オンリークエスト:巨大蜘蛛退治(1)
――五月三十一日。
最初に起きたのは陸斗だった。
陸斗自身、早起きはそれなりに得意な方だ。よっぽど疲れていない限り惰眠を貪るようなことはしない。
しかし昨日はクエストに行った上に毒の状態異常にかかったのだからそれなりの疲労はあると思うのだが……。
「昨日の<毒消し瓶>が効いてんのかな……」
よく分からないまま納得する陸斗。
まだこの世界のアイテムにどんな効果があるのか分からないため自分で考えていても詮無きことだ。
「とりあえず、モーニングコーヒーでも頂くか」
陸斗は自分に掛かっている布団を剥ぎ、ベッドから出た。
隣で寝ている美姫は柚季と違って寝相が良く、昨日の位置からほとんど動いていない。
(そういえば、ログインした日、最初の頃は柚季と同じベッドで寝てたんだっけ。本当はその隣に敷布団があったんだけど……)
暗さのせいで周りが見えず、仕方なく同じベッドで寝たが、その時の柚季の寝相は想像以上だった。
いつの間にか自分の腕を絡めるようにして寝ていた柚季に心臓が早鐘を打っていたのを覚えている。その後、柚季に蹴飛ばされたが……。
懐かしい思い出だが、それから今日で確か九日が経つ。
依然としてログアウトに必要なポイント回収は地道なクエストクリアしか無いのだが、他の人もおそらくまだログアウト出来た人はいないだろう。
出来れば誰も殺したくない。
そう思い、見つけたクエスト。効率としてはPKよりも悪いが、この世界――今の死と現実の死が直結したこのゲームではやっぱり人殺しはしたくない。
少なからずそれに賛同してくれる人たちもいる。
これがプレイヤー全員に広まれば、誰も死ぬことなく全員が帰還できる。そう信じて今日まで頑張ってきた。
まだ時間はかかるかもしれない。それでもこの方法がよりたくさんの人々が幸せになれる。
(また異常だって言われるのかな……)
自分でも分かっている。何故他人の為にまで自分が危険を冒しながら未知のクエストに挑み続けなければいけないのか。それは周りの人が見れば確かに異常だ。
本来、他人の命より自分の命が大切であることは陸斗にも自覚している事項としてある。
それを敢えて逆らうのはきっと自分がいじめられっ子だったからだろう。
暴力は怖い。言葉も怖い。陰口だって怖い。
でもやっぱり――死ぬのが怖い。
誰か大切な人を置いて死ぬのが怖い。いじめられて、負けて、理不尽に死ぬのなんて嫌だ。
きっとそういうのが心の中にあるから、人の命に向かって銃の引き金を引けないのだ。
「ん……どぉしたのぉ……」
突然、掛けられた言葉に陸斗は物思いから現実に引き戻された。
「いや、何でもないよ。おはよう、柚季」
「うん、おはよぉ」
まだ寝ぼけている様子の柚季が視線を虚ろとしながらも挨拶を返す。
身体がフラフラとしている柚季をどうしたものか、と考えていたが、特に何も思いつくこともなく、とりあえずコーヒーを勧めてみることにした。
「まだ眠たいのならまだ寝ててもいいぞ。それとも柚季もモーニングコーヒー飲むか?」
「ん……うん。もらう」
「了解」
柚季のために新たにカップを取り出し、ブラックコーヒーを注ぐ。もとより砂糖やミルクが無いのだから仕方がない。
湯気が立ち上るコーヒーの入ったカップを柚季に手渡す。
「ほらよ」
「ありがとう」
柚季はそれを両手で受け取り、そっと口に付ける。
途中、「熱っ」などと飲みにくそうにしていたが、どうにかして飲み干そうとカップを仰ぐ。
ふっ、と息を吐くと、カップの中のコーヒーを全て飲み干していた。
「……苦い……」
苦虫を噛み潰したような顔でカップの底を見つめる。
「ブラックコーヒーだからな」
それでも柚季の眠気は覚めたようなので飲ませた甲斐はあったというものだ。
柚季の飲み干したコーヒーカップを受け取り、流しで軽く濯ぎ元の位置に戻す。
