危機一髪
柚季と美姫が別れて数分後、美姫はアイテム屋に辿り着いた。
木造の建物を前に美姫は一つ深呼吸してから扉を開けた。店内は昼にも関わらず照明の灯りが美姫を照らす。
両側には商品棚が陳列し、店の奥にいる店長までの道のりが妙に長く感じる。
これが店長に対する恐怖なのだとしたら、自分のことが許せない。
まともに話したこともなく、ただ強面なだけで避けているというなら、人間としても自分を許せない。
見た目だけで判断して、嫌うなんて……。
(……これじゃ、りっくんにも嫌われちゃうかも……)
内心で自嘲的な笑みを零し、両頬をパンッと叩いた。
すると、何故だかすんなりと足が前に出た。
そのままスタスタと店長の所まで躍り出る。
「……あの、体力ポーションが欲しいんです、けれど……」
美姫の言葉は後半になるにつれて弱々しいものとなっていた。
「何か欲しいもんがあんなら言ってくれ」
しかし店長の方は美姫の決意を知ってか知らずか――おそらく関係ないと思うが――いつもの調子でセリフを言い放つ。
若干の肩透かし感が否めないが、気を取り直してアイテム選びに移る。
目の前の透明感のある青いウィンドウに目を凝らすと、所持金額欄の数字が大きく変化していたことに気づく。
しかしすぐに柚季が振り込んだ金額だと悟ると、アイテム欄に視線を戻した。
少しスクロールすると、目当ての体力ポーションを発見した。とりあえずそれを金額の限界まで購入する。
購入した後、美姫はある事を閃いた。
「もしかしたら、あれもあるんじゃないかしら……!」
そうして、美姫のアイテム屋滞在時間はもう少し延びるのであった。
□ ■ □
美姫への振り込みを終えた柚季は、落ちかけた陸斗の肩を担ぎ直して、再び宿屋へ足を運び始める。
いくらこの世界ゲームに肉体的疲労がないと言っても、女性が男性を担ぎ、長い距離を連れていくというものは先入観からして無理だと意識してしまう。そしてそれはそのまま精神的疲労として蓄積し始める。 徐々に足取りが重くなっているのはたぶんそのせいだ。
柚季の肩に担がれている陸斗は先程から苦しそうに呻き声を漏らしていた。
「……ぐっ……うっ……」
陸斗の顔色を見ても苦しい様子が伺える。
だが、それも仕方のないことだ。限界を知らないかのようにHPバーは減少を続けているのだから。
既にレッドゾーンに突入している現状では気が滅入るほかない。
現実だったら今触れている陸斗の肌に感じられる体温が徐々に冷たくなって……などと悪い方向に考えが行ってしまうほどに柚季も困惑は焦燥が立ち込めていた。
柚季は自分を奮い立たせる意味も含めて陸斗に語りかけるを
「大丈夫よ、陸斗。陸斗は絶対に私たちが助けるから……!」
陸斗からは苦しそうな呻き声だけが返ってくる。
それでも柚季の精神は高いままに維持されるには十分だ。
宿屋の扉を女子からぬ行為で蹴り開け、料金カウンターへ向かう。
慣れた手つきで料金を支払い、いつもの部屋に通じる階段を登り始めた時だ。
「陸斗の……HPバーが……」
もう目に見えないほどに小さくなった陸斗のHPバーを見つめる。
柚季の表情が恐怖と悲しみの色に染まる。
喉の奥が痙攣でもしたかのようにヒクつく。
「……りく、とぉ……」
声に力はない。諦めたわけではないが、それを許さない現実がここにある。
涙で滲んだ視界に陸斗の顔を捉える。
震える右手が柚季の右ポケットに伸びる。
そしてポケットに潜む《独弾ユニークバレット》を掴んだ。
(……もう、対等な仲間じゃなくなるかも……だけど、このままじゃ陸斗が……)
陸斗の頭上に浮かぶHPバーがあと数ドットという単位まで減り、刻一刻と陸斗の死を告げようとしていた。
そして、柚季の口から《独弾ユニークバレット》の名前が紡がれようとした瞬間――。
「ゆっき――――!!!」
背後から知った声が投げ掛けられ、振り向く。
そこには、息せき切る美姫が宿屋の入口で柚季の名を叫び、何かを投げたモーションが目に映った。
美姫の手を離れたそれは大きな弧を描き、柚季の少し高い所に落ちる。
少し慌て気味にそれを受け取ると、手に取ったものを一瞥した後、それが何かを悟った。
「回復ポーション!?」
「早くそれをりっくんに飲ませて!!」
美姫が言うよりも早く、柚季は瓶に付けられた栓を親指で力強く弾く。
キュポッという音が鳴り、中に入っている緑色の液体を陸斗の口に強引に押え付ける。
瓶の中の液体が徐々に減り、陸斗の体内に吸い込まれていった。
