博士の部屋
「だ、誰っ⁉」
「ひ……人やんっ⁉」
俺と叔父さんが悲鳴じみた声をあげた。
無人のダンジョンのはずなのに、なぜか小麦色に日焼けしたお爺さんが、白い顎髭をなでながら落ち着いた声で尋ねてきた。
「あー、このダンジョンの管理者さんかな?」
「な、何やねんお前! どどどど、どなして入ったんじゃ⁉ ワレぇっ!」
叔父さんが丸井くんを盾にしながら、震える声で言い返す。
「いや、本当に申し訳ない。私は六子五郎といいます」
「「……」」
「ていうか、絶対偽名ですよね?」
「たぶん……」
俺と丸井くんは小声で話し合う。
「「……」」
お互い言葉が見つからない状況で、叔父さんだけがその名前に反応した。
「六子五郎⁉ う、嘘やろっ⁉ む、む、六子博士ですかっ⁉」
感極まった様子で、叔父さんがわなわなと手を震わせている。
「いかにも六子だが?」
なぜかキリッとする老齢の不法侵入者。
「な、なんで博士がこんなところに……⁉ は、博士の『百虫探訪』シリーズは毎年欠かさず購入して愛読してますっ!」
「おぉ、なんとなんと! このような場所で拙作の読者に出会うとは、本当に人生とは縁ですねぇ、ははは」
「いや、まったく、ははは」
「――いや、はははじゃねぇし」
俺の一言で博士と叔父さんが凍り付く。
「あのね叔父さん、これ不法侵入ですよ? 知ってる方かも知れませんけど、笑って話す問題じゃない。そもそも、あなたはここで何をしてるんですか?」
「い、いや、ジョーンくん、この方は昆虫同人会のレジェンドで……」
「いま、それは関係ないです。まずは、勝手にここに居た理由を聞いてからですよ」
叔父さんがたまたま知っているような有名人だからといって、この状況はどう考えてもおかしい。鍵を掛けていた家に他人が上がり込んで生活をしていたようなもんだ。
「いや、彼が仰る通りです。本当に申し訳ない。とはいえ、ここだと落ち着かないでしょう。あちらで事情を説明をさせてもらえますかな?」
博士はまるで自分の家に案内するかのように、奥に向かって手を伸ばした。
「は、はあ、じゃあ……まあ……」
俺はモヤモヤした気持ちを抱えたまま頷く。
気まずい空気が流れる中、俺たちは博士の後に続いた。
* * *
博士に案内されたのは、岩壁に空いた小さな横穴だった。
手製の簾で目隠しがされていて、パッと見ただけでは横穴があるとは気付かないだろう。
「こんな簾まで作って……」
「ずいぶんスローライフしてますね」
丸井くんがボソッと言う。
中に入ると小さな部屋が作られていた。
飲み終わったペットボトルやカップ麺のゴミ、コンビニで売ってるペーパーバックの小さな漫画本に年季の入った寝袋……。
恐ろしいことに生活感がある。
いったい、いつから住み着いていたのか……。
「さ、狭いところですがどうぞどうぞ」
いや、お前の家かよ――と、喉元まで出かけたがぐっと堪える。
そして互いに向き合い、円陣を組むように腰を下ろした。
「よくこんなところに……」
丸井くんが感心しながら辺りを見回す。
「良かったら飲んでください」
謎の飲み物が振る舞われる。
皆の視線が飲み物に集中し、妙な沈黙が流れた。
これは……何だ?
恐る恐る匂いを嗅いでみる。
うーん、草の匂い?
