円安対策を始めます。
ダンジョンの消耗品を買い出しに、近所の100均に来ていた。
トイレ用品や割り箸などをカゴに入れ、ふとラキモンの顔を思い出す。
「そうだ、瘴気香もそろそろ切れる頃だよな……あれ切らすと、ラキモンの奴うるさいからなぁ……」
鼻歌を歌いながら、お香のコーナーに向かう。
いつものように瘴気香の棚に手を伸ばしかけて、俺は真っ白になった。
「おいおい、瘴気香200円とかマジかよ……⁉ 倍じゃん!」
もう一度、値札を見る。間違いない。
三日前に100円だったものが200円になっている。
ちょっと待て、どういうシステムよ?
三日の間に何があったんだ……。
ちょうど通りがかった店員さんに声を掛ける。
「あのー、すみません、この瘴気香って……」
「あー、さーせんね、円安で、へへ」
何度も首を前に突き出しながら答えてくれる。
「円安……?」
「ほら、最近ニュースでやってるじゃないですか、なんか仕入れ? が上がったとか店長が言ってましたね……へへ、さーせん」
「そうなんですね……」
「ぶっちゃけ、もう100均じゃなくて200均っすけどね、へへ」
「あ、はい……ありがとうございました、お仕事中に」
「いえいえ、何かあったら言って下さい、店長にガツンと言っとくんで、へへ」
バイトらしき若者は笑顔で去って行った。
仕入れが上がったのか……。
だが、俺は知っている。
この瘴気香はどう見ても以前からあった在庫だということを。
「便乗値上げか……?」
むぅ、モヤモヤするが他で瘴気香は買えない。
安いお香だが、ここの100均オリジナルブランドなのだ……。
レジを済ませ、荷物をバックパックに詰める。
店を出る時に、さっきのバイトくんと遠目に目が合った。
笑顔で何度も首を前に出している。
口パクで恐らく『チュッス』などと言っているようにみえた。
「笑顔は良いんだけどなぁ……」
俺はお辞儀を返して、ダンジョンに戻った。
*
ダンジョンで開店準備を始める。
今日は花さんが休みなのでいつもより急がねば……。
トイレ用品を補充し、染め物用の染料をチェック。
掃き掃除にそろそろ出番が来そうな氷雪草の簾も埃を払っておく。
「ふぅ……」
時計を見ると、開店までにまだ時間があった。
少し急ぎすぎたかな、と思いつつ珈琲を淹れながらスマホでネットニュースを流し見する。
『円安』というワードが視界に入り、珍しく舌打ちが出る。
――――――――――――――――――――
円安は正義か悪か?
大増税時代を強襲する未曾有の円安に列島激震!
老後リスクを回避する6:4の法則とは⁉
円安リスクを睨んだポートフォリオ5選!
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良くわからないが、結構な騒ぎになっているらしい。
そういえば、ここのところダンジョンの値上げも話題になっていたなぁ……。
ウチも値上げ……いや、別に困ってないし。
周りが値上げするんなら、お値段据え置きでウチは実質割引になるのかな?
