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反忠臣蔵(表裏一体版)

作者: 神田川一

赤穂浪人の討ち入りは、義挙ではない!  正義は吉良にあり!

   序章

「喰らえっ!」

 上段からの斬り下ろしがきた。

 それを左に払って、ガラ空きになった首筋へ小太刀を一閃させる。

 瞬間、敵の首筋から勢い良く鮮血が噴き出す。

「貴様ッ!」

 間を置かず、二人目の敵が斬りかかってくる。

 右からの薙ぎを小太刀で受け止め、ほぼ同時に、左背足で敵の股間を蹴り上げる。

「がぁっ!」

 怯んだ敵に、左拳を顔面へ叩き込む。鼻血が出た。

 止めに、首筋を小太刀でスパッ! またも、鮮血が噴き出した。

「おのれっ!」

 三人目が、袈裟がけに斬りつけてくる。

 それを受け流して、右首筋をビュッ! と薙ぐ。これまた、鮮血が噴き出した。

「全く。赤穂の田舎侍どもが、逆恨みしやがって」

 戦闘終了。オレは懐紙で愛刀を丁寧に拭い、鞘に納める。

 ――オレの名は、山吉新一郎。三十石五人扶持。吉良家小姓。

 当然、赤穂の浪人とは仲が悪い。というより、犬猿の仲だ。

 というのも、播磨国赤穂藩の三代目藩主・浅野内匠頭が乱心して殿中で高家筆頭・吉良上野介様に斬りかかり、赤穂藩がお家断絶となったためだ。

 そういうのを、逆ギレという。吉良家としては、迷惑千万である。

 今回の斬り合いも、オレが吉良家の家人というだけで、いきなり元赤穂藩士という三人組から斬りつけられたのだ。

 全く。食い詰め浪人というのは、たちが悪い。

 要は難癖を付けてオレを斬り殺し、懐の金子をせしめようとしたのだ。仇討ち云々というのは、ただの方便に過ぎない。

 今回の斬り合いで、愛刀である無銘の小太刀がわずかに刃毀れしてしまった。後で、研ぎに出しておかねば。

 今斬った三人の刀を売り払って、研ぎ代に替えるとしよう。

 天下泰平の元禄の江戸で、斬り合いなんてそうそうない。オレほど、刀を何度も研ぎに出している人間も珍しいだろう。

 おかげで、研ぎ屋とはすっかり顔馴染みになってしまった。正直、安月給の身には堪える。

 まあ。斬れば斬るほど、剣の腕は上がるのだが。

 今の世でオレほど人を斬った人間は、高田馬場の決闘で勇名をはせた、堀部安兵衛くらいのものではなかろうか。

 ああだこうだと考えている間に、両手には三組の大小(本差と脇差)。少し重い。

 辺りが暗くなり始めている。どこからか、烏の鳴き声が聞こえた。

 オレは溜め息を吐きながら、本所松坂町にある吉良邸に向けて歩き出した。


   清水一学

 生類憐れみの令。

 五代目将軍の徳川綱吉が定めた天下の悪法で、それがために、今の江戸では野良犬に噛み殺される人間が多い。

 それでも、江戸の住人は犬と関わり合いになりたくないので、噛み殺されても病死として届けを出している。世も末とは、このことだ。

 赤穂の浪人どもも、どうせ噛みつくなら吉良家ではなく、お家断絶という裁きを下した幕府に噛みつけばいいのに。結局、野良犬は噛みつき易いほうに噛みつく、ということか。

「って、おい。聞いてんのかよ、一学」

 元禄十四年(一七〇二年)九月の夜。オレは吉良邸内の一室であぐらをかいて冷酒を飲みつつ、同僚の清水一学と話をしていた。

 ――清水一学。オレと同じく、吉良家の小姓。二刀流の使い手で、江戸でも屈指の強者。

 吉良家の中でオレとまともに斬り合えるとしたら、この一学くらいのものだろう。長身で、ちょい美形ヅラ。

「だいたい、アホだろ内匠頭は。小刀で殺るなら、突くだろ普通。それを斬りつけるとかよぉ」

 グイ、とオレは冷酒をあおる。

「それに。赤穂藩が断絶した時、百姓は重税から開放されて、餅ついて祝ったそうじゃねーか」

「らしいな」

 一学もちびりと、冷酒をあおった。

「それ考えりゃ、上野介様は感謝されてもいいぐらいだろ。それなのに、呉服橋から本所へ屋敷替えなんて。怪我までさせられてんのに」

 内匠頭からいきなり斬りつけられ、背中と額に刀傷が一つずつ。

 加えて。呉服橋の屋敷はまだ、新築三年だったのに。

「お前の憤りは分かるが、まあ落ち着け」

 一学も、不満は感じているだろうに。常に冷静な男である。

 そんなところがまた、オレを苛つかせる。自然と、深い溜め息が漏れた。

「そんなに溜め息ばかり吐いていると、ツキが落ちるぞ」

「余計なお世話だ」

 オレは再び、冷酒をあおった。クソッ、不味い! 憂さ晴らしにもならない。

「そもそも、殿中で刀抜くとか有りえねーだろ。そんな真似したら、切腹とお家断絶が確定なのによ」

 それがために、赤穂藩士は路頭に迷うハメに陥ったのだ。

「内匠頭の親戚も刃傷沙汰をやらかして、お家断絶になってるらしいな」

「ああ、内藤家か。全く、迷惑な血筋だよ。キチガイってのは、伝染うつるのかねェ」

 だから、主君がキチガイなら、家臣もキチガイになるのか?

