緊急事態!
――時間は少し遡る。
陸斗の指示で柚季は美姫の腕を引っ張りながら森を駆け抜けていた。
何も分からずここまで走ってきたが、やはり陸斗のことが心配だ。
すると、突然やられるがままになっていた美姫が柚季の腕を振りほどく。
柚季もそれに連れて足を止めた。
「どうしたの、美姫ちゃん?」
「どうしたはこっちが訊きたいわよ!」
確かに、美姫は何の事情も知らされず、<ドクマリー>採取の手を無理矢理止めて連れ出されたのだからその理由を問うのは当然だろう。
だから柚季も理由を渋ることなく話した。
――とは言っても、
「実は、私も何が起きたのか分からないの。でも、陸斗も後から来るはずよ」
そう言って柚季は後ろを振り返る。
…………。
答える音は木の葉が擦れる音だけだ。
「何があったのかアタシは知らないけどさ。それって、陸斗が危険って感じたからじゃないの? 残った陸斗のこと、ゆっきーは心配じゃないの?」
言われて、柚季の胸中で何か言い表せない蟠わだかまりが生まれたような気がした。
柚季はそれを抑えるように右手で胸元をギュッと握り締める。
そして、意を決して口を開こうとした時。
柚季たちが走ってきた方の樹々の隙間から眩い光が放たれた。
その光に二人は手で目を覆う。
「この光って……」
「陸斗の《権破アカウントブレイク》だわ!」
二人は同じ結論に行き着き、どちらからともなく走ってきた方向――陸斗の元に駆け出した。
□ ■ □
大岩の場所に辿り着くのにそれほど時間は掛からなかった。
それと同時に陸斗の悲鳴が響く。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
柚季の方向からでは今、陸斗がどういう状況なのかは見えない。それでもあの悲鳴を聞けば誰でも悟る――陸斗の身に何か危険が迫っている、と。
そして、柚季が一歩を踏み込むのと同時に、目の前が突然光に包まれる。
「うっ、また!?」
「これも陸斗の《権破アカウントブレイク》だよね!」
再び発現した閃光に二人は腕で瞼を覆う。
だが、何かおかしい。
今までこんな短時間に陸斗が《権破アカウントブレイク》を使うことは無かった。
陸斗の持つ《権破アカウントブレイク》は格闘などで言う秘奥義に相当する類のものだ。
それほどのものを連発するなんて今までの陸斗であれば考えられない。しかし、それをやらざるを得ない状況なのだとしたら――。
柚季の中で焦燥感が立ち込め始めた。
――早く、閃光止んで!
柚季の想いが届いたかのように閃光は残光を散らしながら世界に色を取り戻させていった。
そして、二人の視界に飛び込んできた光景は、地面に横たわる陸斗とその隣で何やら塊でガサゴソと蠢く黒い集団。
柚季は閃光が消えるや否や真っ先に陸斗の所に駆け寄った。
美姫も何か嫌な予感を感じ取り、陸斗の所に駆け寄る。
(さっきまでの大岩が無い? それにあの黒いのって……。もしかして、あれが陸斗を襲った……!?)
あまりの光景の変化に驚きを隠せないでいると、陸斗の体調がおかしいことに気づく。
「陸斗!」
その後に続いて美姫も陸斗の元に辿り着く。
「りっくん!」
二人の呼びかけに何か反応を示そうとする陸斗だが、声さえも紡ぐことができず、細められた瞳で柚季たちを見つめる。
柚季たちも懸命に呼びかけるが、陸斗は反応を示さない。
どうしたらいい、と思い悩んでいた時、不意に美姫が陸斗の頭上を指差して言った。
「ねぇ、ゆっきー。陸斗の頭の上のやつって……」
そう言われて柚季は美姫が指差す方向に目をやる。
そこには過去に何度か見た『HPバー』が浮いていた。ダメージ計算時にしか出現しないと思われていたバーが今陸斗の上で動き続けている。
「HPバーが減っていってる……」
「ええ。でも、動きは小さいわ」
よく見るとバーは、三秒に一ミリ程度の速度で断続的に減少している。
「バーの横を見て」
そう言われて再び柚季は美姫の指差す方向に目をやる。
バーの隣に紫色のアイコンが脈打つように明滅している。
「これって、毒アイコン……?」
「そうかもしれないわね。……てことは、あのモンスターが原因ってのが一番納得いくんじゃないかな」
美姫の視線は<ドクマリー>に群がるタランチュラの集団に向けられていた。
今ならこちらに気づかれていない分、殺すことだってできる。しかしどう見てもあの集団は百や二百の個体がいるはずだ。一匹でも逃せば柚季や陸斗に被害が出てしまう。
