第八話 自己紹介
目の前で白熱する痴話喧嘩のような何か。
真奈を巻き込んでいるような、いないような。微妙な距離で怒鳴りあっている三人を遠巻きに見る群衆の向こう側から大きな声と共に現れたのは、そこそこ身なりの良い中肉中背の男性だった。
「おいこら! いい加減にしろコリンナ! デリアもこいつの言うことを鵜呑みにしてんじゃねーよ!」
どうやら修羅場らしき何かに、新たな参戦者らしい。
ギャラリーをかき分け現れた男性は、コリンナとデリアというらしい二人の知り合いなのか、彼氏さんらしき男性と怒鳴りあう女性二人の腕を掴んで引っ張った。
「お兄様!? どうして止めるんですか!」
「そうよ! ダミアンは少し黙ってて!」
「やかましい! おい! 早くこいつら連れていけ!」
何と彼女さんらしき人物の兄らしい男性によって浮気男の断罪のような何かを制止された女性二人は、キッと目を吊り上げて声を荒げる。
しかしながら、そんな二人の反応も、ダミアンというらしい男性からすれば予想どおりだったのだろう。
遅れて現れた部下らしき数人の男達に二人を押し付け、どこぞに連れて行くようにと命令していた。
暴れる女性二人を複数の男性が無理やり引きずっていく光景は中々凄まじいのだが、彼女さんらしき人物が口にした「お兄様」という言葉が、この光景の犯罪臭を打ち消していた。
何というか、この状況はあれか。困った妹とその友達の引き起こす騒ぎの後始末に追われる兄、というかんじなのか。
彼女さんと友達さんの姿が完全に見えなくなったのを確認して大きく息を吐いたダミアンは、黙ったまま成り行きを見ていた真奈と、突然言い合っていた相手が連れ去られたという事実に驚いて固まっていた男性に向き直る。
「ウチの妹と幼馴染が、迷惑をかけた。すまない」
そう言って深々と頭を下げるダミアンに、それまでの勢いをそがれてしまったのか、男性はきまり悪そうに頭をかいた。
「いやまあ、迷惑は迷惑だったけどよ。何だったんだ、アレ。言っとくが、本当に俺はアンタの妹さんと面識ないからな?」
「それは勿論わかっている」
男性の言葉にきっぱりと答えたダミアンは、すぐに困ったように眉尻を下げた。
「あいつらは昔からちょっと……いや、かなり夢見がちなところがあってだな……」
そんな言葉から始まった事情説明によると、彼は商業区にあるそこそこ有名な商会の御曹司らしい。その商会では毎月、仕入れのために他の街へと店主自らが商品の買い付けに向かう。
その際、冒険者ギルドに護衛依頼を出すのだが、先月の依頼で護衛となった十数人の冒険者の中に、今回浮気男扱いをされていた男性がいたらしい。
「それで妹がちょうど窓から外を見た時にたまたま、本当にたまたまあなたが妹のいた方向に顔を向けたらしくて……」
「まるで何かに導かれるように視線が絡む。ああ! きっとこれは運命なのね! 彼が私の王子様! みたいなかんじ?」
「みたいなかんじだ」
「嘘だろ……」
冗談半分で夢見る乙女風に芝居がかったセリフを口にしてみたら、まさかの正解だったようで思い切り頷かれてしまった。
それ、もう夢見がちというか、そういうの通り越して電波だと思う。
ありえない。と、どこか遠くに視線を向けてしまった冒険者らしい男性の虚ろな声が実に哀れだ。
話を聞いていたギャラリーも、男性に気の毒そうな視線を向けていた。
「ちなみに幼馴染の方はウチの従業員の娘でな。妹の言うことを鵜呑みにした上で余計に暴走させるんだ。悪気は無いんだろうが、あいつらは今までも色々やらかしてたからな。それでも問題にならなかったのは、全部家族友人内で収まることだったからだ。なのに今回は他人様に迷惑をかけたんだ。親父もかなり怒っててな……」
今回の騒動について部下の一人から報告を受けた彼の父親が、すぐに息子であるダミアンを呼びつけて、二人を捕獲しに向かわせた、ということらしい。
