エントリーしました。
バーメアスの一件以来、花さんと顔を合わすのは初めてだ。
朝から落ち着かずに、何度もシャワーを浴びるという、わけのわからない状態に陥っている。それでも、何とか用意を済ませてダンジョンへ向かうと、既にフェンス前で、花さんが待っていた。
「あ、ごめんごめん、お待たせ」
「いえ、私も、いま来たところですから」
にっこりと笑う花さんから、思わず目を逸らした。
「あ、そ、そっか。良かった、うん」
特に二人ともそれから話すこともなく、すんなりと開店準備が終わる。
花さんがタブレットを見て頷く。
「ベビーベロスも問題なさそうですねぇ。体格もしっかりしてきましたし」
「うん、良かったよ。溶岩もこれで足りてるみたいだね」
俺はそう答えて、デバイスをOPENに切り替えた。
「結局、フリーパスは誰が貰ったんですか?」
そうか、花さんはあれから打ち上げには参加しなかったもんな。
「ああ、豪田さんの知り合いのプロダイバーが」
「あれ、モーリーさんは?」
「ははは、実はモーリー、お酒全然だめでさぁ」
「そうなんですか?」
「うん、すぐに動けなくなってたよ」
「意外ですねぇ、あんなに強いのに、ふふふ」
そう言って笑う花さんを見ていると、変に意識して、緊張していた自分のことが可笑しく思えた。
「あ、そうだ! ジョーンさん、もうエントリーしました?」
「ん、何を?」
花さんが驚いた顔をして俺を見る。
「え、ジョーンさん『このダンジョンがすごい!』にエントリーしてないんですか!?」
や、ヤバい。ここんとこバタバタしてて、すっかり忘れてた。
「あ……、受付って」
「確か、今日までじゃ?」
俺はすぐにスマホで『このダンジョンがすごい!』のサイトに飛ぶ。
「受付、受付……」
スクロールしていくと、あった!
期日は、今日の15時! あっぶねー!
俺は冷や汗を拭いながら、エントリーを済ませる。
「いやぁ、冷えたよ。危なかったぁ~。ありがとう、花さん」
「いえいえ、ギリギリでしたねー」
そう言って、花さんまで焦ったような顔を見せた。
このダンジョンがすごい! は夏と冬の年二回、全国のダンジョンから、おすすめのダンジョンを選ぶイベントである。エントリーがあったダンジョンの中から選ばれるので、エントリーをしておかないと、絶対に選ばれることはないのだ。受賞すると一躍全国レベルの知名度になるので、駄目で元々、エントリーするだけしておいて損はない。
「もし、選ばれちゃったらどうなるんだろう?」
「そうですね、レイドぐらいは集まっちゃうんじゃないですか?」
「うーん、それは凄いなぁ……」
前回、受賞したダンジョンは、新潟県の彌彦ダンジョン。
ここは、昔からある、由緒正しきダンジョンで、イベントに参加するなどと、とても考えられないようなダンジョンなのだが、インタビュー記事によれば、管理者さんが若い人に変わってから、積極的に参加するようになったのだそうだ。
俺が目標としているのは『グッドダンジョン賞』この賞は、完全に選考基準がベールに包まれている。噂では、覆面調査員なる者が、各地のダンジョンを訪れて審査しているらしい。もしかしたら、D&Mにも既に訪れたことがあるのかも……。
花さんと話をしていると、お客さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ!」
「いらっしゃいませ~」
今まで見たことの無い、サングラスをかけた細身の男性だった。
オフィスカジュアルな感じで、肩にはショルダーバッグを下げている。
「お願いします」
と、男はバッグからIDを取り出した。
「あ、はい。ありが……」
IDを受け取った瞬間、俺の本能が何かを告げた。
も、もしかして……。
改めて、男を見てみる。
何処か落ち着かず、モジモジした様子。
サングラスを外そうとしない。
ジャケットの胸ポケットには赤いボールペン、手には小さな手帳……。
こ、これは、まさか……。
――覆面調査員!?
