誘拐事件
柚季がベッドの上で横になってくつろいでいた時、扉をノックする音が耳に届く。
「あれ? 陸斗たちもう帰ってきたのかしら?」
陸斗たちはつい二十分前に出て行ったばかりだ。会場の下見ならもっと入念に調べるはず。
「そもそも陸斗だって鍵を持ってるんだからノックなんてしなくていいんだよね」
そこまで考えると来客だと推測した。
今、部屋には柚季しかいないので、襲われたりでもしたら簡単にやられてしまう。
冷静に考えて、柚季はドアを開けず、扉越しに誰何した。
「あの、どちら様ですか?」
返答はすぐに返ってきた。
「あの、こちらにお泊まりになってるのは、明日のマラソン参加者でございますか? 私は情報屋をやってるものです。明日のマラソンに役立つ良い情報をお持ちしましたので、お知らせに参りました」
「情報屋……?」
あまり聞き慣れない肩書に柚季は少し戸惑った。
声音からして男性プレイヤーだろうと思う。
しかし柚季自身はマラソンイベントに参加しないため、ここは陸斗たちを待った方がいいかもしれないと考えた。
「今、参加する仲間が外出してまして……」
「あなたは参加なさらないのですか?」
扉の向こうから意外感を含んだ声が返ってくる。
どうやらこちらの情報を正確に知っているわけではないようだ。
こちらがどうやって追い返そうか考えているうちに情報屋の男がまた声を投げかけてきた。
「不在であれば何かメモでも残しておきましょうか。僕もまだ回らないといけないところがあるので」
「そ、そうですか」
あまり考えがまとまらず生返事を返してしまった柚季。
危機感を置き去りにした柚季は、何の抵抗もなくドアを開けてしまった。
――すると十センチばかり開いたドアから手や足が挟みこまれ、一気に開け放たれた。
突然のことに柚季は驚きと恐怖に身体を支配され、尻餅をついた。
ドアから現れる三人の男たち。腕と足を抑えられ、口元に布を押し付けられた柚季の意識は抵抗も空しく落ちていった。
□ ■ □
会場の下見を終えた陸斗たちは、三人分の夜ご飯を片手にぶら下げて宿に戻ってきた。
「ゆっきーまだ起きてるかな?」
「予想外に時間がかかったからな。寝てても仕方ないさ」
そして部屋の前まで着き、美姫がドアを開ける。
「ゆっきー起きてる――あれっ?」
「どうしたんだ?」
美姫の素っ頓狂な声に違和感を覚えつつ陸斗も部屋に入る。
すると、空の部屋が視界に広がる。
「ゆっきーいないね」
「俺たちを待てずに晩メシを探しに行ったのかね?」
「ゆっきーはそんなに食いしん坊じゃないよー」
「ははは、そうだね」
陸斗は笑ってみせるが確かに柚季の失踪は気になる。
美姫はどこかにメモがないか、机の上やベッドを見ていた。
「まあ、少ししたら戻ってくるだろう」
「うーん……」
やはり心配そうに顔を俯く美姫。
もちろん陸斗も心配はしている。しかし、それなら柚季はいったい何処へ行ってしまったのか。
部屋のドアは宿泊者以外外から勝手に入ることはできない。つまり柚季が自ら開けるか、柚季自身が外に出ない限りこの失踪はありえない。
「今日はもう遅い。美姫は先に寝ててくれ。もしかしたら後で柚季が帰ってくるかもしれない」
「うん、わかった」
そう言って美姫は、眠気眼を擦りながらベッドに入ると、すぐに心地の良い寝息が聞こえてきた。
陸斗は手近な椅子に腰を下ろし、柚季が帰ってくるのを待った。
しかし何時間待とうとも帰っくる気配がない。インスタントメッセージを飛ばしたが返答もない。
そのうち陸斗にも睡魔が押し寄せ、椅子に座ったまま眠りについた。
□ ■ □
僅かに開いていたカーテンの隙間から朝日が漏れる。
徐々に傾き、美姫の顔を照らし起こす。
「ん……」
ゆっくりと起き上がるとふと違和感に気づく。
いつも隣にあった温もりがない。
「まだ帰ってないのね……」
残念そうにそう呟くと、椅子に座ったまま寝ている陸斗の姿が視界に入った。
おそらくずっと柚季が帰ってくるのを待っていたのだろう。
美姫は労いの意味を込めて、陸斗に毛布を掛けてやった。
それから美姫は、何か飲み物がないか立ち上がる。ふらふらと歩いていると、テーブルに目が止まった。紙切れが一枚。
「こんなの昨日あったかしら?」
もしかしたら柚季の置いたメモかもしれない、と期待を込めて紙切れを拾い上げる。
「――ッ!?」
――が、絶望に変わった。
美姫は急いで陸斗を起こしこの事を知らせる。
先ほどもう少し寝かせてやろうと思ったがこれは緊急事態だ。
「……ん? なんだ、美姫」
「いいからこれ! 読んで!」
唐突に渡された紙切れを寝ぼけた頭で読み上げる。
「少女は預かった。返して欲しくばマラソンで一位を取れ……か。なんとまあベタな誘い文句だ」
「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないでしょ!!」
「わかってる。当然ながら差出人は不明。だが、当初の予定に変わりはない。このメモを鵜呑みにするのであれば優勝すれば柚季を返してもらえるんだ」
「でも、これ、信用できるの?」
美姫は心配そうに陸斗を見つめる。
誘拐犯の言うことなんて信じられるわけがない。
「大丈夫。絶対に柚季を助け出すから」
美姫の質問に答えていないようだが、力強い言葉をもらえただけで美姫の心は穏やかに収まった。
二人は昨日の夜ご飯として買った食料を朝に食べ、残った物はポーチに押し込んで柚季に食べさせてやろうと思った。
準備を終えた二人は会場である北門へと向かった。
――しかし陸斗の心中にはなにやら渦巻いているものがあった。
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