バイトを雇いました。
台風の影響か、ひんやりと湿った風が吹く。
どんよりと曇った空は、今にも雨が降りそうな匂いがするが、ここ最近の猛暑日に比べれば、嫌いな雨でも幾分かはマシに思える。
念のため、傘を持ってダンジョンへ向かうと、黒いフェンスに背をつける花さんの姿が見えた。絵になると言うのは、こういう事を指すのだなと俺は思った。
「早いですね、おはようございます」
声を掛けると、花さんは慌てて姿勢を正して会釈をする。
「おはようございます、その……今日から、よろしくお願いします」
髪を後ろで束ね、小顔がより強調されている。白くて華奢な首筋を、俺はなるべく見ないようにして、こちらこそと応えた。
フェンスを開けて、カウンター岩に二人で向かう。
「さてと、荷物なんかは、ここの戸棚を使って下さい。鍵もかけられますから」
俺は小さな鍵を花さんに渡した。
「ありがとうございます」
「えっと、あれから何か質問や気になる事とかありましたか?」
「いえ、大丈夫です」
俺は頷いて、用意しておいた書類を取り出す。
「これが書いてもらう書類です。こことここは、保護者の方に判子を押してもらって、後は記入だけで大丈夫です」
花さんはこくりと頷き
「あの、ジョーンさん、私に敬語はやめてもらえませんか?」と少し上目遣いで見てくる。
「え、あ、ああ……そっか。じゃあ普通でもいいのかな?」
「もちろん!」
にっこりと笑う花さんに、思わず精神体ごと持って行かれそうになるが、そこは俺も大人。多少の免疫はあるのです。
「じゃあ、花さんにエプロンを」
俺は用意してあった、黒い腰巻エプロンをバッグから取り出して渡した。
「わぁー、なんかカフェの店員さんみたいです」
そうだろう、そうだろう。花さんの採用が決まってから、リサーチにリサーチを重ねた、いま最も人気の高いエプロンなのだ。(ポケットの右端に白字でD&Mと刺繍まで入れてある)
花さんは早速、エプロンを腰に巻き少し広げて見せた。
「うわー、これ可愛いかも!」
「良く似合ってるよ」
「ありがとうございます!」
「じゃあ、開店準備を始めようか?」
「はい、お願いします!」と花さんは目を輝かせて言った。
俺は清掃する場所と道具置き場、そして消耗品のストック棚や補充の仕方などを順に教えていく。
花さんは飲み込みが良く、要領を掴むのも早かった。
コンビニでバイト経験有りと履歴書にあったが、その経験が生かされているのかも知れない。初日で、一気に教えるのは止めておこうと思ったけれど、どうやら余計な心配だったようだ。
ほどなく、掃除を終えた花さんが自分から声を掛けてきた。
「ジョーンさん、他にやっておく事はありますか?」
「いや、掃除はそれで終わりだね。後は営業中にやる事があるけど、先に説明しておこうか?」
「大丈夫でしたらお願いします」
それなら、と俺は染色の手順を花さんに教えた。
「で、タイマーが鳴ったら、取り出して……」
「はい、ちょっとやってみてもいいですか?」
「ああ、いいよ。じゃ、これとこれを」
俺は素材を花さんに渡した。
カウンター岩に戻り、遠目で作業の様子を見る。
なんか一人の方が気楽でいいなと思っていたが、誰かと働くってのも案外悪くないな。
しばらくして、花さんが染め終わった素材を持ってきた。
「どうでしょうか?」
「うん、OK! 綺麗に染まってる」
「やったぁ!」
花さんは嬉しそうに言うと、もう一度素材を見た。
これで、染色は問題ないだろう。
「そういえば、この前、初ダンジョンだったよね、どうだった?」
「凄い楽しかったです! ウツボハスの葉脈とか本当に綺麗で、蔓と葉のバランスが本当に良いんですよねー。それに、バババットの手触りとか、ちょっとベロアに近いじゃないですか? 思わずずっと撫でそうになっちゃったりして、兄に止められました」
早口で答える花さんに、少し驚きながら
「あ、そ、そうなんだ、良かったねぇ」と答える。
そうだった、確かモンスが好きとか言ってたよな。
「ジョーンさんは、色んなモンスを見たことがあるんですよね? いいなぁ~」
「俺もそんなには無いかなぁ」
「そうなんですか? 東京のダンジョンにいらしたって聞いたので」
「ああ、そうそう笹塚ダンジョンってところだけど。でも東京では小さめの店だから、モンスも一度レイドボスが出たぐらいで……」