「だいたい、内匠頭と言えば、短気とケチと女狂いで有名だったヤツだろが。そんな暗君の仇討ちやろうってヤツらの、気が知れんぜ」

「まあ。食い詰め浪人ってのは、得てしてヤケクソになり易いものだからな」

 今の世で、武士が浪人に成り果てるのは単なる失業とは違う。なぜなら、浪人は肉体労働に従事してはならない。バレたら、罪人となって牢屋行き。

 つまり浪人になるのは、極貧生活確定と同義なのだ。

 馬鹿な上司を持って、悲惨な境遇に陥っているという一点においては、赤穂浪人に同情しなくもないが……。

「けど。ヤケクソになるのは勝手だが、巻き込まれるこっちは堪ったもんじゃねェだろ。逆恨みで仇討ちとか言ってないで、真面目に就活でもしてろってんだ」

 冷酒が切れた。オレは襖を開け、下男に追加を命じた。

「特に、堀部安兵衛だよ。あいつなんて高田馬場の有名人なんだから、仕官先なんて、よりどりみどりだろうが。たとえば、溝口家とかよ」

 ――堀部安兵衛。馬庭念流と堀内道場の免許皆伝で、元赤穂藩士の中で最強の剣士。そして今では、江戸急進派の首魁。

「確かにな。高田郡兵衛とかは、脱盟したらしいし」

 ――高田郡兵衛。宝蔵院流高田派の槍の名手で、『槍の郡兵衛』と言われた元赤穂藩士きっての武闘派。

 その郡兵衛は、堀部安兵衛らと同じく仇討ち主張の急先鋒の一人だったが、伯父から説得されてやむなく他家に仕官すると聞く。

「それがまともな思考だよ。バカ殿の仇討ちやろうってほうが、よほど異常だ。他のヤツらも、槍の郡兵衛を見倣えってんだ」

「まあ、そうだな」

 一学は頷き、それからオレの腰に視線を落とした。

「それより新一。お前、小太刀代えたら? それ、無銘だろ?」

「いいんだよ。オレはコレ、気に入ってんだから」

 オレは左手で、腰の小太刀を軽く叩いた。

「お前の刀は、相州広正だったっけか? けど、銘が入ってりゃいいってもんでもないだろ。それよりも問題なのは、手に馴染むかどうかだよ」

「まあ、『鉄壁』と呼ばれてるお前の腕前は、オレも認めてるけどさ」

 ――鉄壁。小太刀は普通の刀よりも、刀身が短い。そのために軽量で小回りが利き、『盾として使える刀』とも呼ばれる。

 その小太刀を自在に使いこなすことから付いたオレのあだ名が、鉄壁だ。

 ただ、オレの剣はある意味邪道だ。道場剣法とは違い、殴るし蹴るし、頭突きもかます。

 最初の構えこそ基本通り、小太刀を右手に半身に構えるが、後はまあノリで戦う。

 一応、富田流の目録免許はもらい、神陰流をかじってもいるが、型破りも甚だしい。型など無視して、勝つためなら何でもやる。それが、オレの戦い方だ。

 しかしオレは、邪道も極めれば正道になると思っている。実際、オレは道場破りを何度もしているが、ただの一度も敗れたことはない。

 邪道というなら、一学の剣もある意味では邪道だ。二刀流なのだから。だが強い。

 そんな邪道同士だからか、オレと一学は妙に馬が合った。それとも、正邪は関係なく、強者同士の共感ゆえか。

「とにかく。禄もくれねー死んだバカ殿のために、仇討ちも何もねーだろって話だ。だいたい、ヤツらの活動資金は、どっから出てんだよ?」

 下男が入ってきた。冷酒を受け取り、手酌であおる。

「腹黒の大石内蔵助が、筆頭家老だった時に、裏金でも作ってたんじゃねーのか」

「それは有り得るな」

「だろぉ? だいたい赤穂の田舎侍どもは、やることがイチイチ汚ェんだよ」

 一学の同意に気を良くして、オレはさらに冷酒をあおる。

「飲み過ぎだ。もう止めとけ。今夜に襲撃があったら、どうする気だ。ここの屋敷は呉服橋の屋敷より、守り難いんだぞ」

 確かにそうだ。加えて邸内には、オレと一学しか手練がいない。

 吉良家は高家。その格式高い家柄が邪魔をして、家臣に剣客は数少ない。

 オレは冷酒を飲み干して、立ち上がる。

「そうだな。じゃ、オレはもう寝る。それじゃーな」

 オレは背を向けてヒラヒラと手を振りつつ、襖を開けて部屋を出た。


