初めてのバイト体験~柚季side~
「ねえ、これって短すぎない?」
従業員専用の更衣室で、柚季と美姫は先ほど渡されたウエイトドレスに着替えたところだった。
柚季は自分のスカートを引っ張り、なんとか伸ばそうとする。
「こんなもんじゃないかな」
何気ない返事を返し、美姫は頭に猫耳ヘッドドレスを装着すると、近くの衣装鏡で自分の衣装を確認する。
美姫の猫耳は地毛と同じ、亜麻色の毛で髪と自然に同化している。
対して柚季の猫耳は、地毛と同じく、漆黒の毛色をしている。
そして極めつけにスカートには尻尾までついているのだ。どういう理屈か、尻尾は感情と連動しているように揺れている。
「この尻尾も必要なのかな……」
肩越しに自分の尻尾を見るが、長くゆったりとした黒い尻尾が左右に振られている。
美姫も自分の尻尾を確認するが、髪色と同色の鉤状の尻尾が上下に揺れている。
「まあ、かわいいし、いいんじゃない?」
柚季の言葉を軽く流すと、美姫は衣装――ウエイトドレスに変な所が無いのを確認して、仕事場のホールに向かった。
「ゆっきーも早く来なよー」
「あ、もう、美姫ちゃん待ってよ~」
衣装のことは諦めた柚季は、スカートが捲れないことを祈りながら、更衣室を出た。
□ ■ □
「ウチがおめーにゃの指導をするネコミにゃ」
ホールに出ると、仕事の先輩となる先ほどの猫耳ウエイトレスから仕事内容の説明が始まった。
柚季はスカートが気になって気が気でなかったが、美姫は普段通りの態度をとっている。
「今は見ての通り、とて~も忙しい時間だにゃ。だから説明は一度しかしないにゃ。しっかり聞くにゃ」
余裕のあった美姫は、ちらりとホール全体を見回した。
ホール内で給仕を行っているウエイトレスは、目の前のネコミと自分たちを除いて三人だ。
それぞれのウエイトレスは、忙しなく動き回り、止まる気配がない。その中に自分たちも入るのか、と思うと、意気消沈しそうだ。
「おめーにゃにくれてやる仕事は簡単にゃ。お客の注文を聞いて、厨房に連絡。そして出来上がった料理を持っていく。簡単にゃ?」
「……全くバイト扱いしないのね」
美姫がぽつりと悪態をつくと、ネコミが猫のような目で睨んできた。
「ま、まあ、アタシたちは皿を割らないように、慎重にがんばろ、ゆっきー?」
ネコミと目を合わせるのが怖くなった美姫は、強引に柚季に話を振った。
すると、柚季は目を白黒させて、ガクガクと小動物のように震えていた。
「どったの、ゆっきー?」
「ひ、人が、多すぎて……」
「もしかしてゆっきーってバイト経験無し?」
柚季は震えながらも頷いた。
美姫は父がいなくなり、母が倒れた時は、その日の食事代や母の入院費やその他諸々を稼ぐために、かなりバイトを詰め込んでいた時期があった。それには援交も含まれている。
そういったところでは美姫は柚季よりも接待などは得意である。
「私、初めてのバイトがゲームでやるなんて思わなかったよ……」
だが、柚季も初めてのバイトという初心なテンションなので大丈夫だろう、と思った。
バイトは、やる気と我慢が大切だから。
最初のうちは楽しみでしょうがない気持ちにもなるだろう。そんなところを先輩の辛い話で水を差すのはもったいない。
「初めてなら、とりあえず仕事は丁寧にやってもらったらいいにゃ。あまり張り切りすぎちゃうとすぐにバテるからにゃ〜」
それについては今、この光景を見ていれば十分分かることだった。
「あと、仕事中は、全員接客は語尾に『にゃ』か『にゃん』と付けるように。――それじゃ、お仕事開始にゃ!」
最後に妙なリクエストも付け加えられ、柚季の初めてのバイトがスタートした。
□ ■ □
「ご注文はお決まりでしょうか……にゃ」
柚季が慣れない語尾で接客しているのは一人の女性NPCだった。ここには、プレイヤー、NPCなど関係なく多くの人が来るレストランだ。
そしてこのレストランにはそれらを分け隔てなく接するウエイトレスがいる。
「じゃあ、きのこのクリームパスタと三色豆のスープを頂こうかしら。あと食後にコーヒーをお願い」
「えっと……きのこのクリームパスタ……と三色豆の……スープ、あと食後に、コーヒー………ですね。ご注文は以上でしょうか……にゃ?」
なんとか注文のメモをとり、自分が知っている接客言葉を捻り出した柚季。
そういえば接客の言葉遣いなどを聞いていなかったな、と後になって気づいた。
「うん、よろしくね。新人のウエイトレスさん」
女性NPCに笑顔でそう言われ、ようやく自覚できた。
(本当にウエイトレスになれたんだ……!)