「なんか漢方みたいですね」と丸井くん。
「おっちゃんはこの匂い平気やけどね」
叔父さんはスルーして、俺は博士に尋ねた。
「これは?」
「樹木液を濾過したもので、昔から身体に良いとされております。私はジュモックリンと呼んでますな、ははは」
「「ジュモックリン……」」
もっと飲み物らしい名前はなかったのかと思いつつ、
「それで、状況を説明してもらえますか?」と俺は博士に尋ねた。
「まずは、勝手に入り込んだ無礼を謝罪いたします」
博士は静かに頭をさげ、そう前置いてから釈明を始めた。
そしておもむろに後ろからA3サイズくらいの紙を取り出した。
「「え?」」
予想しない展開に、俺と丸井くんの間に動揺が走った。
「博士は、なぜこのダンジョンに入ったのか~! デュデゥンッ!」
そう言って紙をめくると、
『ラウンドワンかと思った』と書いてあった。
「いやいや、そんなわけないでしょ? 博士~、ちゃんと説明してくださいよ、もう……ねぇ?」
と、芝居じみたテンションで続ける博士。
おいおいおい、なんか始めたぞこの爺……。
俺は湧き上がる怒りを抑えつつ成り行きを見守る。
さらに紙をめくると、
『実は博士、このダンジョンのことは事前に知っていた!』と書いてある。
「「え⁉」」
博士はニヤッと笑い、
「ほほぅ、これは興味深いですね。なぜ知っていたのかなぁ~?」と紙をめくった。
『博士は昆虫界隈のTOPインフルエンサーなのだ! 望まずとも情報が入ってくるのだ! すごいのだ!』
デフォルメされた博士と派手な吹き出しのイラスト……。
まあまあ味があるのが余計にむかつく。
ていうか、いつこのフリップを用意したんだ? この爺ェ……。
「それが人様のダンジョンに勝手に入って住み着くのと、どう関係があるんです?」
俺が尋ねると博士は無言でフリップをめくった。
『いま、すべての説明が正しいか確認をしています・・・』
「「は?」」
ササッとめくる。
『もうまもなく説明を始める準備が整います・・・』
「いや…だから」
サッとめくる。
『最終確認をしています *途中で席を立たないでください』
「「……」」
『準備はよろしいですか?』
博士はどこか嬉しそうに目を輝かせながらゆっくりとフリップをめくった。
『さあ、はじめましょう』
「やっとかよ……」
「結構引っ張りますよねー」
と、俺は丸井くんと言葉を交わす。
『本当に正しいか最終確認をしています・・・もうまもなく完了します』
「おいこら爺! ふざけんなよっ‼」
俺は博士の胸ぐらを掴んだ。
「ちょちょちょ、ジョーンくん、落ち着き、なっ?」
叔父さんが止めに入る。
博士はひたすら頭を下げている。
「申し訳ない! 楽しくてつい……もうやりません! この通りっ!」
拝むように謝られ、渋々俺は元の場所に腰を下ろした。
「ったく、ちゃんと説明してくださいよ……」
「すみません、実はこのダンジョンのことは以前から知っていたんです。虫界隈で長く居ますと、望まずともそういう情報が入ってくるものですから……」
「あ、そこは聞きましたね」と丸井くんが相づちを打つ。
「……こ、好奇心に駆られ、中を見てみたいと思いました。次の同人誌のネタにもなると思いまして……。それで、不動産屋に話を通そうとしたんですが、すでに売却されていて、調べるとこの方が所有されていることがわかりました」
叔父さんの方に目を向ける博士。
「あ、自分、タケオいいます」と叔父さんがなぜか嬉しそうに答える。
「それで、ここの入り口のところで待たせてもらっていたら、たまたま出てきたタケオさんが、買い物か何かで急いでどこかへ行ってしまった。見ると入り口は開いたままです。いけないとは思いながらも、私は自分の欲に負け、一歩、中へと入ってしまったのです……」
「でも、それなら後で叔父さんに説明するなり方法はあったんじゃないですか? どう見てもかなりの間、ここに住んでますよね?」