   堀部安兵衛

 元禄十五年(一七〇三年)十二月十四日、深夜。

「ハッ! さすが!!」

 オレは堀部安兵衛と斬り合いながら、その強さに痺れていた。今どきこれほどの獲物には、滅多にお目にかかれない。

「ただあんたの悲劇は、主君に恵まれなかったことだな!」

 二ノ太刀、三ノ太刀。鋭い! オレは退がりつつ、堀部の剣戟をかろうじて弾く。

 やはり強い。小太刀を持ったオレの鉄壁の防御を、ここまで撃ち崩してくるとは。

「亡き殿を悪く言うなッ!」

 怒声がきて、堀部の剣速が増した。

「ただのアホだろ、内匠頭は」

 会話も武器になる。もっと挑発して、冷静さを失わさせてやる。

「愚弄は許さん!!」

 問答無用とばかりに、堀部は刀を振り回してくる。それでいて、動作に無駄がない。正確に急所を狙ってくる。

「お前らは仇討ちを建前に、刀を振り回したいだけだろが」

 オレは大きく後ろへ退がって、距離を取る。

「違う! 大義のためだ!!」

 堀部は容赦なく、距離を詰めてきた。クソ! 追い足も速い。

「卑怯な闇討ちのどこに、大義があるってんだよ! 寝言は寝てから言え!」

 雪の積もったクソ寒い日に、夜襲なんて仕掛けてきやがって。

 しかも、火消し装束に身を包んだ上に、「火事だ!」と叫んで完全武装で殴り込んできやがった。卑劣な真似を。

「亡き主君の仇を討って、何が悪い!」

「逆恨みだろが! だいたい、仇討ちってのは親族がやるもんだろ。元家来が勝手にやるな!」

 オレは堀部の太刀を捌いて、反撃に転じる。ようやく、太刀筋が読めるようになってきた。

 基本に忠実すぎるのも、考えものだ。おかげで、太刀筋が読み易い。

 しかも、頭に血が昇っているためか、堀部の攻めは徐々に単調になってきている。さすが、内匠頭信者。短気だ。

「内匠頭が死んだのは、自業自得だ! 責任転嫁するな!」

 上段からの斬り下ろしを弾き、左の貫き手で目を狙う。

「そういうのを、逆ギレってんだ!」

「悪いのは上野介だッ!」

 貫き手が、屈んでかわされた。そのまま踏み込んで、胴を薙いでくる。

「主君がキチガイなら、家臣もキチガイってか!」

 ガッ! 体重の乗った重い一撃を、小太刀で受け止める。一進一退の攻防。ここまで勝負は、まったくの互角。

 やはり、話すだけ無駄か。だったら後はもう、どっちが強いかのみ。勝てば官軍負ければ賊軍、というわけだ。

「隠居した老人を闇討ちすることに、どんな正義がある!」

 距離を詰めて薙ぐ。退がってかわされた。

「テメェらは、かっこいい死に場所を求めてるだけだろが!」

 反撃がきた。袈裟斬り。横に跳んでかわし、喉を狙って突く。

「それの何が悪い!」

 刀で弾かれた。首を狙って薙いでくる。

「ハッ! やっぱりそれが本音か!」

 跳び退すさってかわす。

 ヤベェ! こんな時に不謹慎かもしれないが、この斬り合いが楽しくて仕方がない。

「だったら大義だの何だの、ゴチャゴチャ言うんじゃねェ! 興醒めなんだよ!」

 戦いたいから戦う、それでいいじゃねェか。それ以外のものはすべて、不純物だ。

 再度、堀部が詰めてきた。

 良し! ここで仕掛ける!

 オレは素速く懐に左手を入れると、苦無を掴んで投げた。

「なに!?」

 堀部は横っ跳びにかわしたが、大きく体勢を崩した。よほど、意表をつかれたらしい。

 もらった! 踏み込む。

 首筋を狙って薙ぐ。刀で防がれた。が、詰んだ!

 左手で懐から抜いていた合口で、脇腹を突き刺す。基本にはない、オレの奥の手だ。

「グッ!」

 堀部が苦痛に表情を歪ませる。だが、鎖帷子に阻まれて突きが浅い。内臓まで、刃が届いていない。

 止めに、もう一撃加えねば!

 ズガッ! その時後ろから、背中を何者かに棒か何かで殴られた。乱戦の中、一対一の勝負に気を取られ過ぎていた。

 ガッ! 間髪入れず、今度は頭に一撃を喰らった。

 しまっ――!

