名古屋勉強会編⑤ 予期せぬ訪問者
――名古屋駅前、とあるカフェ。
窓際のカウンター席でアイスラテをストローで飲みながら、俺はノートPCを開いた。
「さーて、釣れてるかなっと」
画面には『九十九』のロゴ、表示されたウィンドウにはプログラムコードのような文字列が滝のように流れている。
俺はトイレで会った変な男を思い出して小さく笑った。
くくく、あんな和顔でハーフって。
悪い奴じゃなさそうだが、あの年でダンジョン経営をしているなんて、どこかのボンボンか、それとも見栄を張って嘘をついたのか――。
「さあ、答え合わせといきますか」
画面に[complete]と文字が浮かぶ。
俺は薄く笑みを浮かべ侵入を開始した。
壇ジョーンか……、名前は本当みたいだな。
は? 香川? 香川って……どこだっけ?
あぁ、あのうどんのところか。
さらにスマホ内の深い階層へと潜っていく。
写真フォルダには、ダンジョン内で接客している写真や外観写真、客との記念写真など色々な写真が収められていた。
ふぅん、ちゃんとダンジョン経営してんじゃん。
お、SNSもやってんのね。
その時、耳障りな音がどこからか聞こえてきた。
ん? こいつは……何の音だ?
俺は辺りを見回すが、何も変わった感じはしなかった。
耳鳴り……? まぁいいか。
って、おい! これ、森さんじゃねぇか⁉
俺は一枚の写真に目を見開いた。
居酒屋でジョッキを合わせる二人、そうだ間違いない、森さんだ!
もしかして……、平ちゃんとも?
なんでこいつが?
くそっ、軽い気持ちで覗いたらとんでもないもんが出てきやがった。
こんな田舎のダンジョン経営者が、十傑と繋がってるだと?
でも……、壇ジョーンなんて聞いたことねぇぞ?
ちょ⁉ 良く見りゃ、この隣にいるの矢鱈堀介じゃん!
マジでこいつ何者なんだよ⁉
「はぁ!?」
――思わず大きな声が漏れる。
突然、目の前の画面が真っ赤に染まり侵入を示す警告が表示された。
チッ、何かと思えば。こんなことは何年ぶりだ?
どこの誰かは知らねぇが……いいだろう、相手になってやる。
俺は臨戦態勢に入り、侵入者にしかるべき罰を与えようと相手の特定を急ぐ。
が、しかし……。
「な……」
恐ろしいまでの速さ。
俺の作った九十九層の侵入防壁が音もなく侵食されていく。
チッ……、これはまずいな。相手を探すのは後回しだ。
やむを得ず回線を切り、被害の状況を調べる。
「何が起こってる? クソッ! どういうことだ⁉」
回線は確かに切断されている。だが、未だ敵は攻撃の手を緩めない。
それどころか、もう殆どの防壁が突破されて……。
「ちょ……」
は? おいおい、このPCに干渉すること自体不可能だろ⁉
何かウイルスを仕込まれたか?
再度確認するが、接続表示は全てオフライン状態になっている。
手品じゃあるまいし、何かあるはずだ、何かが!
だめだ、落ち着け。よーし、クールに行こう、クールに。
OK、大丈夫だ。集中しろ! 頭を使え!
「何か、何かあるはずだ……」
俺は考えうる可能性をひとつずつ潰していく。
だが、この時、俺は既に本能で感じとっていたのかも知れない。
必死に打開策を考えている最中も、頭の片隅にそれはあった。
もう、本当は手詰まりなんじゃないか――と。
背中に嫌な汗が滲み始めた。
焦燥感に呼応するように、LANアダプタのLEDも点滅して……。
「あ」
普段なら気に留めることもない小さな光。
その小さな光から、ひとつの解を導き出した俺は戦慄を覚えた。
マ、マジかよ……こいつ、接続表示を……⁉
何もかもが手遅れだった。
こういう時のために用意してあったはずの自作ツール群や、攻撃プログラム。
それらを使い対抗しようとあがいてみたが、まったく歯が立たない。
それどころか、リアルタイムで俺のツールをハックして上位複製してみせる。
いい趣味してやがるぜ……クソッ!。
抵抗をあきらめ、画面を眺めながら呟く。
「お前は……誰なんだ?」
と、その時――、スマホが震えた。
こんな時にと、待受画面を見て俺は息をのむ。
非通知表示どころか、スマホの画面に表示されていたのは番号ですらなかった。
『 IRΘIS 』
おいおい……マジかよ、はは、さっきのあの音……、そういう事か。
俺は震えるスマホを呆然と見つめた。
Mosquito.IRΘIS。
ハッカーでこの名を知らない奴がいるだろうか?