柚季は苦味が少し消えたのか、ソファから立ち上がり、大きく身体を仰け反らせて簡単な体操をこなしていた。
陸斗も既に眠気は覚めているので、残るはまだベッドで寝ている美姫だけだ。
いつもであればカーテンを思いっきり開いて起こすのだが、昨日の恩もあるためその行為は辞めることにした。
「どうしたものか……」
陸斗が美姫をどうやって起こすか思考している間に、体操を終えた柚季が美姫の寝ているベッドに近づいていった。
一体何をするのか、と考える間もなく柚季は布団を掴み、思いっきり引っ張る。
布団は柚季に引っ張られ空中を漂う一枚の布となり、美姫から完全に離れた。
ぬくぬくとした空間が一変して朝の冷気に晒される美姫。
「寒っ!」
「ほら、早く起きて。ずっと起きてたの気づいてたんだから」
柚季は全てを知っていたという口調で美姫を起こしていた。
「ずっと起きてたって……え? いつから?」
「まあ、私が起きてた時にはもう美姫ちゃんも起きてたみたいだし、陸斗が起きた時と同じ時間じゃないかしら」
「……全然気づかなかった……」
てっきり自分が最初に起きたと思っていた陸斗は何故か面食らったように呆けていた。
「もう、朝のドッキリハプニングシーンを期待してたのに……。二人とも何もないんだから、二度寝しようと思ってたのに」
「ドッキリハプニングシーンって……。何も起きるわけないだろ。ましてや芸能人の目覚ましドッキリじゃあるまいし……」
陸斗としては軽く流そうと思ったのだが、何故だか二人は嘆息を吐いて呆れたようにこちらを睨む。
「はあ……りっくんってば相変わらずね」
「そうね。私も同感だわ……」
「え? え? なんで俺が可哀想な目で見られてるわけ!?」
完全に話題から取り残された陸斗は自分がどういった状況にあるのか理解できずにいつもの朝を迎えた。
□ ■ □
三人は朝食と今日のやることについて話すために酒場に来ていた。
朝なのに酒場は席がそれなりに埋まっていた。この村が発見されてから数日経ったが、あっという間に酒場がプレイヤーたちの交流スペースとして役割を担っていた。
耳を澄まして聞こえるのは、近隣のモンスター情報からクエスト関係の話と、様々な話題で溢れかえっている。
「ねえ、聞いてるの、陸斗!?」
「ん? あ、ああ聞いてるよ」
陸斗は急いで周囲へ向けていた注意を切り、目の前の話題に耳を傾けた。
「で、何の話だっけ」
「聞いてないじゃない!! クエストよ、ク・エ・ス・ト!!」
いつもより大きな声で陸斗を諌める。
しかし単なるクエストで柚季はこんなに怒るわけではない。
「オンリークエストが見つかったんだって、りっくん」
テーブルに片肘乗せながら小さな声で注釈を入れる美姫。
しかし陸斗は小さなことで済ます気にはなれなかった。
「オ、オンリークエストだって!?」
「しー!! 声が大きいって」
思わず声を大にして叫んでしまったことに陸斗は羞恥で顔が赤くなり、両手で口を塞いだ。
一瞬場が静まったが、すぐさま自分たちの話に戻っていった。
ほっ、としたのも束の間で正面を向いた陸斗は次に柚季の冷たく睨む視線に晒されることになった。
こうなっては陸斗も苦笑しかできない。
数秒間睨まれた後、柚季は平常通りに戻り、話が進み出す。
「昨日、クエストの報酬を貰いに行ったら、最後に村長からクエストを依頼されたの。それがオンリークエストだったってわけ」
「確かオンリークエストってあの道化野郎が言ってた、報酬が一人しか受け取れないってやつだったよな」
「ええ。でも受けるのは一人だけじゃないわ。だから今から陸斗がクエストを受けに行ってもオンリークエストに参加するのは可能よ」
「そうか。……で、そのオンリークエストってのはどんな内容なんだ?」
クエストを受けるにしてもまず、内容を把握しておいた方が役に立つ情報が手に入るかもしれないと考えた陸斗は、柚季にクエスト内容を見せてもらうように要求した。
