言葉って大事です。
花さんと開店準備をしていて、ふと昨日の事を思い出した。
そういや、あの声は結局何だったんだろう……?
「どうかしたんですか?」
紺色のセーターを着た花さんが、きょとんとした顔でこっちを見ている。
まさかとは思うが、コボルトに寄せて……?
いやいや、さすがに考えすぎかな。
「ああ、昨日の閉店後にさ、フロアの小部屋から話し声が聞こえたような気がして……」
「えっ!?」
花さんが目を見開き、俺に顔を寄せる。
うぉっ!? ち、近い!
「それ、詳しく!」
「ちょ……」
「ジョーンさんっ! それ、詳しくっ!」
「は、はい……」
花さんの勢いに顔を赤くする暇もなく、俺は昨日あった一部始終を説明した。
「で、結局、ラキモンにせかされちゃって、確認はできなかったんだけど……」
「会話ですか……」
花さんは「うーん」としばらく考えこむ。
「七階層には会話ができそうなモンスはいませんし、CLOSE中となると……」
「朝、フロアをチェックした時には、特に何もなくて」
「……考えられるのは、何か新たなモンスの発生ですが、それだと今現在フロアにいるはずですし」
「うん……、まぁ、ケットシーがまたいたずらでもしたのかな? ははは」
「……」
神妙な顔で、何かを考え込むように頷く花さん。
多分、頭の中はモンスの事で一杯になってるんだろうな……。
「さ、さぁ、そろそろ開店しようか?」
「あ、はい、そうですね」
俺はデバイスをOPENに切り替えて、珈琲を淹れることにした。
コポコポコポ……。
珈琲を淹れている間にも、花さんはずっと何かを考えているようだ。
今日はずっとこの調子な気が……。
「はい、どうぞ」
花さんに珈琲を差し出す。
「あ、すみません、ありがとうございます」
ゆっくりとカップに口を付け、「はぁ~、美味しい」と呟く。
「へへ、良かった」
「なんか、すみません。私、考え事しちゃうと周りが見えなくなっちゃうので……」
「いやいや、気にしないで」
「あ、誰か来たみたいですよ」
表に目を向けると、青いマウンテンパーカーがちらっと見えた。
よしよし、今日は立ち上がりが早いな。
「どうも、お久しぶりです!」
「ま、丸井くん!」
何と、ギーザス……、いや、丸井くんが来てくれた。久しぶりだなぁ。
坊主頭だった髪が伸び、ちょっと小洒落た雰囲気になっているではないかっ!
「あけおめです、ジョーンさん。えっと……」
「初めまして、花と言います。丸井さんは、有名なメダルコレクターさんですよね?」
「そ、そんな、僕なんかはまだ駆け出しで……」
顔を真っ赤にして照れる丸井くん。
「またまた~、もうその界隈じゃ有名人じゃない? フォロワーも万いってるし」
「え~! 凄いですね⁉」
「そ、それほどでも……」
丸井くんは、満更でもない様子で照れ笑いを浮かべ、「実は、ちょっとジョーンさんにお知らせしたいことがありまして……」と切り出した。
「なんだろう? 気になる」
丸井くんはへへっと笑い、
「ジョーンさん、ダンマケってご存知ですか?」と訊いてきた。
ダンマケと言えば、ダンジョン・マーケット。
年二回開催の巨大即売会で、来場者数は50万人を超えると言われている。
「まぁ一応、名前ぐらいは知ってるけど……、行ったことはないなぁ」
「そのダンマケに似たようなイベントで、ダンポって言うのがあるんですけど」
「ダ、ダンポ……?」
俺は花さんと顔を見合わせる。
「ダンジョン・エクスポ、略してダンポです!」
「「は、はぁ……」」
花さんと二人で気の抜けた返事をする。
「参加するのはベンチャー企業です。規模は小さいですが、新しい技術や独創性の高さが売りなんですよ。投資家との橋渡し的なイベントでもあるんですが……」
「ふーん、何か凄そうだね」
「それが今回、ここ、うどん県で開催なんですよ! 僕の知り合いが出展するんで、良かったら見に来ませんか?」
「え? いいの?」
「もちろん、良かったら花さんも一緒にどうですか?」
「わ、私もいいんですかっ⁉」
花さんが期待に満ちた目で俺を見る。
ここは上司として男を見せるしかあるまい……。
「丸井くんっ! 行きます、いや、行かせてくださいっ!」
「本当ですか? いや~良かったです。えっと、開催は来週一杯までなんですけど、次のお休みとか?」
「えっと次の休みは木曜だけど……花さん、予定とか大丈夫?」
「もちろん、私も大丈夫ですっ!」
花さんは嬉しそうにぐっと拳を握った。
丸井くんは、ほっとした顔を見せ、
「あ、これを」と、バッグから取り出した紙を、カウンター岩の上に置く。
「会場のパンフです。では、木曜の13時に待ち合わせしましょう」
「うん、わかった。ありがとう」
「じゃあ、悪いんですけど、今日はこれで……」
「あれ? 潜っていかないの?」
「実はこの後、講演会が入ってて、すみません」