柚季の中で確かに感動のようなものを感じ、それをしっかりと誠意で応えようと、大きな声で注文を締めくくった。
「はい! 承りました!」
注文を承った柚季は、すぐに厨房まで行った。
「えっと、きのこのクリームパスタと、三色豆のスープを一品ずつお願いします」
「はいよ!」
柚季がたどたどしく注文を伝えると、厨房から威勢の良い声が返ってくる。
そしてまたホールの方に戻ろうとした時、少し頭の位置が低めな人影にぶつかりそうになった。その人影がぶつかる前に声を掛けられたため、双方がぶつかることはなかった。
「ゆっきー。さっき見てたけど、注文のメモは全部書かなくてもいいのよ?」
「え? そうなの?」
そう言われて柚季は、自分が思い描いていたウエイトレス像を浮かべる。
デジタル機器で注文をメモしているが、やはりちゃんとメモしているようだ。
「メモは簡潔に、自分が後で厨房に伝える時に思い出せるキーワード程度でいいの。そしたら仕事が早くなってお客さんは料理を長く待たなくて良くなるの。分かった?」
「う、うん。分かったよ。……美姫ちゃんが一緒でよかったよ。私、こういう接客はしたことなかったから」
「まあ、アタシの場合は、生きるためにバイトしてたからさ。どんなバイトでも時給がいいならやってたし、ゆっきーなら楽しそうなバイトとかを選んだ方がいいかもね」
美姫のバイト動機は、あまりにも学生が選ぶものではなかった。だから普通である柚季には、バイトを楽しんで欲しい。
そう思うと、なんだか自分で恥ずかしくなった。
美姫は微妙に顔をそらす。
「ま、まあ、せっかくの機会だし、ここでバイトの経験積んでおくのもいいかもよ。分からないところがあったらアタシ、サポートするから」
そう言って美姫は、せっせと持ち場に戻っていった。
その時、美姫の尻尾が大きく振られていたのはおそらく何か嬉しいことでもあったのかな、と柚季は感じ取り、持ち場に戻っていった。
その際、柚季もまた尻尾を大きく横に揺らしていた。
□ ■ □
次に柚季が接客したのは、二人の男性客だった。
「ねぇねぇ、君って新人ちゃん? 仕事いつ終わる? 終わったら俺たちと遊ぼーよ」
接客に向かうと、突然一人の男性が柚季のことを口説き始めた。
柚季ははっきり言ってこういう男は嫌いな方だ。そしてこのような行動に出るのはプレイヤーしかいない。
「あの、ご注文は……」
柚季が注文を促すが、男性プレイヤーの二人はまだ談笑を続けている。
「ぎゃはは、フラれてやんの!」
「まだ、フラれてねーし! まだまだチャンスあるっつの!」
これ以上ここに留まっているわけにもいかず、注文を後回しにしようとした時。
「あー、お客様の注文聞かずに帰っちゃうんだ~」
「ここの店員は客の注文をとるしつけされてねーのか」
二人の男性は、ほかの客にも聞こえるような声で風評を垂れ流す。
柚季は慌てて男性たちを止めようと、引きかけた足を引き戻し、男性たちに向き直った。
「……ご注文を、お聞きします……」
「ぎゃはは、もうちょっと俺たちにかまってよ」
「ちゃんと注文するからさ~」
柚季は悔しかった。いつもなら暴力といわないまでも、言葉でこの程度のことは解決できるのに。
だけれども、今はウエイトレスだ。お客様は神様という言葉を聞いたことがある。この人たちは今、神様なのだ、大切なお客様なのだ、そう思い込むことで精一杯だった。
そして目頭が熱くなり、目をぎゅっと瞑った。
――ガーン!