十数年前に忽然とネットから姿を消した伝説のホワイトハッカー。
またの名を――17,6kHzの訪問者。
MIC機能がないスピーカーにマルウェアを感染させ、超音波の発信、受信を可能にする方法を発明した紛れもない天才。
通常、MICやスピーカーは、約17kHz~24kHzの超音波に近い周波数の音に反応する。それを踏まえて、ハードウェアのリスニング機能とMIC機能を逆転させるマルウェアを作成。
IRΘISは、デバイスのスピーカーを受信機として使うという発想を用いて、エアギャップが存在するデバイスへの侵入を可能にしたのだ。
侵入時にノック代わりのモスキート音を鳴らすことから、こっちの世界ではMosquito.IRΘISと呼ばれている。噂じゃ若い女だと言われていたらしいが……。
俺は恐る恐る、電話を取った。
「……誰だ?」
『やぁ、九十九春、私を知ってる?』
エフェクトのかかった無機質な声色。
今更、自分のフルネームを知られていても驚かない。
「ああ、あんたを知らない奴なんてこっちにはいねぇよ」
『それはそれは』
「……」
一体、何が目的だ? あのIRΘISが俺に何を?
だがそれよりも、このタイミングは偶然なのかそれとも――。
『いいね、うん。君の作ったツールだけど、実に美しいコードがいくつもあった』
「そりゃどうも、あんたに速攻ハックされたけどな」
『私は少し覗いただけ』
「で、一体、何なんだ? こんだけしておいて、世間話がしたかったなんて言わないよな?」
話をしながらもPCの復旧を図った。
しかし、バッチを当てたそばから弾かれていく。
――クソッ!
完全に支配下に置かれた画面を見つめる。
俺はやれやれと天を仰いだあと、アイスラテのストローを咥えた。
『実はお願いがあって、彼に――いや、私の息子に悪さをするのはやめて貰えないかな?』
思いがけない言葉に、ラテを吹き出しそうになった。
「む、息子⁉」
『ええ、訳あって息子のスマホに、私が作ったアプリを入れていてね。だから警報が鳴った時、とても驚いたわ。もしかして息子に悪意が迫ってるのかと。でも調べてみてわかった。君はどちらかと言えば、そっちにいた頃の私に近い存在。なら、少し話し合ってみようと思って』
……にわかに信じがたい話だ。
IRΘISってだけでも信じられないくらいなのに。
ただ、仮にこいつがIRΘISでなかったとしても、これだけの腕を持つ相手、既に何かしら俺の急所を掴んでいるはず……。
「チッ、別に何もしてねぇよ。それにする気も失せた。それより、あんた自分の身元がバレてもいいのか? あのIRΘISの素性だ、引退したとはいえ欲しがる奴は多いと思うが?」
『んー、まぁ嫌ではある。が、何とでも対処は可能……ってところかな。もちろん、それなりの報復を含めてね』
「……嫌な奴」
『それは肯定と受け止めてもいいのかしら?』
「ああ、この件について俺は何も知らない、覚えてもいない。お前もそうだろ?」
『ええ、それでいいわ』
そっけなく答える無機質な声の奥から、子を守る親の気迫のようなものを感じた。
ふんっ、正直、興醒めだ。
彼女がまだこちら側の人間なら、とことんやり合う道もあっただろう。
伝説のハッカー相手に、自分がどこまでやれるのか試してみたい気もある。
だが、もう彼女はIRΘISではない――、ただの母親なのだと俺は理解した。
「じゃ、そういうことで」
俺が投げやりに言うと同時に、通話が切れる。
PCの画面の中央には『 Hello, World! 』の文字が残されていた。
「あーあ、白けたわ……」
九十九春は無造作にノートPCを閉じた。
氷が溶けて薄まったラテを飲み干し、カフェを後にした。
いつもありがとうございます!