丸井くんは照れくさそうに、伸びた髪を触った。
すっかり業界人だなぁ……、坊主頭の頃が懐かしい。
「そっか、じゃあ頑張ってね」
「頑張ってくださいね」
「じゃあ、木曜に」
俺と花さんは丸井くんを見送り、パンフを広げた。
「うわー、色んなブースがありますね」
「うん、あ! インディーズ・ウェポンもある! へぇ~」
「これは楽しみですね」
「ですな」
二人でパンフを眺めていると、突然、花さんが叫んだ。
「あーーーっ!」
「え! な、なに? どうしたの⁉」
俺は心臓をバクバクさせながら、花さんに尋ねる。
「すみません、つい……。あの、朝言ってた話し声なんですけど……」
「え、何か思い出したの?」
「自信はないんですが、もしかすると八咫烏かも……」
「八咫烏って、確か……前に言ってたやつ?」
「はい、――CLOSE中、――発した言葉、――誰もいない。これは、八咫烏なら説明がつくのかなって思いまして……」
「そうなの?」
花さんは自信なさげな顔で頷きながら、
「んー、八咫烏は発生というより『ダンジョンを旅している』という言い方の方が正しくて。というのも、八咫烏は自分の意思で消えてしまうんです」と答えた。
「好きに移動できるってこと?」
「そうですね……ダンジョン間を移動できるとされています」
「え?」
「海外ではTLC、またの名をBMCとも言われています。そのままなのですが、ダイバー達の言葉を運ぶという意味です」
「なるほど、あの海とかに流すやつか……」
俺は波に漂う空き瓶を思い浮かべる。
「八咫烏なら、会話が聞こえても不思議じゃないですし、消えても何も不思議じゃありません。問題は、確かめる方法がないことですけど……」
「むぅ、そんなレアなモンスなら見てみたかったなぁ」
「ですよねっ! あ~私も見てみたいなぁ~。そうだ、ジョーンさん、もし八咫烏に遭遇したら何て言いますか? もしかすると、海外の人や未来の人に届くかもですよ?」
「未来の人にも?」
「はい、八咫烏は、同種の間で覚えた言葉を共有するんです。あ、でも八咫烏は一体だけだという説もありますが……、どちらにしても、凄く古い言葉も覚えていますし、何と言ってもロマンがありますよねっ!」
「う、うん、そうだよね」
花さんの勢いに怯みながらも、なるほどなぁと俺は頷いた。
「……私は、もしも遭遇したら、『今日からあなたは何でもできます』っていうつもりなんです」
急に声のトーンが落ち、花さんの眉が下がったように見えた。
「実はモンス診断士の試験、あんまり自信がなくて……、大好きなモンスに言ってもらえたら、ちょっとは自信がつくのかなって思ったりして。あはは」
モンス診断士は難関中の難関だからなぁ……無理もないか。
何かしてあげられたらいいんだけど、俺、勉強できないしなぁ。
八咫烏か……。
待てよ、八咫烏にこだわる必要ないよな……?
俺の脳内に閃光が迸る!
「ほぁたぁーーーーーーーーっ!」
花さんが肩をビクッと震わせて俺を見る。
「ジョ、ジョーンさん……?」
「あ、ご、ごめん、なんでもない。あはは……」
――その日、閉店後。
俺には名案が浮かんでいた。
花さんの言っていたセリフ、ラキモンに言ってもらえばいいんじゃね? って話。
我ながらキレッキレである。
閉店作業を終えた俺は、デバイスをCLOSEに切り替え、ラキモンお願い用の瘴気香を握りダンジョンに向かった。
ラキモンいるかなぁ……。
うまく遭遇できるといいんだけど。
迷宮フロアに着き、小部屋を覗いて回った。
「うーん……寝てるかなぁ」
通路には、スケルトンが床に崩れ落ちている。
一見すると、骸骨が散乱しているように見えるが、これは寝ているだけなので問題はない。
『ダンちゃん!』
振り返ると、ラキモンがぴょんぴょんと跳ねて来た。
「おぉ、久しぶり」
『ラキ! ねぇダンちゃん、アレ持ってるラキ……?』
「あるよ」
『うっぴょー! さすがダンちゃんラキっ!』
飛び跳ねるラキモンを宥めながら、俺は瘴気香を渡した。
凄まじい勢いで齧るラキモン。
その野犬のような喰い付きに、ラキモンがモンスという現実を垣間見る。
「も、もうちょっと、ゆっくり食えよ……」
『うぴょるるる! はぁ~、美味しかったラキ~』
ほんのりとラキモンの口から、瘴気香の生臭い匂いが漂う。
と、その時。
小部屋から何か声が聞こえる……。
「ん? ラキモン、あの部屋から何か聞こえなかった?」
『ぴょ? そうラキか?』
ラキモンは目をパチパチさせてキョトンとしている。
俺はそ~っと小部屋の扉を開けてみた。
すると部屋の真ん中にぽつんと烏が立っている。
「え? カラス? あ! 三本足……ってことは、もしかして八咫烏か!?」
『ラキ~』
八咫烏は目を開けたまま、まるで剥製のように微動だにしない……。
い、生きてるのかな?