「お、お待たせ致しましてございまスー」
震える手を抑えながらIDを返却する。
「ジョーンさん? どうしたんですか?」
花さんがきょとんとした顔で俺を見ている。
「あ、いや、大丈夫だよ」
男がタブレットで装備を選び、俺は急いで手渡した。
「ありがとう」
「いえ、とんでもございまセン!」
カウンター岩に頭が当たりそうになるまでお辞儀をする。
「やっぱ、変ですよ? ジョーンさん?」
不思議そうな花さんを横目に、俺は男を見送った。
男が見えなくなった後、花さんに
「あれ、もしかしたら覆面調査員かも知れない」と小声で言った。
「え!?」
花さんが、両手で口を抑えた。
「ど、どうしたら……。あ、兄に来てもらうとか……あ、えっと……」
「は、花さん?」
いつも冷静な花さんが混乱しているようだ。
「えっと、今日は週末だから、そうだ、瘴気香をラキちゃんに……」
「花さん?」
俺は軽く花さんの肩を揺すった。
「あっ! す、すみません。私、取り乱していたみたいで」
「いや、大丈夫だけど、花さんでもそんな風になっちゃうんだね」
そう言って俺が笑うと、花さんは顔を紅くして俯いた。
「そ、それより、どうしたら印象が良くなりますかね?」
「うーん、やはり接客? いや、でもダンジョンだし……」
俺と花さんは覆面調査員が見るポイントを考えてみるが、なかなか思いつかない。
「あの、少しでも楽しい気持ちになってもらうために、コスプレとかどうでしょうか?」
「コスプレか……でも、何のコスプレをすれば?」
花さんは得意そうな顔で
「任せて下さい! こういう時のホームセンター島中ですからっ!」と拳を握った。
――十五分後。
「お疲れ様でーす。あ、ジョーンくん、お久しぶりです。花がお世話になってます」
現れたのは平子C、眼鏡は赤いフレームだ。
「花、これで良いのか?」
平子Cがダンボールから、衣装を取り出した。
「うん、ありがと! お兄ちゃん」
「じゃあ、また何かあったら連絡下さい。次があるんでこれで失礼します」
平子Cは丁寧に頭を下げると、小走りで帰っていった。
花さんが衣装をビニール袋から取り出して広げた。
「じゃーん、どうですかっ!」
「は、花さん? それって……」
完全に電気のネズミの奴だよな……。
「ほ、ほら! 進化形もあるんですよ!」
今度は茶色の衣装を取り出した。
「ま、まあ、うん……。とりあえず、俺は茶色でいいよ」
試しに、二人で着替えてみることにした。
まずは、花さんが更衣室に入り、黄色いネズミの衣装を着て出てきた。
「どうでチュか~?」
か、かわいい……。
い、いや、それよりも、結構ノリノリな花さんに驚く。
「あ、ああ、良いと思うよ」
「やった! じゃあ、ジョーンさんも、お願いしまチュ」
「わかった」
俺は更衣室で茶色のネズミの衣装に着替えた。
そっと更衣室を出ると、花さんが
「うわっ! 似合ってますよぉ!」
「そ、そうかな?」
少し恥ずかしいが、これもグッドダンジョン賞の為だ。仕方あるまい。
カウンター岩に二人で並んでいると、かなり痛いカップルに見える。
本当に大丈夫なんだろうかと内心ドキドキしていると、豪田さんと森保さんがやって来た。
「て、店長!? えっと、きょ、今日も暑いな~?」
明らかに触れて良いのかどうか戸惑っている。
「二人共、どうしたのその格好?」
そんな豪田さんを横目に、森保さんが躊躇うことなく尋ねた。
「じ、実は……」
俺は二人に内緒話をするように、覆面調査員らしきお客さんが来ていることを話した。
「なるほどなぁ~、それでその格好か」
豪田さんが頷く。
「でも、本当にその、調査員なの?」
森保さんは半信半疑な様子だ。
「ずっとサングラスを外さないですし、手に手帳を持ったままでした」
花さんが真剣な表情で答えるが、見た感じは黄色いネズミである。
「手帳は確かに気になるわね。あ、私達でそのお客さんが何をしてるか見てきてあげる!」