「痛っ!」
金属質の音と低い悲鳴が同時に響いた。
瞑っていた目を開けると、手首を抑えながら呻く男性がいた。そして、いつの間にか隣に美姫がいたのも気づいた。
「当店はそのようなご奉仕は実施しておりませんので、ウエイトレスへのセクハラはお辞めください」
ニコニコと対応する美姫は、表面上笑っているが、静かに怒りが含まれていた。
「テメ、客に手ぇ上げるとかどうなってんだ!!」
手首を抑えていた男が立ち上がり、美姫に怒鳴り声を上げる。
そして周囲の客も何事か、と視線が集まる。
身長差がかなりある二人は男が見下ろし、美姫が見上げるような形になっている。
「お客ってのはね、ちゃんと注文をしてお代金を払ってくれる人たちのことであって、絶対にアンタたちみたいなウエイトレスの尻を触ろうとする奴じゃないのよ!!」
目上の人に対しても臆せず言い切る美姫は、柚季の目からはかっこいいと感じた。
そして、美姫の発言から自分がお尻を触られそうになっていたことを自覚した柚季は、遅れてスカートを抑えた。
「ああ? 俺、そんなことしてねーし。なあ? いちゃもんつけんじゃねーぞ、チビ」
男は相方に目配せすると、その相方は頷く。
「そうだぞ。証拠もねーのにセクハラって決めつけるんじゃねーよ。これだから自意識過剰な女は……」
半ば呆れたようなため息を吐き出す。
そして、静かな怒りに身を焦がしていた美姫が、ついにキレた。
「チビに、自意識過剰な女、ねぇ。言ってくれるじゃない。……ちょっと裏で話しましょうか」
満面の笑みでそう言った美姫は、男二人の首根っこを引っ掴み、席を立たせる。
「ゆっきー、ちょっと仕事サボるけど、よろしくね」
柚季に対しても笑みでそう言うと、美姫は男二人を引きずりながら店の裏手に連れて行った。
身長差があった分、今度は男たちが腰辺りまで床に付けられ、美姫が見下ろすような形になる。
「おい! 離せ!」
「ちょ、俺もかよ!?」
藻掻く男たちは大声で喚くが、えも言われぬ圧力で逃れることはできなかった。
そして、美姫たちが裏手のドアから出ていくと、店内はしんと静まり返った。
三十分後。店内がいつも通りの騒ぎになっていると、裏手ドアから先ほどの男たちが帰ってきた。
既に苦手意識が出ていた柚季は、さっと身を隠してしまった。
だが、改めて見ると、男たちに先ほどの威勢は無く、ひどく窶れた様子だ。
そして、遅れて美姫が裏手ドアからやってくると、キョロキョロと辺りを見回した。
物陰に潜んでいた柚季を見つけると、手招きをした。
柚季は訳が分からず、促されるまま隠れていた場所から身を乗り出した。
「さ、アンタたち何か言うことあるでしょ?」
それは男たち二人に掛けられた言葉だ。
一瞬ビクッと身体を震わせると、柚季の許に向かい始めた。
恐れから一歩引いた柚季の前に、男たちは止まった。
すると――、
「「本当に申し訳ございませんでした!!!」」
膝を折り、額を床に擦り付けるように頭を下げた。土下座だ。
男たちのあまりの豹変に頭がついて行かなかった柚季は、慌てふためく。
「あ、あの、え、なに!?」
おそらくこれをさせているのは美姫だ。視線を美姫に向けるが、笑みを浮かべるだけで何も応えてくれないのは分かった。
「俺た……私たちが、柚季さんにご迷惑をお掛けしたのを謝罪、します」
