不思議なお爺さんが来ました。
朝起きてスマホを見ると、紅小谷からメッセージが届いていた。
『たわけーーっ! あれほど言ったのに、何なのよあの投稿は? さりげなくって言ったでしょうがーーっ!』
……え? 不味かったの?
うっすらと、冷や汗が滲む。
な、何がいけなかったんだろう。モザイクが足りなかったとか?
急ぎ紅小谷にメッセージを送った。
『おはよう。ごめん、ちゃんと考えて投稿したつもりだったんだけど……』
溜息をついて、布団から起き上がるとスマホに返信が届いた。
『まぁ、済んだことは仕方がないわ。幸い、かなりの人が拡散してくれたみたいだし、期待はできるかもね。あとはとにかく、ダンクロがどう出るか待ちましょう』
『わかった。拡散してくれた人の為にも頑張るよ!』
再び溜息をつき、気持ちを切り替える。
「やるぞやるぞやるぞやるぞやるぞやるぞやるぞやるぞ……」
よし、一人一人のお客さんを大事にする、楽しんでもらう、それだけを考えるのだ!
俺は一階へ降り、準備を済ませて、いつもより早くダンジョンへ向かった。
台風一過。
先日までの冷たい風はどこへやら。雲ひとつない青空が広がり、夏が戻ってきやがった。
獣道を登りながら、伸びきった雑草と、どこからか飛んできた大量のゴミが目につく。
ちょうど雑草も、そろそろ刈ろうと思っていた頃だ。よし。
納屋へ引き返して、草刈り鎌とゴミ袋を手に持つと、下から順に雑草を刈り始める。
「ふぅ……」
道の左側を刈り終えてフェンスまで来ると、今度は下に降りながら残り半分の草を刈る。
汗がぽたぽたと落ち、段々と腰が痛くなってきた。
「ひぃ~、いててて」
途中で腰を叩きながら、なんとか下まで刈り終わり、ごみ袋に草とゴミを回収して、ようやくダンジョンに入った。
「あー、疲れたー」
カウンター岩で麦茶を一気に飲み干して、デバイスを確認する。
各フロアを順にチェックしていると、外から誰かが来る足音が聞こえた。
ん? 花さんにしては早いし……。
程なく、一人のお爺さんがニコニコしながらカウンター岩前にやって来た。
「いらっしゃいませ、えーっとご利用ですか?」
まだ、開店までに一時間ぐらいあるけど……。
「あぁ、どうも。少し覗かせてもらえますか?」
「あ、はい。えっと、あの、すぐに用意しますから、少々お待ちを」
お爺さんは頷きながら、小さく手を挙げて応えた。
仕方ない。折角来てくれたんだし、OPENするか。
急いでデバイスをOPENに切り替え「すみません、もう大丈夫です。IDをお持ちですか?」と声をかけた。
「あぁ、はいはい」
お爺さんは、首から下げた蝦蟇口財布の中からIDを取り出す。
「お預かりします、では、装備はこちらからお選び下さい」
タブレットを差し出して、丁寧に手順を説明した。
「はいはい、ご親切にどうも」
意外にも、慣れた手つきで装備を選ぶお爺さん。
あれ? 最新型なのに、もしかして触ったことあるのかなぁ?
「では、ご用意しますのでお待ちください」
お爺さんの装備は『鬼蜘蛛の手拭い+999』だけであった。
うーん、見たことのない武器だ。ていうか手拭いにしか見えない。
しかし、この強化具合はただ事じゃないぞ……。矢鱈さん並ではないか。
「あ、お、お待たせしました。では、ごゆっくりどうぞ」
手拭いを差し出すと「はい、どうも」と手拭いを首にかけ、まるで、銭湯にでも入るかのようにダンジョンへ向かった。
いったい、何者なんだろう、もしかして有名ダイバーとか?
でも、お爺さんのダイバーなんて聞いたことないし……。
気になって、デバイスでお爺さんを追ってみた。
ゆっくりと辺りを見回しながら歩いている。
時々立ち止まって、地面の硬さでも確かめるように地を踏んでいた。
……何をしてるんだろう?
壁を触ったり、スライムを手に持ってみたり、お爺さんの行動には謎が多い。
しばらく様子を見ていると、今度は水たまりで手拭いを濡らしている。
うーん、全くもってわけがわからない。
次の瞬間、謎が解ける。
襲ってきたバババットが空中で破裂したのだ。
「え!?」
お爺さんは手首のスナップを効かせて、手拭いを鞭のように使い攻撃している。
宙を舞うバババットの群れが、爆竹の様に一斉に弾け飛ぶ。
「そ、そんなのあり!?」
お、恐ろしいほどの使い手。達人とでも言った方がいいだろうか?
