第一話 女神様の煩悩
見切り発車しました。
よろしくお願いします。
ふわり、と風が頬を撫でる感覚に自然と意識が覚醒した。
目を開けて視界に入ったのは、目が痛くなるような真っ白な空間。そしてこちらを覗き込む、流れる金髪も艶やかな美女の姿だった。
「ああ、気が付いたのね。今自分がどういう状況かわかるかしら?」
「……えーと? いや、わからないです……」
柔らかな笑みを浮かべる美女の言葉に、少し考えてから首を横に振る。
自分の中にある最後の記憶は、通勤中の電車の中で強烈なめまいに襲われたところまでだ。そこで記憶が途絶えているということは意識を失ったか何かしたのだろうが、だとしても今自分がおかれている状況は全く予想できない。
仰向けに寝転んでいた体勢から上半身を起こして辺りをぐるりと見まわしてみるが、目の前の金髪美女以外は全てが真っ白にホワイトアウトしてしまっていて、何があるのか、むしろこの空間がどれくらいの広さなのかも判断できない。
首を傾げる真奈に「そうでしょうね」と頷いた金髪美女は、キラキラとした笑顔を浮かべ、右手を大きく振り上げた。
「貴女は今! 異世界へ転移する資格を手に入れました! さあ、選ばれし乙女よ! 貴女の望みを言いなさい。見知らぬ世界で生き行くために、わたくしが特別に力を差し上げましょう! さあ!」
「うるさい!」
ぱんぱかぱーん! とでも表現すれば良いのか、どこか気の抜ける音楽が流れ色鮮やかな紙吹雪が降ってくる中、やけにテンション高く騒ぎ出した金髪美女に思わず叫ぶ。
手が出なかったのは相手が初対面だからだ。これが仲の良い友人だったら確実に頭の一つも引っ叩いていただろう。
しかし金髪美女はこちらの困惑など気にもせず、グイグイと無駄にキラキラしい顔を近づけてくる。
「遠慮などしなくて良いのですよ! 私は女神! さあ! 貴女の望むものは何ですか?」
「……とりあえず何で私が異世界転移とやらをしないといけないのか説明してくれませんかね?」
異世界転移といえば、ネット小説でお馴染みのアレのことだろうか。
ゲームもラノベも二次創作もそれなりに楽しむ真奈としては、異世界転移や転生ものは好みの部類に入るジャンルだ。
もちろん空想と現実をごっちゃにするような残念な思考は持ち合わせていないが、状況だけ見れば今の真奈は、まさにその異世界転移もののスタート地点とでもいうべき状態にある。
それに、妙なことに「これは現実だ」と真奈自身が確信してしまっている。
だったらこのまま話を続行させた方が良さそうだし、もし夢でも「面白い夢だった」とそれはそれで楽しめるはずだ。
「それはもちろん! わたくしが是非とも異世界チートものを三次元で見たいからです! ……あっ」
「は?」
さてどんな理由があって自分は異世界に転移させられるのか。若干わくわくしながらの問いに、金髪美女こと自称女神様は力いっぱいぶっちゃけてくれた。
「い、いえ。違うのですよ? 別にわたくし、人間達の作る物語とか読んでおりませんし? ほら、ゲームもRPGはそれなりに嗜んでおりますけどパズル系は全くやっておりませんから? あ、あとえっと……」
「……お気に入りのジャンルは何ですか?」
「ジャンルですか? それでしたらやはり異世界を舞台としたハイファンタジーで……。い、いえ何でもなくってよ?」
慌てて取り繕おうとする自称女神様にあえて質問してみると、素直なのか何なのか馬鹿正直に答えてから慌てて否定する。というかパズルゲームをやっていなかったとしてもRPGを嗜んでいると暴露してしまっては言い訳にならないのだが。気づいていないのだろうか。
確かに女神を名乗る存在が人間の生み出した創作の世界にドはまりしているというのは、しょっぱい感じはするが、隠すほどでもないだろう。
