プロローグ
びゅうびゅう吹き荒ぶ吹雪を、暖かい部屋から窓越しに眺める女性がいた。
髪はナチュラルブロンドで、真紅のドレスを身に纏った姿は高貴な貴族を想起させる。
「はぁ……つまらぬ」
ため息一つで絵になるような仕草だが、表情は本当につまらなそうな顔をしていた。
彼女がいる部屋はおよそ一人でいるには勿体ないほど広い。元はパーティー会場として使われていたであろう、広々とした空間。その中央に椅子を立て掛け、腰を下ろしている女性が、この城主であり、三大ギルド――『リベラシオン・エグリース』のギルドマスター『エレアノール・ファラルド』である。
ギルドというパーティの上位形式が導入されたのは、先日行われた第三アップデートからだ。
しかし、アップデートから一ヶ月も経っていないうちから三大ギルドとまで言われるのは、以前からギルドのようなものが出来ていたからだ。
パーティの定義は、二人以上六人以下のプレイヤーで構成された集団のことだ。
そして今回から導入されたギルドの定義は、二パーティ以上で上限はない。なので、最低四人いれば、ギルドという形式をとることができる。
ギルドのメリットは、ギルドマスターを中心とし、ギルドメンバーに特定の効果を付与されることだ。
その効果は様々で、クエストで入手し、ギルドホームに設置することでギルド全体に効果が付与されるのだ。
そのため、一人のプレイヤーにつき一つのギルドにしか所属できないという制約がある。
現在、三大ギルドと言われているのは、『ザ・ファミリー』、『シルバーナイツ』、『リベラシオン・エグリース』、この三つである。
その中でも『ザ・ファミリー』は他のギルドより群を抜いて構成員が多い。そして、その名の通り家族を重んじるギルドである。ギルドメンバーは家族、そしてその家族を守るために活動する、という触れ込みだ。
『シルバーナイツ』は例えるなら、騎士団である。統率の取れた一糸乱れぬ集団戦術は、大きなクエストで最小の犠牲で済ませる生存率の高いギルドである。
『リベラシオン・エグリース』は最近できた急成長中の宗教ギルドだ。現在のギルド構成員数は『ザ・ファミリー』に次ぐ第二位である。ギルドマスターを現人神とし、北端の雪原を居城とする謎の多いギルドという噂が流れている。噂では、そこのギルドメンバーはギルドに奉公し、忠誠を示せばギルドマスターによりログアウトすることができる、などと言われている。
これらのギルドは今は対立しておらず、不干渉を保っている。
その現人神がため息をつく様はギルドメンバーには見せられないだろう。
今現在この部屋にはエレアノールしかおらず、城の中の人はほとんど寝静まっている。今起きているのは明日の朝食の準備をする給仕係と数人の警備隊のみだ。
「変化のない日常。退屈な毎日。何か面白いことはないかしら」
そんなことを呟くエレアノールは、日を跨いでも眠気が来なくて困っていた。
彼女は時折、寝付けない時はこうやって吹雪を眺めていた。それは故郷にもよく似た景色があったからだ。軽いホームシックが度々ある。
部屋にはあまり物を置かない性格のエレアノールは、この広大な部屋を持て余していた。この部屋にあるのはキングサイズの天蓋付きベッドとウォークインクローゼット、小物入れの棚が一つ、そして壁一面の本棚。これでもかなりの空間が空いている。
この隙間が彼女の心を寂しくし、懐郷病を引き起こすのではないだろうか。
『では、貴女に最高のエンターテインメントを提供しよう』
この時のエレアノールは、日本の諺の「壁に耳あり障子に目あり」を頭に思い浮かべるほどに冷静だった。本当に誰がどこで聞いているか分かったものではない。
声の主は背後からだった。しかし急に振り向くような真似はしない。どこまでもお淑やかで、ゆっくりと腰を上げ振り向く。
「まあ、随分と稀有な方ですこと」
彼女が驚くのも無理はない。目の前には、先が二つに分かれたとんがり帽子を被り、顔は三日月型の目と口をくり抜いた仮面、黄色の軽装鎧、白く細い手足の人物が立っている。
一目で不審者だとわかる姿だ。
「どうやって入ったか、と聞いてもよろしいかしら」
目の前の不審者を前に気丈に振る舞うエレアノール。
不審者――道化は仮面の奥から紅玉の瞳を輝かせ、エレアノールを見つめ、やがて口を開いた。
『ああ、答えよう。君にはそれを聞く権利がある。ボクは正面から入った』
事も無げにそう言った。
エレアノールも目の前の人物がただ者ではないことは察していた。しかし、正面から、それも返り血一つ付けず騒ぎも起こさずここまで来たことには放心せずにはいられない。
この城には警備隊というものがいる。
役目は城内の秩序を保ち、城主を守ることだ。それがこの不審者を通すことなど普通はありえない。
エレアノールは聞かずとも扉の外にいる警備隊がどうなっているのか、予想することは難くなかった。
『正面から入り、二人殺し、階段を登り、三人殺し、廊下を歩いて、一人殺し、そこの扉の前で二人殺し、扉を透過してここまで来た』
狂気じみた突入方法にエレアノールの背筋が凍ったような感覚を覚えた。
それでも、彼女は気丈に、威圧的に構えた。
「それで、今度は私ですか……」
諦観の入った声音に、道化は首を横に振った。
『いいや、ボクは君に会うためにここまで来たんだ』
「そうですか。では、どのようなご用事で?」
殺しに来た訳では無いことが分かっても、生きた心地のしない空間には変わらなかった。