 そう思った時には、不覚にも意識が飛んでいた。


   高田郡兵衛

 吉良邸が赤穂浪人の襲撃を受けてから数日後、夕刻の高田馬場。少し前から、小雨が降っている。

 待つこと四半刻(約三十分)。ようやく、待ち人がやって来た。

「どうやら、手紙は読んでもらえたようだな」

「山吉新一郎、とかいったな。吉良家の家臣が、いったいオレに何の用だ?」

 相手はやや、喧嘩腰だ。無理もないが。

「そんなに、警戒しなくても。赤穂浪人が上野介様の首を獲った今、オレらがいがみ合う理由もないだろ?」

「それは……。いや、そう簡単に割り切れるもんじゃない」

「そうかい。まあ、そういったしがらみは、横に置いておくとして」

 オレは単刀直入に、本題を切り出す。

「オレと立ち合え」

 少し、間があった。

「それこそ、理由は?」

「先日の斬り合いでは、不完全燃焼だったからだ。堀部と殺り合ったはいいが、途中で邪魔が入っちまったんでな」

 オレは、肩を竦めて見せる。

「へぇ」

 高田の眼が、妖しく光った。

「安兵衛と斬り合って生きてるなんて、あんた強いんだな」

「それなりには。だから『槍の群兵衛』とやれば、完全燃焼できるかと思ってね」

 オレは、唇の端を歪めて笑った。

 ――高田郡兵衛は槍の達人であり、堀部安兵衛の親友でもある。槍を持たせれば、堀部より強いとも聞く。

「どうせあんたも殴り込みに参加できなくて、ムシャクシャしてんだろ?」

 現在。討ち入りに参加しなかった赤穂浪人への、世間の風当たりは相当に厳しい。

「不忠者」だとか「臆病者」などと、罵声を浴びせられる。

 外野が随分と勝手な言い草だが、後ろ指をさされて気分のいい人間はいまい。

 特に高田は、武勇で知られた人間。風当たりは人一倍強いはず。

 高田が泉岳寺に祝い酒を持っていったら、罵声を受けて追い返されたとまで聞く。他家への仕官話も、流れただろう。悲惨な話だ。

「面白ぇ。オレに死に場所を用意してくれるってか?」

「さあね」

 オレは肩を竦めて、大きく息を吐く。

「ただ、追い腹切るぐらいなら、斬り死にしたほうがマシだろ? 刀槍に生きる人間としてはさ」

 強者つわものに、世間の悪評に耐えかねての自害なんて似合わない。斬り死にこそが相応しい。

「意外だな。吉良の家来に、あんたみたいな漢がいたなんてな」

 高田の眼光が、さらに増した。興奮気味だ。

 血のたぎりを、抑えきれないように見える。まあ、それはオレも同じだが。

「本当はもう一人、いたんだけどな。襲撃があった夜に、斬り死にしたよ」

 ――清水一学。オレの親友だった男だ。

「じゃあ、そろそろ」

 オレは小太刀に手をかけ、

「ああ、やろうぜ」

 高田は槍の鞘に手をかけた。

 バッ! 同時に獲物を抜き、構えを取る。

「その構え。お前が強いのは分かるけど、刀で槍に勝てるかよ」

 高田は槍を右前半身構えに。オレも小太刀を右手に、半身に構えている。

「そりゃ、やってみなけりゃ分からんだろ」

「そうだなっ!」

 高田が先制の突きを入れてきた。オレは小太刀で捌く。

 ――いいね。オレはこういう単純で愚直な男が、嫌いではない。

 数回の牽制の突きの後、高田は本気の突きを入れてくる。

 その連続突きの速さが、徐々に増してきた。マズイ。このままでは、捌ききれなくなる。

 さすが槍。兵器の王の名は、伊達ではない。

 ましてやその使い手が、『槍の群兵衛』といわれた男なのだから、なおさら手に負えない。

 分かっていたことだが。獲物の長さが違いすぎる。

 懐に入らなければ、オレに勝ち目はない。

 顔、喉、脇腹。穂先が的確に急所を狙ってくる。しかも速い! 鋭い!

 ピッ! 鉄壁の防御の間隙をついて、穂先が頬を掠めた。出血。

 ヤバイ! 動きが読めない。癖が分からない。防戦で手一杯だ。

 ここは一旦、距離を取っ――ズルッ!

「しまった!」

 退がろうとしたら、ぬかるみに足を取られた。

「もらったぁ!!」

 高田が全力で、喉に突きを入れてくる。

 ――かかったな。

 わざと隙を見せたら、やはり全力で急所を突いてきた。

 この必殺の一撃を待っていた。

 ガッ! 全力。小太刀で槍の軌道を逸らす。

 高田の顔に、困惑の色が浮かんだ。今ので確実にったと、確信していたのだろう。

 ここだ!

 オレは素速く懐に左手を入れると、苦無を掴んで投げた。

「な!?」

 高田は咄嗟に屈んでかわしたが、大きく体勢を崩した。完全に、想定外だったらしい。

 同時に。ピタリと、槍の柄に小太刀をつけた。

 そのまま小太刀を滑らせて、一気に間合いを詰める。

 その時にはすでに、オレは左手で懐から合口を抜いていた。

「ちぃっ!」

 高田は迷わず槍を手放し、腰の刀に手をかけた。

 いい判断だ。が、オレのほうがわずかに速い!