柚季は左腕に嵌めてあるログウォッチに指を走らせる。
「あったわ。これよ」
そう言って柚季はログウォッチの画面を全員が見れるように大きく広げた。
クエストデザインが少し豪華に見えるのはオンリークエストという希少なもののせいだろうか。
報酬欄に目を向けると、やはり他のクエストと違い、内容も金額もケタ違いだ。
次に本題の内容欄に目を向けた。
「グランドシリーズか……」
陸斗がぽつりと呟いた。
「やっぱり陸斗は知ってるのね」
随分と確信のこもった声に一瞬言葉に詰まりかけたが、それを気づかれまいとすかさず口を開いた。
「ああ。グランドシリーズはこの前遇った道化野郎が持ってた銃の素材になったモンスターだ。あの時はグランドケルキっていうケルキの最強版みたいなもんだったが。今回のグランドタランチュラもタランチュラ種の最強版ってとこだ」
最強と呼ばれるだけあって、個体数は普通のモンスターよりも極めて少ない。
そしてリポップもないため、倒したら永遠に遇うことはない
故に、ドロップはもちろん素材としても最高級品質である。
「グランドシリーズの共通点はとにかく巨躯ってことだ。元のタランチュラがあの小ささでもグランドシリーズとなると軽く俺たちの三倍の大きさはあるだろうな」
「三倍って……。そんなのどうやって倒すのよ!」
美姫の当然の指摘に陸斗は一度頷く。
柚季も食い入るように陸斗の話を聞いている。
「俺もグランドシリーズの全個体と戦ったわけじゃないから確実ってわけじゃない。少なくともグランドケルキの時は十五人ほどの協力プレイでやっと倒せたモンスターだった。死者数だってかなりいて、あの時はただのゲームだったから蘇生アイテムもあった。でも今の状況でグランドケルキと戦うなら万全の上に確実性も考慮しないとまともに戦えない」
陸斗の体験談による情報は二人の予想の遥か上を行っていた。
ゲームの死が現実の死と直結しているこの現状ではグランドシリーズに挑むということはただ死にに行くようなものだと言っているのだ。
背筋に悪寒が奔るような物言いに柚季は肩を竦ませていた。
「それじゃ……このクエストはクリアできなってこと?」
「いや、他のパーティと一時的に手を組んでもらって挑めばなんとかなるんじゃない!?」
美姫の妙案と言える発言に柚季が納得するよりも早く、陸斗は首を横に振った。
「それは無理だろうな」
「なんでよ! 十人くらい協力してくれたら少しくらい勝ち目があるんじゃないの!?」
美姫は自分でも良いアイデアとして確信していたのを否定されて、少し語気が強くなっていた。
「その協力ができないんだよ」
「でも、ここにはたくさんプレイヤーがいるし……それに今ここにある人たちを誘っても五人くらい……」
美姫は徐々に不安に駆られ、語気が弱くなっていった。
それを見抜いた陸斗は協力プレイができない理由を話し出す。
「たとえここにいる人たちを誘っても誰一人として協力してくれる人はいないだろうな。美姫だって考えてみろ。何の見返りもなく、戦闘になればかなりの確率で死ぬような場所に見ず知らずのプレイヤーの為に行けるか?」
「そ、それは……」
美姫の最初の威勢は完全に削がれ、今では椅子にちょこんと座っている。
追い打ちを掛けたいわけではないが、それでも伝えなきゃいけないと思い、続ける。
「ここにいる人たちはみんな無事に、安全にゲームから脱出したいと考えてこの村に来た。クエストだって100%安全ではないが、それでも対人戦よりずっとアルゴリズムで動くモンスターの方が勝率がある」
何よりも怖いのは人間だ。ものを考え、平気に人を騙す人間がモンスターよりもよっぽど危険だ。
「それに、今回に限って言えば、俺たちでも勝てる!」
「え? でも、さっき協力はできないって……」
柚季の指摘に陸斗は確信にも似た強い光を宿した瞳を返す。
「俺に、秘策がある――!!」




