スタート
『レディーース・アーンド・ジェントルメーン!! 本日は"メダリオンマラソン"イベントにご参加いただき、心より感謝いたします』
マラソン会場特設空中ステージに立つ、黒の燕尾服に身を包んだ仮面の"女"が挨拶口上を述べると、右手を腹部に添えて左手を水平に伸ばし、腰を折るお辞儀をして見せた。
それは男性がするお辞儀ではないか、と何人か思っただろうが、そんなことをいちいち指摘するような野暮な奴はいなかった。
会場のこの熱狂具合に水を差すなんて、よっぽど空気を読めない奴しかいないだろう。
『では、早速このイベントのルール説明といきましょうか。このマラソンはここ、北門をスタート地点とし、西門をゴールと定めております。一番最初にゴールした者に優勝賞品を付与いたします』
おおおお! と盛大な歓声が上がるのを見れば皆がそれを本気で取りに来ているのが分かる。
『スタートからゴールまで、他プレイヤーの妨害は許可します。しかし、流れ弾で観客が被害に遭われるのはルール違反ですので、バリアを張らせていただきます』
すると、仮面の女は指をパチンと鳴らす。参加者集団から少し離れた建物の近くに並ぶ観客たちの前に突如、薄紫色の膜が地面から青空に向かって伸び始めた。
『これにより外から内側へ弾丸が通ることはありません。しかしこれはプレイヤー自身に害はありませんので触れてもらっても構いません。そして、この膜を発動したことにより、現在参加プレイヤーの立つ所は町としての機能を失っています。ですから魔物の登場もありうるので悪しからず』
会場に小さなざわめきが起こる。
後に、膜の内側にいれば魔物による被害はない、という説明が補足されたが、実際に魔物が目の前まで来れば多くのプレイヤーが戸惑うだろう。
会場全体に不安が蓄積される。
『当然、銃弾や魔物の攻撃に当たればダメージを受けますし、――死ぬこともあります』
この時、とても明朗にはっきりと主催者の声が聞こえた。
それほど会場の参加者から観客までが静かだったのだ。
単に町で発生したお気楽イベントだと大半のプレイヤーが思っていた、その背後に『死』があることも知らずに。
『これにて、イベントルールの説明は終了となります。今より十分後にスタートしますので、それまでごゆるりと雑談でも』
そう言って仮面の女は煙のようにすうっと消えた。
主催者の消えた後、会場は水を打ったように静寂に包まれた。
言われたような雑談など一つも起こらず、微かなざわめきが目立つ。やがて、人垣の中から行動を起こす者が現れた。
回れ右をして集団から逃げ出す者たち。
「聞いてねぇよこんなの!」「まだ死にたくない!」などと言って会場から去る者が続出する。
しかし意外にも五分もしないうちにその騒ぎは収束した。
参加者以外は膜の内側に避難し、大通りの真ん中に集まっているのは、先ほどの説明があっても参加する決意を固めた人たちだ。
逃げた人たちは全体の三分の一程度で、勝敗にさほど影響は与えなかった数と言える。
景品を貰えるのは優勝者だけなので、自分以外全員が辞退しない限り周りにいるのは敵だらけだ。
陸斗と美姫は当然残った側にいる。
参加者は受付時にランダムに出される数字が書かれた紙を渡される。それがスタート地点の並び順になるのだ。
それによると、美姫は最前列の左側の端に近い位置、陸斗は集団のちょうど真ん中あたりだ。
真ん中はマラソンなどでは転倒に遭いやすい位置だ。前に行こうにも進みづらく、後ろからは押されるような位置。そんな不運なくじを引いた陸斗は、マラソンとは別のことを考えていた。
(柚季はいったい何処へ連れてかれたんだ? 昨日の今日、まだ町の中にいるはずだ。ここから近くの町にには最低でも二日はかかる。それに人一人を運び出すのには遠すぎる距離だ)
つまり、柚季はこの町の何処かに閉じ込められている。
どういう目的かは分からないが、おそらく俺たちを狙ってのことだ。このイベントに強制的に参加させるために柚季は攫われた。
(何故俺たちを参加させるんだ……? それに一位を取れってことは景品に何かあるのか? このイベントに参加する意味――)
そこで陸斗はハッとなって気づいた。
「……死」
先ほどの説明で今この場は町の防衛機能――具体的には銃弾が当たってもダメージを受けない機能――は停止している。つまりこの機会で俺たちを殺すってことか……?
しかしあの説明はつい先程されたばかりだ。少なくとも昨日の時点では誰も知りえないはず。
(いや、あいつが知っている。――道化。道化なら俺たちを狙う理由がある。それに殺すのは俺たちの中でも俺だ)
しかしそれならもっと手早い手段があるはずだ。こんな回りくどい真似をしなくてもいつでも殺すことはできたはずだ。
つまり、道化には陸斗を直接殺せない事情がある。
ずいぶん突拍子もない推理に行き着いたが、これなら柚季を誘拐し、陸斗たちをこのイベントに参加させる動機になる。ほとんどのプレイヤーにとって陸斗たちは全く知らない他人でしかない。
おそらく誘拐を実行した奴は道化に騙されたにちがいない。
そして陸斗を殺すように言われた奴も同じように騙されている。
陸斗はサッと振り向き、そいつらを探す。
しかしすぐに無駄だと悟り、正面に向き直した。
相手側には自分の情報がバレ、こちらには何の情報もない。正直言って圧倒的不利だ。
そんなことを考えている間にスタート時間が来たようだ。
どんな推理を建てようとも相手の要求を満たせば柚季は帰ってくるはずだ。
どこかのスピーカーからピーピーと段階的に高くなる音が発されている。
そして五段階目の音が――
ピーーーー!
と鳴った。一斉にスタートする中、最前列から五メートルを超える跳躍が皆の視界に入る。
白いタンクトップの筋肉質な男は、屋根に飛び移ると、また超跳躍で屋根に渡る。
皆の視線が上空に捕まっていると、途端に足の力が抜けた。同時に浮遊感にも襲われる。
下を見ると、いつの間にか開いていた大穴。周囲のプレイヤーもその大穴に落下していた。
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