進めていない。

どれだけ時間が経とうが私は今も


あの日、


あの時、


あの言葉にとらわれている。



“私さえいなければ”



今まで何度そう思ってきただろう。

兄の言葉が延々と脳裏をよぎり、その度にあの悲しみに満ちた顔が浮かぶ。


謝っても謝りきれない。

私が死んだところで父が帰ってくるわけでもない。

やるせない気持ちは心の中に溜まっていく。


「あの.......珠理さん」

そんな中発せられた兄の言葉に我にかえる。

前を見れば兄は申し訳なさそうに私を見て言った。


「トイレ貸して」

緊迫していた空気の中でいわれたその言葉は、全てを溶かしていくようだった。

思わず笑みがこぼれる。


「ふふ.....どうぞ。玄関の方にあるよ」

私が笑ったのを不思議そうにしながらも、そそくさと部屋を後にする。

あんなに心を支配していた感情がたった一言で、いとも簡単に消えてしまった。


これには驚きだ。

どんなことがあっても血の繋がった兄妹なのだと思った。


だがそれでもあの言葉は消えない。

父が帰ってこないのと同じように。

あの日に戻れないのと同じように。


でも兄との縁も切れないのだろう。

どうやったってそれは無理なのだ。


唯一の家族なのだから。






藤空(ふじぞら)家はいたって普通の家族だったと思う。


体の弱かった母はハンドメイド品を多く作って売っていたし、父は高校で国語を教えていた。

2人とも穏やかで優しい性格で、滅多なことでは怒らない。

家の中は毎日温かい雰囲気で包まれていた。

周りの子からは羨ましがられ、私はすごく誇らしかった。


2歳離れた兄は私よりもはるかに成績が良く、容姿端麗だった。


“非の打ち所がない”とはまさしく兄のことだった。

両親が忙しい人達だったから、私の面倒は兄がよくみてくれた。

兄も両親同様、優しく明るい人だった。


でもそんな毎日はほんの少しに過ぎなかった。

母は体が弱いのに加え、治ることのない病気に侵されていた。



私のとは違う別の病気。

今の医療技術では治せないのだそうだ。

だから週に何回も体調を崩していたし、1ヶ月に何回か通院していた。


それに付き添うように私も一緒に行った。

通院の日でない日も一緒に行った。

少しでも母と一緒に居たかったから。


日に日に母の状態が悪くなっているのは幼い私にも分かった。

だからこそだったのかもしれない。


それを知ってか知らずか、私がついて行くことを父も兄も止めなかった。


「行ってらっしゃい」

と笑顔で送り出してくれた。

母との病院までの道は私にとってとても幸せな時間だった。


「じゅりちゃんのママってきれいよね」

「パパもやさしいし」

「お兄ちゃんもあたまよくてかっこいいし!」


周りからこんな事を言われて嫌な人はいない。

もちろん私も。

でも母の状況は近くで見てきたからよく知っているし、それがどれだけ家庭内に不安を漂わせているのかは、家族以外は知らない。


「知られたらきっとみんなを不安にしてしまうから」


母はよく私たちにそう言っていた。

だから悟られることは言わないようにしていた。


それゆえに周りからそう見られていることに少し安心感と嬉しさを覚えた。

だが家族以外知っている者がいないということは、同時に不安や恐怖を連れている。


玄関の扉を開けた時、母が倒れていたら?


近所の人でさえ知らないのだから、異変を感じたとしてもきっと救急車なんか呼んではくれない。

家に母1人という状況はとてもリスクが高い。

だがそれはどうしようもないことだった。


公務員である父と学生である私たち。

そして内職をしている母。

どうやっても家に母1人という状況が生まれる。


だから私は学校が終わったら急いで家に帰る。

学校から家まで走って15分。

休憩なんかしている時間も惜しい。


ノンストップで全速力に近い速さで走る。

15分がもどかしい。

もし自転車だったら。

車だったら。


もっと早く家に帰れるのに。


急いで帰って玄関の扉を開けたとき、毎日欠かさず

「おかえり」

という声が聞こえる。

それを聞くと体から余計な力が抜け、安心感に満たされる。

足から力が抜け、玄関に崩れ落ちるようにして座る。


学校にいる間は母が生きているという実感が湧かない。

もしかしたらと思うと授業どころではなくなってしまう。

でもこうして帰ってみれば母はいて、何食わぬ顔で私を見るのだ。


どうしたの?大丈夫?って。


穏やかなその声に安らぎを感じ、毎日母に決まってこう言うのだ。

「ありがとーーー!」



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