八咫烏に向かって、手をばたばたさせてみるが、やはり反応はなかった。
う~ん……。本当に喋るんだろうか?
「あ、あの~、何か喋ったりします?」
「…………」
返事はない。
ただの、じっとしている烏だ。
うーん、もしかして寝てるのかな?
すると突然、八咫烏が口を開いた。
「%&$J#)JD=)!」
『ラッラッラッラ! うぴょー!』
ラキモンが急に笑い始め、床を転がる。
「お、おい……大丈夫か?」
『ラララ、いやぁ~面白いラキね』
「何がそんなに面白いんだ?」
『だって、ダンちゃん……、ララッ、ラッラッラッラ!!』
言いかけて、また笑い始めるラキモン。
なんだよぉ、気になるなぁ……。
『ふわぁ……、何か眠くなってきたラキよ。じゃあ、ダンちゃんまたラキね……』
ラキモンは、眠そうに目を擦って部屋を出ていってしまう。
「ちょ、お、おい! ラキモンってば!」
……行ってしまった。
結局、なんだったんだろう?
あ! 例の名案、頼むの忘れてたし……。
うー、この不完全燃焼な気持ちをどうしてくれるんだ!
俺は八咫烏の前に立ち、もう一度話しかけてみた。
「あ、あのー、さっき何を話してたのかな?」
「The last one……last one!」
「しゃ、喋った!」
今のは英語かな? うーん。
「Написать новую работу」
んー、わけがわからん。
「ヤダァ、コンナトコロデ……」
おっ日本語! でも、何か変な感じに……。
「セカイガキキニサラサレテイマス、イマスグログ……」
な、何だ? 悪戯みたいなのも覚えてるのか。
しかし、本当に色んな言葉を覚えてるんだなぁ。
そうだ! 花さんにも教えてあげないと!
あ、でも、いま戻るといなくなっちゃいそうだし……う~ん、どうしよう。
八咫烏は悩む俺などお構いなく喋り続ける。
「ウマクイカナイ……スナオニアヤマレバイイノダケレド」
ん? なんだなんだ?
誰か悩み相談でもしてたのだろうか……。
「You're fired! HaHaHa!」
「コイツオモシレエナ!」
「人がゴミの……」
「…………」
「……」
いつの間にか、俺は八咫烏の前に座って耳を傾けていた。
本当にいろんな人達が、この八咫烏の前で言葉を口にしたんだな……。
願いごとを言ったり、悩みを打ち明けたり、悪戯を言ってみたり、驚いてみたり。なんだろう、この気持ちを言葉にするのは難しいけど……言葉って深い。
今も、世界中にある何処かのダンジョンの中で、俺と同じ様に八咫烏の言葉に耳を傾けているダイバーがいるかも知れないのか……。
俺はおもむろに口を開いた。
「D&Mってダンジョンを経営しています、ジョーンといいます。……この先、どうなるかわからないけど、もし、D&Mが残っていたならお立ち寄り下さい。待ってます」
ちょっと長かったかな? 覚えてくれるだろうか。
誰かに届けばいいな……。
いつか、メッセージを聞いたダイバーがウチに来てくれるかも知れない。
そう思うと、何か楽しみがひとつ増えたようで嬉しくなった。
肝心の花さんの件だが……。
形だけのラキモンの言葉を聞いても、花さんは喜ばない。
八咫烏の言葉を聞いていて思ったのだ、言葉には本当に凄い力があるんだと。
だから、俺はちゃんと直接言おうと思う。
花さんならできるよって。
さてと……一応、花さんに連絡してみるかな?
俺は八咫烏を見て、「ありがとう、楽しかった」と声をかけてから部屋を出た。
一階へ戻ろうと足を踏み出すと、部屋の奥から、
『……オタチヨリクダサイ、マッテマス』と声が聞こえる。
慌てて部屋に戻ると、八咫烏の姿はもう何処にもなかった。