武術でもやっている人なのかな……。
そのまま、お爺さんは破竹の勢いでダンジョンを進んでいく。
立ちふさがるモンスは風船のように破裂し、疲れた様子は見受けられない。
「す、すげぇ……」
密林フロアに入っても、その進撃は止まらなかった。
空を舞うドラゴンフライの群れに、指笛を吹くような仕草を見せる。
すると、急に方向感覚を失ったドラゴンフライが墜落を始め、その隙に手拭いが鞭のように繰り出された。
さらに、後方からバルプーニが躍りかかっても、まるで後ろに目があるかのように手拭いが飛ぶ。バルプーニが伸ばした片腕が弾け飛び、次の瞬間には頭が消えて霧散した。
「つ、強ぇぇ!! 功夫映画みたい!」
俺は、モニターに映る、お爺さんの活躍に夢中になった。
この調子だと、ベビーベロスも倒してしまうんじゃ……。
そう思った時、くるっと反対に顔を向け、来た道を戻り始めてしまった。
「あ、あれ? 帰るのかな……」
しばらくの間、カウンター岩で待っていると、お爺さんが戻ってきた。
「あ、お疲れ様です!」
「あぁ、どうもどうも」
「いやぁ~お客さん、凄いですね? 何か武術とかやられてるんですか?」
少し興奮気味で訊くと、
「いやいや、長く生きてるとね、何かしら出来る様になるもんです」と、お爺さんは達観した様子で答える。その言葉には、何か深い意味があるんじゃないかと思わせる雰囲気があった。
「いやぁ、凄いです。まさか、手拭いが武器になるなんて」
「ははは、ワシはこれしかよう使わんのですよ」
上品に笑うお爺さんから、俺は装備を受け取って麦茶を差し出した。
「良かったらどうぞ」
「あぁ、ありがたい。では遠慮なく」
お爺さんは麦茶を一口すすると「ここは良いダンジョンですなぁ……」と遠い目をする。
「ありがとうございます! そう言って頂けると嬉しいです!」
「そうだ、お名前を伺ってもよろしいですかな?」
「はい、店長の壇ジョーンと言います。宜しくお願いします」
俺は深く頭をさげた。
「ジョーンさんね。貴方を見ていると、若い頃を思い出すよ……」
「若い頃ですか?」
「私もね、最初は小さなダンジョンから始めたんだよ。ふふふ、三階層のね。モンスなんて、スライムとアントスパイダーぐらいしかいなくてねぇ。毎日、頭を抱えていたもんだ」
「ダ、ダンジョンをやられていたのですか?」
なんと、大先輩ではないか!
「まぁ、今は隠居同然だけどねぇ」と目を細めた。
「隠居……」
もしかして、凄い人なのかな?
あの身のこなしを考えると、只者ではなさそうだけど……。
「おっと、歳をとると話が長くなってしまうね。麦茶をありがとう、ごちそうさま」
「あ、お爺さん、良かったらお名前教えてもらえませんか?」
IDで名前は調べられるのだが、やはり直接訊いておきたい。
「ああ、これは失礼。私は渋沢といいます」
「渋沢さん、良かったらまた来てくださいね!」
そう言うと、渋沢さんは小さく頷きながら帰っていった。
見送ったあとでカウンター岩に戻るとスマホが鳴る。花さんからのメッセージだった。
『商店街が凄いことになってますよ!』
写真:ずらっと並ぶスーツの人達
な、なんだろう、誰か有名人が来るのかな?
『誰か来るの?』と返事を送った。
すぐに返信が届く。
『ダンクロの会長が来るそうですよ!』
――ふぇ?
あ~、新規OPENだからか。そういや、昔そんなこともあったなぁ……。
ん? 会長……。何かひっかかる気が。
スマホを見ながら考えていると、入口から「おはようございまーす」と花さんの声がする。
「おはよう、会長が来るって?」
「はい、何か物々しい雰囲気でしたよ~」
花さんは、興奮気味に答えたあと「来る途中、何か凄い車が通っていきましたけど……、誰か来てたんですか?」と訊いてきた。
「凄い車?」
「ええ、なんか、政治家が乗るような」
渋沢さん? 渋沢……。
――記憶の蓋が開く。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
「ちょ、ちょっと、ジョーンさん? 大丈夫ですか!?」
花さんが驚く。
「ご、ごめん……。団九郎だ」
「え? 何です?」
「花さん、渋沢団九郎だよ、団九郎! ダンクロの会長!」
「ど、どういうことですか?」
わけがわからない様子で、花さんは俺を見る。
「えっと、さっき来てたお爺さんがいたんだけど、それがダンクロの会長だったんだよ!」
「えーーーーっ!?」
花さんが大声をあげた。
「ちょ、ジョーンさん。何かされました? 大丈夫なんですか? もしかして圧力とか」
「いやいや、それが、凄く感じの良いお爺さんで……」
まさか、渋沢さんが会長だとは。なぜ、こんなところに来たんだろう?
偵察? いや、そんな感じはしなかった。
ど、どうなっちゃうんだろう?
でも、褒めてくれたしなぁ……。罠? うーん、意図がまったくわからない。
「何か言われたりはしていないんですね?」
花さんが確認するように訊いてきた。
「あ、ああ。うん」
「なら、良かった。それにしても、いったいどういうつもりなんでしょうか」
ほっとした表情を見せながらも、花さんは少し不安そうに呟く。
「うーん、偶然だと思いたいね……」
俺は、花さんにアイスティーを用意しながら、会長の後姿を思い返していた。