「二人とも、罰として他の街にいる親戚の家で謹慎させるそうだ。一緒にするとまた暴走しかねないから別々の街に送るとも言ってたな」
というわけだから、今回のことは水に流してほしい。と再び頭を下げられて、思わず冒険者の男性と顔を見合わせる。
「あー。まあ、二度目が無いようにしてくれりゃあそれで良いよ」
「私は正直、ぼーっと眺めてただけだから、実害はなかったし。気にしてないよ」
「すまない。感謝する」
そろって苦笑しつつも謝罪を受け入れれば、ダミアンは安心したように表情を緩めて、最後にもう一度深く頭を下げてから帰って行った。
「何というか……。大変だったねえ」
見知らぬ女性二人から言いがかりをつけられて散々だった冒険者の男性に声をかけると、改めてこちらを向いた男性は、軽く肩をすくめて笑ってみせた。
「それを言うならアンタの方だろ。俺以上にとばっちりじゃねーか」
「リアル修羅場は中々興味深いものがあったよ。ま、お疲れ様」
「やめてくれ……」
精神的にだいぶ疲れたのか、男性は一言断ってから真奈の隣に座り込む。
手には屋台の店主から「これ飲んで元気だせ」と渡されたジュースを持っているのだが、男性が「だったら助けてくれても良いだろう」と言わんばかりの表情を浮かべていたのが非常に印象的だった。
あれだけいたギャラリーも、騒ぎに決着がついたこともあって、既に人の流れは通常時と変わらぬ状態となっている。
「そういや、まだ自己紹介してなかったな。これも何かの縁だ。俺はテオドール。見てのとおり冒険者だ」
ふと、思い出したように男性が名乗りながら真奈の方へと手を差し出す。
言われてみれば彼の名前を知らないことに気付いたが、そもそも彼が落とした銅貨を拾ってあげただけの関係で自己紹介などする必要は無い。
あのコリンナとデリアの二人娘がいなければ、こうして話すことも無かっただろう。
これが縁だというのなら、実に不思議な縁もあったものである。
「私は真奈。駆け出し冒険者で、兼業で商業ギルドにも登録してるよ。よろしくね」
差し出された手を握り返し、しっかりと握手する。
豆だらけで固い掌は、彼がまじめに武器を修練している証拠だろう。
「へえ。兼業か、何を扱う予定なんだ? 物によっちゃ、贔屓にさせてもらうが」
そのかわりに割引してくれよ。と言わんばかりの視線に笑い、握っていた手を放してヒラリと振る。
「テオドールにはあんまり必要ないんじゃないかな。女性物のアクセサリーだよ、注文してくれれば男性用も受けるけどね」
「何だ。それじゃあしょうがねえな」
「いつか本当の彼女さんが出来たらプレゼント用にどうぞ。テオドールならサービスするよ」
「ほっとけ! 荒くれ扱いの冒険者にそうそう女が出来るかよ!」
男女ともに十五歳で成人扱いのこの世界で、外見的に真奈とそう変わらないだろう年齢の悲しい独り身男性であるテオドールをからかいながら、そういえばこの世界でまともに自己紹介をしあったのは彼が初めてかもしれないという事実に気付く。
決してコミュ障というわけでは無かったはずなのだが、まともに名乗ったのが冒険者ギルドと商業ギルドの受付嬢に対してのみだったというのは、はたしてどうなのか。
いまいち誰にも聞けそうにない内容に、真奈は隣に座るテオドールに気付かれないよう、自分の交友関係について自問自答を繰り返した。
【登場人物】
ダミアン ……商業区にある大店の御曹司。妹と幼馴染の奇行の後始末に翻弄される。能力は高い。
コリンナ ……商業区にある大店のご令嬢。夢見る乙女。基本的には良い子なのだが暴走しやすい。
デリア ……商業区にある大店の従業員の娘。何だか価値観が他とずれている。
テオドール……中央区で出会った冒険者の青年。装備はショートソードと円形盾。身なりは良いので、結構稼げている様子。
とりあえず名前が出てきた四名です。