「お詫びに、何でもご命令ください」
先ほどの荒っぽい口調と打って変わって、丁寧な言葉遣いで柚季に謝罪の言葉を述べた。
「えっと……命令とかはちょっと……」
謝罪は受けるが、命令とかいうのは柚季にとって戸惑うことだった。
だが、いつまでもこの体勢にしておくのは、なんだか可哀想と思うところもある。――実際はそれよりもこのシチュエーションが周囲の人からどう見られているのかが怖いというのが大きい。
「じゃあ、静かにお食事をしていただく、というのはどうでしょう?」
脳をフル回転させて思いついたのは、この程度だった。
「アンタたち、ご命令が下ったわよ」
「「は、はひ!」」
土下座から一転、すくっと立ち上がり、元の席に着いた。
「あ、あの! 注文、お願いします!」
「はい! ご注文伺いますにゃ!」
柚季が展開に追いつけず、突っ立っていると、代わりにネコミ先輩が注文を受け取りに行った。
「あの、このレストランで、一番高い物を、お願いします」
「お、俺も」
注文を聞いたネコミ先輩は、口元をニヤリと歪めた。
「ギガウルトラジャンボデラックスパフェ、二つ入りましたにゃー!!!」
注文を受けたその場から大声で叫び、厨房の料理人に伝える。
「久しぶりに腕が鳴るぜ!!」
「久々のパフェだ!! 完璧に仕上げるぞ!!」
ネコミのテンションに同調して料理人たちも気合いの入った声を上げる。
それが伝染して客席にも伝わっていく。
「おう! なんだか知らねーがやれー!」
「私たちも頼んじゃう〜?」
「無理だよ〜」
各々男たちを囃し立てる声やノリに任せた掛け声なとが飛び交い始めた。
当人の男たちはガクガクと震えた様子で、件のパフェを待っていた。
「ねぇ、美姫ちゃん。あの人たちに何をしたの?」
柚季は男たちの豹変ぶりが気にかかり、美姫に尋ねることにした。
何の意味を込めてなのか、美姫はニッコリと笑って応える。
「う〜ん、ひ・み・つ・よん」
それはこれ以上深く踏み入れるな、というサインなのか、柚季は背筋に寒気がしてそれ以上の追求はしなかった。
テーブル席の方に目をやると、ちょうどあのパフェが持ち運ばれていることろだった。
パフェはあまりの大きさで、カートで運ばれている。
フルーツに蜂蜜、黒蜜、チョコレート、大量のホイップクリームなどが盛られた超巨大パフェだ。その、世の中の甘味を全て詰め込んだようなパフェに男たちは口を開けたまま唖然としていた。
「これで少しはスッキリしたかしら?」
隣で美姫が楽しそうに話し掛けてきて、柚季も思わず、笑みを浮かべた。
「うん、まあね」
「ゆっきー泣きそうだったもんねー」
「な、泣いてなんかないよ!」
本当は泣きそうだったけど、と心中で付け足しておく。
「これで、初めてのバイトは楽しく終われるかな」
「そうだね。このバイト楽しかったよ」
苦しそうにパフェを食べる男たちを遠目から眺め、柚季たちも仕事に戻ることにした。
そうして、一日バイトは無事(?)終わりを迎えることができた。柚季の記憶には楽しいバイト体験が綴られたことだろう。
今回は猫耳ウエイトレスの話でした。
いつか猫耳を書いてみたいと思っていたので小さな夢が叶いました。
またどこかで書けたらいいなと思ってます。