「レイドボス!? 何が出たんですかっ!!」
花さんのテンションが上がる。
「あ、えーと、イフリートなんだけど……」
「えーーっ! イフリートですかっ! うわぁ、見てみたいなぁ……」
そう言って遠い目をした花さんは、少し口が開いていた。
俺は、空想の世界に入っている花さんを呼び戻す。
「さ、さあ、花さん、そろそろOPENしようか?」
「あ、はい!」
外は段々と風が強くなりはじめ、パラパラと雨も降ってきた。
「ありゃ、雨がパラついてきたね」
「やっぱり、雨だとお客さん少ないですか?」
「うーん、どうだろう。多少影響はあると思うけど……」
二人でカウンター岩に並び、外を眺める。
俺は花さんに石鹸の包み方を教えながら、D&Mにいるモンスの説明をした。
「その、メダルはアンデッドからドロップするんですよね? 他のモンスからはドロップしないんですか?」
「うん、現時点では確認されてないね。もし、ドロップしたら、大発見だよ」
「へぇ、そうなんですねぇ……あ!! シ、シーサー!?」
花さんがダンジョロイドを見て声を上げた。
「え、好きなの?」
「私、ダンジョロイド集めてるんです! うわぁ! これ限定のシーサーじゃないですか!? 初めて見ました!」
「ああ、それ常連のプロダイバーの人がくれたんだよ」
「え? す、すごい……。あ、ドリルパンダは私も持ってますよ」
花さんがニヤリと笑う。
な、なんか思ってた感じと違うな……。
花さんは「あ」と思い出したように戸棚のバッグから小さな刷毛を取り出した。
「掃除しておきますね」
そういって、刷毛で丁寧に埃を払い始めた。
「凄いね、持ち歩いてるの?」
「一応、外で急に掘り出し物とかを見つけた時用です」
「へ、へぇ……」
最早、マニアの領域なのでは……と思っていた時、傘をさした団体さんが入ってきた。
「いらっしゃいませ」
花さんが挨拶をすると、お客さんたちの表情が明るくなった。
うん、男ってそんなもんだ。
俺がカウンター岩に置いた装備を、花さんが手際よくお客さんに渡してくれた。
「バイトの人?」
男のダイバーが花さんに声を掛ける。
「はい、今日からなんです。よろしくお願いします」
「お、おお。俺はちょくちょく来てるからよぉ、よろしくな」
とんでもなく格好をつけている初見の客。
はいはい、ちょくちょくね……。
「いってらっしゃいませー」
花さんに見送られて、野郎どもは上機嫌だ。
いやぁ、これはかなりリピーターが増えるんじゃないか?
しかし、その後、雨も本格的に降り始め、お客さんの来ない時間が続く。
うーん、こうも暇だとなんか申し訳ないなぁ……。
『ダ……ん、ダン……キ』
花さんがキョロキョロと辺りを見回した。
「あれ、いま何か聞こえませんでした?」
「え? 何も聞こえなかったけど……」
『ダンちゃん!』
「あ! ラキモン!」
見ると、奥の岩陰から少しだけ黄色い体が覗いている。
「え……うそ? やだ、どうしよう……?」
花さんの様子がおかしい。
「ちょ、駄目だよ、営業中だから」
俺は慌てて奥へ行き、ラキモンに言った。
『ダンちゃん、あれ誰ラキ?』
「あ、ああ、花さんって新しいバイトの人だよ」
「きゃっ! ラ、ラキモン……!? 本当に会えるなんて!!」
いつの間にか後ろにいた花さんは、涙ぐんで感極まっている。
『ダンちゃん、ダンちゃん、あれ……』
「ああ、そうか。最近あげてなかったもんなぁ」
俺は花さんに
「あそこの引き出しから瘴気香を取ってくれない?」と頼んだ。
「あ、はい!」
花さんが瘴気香を持ってくる。
「ラキモンにあげてくれる?」
俺がそう言うと、花さんは少し震え声で
「い、いいんですか……」と俺を見る。
「いいよ、大丈夫だから」
恐る恐る花さんがラキモンに近づき、瘴気香を見せると
『うぴょっ! 早く早くラキッ!』
ラキモンがぴょんぴょんとその場で跳ねる。
「あ、ご、ごめんなさい」
花さんが瘴気香のフィルムを取って差し出すと、 ラキモンは目に止まらぬ速さで奪い取る。
『うっぴょーっ!! はぐはぐ、うぴょ、うぴょ! モゴモゴ……』
「はうぅ! か、かわいい!!」
潤んだ目でラキモンを見つめる花さん。
あの、それ一応モンスだからね……?
