夏が終わりそうです。前編
デバイスの画面に映り込んだ自分の顔を見て、思わず目を背けたくなった。
いつの間に、こんな顔になってしまったのだろうか。
それに比べ、さっきの若いダイバー達は、随分と輝いて見えたなぁ……。
装備もかなり良い物を使っているし、あの若い男の子のアイテムリストの量たるや尋常ではなかった。
そういえば……、派手な髪色の女の子は、前に一度見た気が……。
「はぁ……」
だが、そんなことはどうでも良いのだ。
はは……、もう何もかも麻痺してしまった。
――画面に映る黄色い影。
「コジロウ……、もういいんだ……いいんだよ……」
誰か、誰か止めてくれ……。
***
――数年前。
「え? ホントにこの値段で良いんですか?」
「ええ、村山さんだけ、特別価格ということでオーナーさんが。あ、他の方にはどうかご内密に……」
黒いスーツを着た不動産業者が満面の笑みを向ける。
「も、もちろんですよ! こ、ここが……その値段で……」
村山は喉を鳴らし、『勝岡ダンジョン』という看板が掛かったビルの外観を眺めた。
このダンジョンは、近年コアが発見されたばかり。
不動産屋が言うには、オーナーはダンジョン経営に興味が無い方で、修繕工事中にコアが見つかり困っているらしく、なるべく早く処分したいという話だった。
一生に一度、あるかないかのチャンスだと思った。
酒も煙草もギャンブルも、これといって趣味を持たない村山には、コツコツとサラリーマンとして働きながら貯めた、虎の子の定期預金があった。
――あの、貯金を崩せば。
しかし、あれが無くなると老後の資金が……。
今まで村山は、挑戦らしい挑戦をした事がなかった。
リスクを嫌い、高望みをすることもなかった。
だが、本当にこのままの人生で悔いは残らないのか?
村山は自問自答を繰り返した。
「少し、少しだけ返事を待って貰えますか?」
そう尋ねると、業者の男は大袈裟にキョロキョロと周りを見た後、
「いやいや、村山さん、困りますよ! こんな超レア物件、二度と無いですから。この後も予約が数件入っちゃってますし、オーナーさんからは、即決の方のみ相手してくれと言われてるんですよ」と、声を殺しながら早口で答えた。
「そ、そんな……」
指の間から、水が流れ落ちるような気がした。
業者の男は、わざとらしく高そうな機械時計を確認し、
「あぁ、残念です村山さん、今回はご縁がな……」
「買います!」
気がつくと、村山は叫んでいた。
――初めてだった。
自分の数十年分の労働の対価、老後資金……。
ずっと、リスクを嫌って生きてきた村山が、生まれて初めて、リスクを取って勝負をした。
今まで味わったことのない、素晴らしい気分――。
この先、辛いこともあるだろう。
だが、一国一城の主として、自分の人生を切り拓いて行くんだと村山は思った。
「おめでとうございます」と、手を握る業者の笑顔。
その笑顔に、僅かな含みがあるのにも気付かずに……。
――半年後。
「なぜだ⁉ なぜ、活性化しないんだ⁉」
悲痛な声が、誰もいないダンジョンに響く。
カウンターの中で、一人頭を抱える村山の姿があった。
デバイスに映る、二階層分のMAP。
村山は焦っていた。
どれだけ待ってもダンジョンコアが活性化しなかったのだ。
それどころか、モンスも殆ど発生しないなんて……。
そうして、ようやく、ある一つの疑問が浮かんだ。
確か、元のオーナーはダンジョン経営に興味が無いと言っていた……。
ならば、なぜ始めから「勝岡ダンジョン」と看板が出ていたのか。
もしかして……、初めからコアが活性化しないことを知っていた?