「がぁっ!」

 合口が、高田の右肩を貫いた。勝負ありだ。

 高田はドスン、と腰を下ろした。どこか、満足気な表情に見える。

「オレの負けだ。殺せ」

 潔いことだ。武士道とは死ぬことと見つけたり、か? だが、

「断る」

 オレは即答し、懐紙で二刀を拭って鞘に納める。それから、懐から紙を取り出した。

「代わりに、これを受け取ってくれ。完全燃焼させてくれた礼だ」

「何だよ、それ?」

 怪訝そうな表情で、高田は受け取る。

「上杉家への、推薦状だ。気が向いたら、仕官するといい」

「な!? それはいったい、どういうつもりだ?」

 声に怒気が混じっている。怒らせたらしい。まあ、気持ちは分からなくもないが。

「情けをかける気か!?」

「いいや、違う」

 首を横に振る。

「だから、礼だよ礼。生命いのちを燃やさせてくれた礼だ。あんたならこの感覚、分かるだろ?」

 刀槍に生きる者のみが持つ、その感覚が。高揚感が。

「それに、オレは強者が好きでね」

 一応。オレも上杉家では、赤穂浪人相手に勇戦した強者、ということで通っている。だから、顔がきく。

 しかも、上杉家は外様ながら謙信公を祖とする、全国でも屈指の武闘派大名。高田とは相性がいいだろう。

「そもそもが、だ。乱心したバカ殿のために殉死なんて、下らないだろ」

 殉死を望む、堀部たちには悪いが。正直、理解に苦しむ。

 オレは肩を竦め、苦笑して見せた。

「今後は山吉弥次郎兵衛と名乗って、別人として生きていくといい」

 オレの遠縁ということにしておいたほうが、上杉家では都合がいいだろう。推薦状にも、そう書いておいたし。

「じゃ、完全燃焼できてこっちの用は済んだから。あんたも、満足できただろ?」

 表情から察するに。高田にも不満はないはず。

「後は好きにするといい。じゃあ、縁があったらまた会おう」

 オレは背を向けてヒラヒラと手を振りつつ、その場を立ち去った。


   終章

 吉良邸が赤穂浪人の襲撃に遭ってから、数年後――

「主君を守るために命がけで戦ったお主らこそ、まことの忠臣というべきであろう」

 とある一室。目の前で座している人物は、そう言って誉めてくれた。

 襲撃を受けた夜に斬り死にした一学たちも、今の言葉を喜んでくれているだろうか。

「そう言っていただけるのは、ありがたいのですが」

 オレは溜め息を吐いた。あの夜に気絶させられた自分は、未だに生き恥を晒してしまっている。

「吉良家は改易となった上に、主君である左兵衛様(上野介の嫡子)は、諏訪にて病死されてしまいました」

 赤穂浪人たちの目標はあくまで上野介様の首だったので、自分のように傷を負わされても、止めをさされなかった者は数多くいた。左兵衛様も、そのうちの一人だ。