エレアノールは何としてもこの賊を仕留めなければいけないと思い、助けが来るまで引き止める決心をする。
『貴女にある人達を殺してほしい。その人物はもうじきこの城にやって来る者だ』
「殺しなら、貴方の方が得意ではありませんの」
言外に「私のギルドメンバーを殺したように」という意味を込めて返す。
『ボクが殺してはいけない。この世界の住民である君たちに殺してもらわなければいけないんだ』
全く要領の掴めない会話に次第にエレアノールは苛立ちを覚えていた。
「依頼をするのであればまず、己を明かすのが筋ではないのですか」
得体の知れない人物から突然人を殺せとは不粋にも程がある。
『そうだったね。まだ名乗っていなかった。ボクは道化。このゲームのAIでありゲームマスターだ』
淡々と述べられる真実にエレアノールは、今日何度目と分からない驚きを覚えた。
「容姿だけでなく、素性まで稀有なことですのね。では、私も。私は――」
『エレアノール・ファラルド。ギルド「リベラシオン・エグリース」のギルドマスターであり、独弾保持者。フレンドは一人、あまり人を信じられない性格のようだ』
エレアノールのセリフを道化が余すことなく、余分な情報も踏まえ他己紹介した。
「貴方、一体何者ですの……」
名前は、理解できる。ギルドマスターというのも、理解できる。しかし、独弾のこととフレンドの人数は誰も知らないはずだ。
道化の言うようにエレアノールは他人を信じることが難しい部類の人間だ。だから自分から何か情報をばら撒くようなことはしていない。
『だから、ゲームマスターだ。プレイヤーのことは何でも知っている。IDから辿れば出身地、趣味、人間関係、住所まで分かるとも』
「気味の悪い方ですね」
侮蔑を込めた視線を向けるが、道化には分かっていた。その中に僅かに恐怖が混じっていることを。
本心ではすぐに逃げ出してしまいたい、だがギルドマスターとしての責任との板挟みで動けず、こうしてもがく事しかできない。
『先程の依頼はクエストとして発注させてもらう。もちろん報酬も渡そう。君の《独弾》なら簡単だろう?』
「へぇ、私の《独弾》が何なのか知っているんですのね」
エレアノールはやや挑発気味に返した。
彼女は目の前の人物がゲームマスターであることを忘れた訳ではない。どんな《独弾》を持っているのか、それを知っていることが問題なのではないのだ。
それを"どうやって"使ってきたのか、それを道化がデータベースには載らない情報として認知していることに反応したのだ。
エレアノールの《独弾》は能力面では決して強い部類ではない。それを大ギルドの核にまで昇華させたのはひとえにエレアノールとその友人のアイデアである。
そしてその情報は最高機密として他人に言うことは無い。
『ボクはゲームマスターだ。プレイヤー一人に焦点を絞り、そのログを見ることくらい造作もないさ』
「つまり貴方の前ではプライバシーもあったものではないですのね」
苦笑混じりにそう吐き捨てた。
『プライバシーは守るさ。キミが風呂の時、身体のどこから洗うとかまでは見ないよ』
「ただの変態じゃないですの!」
エレアノールは、もう自分が何に怒っていいのか分からなくなってきていた。
道化と長々と喋っていると、外からドタドタドタと足音が聞こえ始めた。
(ようやく来たようね)
エレアノールの予感通り、足音はこの城の警備兵たちのものだ。
『おや、もう時間切れか』
「これでもう貴方は逃げられませんわよ」
『ここの全員を殺しては脱走もいいが、これはキミに対する貸しとしよう。クエストは発注しておくよ。その人物は近いうちにこの城を訪れるだろう。そしてキミのギルドに災いをもたらす』
それだけを言い残して、道化は霞のようにその場で消えた。一切の痕跡を残さず。
その一瞬遅れてドアが盛大に開け放たれた。
「エレアノール様!ご無事ですか!?」
現れたのはメイド服の女性一人と、五、六人の警備隊だった。最初に声を上げたのはメイド服の女性だ。
「ええ、大丈夫よ。城内の警備隊の補充を募集なさい。街は……セーフティシティでいいかしら」
「いったい……どうなされたのですか?」
警備隊の一人がそう呟く。扉の外には大きな穴が穿たれた鎧と護衛用の槍。しかしその装備者は存在していない。つまり殺されたのだ。何かがあったことには間違いない。
「ちょっと無礼な客が来ただけよ。そこの装備は廃棄しなさい。そしたら今日のところはもう戻っていいわ。私も明日――いえ、もう今日ね。儀式の準備をするので休みます」
そう告げてエレアノールはくるりと振り返る。
警備隊は誰も異を唱えず鎧の回収へと移った。
部屋の中央に佇むエレアノールにメイド服の女性が近寄る。
「本当に何があったの、エリー」
エリーと呼ぶ彼女はこのギルドでナンバー2の立場を持つ、ギルドマスターに次ぐ権力者だ。名を奈瀬莉音という。そしてエレアノールと初期から共にしていたかけがえのない友人でもある。
「もうすぐ面白いことが起こるわ」
ふふふ、とその妖艶な唇を震わせ笑う。
莉音は訝しげな表情で友人を見るのだった。
外はなおも吹雪が続いているが、太陽の光が差し込み、朝の到来を告げていた。
この3章では大きな組織の中で動くことになります。そのため、周囲の環境も変わり、新キャラも続々と登場します。
次話の後書きから新キャラの公開可能な情報内でプロフィールを書こうと思います。
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