深淵からの鳴き声編 ⑨ 神の御手
俺はデバイスに輝く紫色の光を見て、思わず息を呑む。
「レ、レイドだ……」
な、なんで?
何がレイドが起きたんだ?
「レイド? レ、レイドだぁーーーーーーーーーーーー!!!!」
我に返り、事の重大さを認識する。
ど、ど、どどどーしよ?
落ち着け、えっと……モニタよし、スマホ位置よし……。
配信はまだ続いてる、OK。
状況を確認しながら、俺はレイド対応の準備を進める。
カウンターの戸棚から消耗品を補充し、在庫があるのをチェックした後、タブレットデバイスの方を確認した。
「お! こっちはビューが生きてる!」
最下層が画面に映し出された。
土煙が凄い、大勢の猫又とスケルトンやデスワームが蠢いている。
まだ乱戦は続いているようだが……、レイドボスはどこだ?
その時、もみ合っていた数体の猫又達の姿がシャッと掻き消えた。
「え……?」
何だ? 何が起こったんだ?
すると、もうもうと立ち上がる土煙の中から、一瞬、黒い何かが見えた。
「な、何だ、あれ……」
ビューを動かしていくと、フロア中央の空中に黒い雲のようなものが浮いていた。
固唾を呑みながら注視していると、突然、雲の中から巨大な猫の手が、まるで何かを探すように飛び出す。その動きに、一切の躊躇はなかった。
「な、なんだ! あの馬鹿でかい手は⁉」
手があのでかさなら、本体は一体……。
タブレットを操作する手が、思わずぶるっと震えた。
――と、その時。
奥からリーダー達が揃って走ってきた。
「おーい! ジョーン! た、大変だぁー!」
「リーダー! あの雲は一体……」
息を切らすリーダーの代わりに、猫屋敷さんが興奮気味に捲し立てる。
「出たよ! 出たんだよ! ニャンラトホテプが! うぉぉー! 何という神タイミング! 俺、すげー! 俺、天才! 俺の仮説は正しかったんだぁーっ!」
「落ち着け! それよりも、あの化け猫をどうするかだ。ありゃ、俺達だけじゃ無理だぞ?」
犬神さんが眉間に皺を寄せる。
「んー、矢鱈さんは海外だし……」
と、リーダーは腕組みをして考え込んだ。
「え? ちょ、また海外ですか⁉」
「何かドイツに行くって言ってたぞ」
「ドイツ……」
いや、そんなことを考えてる場合じゃない!
「と、とにかく、すぐに討伐依頼は出しますが、そのニャンラトホテプってそんなに強いんですか?」
「ああ、過去にダンジョンを破壊したって話がある都市伝説級の猫型モンスさ」
そう猫屋敷さんが言うと、犬神さんは、
「だが、手だけだったな……、あの雲と何か関係があるのかも知れん」と呟くように言った。
「本体が出たら……ダンジョンが破壊される?」
おいおいおい! それは困るぞ!