あくまで空想と現実をごっちゃにして、無関係の人間を巻き込んで異世界転移ごっこをしなければの話だが。
何だよ。「異世界チートものを三次元で見たかったからです!」って。女神様が煩悩にまみれ過ぎじゃあなかろうか。
とんだ俗物じゃないか。世も末だな。
「……誤魔化せると思います?」
「あうう……」
顔を真っ赤にしてうろたえる女神様にため息をついて、真奈はどうしたものかと腕を組んだ。
△▼△▼
数十分後。
何とか平静を取り戻した女神様を座らせた真奈は、どこから出したのか女神様から手渡された湯呑で温かい緑茶をすすっていた。
「つまりだ。私がここに呼ばれたのは完全に貴女の趣味で、しかも私は元の世界には戻れないから私の意見がどうあれ転移しないといけない。ってことで良いんですかね」
「ええ。そうなりますね」
呑気に頷いた女神様に「お前のせいだろ」と若干イラッとしつつ、怒ったところでどうしようもないと意識を切り替える。
この女神様の犯行動機は「異世界チートものを三次元でみたかたから」であり、それ以外の理由は存在しない。
どうせもう異世界に行くしか選択肢は無いのだから、貰えるものは貰っておくべきだろう。
「じゃあもう異世界転移自体は受け入れるしかないとして、チートって何を貰えるんですか?」
「そうですね……。本当は貴女が頼んできたものを与える形にしようと思ったのですが、わたくしの真意もばれてしまったことですし、このまま趣味に突っ走らせてもらおうかしら」
もらおうかしら。と言いつつ、既にウキウキとポップアップウィンドウを操作し始めた女神様は、しばらくしてから納得したのか満足気にポップアップウィンドウを私の前に移動させた。
「これから貴女が行く世界にはレベルやステイタスという概念は存在しませんが、敵を倒せば倒すだけ強くなっていくことは常識とされています。どちらかと言えばスキル制だと思ってくだされば結構よ。まあ現地人にはスキルの概念もないのだけれど」
ポップアップウィンドウを指で示しながら女神様が説明してくれた内容をまとめると次のようになる。
スキルは大きく分けて三種類。戦闘系スキル、生産系スキル、生活系スキルがあり、それぞれ無数に存在している。スキルを使用したいときは宣言するか頭の中で念じれば良いとのことだ。
アイテム類は種類ごとに分かれてアイテムボックスの中に収められており、初期ボーナスとして一か月分の生活費銀貨二十枚と各種大量の装備、生産材料などが用意されている。ちなみに銅貨一枚で百円ほどになり、十枚で大銅貨になる。大銅貨の上が銀貨、その上が大銀貨ときて、金貨、大金貨、白金貨と続く。よって銀貨二十枚は日本円に換算すると二十万円というところだ。
私自身の身体能力などについても強化されていて、スキルを使わずとも中級冒険者程度なら簡単にあしらえるらしい。
「転移地点は大陸の西、トリフォリウム王国の王都から馬車で十日ほどの位置の森の中に建つ小屋の中です。出身地に関してはその森で祖父と暮らしていたということにしてくださいな」
「祖父いないけど。会わせろって言われた場合は?」
「すでに他界し、それをきっかけに王都に出てきたことにしましょう。小屋は本当にただの小屋ですからさっさと移動することをお勧めすますわ」
ポンポン設定を考え付く女神様に、なるほどさすがに想像力が豊かだなと感心して、真奈はその場で立ち上がる。
「それじゃあ貰うものも貰ったことだし、そろそろ行った方が良いですかね?」
「ええ。異世界で、スキルを駆使して生きてくださいね。楽しみにしておりますから」
うふふ。というかムフフと笑う残念女神様に苦笑して、真奈はここに来たとき同様、ぷつりと意識を途切れさせた。