「本当ですか!」
確かに、このモヤモヤしたままでいるよりは良い。
「決まりだな」
「バレないように気をつけてくださいねっ!」
「わかってるって!」
俺たちは悪い相談でもしているように、カウンター岩で顔を寄せて話した後、全員で親指を立てた。
――三十分後。
ダンジョンから豪田さんと森保さんが帰ってきた。
「ど、どうでしたか?」
「駄目ね、特に怪しいところがないわ」
森保さんが肩を竦めて言った。
「そ、そうですか……」
花さんが横から
「うーん、違うんでしょうか?」と唸る。
「どっちにしろ、ここが勝負だと思ったほうが良いだろう。なぁ店長!」
「は、はい!」
豪田さんの言う通りだ。仮に調査員じゃなくても、お客さんをもてなすのは当たり前、いつも通りの接客を心がければ……。
「うーん、麦茶もいいけどアイスティーもあればいいわよねぇ……」
森保さんがボソッと呟いた。
「確かに、私もあればアイスティーを頼むと思いまチュ」
一瞬、豪田さんと森保さんの動きが止まったが、また普通に戻る。
「あと、少し暗いんじゃないのか? こう、照明を置くとか……」
「そ、そうですかね?」
そう言って、悩んでいると花さんが
「照明も、アイスティーもすぐに用意できますよっ!」とスマホを取り出す。
「い、いや、そんな何回も来てもらうのは……」
「大丈夫大丈夫、平気でチュ! ちょっと待ってて下さい!」
花さんはすぐに電話を始めた。
――十分後。
「は、早っ! すげぇな!」
豪田さんが驚く。
「はは、お久しぶりっす。ロードイベント以来ですね?」
クラシックタイプのフレーム、平子Bだ。
「ああ、えーと、そうだな! はははは!」
豪田さんは笑って誤魔化している。多分、どう呼べば良いのかわからないのだろう。
「じゃ、ジョーンくん、花を宜しくお願いします。皆さんも、また一緒に潜りましょう」
平子Bは深く頭を下げると、小走りで帰っていく。
ホームセンター島中の機動力は凄いなぁと、改めて感心した。
「よし、店長、手伝うぜ!」
「ありがとうございます!」
花さんにアイスティーを淹れてもらい、俺と豪田さんでチューブの電飾や、色付きの電球などをカウンター岩を中心に飾り付けた。
「どうだ? 明るくなったんじゃないか?」
すると、引きで見ていた森保さんが
「……なんか、クリスマスみたいね」と呟いた。
俺と豪田さんは顔を見合わせた後、二人で黙ったままチカチカと光る電球を眺めた。
――その時。
ダンジョンから男が帰ってきた。
「お、お疲れ様でチュ……」
「お疲れ様です!」
俺と花さんの変貌ぶりと、カウンター岩でチカチカと光る電飾を見て、男は何事かと驚いた素振りを見せる。
「……どうも、お疲れ様です」
「い、いかがでしたか?」
キョロキョロと辺りを見る男に、さりげなく俺は尋ねてみた。
「とっても良いダンジョンですねぇ。いやぁ、大変参考になりましたよ」
男はニヤッと笑って答えた。
目元がサングラスで見えないせいか、少し不気味な感じがする。
「よ、良かったです、ありがとうございます!」
「ありがとうございまチュ」
俺と花さんが頭を下げると
「あ、そうだ。ご挨拶が遅れました」と言って、サングラスを外した。
切れ長の鋭い目、好意的な印象ではない……。
男は、バッグから名刺を一枚取り出して、俺に差し出した。
「この度、近くでダンジョンをOPENさせて頂きます、ダンクロの犬飼と申します」
そう言って、不敵な笑みを浮かべる犬飼に、俺は引きつった笑いを返すしかなかった。
所持DP 1,915,432
来客 53人 26,500
染色 8回 2,000
特注 1点 800
石鹸 11個 1,100
ガチャ 29回 2,900
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1,948,732