『ハナ……ラキ?』
食べ終わったラキモンが花さんに向かって尋ねるように言った。
「ごめんなさい、ジョーンさん! 我慢できません!!」
花さんはラキモンを抱きしめて
「きゃー! 柔らかーい! ああ、かわいいっ!! んー」と頬ずりをする。
『や、やめるラキ! やめるラキよぉ!』
ラキモンがバタバタと身を捩る。
「あ、ごめんなさい、私つい……」
花さんが手を離すと
『ふぅ、死ぬかと思ったラキよ……』と言いながら、ぴょんぴょんとダンジョンへ逃げていった。
「あ……」
花さんが名残惜しそうに声を漏らした。
「花さん、ホントにモンスが好きなんだね、ははは……」
「すみません、私、モンスの事になると……」
花さんは恥ずかしそうに俯いた。
「まあ、ああやってたまに来たりするから、もし、俺が居ない時は一本だけ、瘴気香あげてくれればいいよ」
「いいんですか!」
「もちろん」
花さんは満面の笑みを浮かべて
「ありがとうございます」と言った。
それから、雨が少し小降りになり、晴れ間が見え始めた。
すると、ぽつぽつお客さんも増えて、慌ただしくなってくる。
花さんは、持ち前の勘の良さで上手くサポートをこなす。
うん、これは良い。
かなり接客スピードも上がるし、効率的だ。
それに、何よりダイバー受けが非常に良い。皆、笑顔で帰っていく。
看板娘とは良く言ったものだ。
楽しい時間というものは、あっという間に過ぎるもので、花さんのバイト初日が終わった。
「お疲れ様でした、うん、花さん完璧だね」
「本当ですか! ありがとうございます!」
照れくさそうに花さんが笑う。
「お、雨もちょうど止んだみたいだし。じゃあ、また明日だね」
「あ、はい! お疲れさまでした!」
花さんはエプロンを畳んでバッグに入れ、ペコリと頭を下げると帰って行った。
「ふぅ、いやぁ~人がいるとこんなに捗るとは思わなかったなぁ」
俺はバイトのありがたさを感じながら、最終チェックをしてダンジョンを後にした。
――深夜、D&M十五階層。
ゴゴゴゴゴゴゴ……。
「ニャッ!? ニャンの騒ぎニャ!」
殆ど閉じたままの目を擦りながら、ケットシーが異変を察知した。
「ケ、ケットシー様! 地鳴りでございます!」
「ニャム? すぐに物見を出すニャ!」
「心得まして候」
シャシャシャッと数匹の猫又がパレスを飛び出す。
しばらくして一匹の猫又が戻る。
「ケットシーさま! 大変でござる!」
「ニャ! どうだったニャムか?」
ケットシーは丸っこい手を舐めながら言った。
「なにやら奇っ怪な穴が!」
「ニャに!?」
ケットシーは慌ててパレスを飛び出した。
見るとパレスから少し東にの岩壁に穴が見える。
「ニャ? あれは……」
そろーりそろーりと数匹のお供を引き連れ、穴へ近づく。
「ニャムぅ……よく見えないニャムね……」
ケットシーが穴を覗き込んだ。
続いて後ろから、我も我もと覗き込む猫又たちに押され、ケットシーがするっと穴へ落ちた。
「ニャ! ニャンでぇーーーーー!?」
ゴロゴロゴロゴロ……。
「ケ、ケットシーさまぁ!!」
呆然と階段を見つめる猫又たち、果たしてケットシーの運命や如何に!?
所持DP 864,582
来客 68人 34,000
染色 12回 3,000
特注 1点 800
石鹸 3個 300
ガチャ 29回 2,900
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905,582