まあ、俺は地道にお客さんに楽しんでもらうだけだ。
難しいことはわからないが、それが一番、正しいと心で感じる。
「おはようございます」
「は、はい!」
突然声を掛けられ、慌てて入り口の方を向くと、スーツ姿のサラリーマンらしき男の人が立っていた。
いかにも仕事が出来そうなキリッとした顔立ち。
スーツ専門店の広告に登場しそうな感じだ。
「朝早くお邪魔してすみません、こちらD&M様ですよね?」
矢鱈さんには劣るが、この人も歯が真っ白だった。
「え、ええ……そうですけど」
「もしかして、まだ準備中でしたか?」
「あ、まあ、はい」
男は丁寧に頭を下げ、ニッと笑った。
「大変失礼しました、もし、ご都合が悪ければ出直して参ります」
「えっと、何か御用でしょうか?」
「いやぁ、D&M様のお噂を耳にしまして、一度ご挨拶できればと思ったのですが……」
「え! 噂ですか⁉」
何だろう、変な噂とか立ってたらどうしよう……。
「ご安心ください、悪い噂ではありません。個人経営のダンジョンでレイドを経験なされたそうですね? いやぁ、素晴らしいです!」
「あー、レイドですか、あれは運が良かったんです。ありがとうございます」
「運だなんて、ご謙遜を。日頃の丁寧なメンテナンスの積み重ね、モンスの管理も大変だと思います」
「そ、そんなことないですよぉ~。何だか照れちゃいますね」
「おっと、申し訳ございません。お仕事の邪魔をしてしまいましたね。また、改めてアポを取らせていただこうかと思います」
「まだ、開店までは時間あるんで、良かったら珈琲でも飲んで行かれますか?」
「え⁉ よろしいんですか?」と、男は大袈裟に驚く。
「ええ、どうぞお掛け下さい」
俺は男に岩カウンターの椅子に座るよう勧めた。
「では、遠慮無く。失礼します」
珈琲を用意している間、男はダンジョンの中をくまなく見回していた。
「どうぞ」
「ありがとうございます。いやぁ~、良い匂いですね」
男はそっとカップに口を付け、
「ん! これは……美味しい! プロ顔負けですね」と、目をまん丸にした。
「へへ、ありがとうございます。あ、それで今日はどういったご用件で?」
男はスーツの上着の内ポケットから名刺入れを取り出した。
「私、DPアセットマネジメント・ベストパートナーズ・ジャパンリミテッド・オーシャンキャピタル日本支社・四国支部統括の萬玉 春男と申します」
俺は名刺を受け取り、自分の名刺を差し出した。
うわー作っておいて良かったぁ……。
「どうも、壇ジョーンです」
何の会社だろう。
まったくわからない……。
「壇さん、私共はダンジョン経営者の皆様の資産形成のお手伝いができれば、と考えております」
「資産形成……」
萬玉さんはパッと顔を明るくして、
「まあまあ、というのが建前でして、要は手堅く余った資金を活用して、将来に備えようという話です。数年で倍になるとか、そういういかがわしい類いのものではございませんのでご安心を」と、いくらか声を高くした。
瘴気香は三日で倍になったが……。
まあ、それはいいか。
「ウチは見ての通り個人でやってますので、そんな余った金は……」
「ええ、ええ、もちろんです! どこも余裕がないのは同じですからね~。この円安で悲鳴を上げている業者さんも多いですから」
「円安……確かに今日、100均の物が200円になってました」
「でしょう! いやぁ、本当に困りますよねぇ……。投資は簡単に倍にはならないですが、物価はあっという間です」
眉を下げて苦笑いを浮かべる萬玉さん。
「そうなんですよねぇ……」
「あ、そういえば壇さん、DPはどう運用されていますか?」
「DPを運用……?」
まったく意味がわからなかった。
「簡単に申し上げますとですねー、恐らく現在はDP特定口座をご利用に……」
「あ、はい、そうです」
「なるほど、確かにDP特定口座はダンジョン税の軽減がありますし、確定申告も非常に楽になりますから、ご利用はマストだと思います」
「あ~良かったぁ! 一瞬、ダメなのかと思いましたよ、あははは」
ホッとして笑うと萬玉さんが急に真剣な顔つきになる。
「ただ、軽減分の2%を貯蓄へ回すのもアリですが……実はとても良い商品があるんです」
「え……」
やはり何か売りに来たのか……。
騙されないぞ、もう少ししたら帰ってもらおう。
「ゴルダンコインをご存じですか?」
ゴルダンという全身金色のモンスがいる。
ゴーレム系のモンスでかなり希少な個体だ。
そのモンスのことかな……。
「ゴルダンって……あのゴルダンですか?」
男はパチンと指を鳴らした。
「ご名答、さすがはプロフェッショナル! 我々は光輝くゴルダンのように、真っ暗な荒波を突き進むダンジョン経営者様の灯台になれれば……と考え出された投資商品です。もちろんリスクはありますが、この商品の優れたところは、DP特定口座によって生じた軽減分の2%を自動で運用できるところでして、さらに運用益を再投資することによって、さらなるリターンを追求していきます」
「あの、多分、素晴らしい商品だとは思うんですが……あまり良くわからないものはちょっと……」
「ですよね、わかります。ただ、それほど大きな額を運用しなくても大丈夫ですし、0.5%から始められている方もいらっしゃいますよ?」
「うーん……」
「まあ、ご興味があれば、という話ですので」
「すみません、折角、説明していただいたのに……」
「いえいえ、私の方こそ、美味しい珈琲をいただきましたので何かご恩返しできればと思ったのですが……。あ、今だと、このゴルダンフィギュアが付くんですが、まあ、ちょっと子供っぽいですよねぇ、ははは」
「やります――」
「え?」
「運用します!」
「い、いいんですか?」
「はい! 必ず運用します!」
「ど、どうも……では、書類を揃えて後日でも……大丈夫ですか?」
「はい、できれば、その……」
萬玉さんの手に輝くゴルダンフィギュアを見つめる。
「あ、こちらですね? どうぞどうぞ、こちらゴルダンフィギュアになります」
「ありがとうございます……うわぁ……」
素晴らしい質感とこのズッシリとした重量感……そしてこの輝き!