柚季は回復ポーションが飲まれたのを確認し、陸斗のHPバーに視線を向ける。
残り数ドットだった陸斗のHPバーは減少活動が一度止まり、徐々に色が見えるほどバーが大きくなり、赤から黄、緑に変化する。
陸斗のHPバーの三割辺りまで回復すると、また規則正しい減少活動が始まる。
とりあえずの安堵が取れたことで柚季は切り詰めた空気を吐き出した。
「ふぅ……なんとか間に合った……」
一気に緊張が抜けた所為か、柚季はヘナヘナと座り込んでしまう。
「ど、どうしたのよ!?」
慌てて駆け寄ってきた美姫は柚季の状態に驚きの声を上げた。
しかし柚季は苦笑いを浮かべ、美姫に大丈夫であることを告げる。
「あはは……大丈夫、だよ。ただ、ちょっと安心したら腰抜けちゃって……」
柚季の言葉に美姫は今度は嘆息を零す。
「……ったく、何やってんのよアンタは……」
しかしこれは、ただ一時の危機を乗り越えたに過ぎない。陸斗のHPバーは尚も減少し続けているのだから。
このままでほ安定した回復ポーションが無ければ、ジリ貧を迎えることになる。
「とりあえず、りっくんを部屋まで運びましょ。ここじゃ、人が多過ぎるわ」
美姫の言葉にハッとなって気づいた柚季は辺りを見回す。
ここ、宿屋一階ロビーにはNPCを含め、一般のプレイヤーも談笑したり、情報交換の場として活用されているため、今の一部始終を見た者も少なくない。
プレイヤーたちからは、おおっ、などの感嘆の声や心配そうに見つめる者と、様々な反応が見られた。
柚季はなんとか力を振り絞り、陸斗の右肩を担ぎ、立ち上がる。
陸斗のもう片方の左肩を美姫が担ぎ、どちらからともなく歩き出した。
美姫の左腕の中には四つの瓶が抱えられ、器用に持ち運ばれている。
階段を登り、いつもの部屋に入り、二人は陸斗をベッドに寝かせる。
美姫は近くのテーブルに緑色の液体が入った回復ポーションを置き、小さな椅子に腰掛ける。
陸斗をこの部屋に入れた時点で、陸斗のHPバーはまたイエローゾーンに突入していた。
「美姫ちゃん、念のためにもう一本回復ポーションを飲ませて上げましょ」
「わかったわ」
美姫は頷き、先程置いたばかりの回復ポーションを一つ取り、柚季に手渡す。
回復ポーションを受け取った柚季はそれを陸斗の口に近づける。
「さ、陸斗これを飲んで」
未だ毒に魘うなされている表情の陸斗に語りかけながら飲ませる。先程はかなり強引に飲ませたため、その謝罪の念も込めて。
少し意識が戻ったのか、陸斗は自力で口を開き、柚季に回復ポーションを飲ませてもらう。
瓶の中の液体を全部飲み干すと、陸斗の頭上に浮かぶHPバーがまた回復し、今度は緑の安全ラインまで伸びる。
これで、しばらくは大丈夫だ、と安心した二人は次の問題に移る。
「やっぱり、毒消し関係のポーションは売ってなかったわ。……普通はあるはずなんだけどね……」
「……そう」
柚季は残念そうに返事をして、少しの間思案する。
毒にかかった陸斗の表情を見るに、自然回復は見込めないことは分かっている。
このままでは一生回復ポーションを飲み続けることになりかねない。そうなればその為の資金も必要となる。結果、ただのジリ貧で終わることが目に見えている。
そして、一番最悪なのは、運営が毒消しポーションを搭載し忘れていた、というやつである。
普通だと、プレイヤーがそういうことを見つけた場合、運営へ報告するなりして改善させるのだが、その為の連絡手段がない現在ではそれが叶うわけがない。
であれば、搭載されているが、店では売っていない、別の方法で入手可能なアイテムである、という可能性が出る。
そこでふと、柚季の中で何かが引っかかった。
(別の方法……?)
柚季の思案が止まり、いくつもの道から一筋の光が伸びてくるように閃きが奔はしる。
「――――あっ!!」
ガタっと座っていた椅子を後ろに倒したのも気にかけず、声を上げた。
「なっ、なな何よ!?」
突然の柚季の上げた声にまたしても美姫は驚愕の声を上げてしまった。
しかし柚季の方はそんなのお構いなしに自分の閃きを美姫に伝える。
「あったよ! 毒消しの入手方法! 別の方法で!!」
美姫には柚季が何を言っているのか分からなかった。いや、柚季の突然の奇行に既に理解が追いついていないのだ。
一方、柚季は嬉しそうにそのことを述べていた。
「ちょっと毒消し回収して来る!!」
「あっ! ちょっ――」
美姫は柚季の肩に手を伸ばすが虚空を掴むだけに終わった。
柚季はそれよりも早く部屋から出ていってしまった。