「ごもっともです。ただ、ここはそんな大事なことすら忘れてしまうほど素晴らしい場所でした……。長らく伝説とされたような虫モンスが、生きて目の前を飛ぶ姿……私は夢中で観察を続け、気づけばここに住み着いてしまって……」
叔父さんはわかります!と言わんばかりに頷いている。
だが、部屋に置かれたカップ麺のゴミや空のペットボトルを見ると、どれだけ情熱的な想いを語ったところで、薄っぺらい言葉に聞こえてしまう。
「いやいや、何の関係もないでしょ――。それだけ素晴らしいと思ったのなら、なおさらきちんと叔父さんに説明すべきですよ。違いますか? あんなフリップ描く余裕はあったんだから時間がどうとか言わせませんよ?」
「ジョ、ジョーンくん、おっちゃんはそんな気にしてないから……」
「あのですね、叔父さん、これが六子さん以外だったらどうします? もし、半グレみたいな輩が勝手に住み着いてたとしたら?」
「んなもん……ボッコボコにして警察呼――⁉」
叔父さんがハッとした顔になる。
「でしょ? そういうことです」
「えっ、遅っ⁉ いま気づいたんすか……⁉」
ボソッと丸井くんが呟く。
「た、確かにそうやんな……。うん。博士、あなたのことは尊敬してますが、やっぱり勝手に入られたりしてしまうと困りますわ……出てってもらわんと……」
「もちろん、そのつもりです。あと、何か私にできることがあれば、何でもさせてもらいます。この通り、本当に申し訳ありませんでした!」
博士は丁寧に頭を下げる。
その姿からは一応、誠意のようなものが伝わってくる。
悪い人ではないのだろうけど、自分の欲が絡むとモラルの境界線が曖昧になる人なのかも知れない。
そのとき、丸井くんが簾越しに外を覗きながら、おもむろに口を開いた。
「しかし、このダンジョンにはレアな虫モンスがうじゃうじゃいるってことが証明されたわけですよね?」
「ん? まぁそうなるのか……」
「せやで! なんせ六子博士のお墨付きやもん!」
「いやいや、私などまだまだ……」
すっかり終わった感を出している二人。
まあ、叔父さんがいいならいいんだけど……。
「あっ、そうだ! ジョーンさん、さっきの配信の話、六子さんにも手伝ってもらいましょうよ!」
「え……」
「配信?」
博士は話が見えないのか、俺達の顔を交互に見ている。
「ジョーンくん、それええかもしれんで! なんせ博士のファンは全国におるけんな!」
そうか、この爺、こう見えてインフルエンサーだったっけ……。
「なるほど……ファンによる初動のアクセスが見込めるってことだよね?」
「そうですっ! 初動でバズれば一気に知名度が稼げますし、それに企画を立てるにも有識者の意見は貴重ですから!」
叔父さんは博士に耳打ちをして、配信のことを説明している。
ふんふんと博士は何度か頷いた後、「私で良ければ今回の謝罪の意味も込めて、お手伝いさせていただきましょう」と言った。
「ジョーンさん!」
「ジョーンくん!」
博士の身元ははっきりしてるから、これ以上何もないとは思うけど……。
うーん、そうなると役割的にはアドバイザー?
いっそのこと管理人になってもらうとか……?
まだ結論を出すのは早いか。
もう少し様子を見てからの方がいいだろう。
「わかった、とにかく配信をやってみようよ。で、その結果を見て、今後の方針を決めるってのはどう?」
「おっしゃああ!! おっちゃん、やったるでぇジョーンくんっ!」
「絶対成功させましょうっ!」
「楽しみですな。それはそうと、試したい新ネタがあるのですが……」
「おっ博士いいですね~! どんどん企画出してくださいよ~」
「おっちゃんも考えてええん?」
「もちっすよ~!」
「じゃあ……とか」
「いや、それ……」
「……」
「…」
いつの間にかチームのようになった丸井くんと叔父さん達。
色々と不安はあるが、それなりの形に落ち着きそうで怖い。
俺は地面に散らばったフリップを眺めながら、母さんには報告しないでおこうと心に誓った。
いつもありがとうございます!
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