俺は皆の話を聞きながら、スマホで討伐依頼を飛ばした。
「討伐依頼は出しました。この辺りのプロダイバーは、すぐに集まってくると思います」
「よし、ジョーン、長期戦は覚悟しとけ、頼めるならヘルプを呼んだ方がいい」
「はい!」
落ち着け、落ち着け、冷静に……。
まずは基本のレイド対応をしっかりとこなすんだ。
俺は花さんにヘルプを頼めるかメッセージを送ったあと、実家に電話を掛けた。
「はーい」
「あ、陽子さん! すみません、ちょっとお願いがあるんですけど……」
「あら、何かしら。いいわよ?」
「実は……」
陽子さんに状況を説明し、大量にお茶を沸かして欲しいと頼んで電話を切る。
次に、ホームセンター島中に電話を掛けた。
「はい、『一寸釘からお届けします』、ホームセンター島中、担当平子でございます」
「あ、平子さん、えっとジョーンです、お世話になってます」
どの平子さんだろう、多分……Bのような気がするが……。
「ああ、どうも、ジョーンくん、どうしたんですか?」
お! Bだ。
「えっと……」
俺はレイド発生を伝え、飲み物とグリルセット、食材の手配を頼んだ。
「わかりました! では、責任を持ってお届けします!」
「ありがとうございます、じゃあお願いします!」
ふー、これで夜の打ち上げの準備OK、後は……。
スマホをポケットにしまって振り返ると、カウンター岩から少し離れた場所で、犬神さんと猫屋敷さんが話をしていた。
「……どうする、九条に一応連絡を入れておくか?」
「いやいや、全員来ちゃったらどーすんのよ? 美味しいとこ持ってかれるのがオチだって」
「だが、せめてもう一人森クラスがいねぇと、ありゃ無理だぜ?」
「そういう事もあろうかと……」
猫屋敷さんがスマホの画面を犬神さんに見せている。
「……ったく、お前のそういうとこだけは感心するよ」
くるっと猫屋敷さんが顔だけ振り返り、
「ジョーンくん、森も来るよー」と歯を見せた。
「モーリーが⁉」
――素直に嬉しかった。
そういえば、バーメアスの時も……。
リーダーもいるし、犬神さんや猫屋敷さんもいる。
きっと、何とか乗り切れる、うん。
よし、俺は俺の仕事をしなければ!
***
『に、逃げろーー!』
『うわー、助けてー!』
土煙と地響き、悲鳴と逃げ惑う猫又達。
最下層は、まさに地獄絵図と化していた。
伝令役の猫又が、匍匐前進でケットシーの元へやって来た。
『お、おつたえもうす……、我が軍、崩壊……、ニャンラト……ホテプ神、敵味方の区別なし……敵味方の区別なしっ!』
言い終えると、猫又はその場に倒れ、黒い粒子となって霧散する。
『で、伝令役どのーーーっ!』
見守っていた猫又達が、伝令役の粒子に向かって叫んだ。
『ぬぬぬ……これはどういうことニャムゥ……なぜ我らがニャンラトホテプ神が……』
ケットシーはステッキを握りしめ、目の前で暴れまくる神の御手を見つめた。
――突然、隣にいた猫又が急に大声を上げる。
『うるさいニャム! 何ニャ急に……』
『ケ、ケットシー様! あ、あそこのマズルパターンが途切れてます!』
『ニャ、ニャムゥ⁉ あわわ……た、大変ニャムよ……』
ケットシーは二度見した後、口元を押さえながらカタカタと震え始めた。
『は、早すぎたんだ……』
猫又の中の誰かがぼそっと呟く。
猫が箱の中のおもちゃを探すように、黒い雲から突き出た神の御手はフロア中を掻き回す。
――手、手がつけられニャい。
ケットシーの顔が引き攣る。
崇め奉るべき猫神の存在は、最早、フロアにいる全ての者達に降り注ぐ災厄となっていた。
『こうなったら……逃げるニャムよ! 全軍退却ニャムー!』
ケットシーが号令を掛けると、猫又達が蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。
『ワウ? みんなどこ行くガル?』
猫又達が走り去っていく姿を見ながら、コジロウが小首を傾げた。
瞬間、コジロウの小さな体を巨大な影が覆う。
『伏せろ!』
コジロウに迫るニャンラトホテプの手に、青と白の炎球が直撃した。
巨大な猫手が、スッと煙の中へ引っ込む。
コジロウの背後から、ベビーベロスと老齢のコボルトが颯爽と駆けてきた。
『乗れ!』
コボルトはコジロウの手を取ると、ベビーベロスの背中の上に引き上げる。
『あ、ありがとうガル……』
『礼はいい、それよりアレは不味いな……』
そう呟くコボルトの目線の先で、ニュッと紫色の爪を伸ばした猫手が再び暴れ始めた。
『爪を隠してやがった……』
だいぶお待たせしてすみません!
待っていてくれた方に良いことが起こりますように……。