 ただ、赤穂側には一人の死者も出ていない。そういう意味では、一方的な殺戮だったと言える。

 だが、今でも江戸では、赤穂浪人の討ち入りを持て囃しているという。あんな暴挙を、義挙だと。

「別に、お主のせいではあるまい。気にするな」

 そう言われても、気休めにしか聞こえなかった。

「結局、負ければ賊軍です。関ヶ原で負けた、西軍みたいな気分ですよ」

「お主は上杉が西軍だったことを知っていて、言っておるのか?」

「あ」

 片手で口を抑える。

「これは失礼致しました、色部様」

 ――上杉家江戸家老、色部安長様。一六六六石取り。知略と寛大さを併せ持つ人物と聞く。

「構わぬ。そんな上杉家だからこそ、お主の気持ちも分かるというもの」

 色部様は、大きく頷かれた。

「左兵衛様も亡くなられた。これからは、上杉家に仕えるが良い。父と息子のために奮戦してくれたお主のことは、亡き殿も評価しておられた。もちろん、今の殿も」

 ――出羽国米沢藩の藩主である上杉綱憲様は、上野介様の実子であり、左兵衛様の父でもある。

 上杉家は外様ではあるが、謙信公を祖とするだけあって、未だに大名の中でも指折りの武闘派だ。

 そんな上杉家の藩主が実の父親を助けなかったため、江戸市中では上杉家までが悪く言われていた。

 その心痛からか、綱憲様は討ち入り後二年と経たずに病死。現在はその子、吉憲様が藩主である。

「ただ、禄は五石三人扶持となるが」

 色部様は、申し訳なさそうに言った。

 末期養子による相続の代償として、三十万石から十五万石への減封。にもかかわらず、家臣を切り捨てない。上杉家の財政は、逼迫しているのだろう。

「充分です」

 短く答え、頭を下げた。どうせ、運良く拾った命だ。贅沢は言うまい。

 しかし、あれだ。赤穂浪人たちが未だに世間でチヤホヤされているというのは、やはり面白くない。

 あの夜。オレの顔にもいつの間にか、一生消えない刀傷がつけられていた。まあ、名誉の負傷ではあるが。

 何が忠義だ、何が義挙だ。あんなのは逆ギレした食い詰め浪人どもが起こした、ただの暴挙だ。

 世間の人間は、好き勝手なことを言う。娯楽に飢えてるだけの連中が。本当は討ち入りを予想もしていなければ、期待もしていなかった癖に。

 けどまぁ、いいか。雀がなにをさえずろうが、オレには関係ない。

 オレは内心で苦笑し、唇の端を歪めた。


毎年のようにテレビで『忠臣蔵』を放送するな!

『ラスト・ナイツ』も駄目!

吉良とその子孫が気の毒だヽ(`Д´)ノ

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