急ぎ、不動産業者に連絡を取ってみた。
「話が違いますよ、お願いします、このままじゃ……」
「村山さん、あんた自分で選んだ道でしょ? それを、今更こっちのせいみたいに言わないで貰えますか?」
「そ、それはそうなんですが……」
「ま、いつまでもリーマン気分じゃ駄目ですよ、じゃあ忙しいので」
「……」
当たり前だと、村山は思った。
例え、何かしら不利な契約を結ばされたとしても、最終的に判断を下したのは、他でもない自分なのだから……。
村山はそれが悔しくて、悔しく堪らなかった。
そして、騙し騙し営業を続けていたある日――。
「ねぇ、ここってモンス少なくね?」
「そ、そうですねぇ、まだ活性化の途中でして、これから増えていくと……」
「いや、もう結構通ってるけどさ、無理っしょ、畳んじゃえば?」
その言葉を聞いた瞬間、村山の心に溜まっていた何かがそうさせたのか、それとも別の何かなのか……。本当の事は誰にもわからない。ただ、村山の中の何かが、そっと、音もなく背中を押した。
「実は……ここだけの話ですが、うちには……ラキモンが出るんです」
「え⁉ 流石にそれは盛りすぎじゃ……」
「いやいや、信じて貰えなくても大丈夫です。私だって、信じられないですからね、ははは」
「……」
それから、勝岡ダンジョンにラキモンが出るという噂が立つまで、そう時間は掛からなかった。
「いらっしゃいませー!」
連日のように、客が押し寄せた。
狭いダンジョンなので、順番待ちが出るほどだった。
村山は、初めて商売の楽しさを知った。
勢いに乗り、店名もラッキーダンジョンに改名した。
そして、いつしか自分がついた嘘のことさえ忘れてしまっていた……。
しかし、世の中そうそう上手い話が続くわけもなく、当然、店にはクレーム客が溢れるようになる。
「ふざけんなよ! 金返せコラァ!」
「いい大人がやることじゃないでしょう? 証拠を出しなさいよ!」
「どうすんの? 俺が失った時間、どうすんの? あ?」
自業自得とは言え、怒鳴られ続ける日々に、村山はどうしていいかわからなくなっていた。
そんな時、ダンジョンに初めて中位種のモンスが発生した。
種別は茶柴、陽気で知能が低いタイプ。
まだ幼いコボルトだった。
それでも、ラッキーダンジョンでは最上位のモンス。
すさんだ村山の心に、僅かな希望の光が灯った。
相変わらず怒鳴られる日々が続いていたが、コボルトの可愛さと奮闘ぶりにより、以前よりも客の反応は良くなっていた。
村山はコボルトに報いるべく、毎日欠かさず、閉店後にコボルトのブラッシングをした。
もし、プロのダンジョン経営者が見れば、この村山の行為は間違っていると助言するだろう。
なぜならば、モンスはモンス……。
プロならば、そこに情を挟んではならないと知っているからだ。
だが、村山からしてみれば、幼きコボルトは遅れてきた孫よりも大事な存在。
他のダンジョンで基礎を学んだわけでもない村山には、わかるはずもなかった。
『むらやん、むらやん、今日は5人も相手にしたガル!』
コボルトは顔だけ後ろに向けて、目を輝かせた。
「それは凄い、コジロウは本当に凄いなぁ!」
コボルトの背中を丁寧にブラッシングしながら、村山は満面の笑みで何度も頷く。
しかし、その痩けた頬、蝋が垂れたような隈、筋肉の落ちた身体は……、どう見ても普通ではない。
モンスであるコボルトが気付くわけもなく、無情にも月日は流れていった……。
――限界だった。
連日の睡眠不足と心労が祟り、村山の身体と精神は蝕まれていった。
正常な判断もできなくなり、ただ、ダンジョンを盛り上げたいという気持ちだけが空回りする。
壁一面にポスターを貼り始め、慣れぬPCを使い、HPを作って宣伝した。
そして、ある日のこと――。
「なぁ、コジロウ、明日からこの布を被って逃げてくれないか?」
『何これ! 面白そうガル!』
村山が渡したのは、ラキモンを模して、黄色い布で作った被り物だった。
『どうだむらやん! かっこいいガル?』
「ああ、コジロウ、とても似合ってるぞ。いいか、これを着ている時は絶対に捕まっちゃだめだぞ?」
『わかったガル! オイラ足は早いガル!』
「よしよし、頼んだぞ……」
コジロウは、とても良い働きをした。
元々、コボルトの中でも活発な茶柴だが、コジロウはその中でも、輪をかけて元気な個体だったのだ。
僅か二階層のダンジョン内を、縦横無尽に駆け抜ける黄色い影。
もちろん、客も驚く。
本当にラキモンがいたのかと、村山に頭を下げるダイバーもいた。
これで、全てが上手く行く――。
ここからが、俺の本当の人生なんだ!
……。