ここは二人で陸斗を村まで運んだ方が良さそうだ。
一方、柚季は迷っていた。
陸斗のダメージは小さなものだ。すぐに死ぬようなことはないだろう。
しかしダメージは徐々に蓄積されている。
(こうなったら、私の《独弾ユニークバレット》を使うしか……)
美姫に見えないように、ズボンの左ポケットに入っている自分が当選した《独弾ユニークバレット》のリングを握り締める。
しかしこれはまだ誰にも教えていない《独弾ユニークバレット》だ。当選した時、弾の説明を見てから悟ってしまったのだ。
――もし、これが陸斗にバレたら、陸斗は自分を見る目が変わってしまうんじゃないか。対等じゃなくなってしまうんじゃないか。
そんなことがずっと脳裏を過ぎるせいで今まで話すことができなかった。
「……一体、どうしたらいいの……」
柚季は横たわる陸斗の胸元に顔を埋めるようにして嗚咽を漏らしながら嘆いた。
美姫は陸斗をここから連れ出すことを最優先事項として定め、柚季に向き直った。
「柚季……」
柚季がなぜ泣いているのかは分からない。
だが、柚季のことだ。きっと自分の無力さを嘆いていたりするんだろう。それはアタシだって同じだ。
こんな時、一番の大人である自分がオドオドしてはいけない。
美姫は気合いを入れるために両頬をパンッと叩いた。
「……美姫ちゃん……?」
美姫の奇行に柚季は少し心配そうな目を向けてくる。だが、美姫はそんなのお構いなしに言葉を言い放つ。
「ゆっきー、りっくんを村に連れていくよ!」
美姫の張りのある声に柚季は目元の涙を拭い、力強く頷く。
柚季は陸斗の右肩を、美姫は反対側を担ぐようにして持つ。
「なるべく、早めに行くよ。りっくんの体力もいつまで分からないし」
「分かった。でも、安全にね」
「おーよ」
なんとも男らしい返事をする美姫の声を合図に二人は村へと続く森の道を行くのだった。
□ ■ □
柚季たちが陸斗を連れて村に着いたのは日が暮れた頃だった。
そして、陸斗のHPバーは初期のほぼ最大値からして、危険色一歩手前のイエローゾーンギリギリだ。
柚季たちに肉体的疲労は蓄積されていない。それがこのゲームの唯一の救いと言えるところでもある。しかしそれ故にか、既定値のスピード以上を出すこともできない。疲労は無いが限界はあるということだ。
それでも精神的なストレスなどは反映されやすく、その際疲労のような症状になることがある。
閑話休題。
村に着いたはいいが、こんなところに病院などあるはずもなく、当然ながら医者もいない。
こんな状況で陸斗の毒を治すことができる方法は……。
「美姫ちゃん、とりあえず体力回復系のポーションを買ってきて。私はこのまま陸斗を宿屋まで運ぶから」
「えっ……でも、それならゆっきーでも……」
美姫がアイテム屋の店長が怖いことは分かっている。別に意地悪をしたいわけではない。
「じゃあ、美姫が陸斗を宿屋まで運べるの? 陸斗を背負ったまま料金支払いもできるの? 言っちゃ悪いけど、美姫の身長じゃ無理だと思う」
「……」
「別に美姫ちゃんを意地悪であのアイテム屋に行かせたいわけじゃないのよ? この毒を治す方法を見つけるために繋ぎとしてポーションを飲ませるために今、美姫ちゃんの力が必要なの」
美姫は柚季から陸斗に視線を移す。頭上に現れているHPバーは村に入った時のイエローゾーンを越し、危険なレッドを示していた。
見るだけでもここから宿屋まで行った後、アイテム屋までポーションを買いに行く余裕なんてない。
それに美姫の身長では無駄に陸斗を引きずる形になり、余計ダメージを与えるかもしれない。
ここで言っている柚季の指示は正しい。それに、美姫の行動で一人の人間が、大切な仲間が死んでしまう危険な状況だ。そんな状況で美姫の我儘わがままが通る筋もない。
「わかったわよ! 買ってくればいいんでしょ! 買えば! だから……ゆっきーもさっさとりっくんをベッドに運んでやりなよ」
「うん! ……ありがと」
「ほら、さっさと行きなよ! アタシより遅かったら承知しないからね!!」
「あはは、ちょっと厳しいかも……。でも頑張るよ。美姫ちゃんも嫌いな店長に会うんだもんね」
柚季は小さく笑みを浮かべ、陸斗を背負ったまま宿屋の方まで走り去った。
それを見送った美姫は、仲間を助けるため、陸斗を助けるためにアイテム屋に向かって駆け出した。