フォルムも忠実だし、どうやって作ったんだろう。
今話題の金属プリンタかな?
いやぁこれはどこが原型やったんだ?
「気に入っていただけて何よりです」
「ええ、こういうものに目がなくて……あはは。ちなみにこのフィギュアってどこに発注かけたとかわかりますか?」
「えっと、確か『山猫堂』さんだったと思います」
「山猫堂⁉」
「あれ、ご存じですか?」
「以前、店主の山根さんに、ダンジョンエクスポでお会いしたことがあって」
「そうだったんですか、これはますますご縁がありますねぇ! おっと、では私はこの辺で……」
「あ、はい、じゃあ連絡お待ちしてますね」
「はい、数日以内に書類をお持ちしますので、では失礼いたします!」
「お気を付けてー!」
萬玉さんを見送り、壁側の棚にゴルダンフィギュアをそっと飾った。
俺はカウンターから出て、その勇姿を遠目に眺める。
素晴らしい……。
入り込んだ朝日がゴルダンの輝きを増している……。
ここまでくると、ちょっと拝みたくなるな。
仏像に金色が多いのは、こういう意味があるからなのか?
時計を見ると、もう開店時間になっていた。
「おっと、OPENOPEN……」
デバイスをOPENに切り替え、俺は仕事に戻った。
*
――後日、萬玉さんが各メディアの一面を飾った。
『大規模ダンジョン投資詐欺グループ摘発!!』
『巧妙な手口! 個人経営ダンジョンを狙った組織ぐるみの犯行!』
『被害総額7億DP超⁉ 特定口座の穴を狙った手口とは⁉』
派手な見出しの記事の中に、顔を隠す萬玉さんの姿があったのだ……。
D&Mにも刑事の方が来て、色々と事情を聞かれた。
その後、警察署の方にも何度か調書を取りに行き、何度も同じ話を繰り返し聞かれることになった。
もう二度と警察には行きたくない……。
まあ、聞く方も大変だとは思うけど。
そして、ゴルダンフィギュアは証拠品として押収され、俺の手を離れた。
あまりにも儚い束の間の夢――。
あの輝きを俺は忘れないだろう。
とはいっても、ここで挫けるような俺ではない。
無いのなら造ってやろうゴルダンフィギュアだとばかりに、山猫堂の山根さんに突メールを送ってみた。
半分、駄目元だったのだが、何と山根さんから、丁寧に必要材料と手順の書かれたPDFが送られてきた。
『お久しブリティッシュアメリカンや! こんなもんナンボでも教えたるデンタルフロス~! ほんなら、またな! おきばりやす子』
手紙は意味不明だったが、めっちゃ良い人だ。
御礼に何かプレゼントしなきゃな。
「さてさて、造ってみるかぁ!」
*
そして、閉店後にコツコツと取り組み、数ヶ月の時を経てゴルダンフィギュアは無事完成した。
だが、あの時見たフィギュアより、いくらか輝きは失われている……。
でも、それでもいい。
これから、いくらでも挑戦できるのだから――。
「よぉし、商品化を目指して量産だー! 円安なんかに負けるもんか!」
萬玉さん、僕はいまゴルダンフィギュアを造っています。
貴方の思惑とは違う結果になりましたが、本当に感謝しています。
僕の造ったゴルダンフィギュアが、きっといつか、誰かの宝物になるから――。
今回は単話です。
読んでくださってありがとうございます!
また、何か思いついたら更新したいと思います。
では、また。





