某大手のオネイロス編 ③ アンダーグラウンド
スカイライナーから山手線に乗り換え、新宿駅に着く。
「大きい荷物だけ、ロッカーに入れておこうか?」
サングラスをかけた矢鱈さんが、親指をコインロッカーに向けた。
「あ、はい」
電車の中でも、矢鱈さんをチラチラと見る人が多かったけど、新宿に着くとさらに増えた気がする。
中にはサインを求めてくる人も居て、改めて人気の高さを実感した。
やっぱ、芸能人なんだなぁ……。
「どうする? 何か入れてく?」
紅小谷がお腹をさすりながら、俺と矢鱈さんを見る。
「んー、ジョーンくんは?」
「長くなりそうですし……、軽く入れていきませんか?」
俺は立ち食いそば屋を指さした。
「あんた麺類から離れられないの?」
「いやぁ、てっとり早いかなって……」
「そうだね、時間も勿体ないし食べちゃおうよ」
「ったく、しょうがないわね……」
*
「ふー、意外に美味しかった。ジョーンくん、そばなんて久しぶりじゃないの?」
「あ、はい。地元に戻ってからは、うどんばっかだったんで、たまに食べると新鮮ですねー」
「うっ……」
後ろで紅小谷が口を押さえる。
「おいおい、大丈夫かよ⁉」
「だ、大丈夫よ……」
「文句言ってたわりに、天ぷらそばと天丼のよくばり天天セットとか食うからだって」
「う、うっさいわね!」
そんなふざけたやり取りをしながら、靖国通りを渡る。
歌舞伎町の入り口に差し掛かると、何かの行列が続いているのが見えた。
「え……これって、まさか……」
「恐らくそうだろうね」と、矢鱈さんが笑う。
「まあ、あれだけインパクトのあるニュースも最近はなかったし、誰もが一度は経験したいと思うのが普通よね」
「そっか……でも、どうします? これ、かなり待たないと無理ですよ?」
――キランッ!
「うっ! め、目がぁっ⁉」
「大丈夫だよ、こう見えても僕はそこそこ有名なダイバーだからね、招待枠がちゃんとあるんだよ」
「え⁉ す、すごい……」
すると、後ろでぐったりしていたはずの紅小谷が、突然ドヤ顔になった。
「ふふ……、ジョンジョン、私のことお忘れかしら。業界一のPV数を誇る『さんダ』の管理人が招待されていないとでも?」
「た、確かに……!」
そうだ、すっかり馴染んでしまっていたが、この二人って、業界では超の付く有名人。
改めて考えると……、何かこうして普通に話しているのが不思議に思える。
「あ、俺は招待されてないです……」
「心配いらないよ、ちゃんと二人まで同伴を許されてるから」
「てことは、並ばなくても?」
紅小谷が俺の肩に手を置き、
「そ、さあ、下々の悔しがる顔でも拝みながら行きますか!」と、アンダーグラウンドを指さした。
「お、おい、声が大きいよ……」
俺達は紅小谷を先頭に、アンダーグラウンドの入り口に向かった。
途中、並びのダイバー達が、矢鱈さんを指さして、
「おい、あれ矢鱈だよ!」
「え? ま? うわ、意外と背でけー」
「あのちっさいの紅小谷鈴音じゃね? てか、あの冴えないの誰よ?」
などと噂をするのが聞こえ、しかも、その大半が容赦なくスマホを向けてくる。
「二人ともこういうの平気なんですか?」
「ん? 私はへーき。こんなの矢鱈くんと歩いている時だけだし」
「ははは、僕はもう慣れちゃったかなー、その分、良い思いもしてるし、等価交換って感じだよ」
「なるほど……」
有名人って大変なんだな……。
ま、俺には関係のない世界だけど。
中に入ると、整理スタッフが近づいてきた。
「いらっしゃいませ、矢鱈様ですね、本日はお越し頂きましてありがとうございます、ただいま係の者が来ますので少々お待ちください」
「わかりました」
すぐに奥から女性社員が、小走りで駆けてきた。
首からIDをぶら下げ、着慣れない感じの細身のスーツが、初々しさを感じさせた。
まあ、有り体に言えば、キラキラしてる。
「どうも、矢鱈さん! 初めまして、広報部の石原です、来て頂けて光栄ですぅー、きゃーっ、矢鱈さんって、テレビより素敵ですねぇ!」
「いえいえ、今日は友人と一緒に……」
そう言って、矢鱈さんは俺と紅小谷を見た。
「わあ、ありがとうございまーす! 広報部の石原といいまーす、以後、お見知りおきくださいね!」
石原さんは、まるでアイドルのような愛くるしい笑顔を見せて、紅小谷と俺に名刺を差し出した。
うーん、流石に広報部だけあって、綺麗な人だな。
「あ! もしかして、さんダの紅小谷さんですよね? うわ~っどうしよう! 私、学生時代は、ずっと『さんダ』みたいなサイトを作ろうかなーって思ってたんですよー! あ、でも結局ここに内定決まっちゃったんですけどー、へへ」
「あんたそれ、わざわざ、今、私に言う必要ある?」
――石原さんの顔が引き攣った。
「ちょ、紅小谷⁉ さすがに失礼だろ⁉」
俺が小声で囁くと、紅小谷はため息交じりに言った。
「いいのよ、こういう人は言わないと気付けないんだから。あんたさ、広報なんでしょ? あんた個人の話なんて、いま、どーでもいいのよ、私達は光より早く、システムを体験したいの、あと、こんな入り口で、大勢の人の見世物になるのも嫌なの、わかる? 広報部でやってくなら、そういうとこに気付けないのは致命的じゃない? あと、悪気がないのもわかるけど、あまりさんダを舐めた風に言わないで」
「え……あ……も、申し訳ございません……!」
石原さんが青ざめた顔で頭を下げた。
「まあまあ、紅小谷、ちょっと言い過ぎだよ。すみません、石原さん」と、矢鱈さんがフォローを入れる。
「い、いえ、私が至らなかったので……す、すぐにご案内いたします、こちらにどうぞ」
どよーんと落ち込んだ石原さんが奥に手を向けた。
「さ、ぼーっとしてないで行くわよ、ジョンジョン」
「は、はいぃっ!」
俺は、颯爽と奥へ進む紅小谷の後に続く。
それにしても、良くあんなにはっきり言えるよなぁ。
こんな小さい身体のどこに、あれほどのパワーがあるんだろう?
彼氏とか居たら大変だろうな……。
突然、紅小谷が振り返り、ジロッと俺を見た。
「何? いま、何か言った?」
「えっ、いや、何も言ってないです!」
すげぇ圧だ……そりゃ、俺も思わず敬語になるわ……。