クエスト:ミール・クロアのお願い
三人が分かれてから、陸斗はアイテム屋方面へ足を運んでいた。
しかし理由はアイテム屋ではない。
アイテム屋の先にある民家が陸斗の目的だ。
そしてその民家はやはり一般的な民家とは違う点がある。
一つは、周囲の民家が一階建てであるのに対して、その民家は二階建てであること。
二つは、これもまた周囲の民家にはない『家紋』のようなものがあること。家紋には二本の穂が交差するように描かれている。
その模様にどのような意味があるのか、陸斗に推測することはできなかった。しかし家紋があるということはそれなりの権力や村に力があることを示しているのは明白だ。
陸斗はその家紋がある民家のドアの前に立つ。予想ではここに重要な人物ごいるはずなのである。
陸斗はドアノックもせずにその民家に入った。
中は至って普通の民家と同じ造りだった。木製の家具が揃えられていて、一見して普通の民家と変わらない。
民家に入ってすぐのリビングと思われる所には長大なテーブルが一台置いてあるのが目立っている。この民家にはそれしかないくらいに。
その長大なテーブルを挟んで三人の村人 (NPC)がいた。
まず、真ん中で椅子に座っている老人は皺が深く刻まれ、貫禄が出ている。
そして、両隣にいる子供は今回陸斗と柚季にクエストを依頼した少年少女だった。
「やはり、ここだったのか」
予想通りの光景に陸斗は安堵するが、それは一瞬のこと。
陸斗は老人の右側に立っている少女の方に歩み寄る。ピンク色の七分袖を着た少女はずっと笑顔を浮かべている。
「なあ、ちょっと訊きたいことがあるんだが」
陸斗の問い掛けに少女は反応を示し、身体をこちらに向けた。
「あっ、お兄さん。<ドクマリーの葉>を持ってきてくれたんですか?」
「すまない。まだ採ってきてないんだ。それよりも、訊きたいことがある」
期待の眼差しを向ける少女に陸斗は真摯に謝罪の言葉を述べた。
しかし残念そうにしない少女を見て、改めて問い掛けた。
「はい。なんでしょう?」
礼儀正しい言葉遣いで応じる少女は、これがテンプレとでも言うように言葉を紡いだ。
「君の言う<ドクマリーの葉>についてだ。まず、その<ドクマリー>が咲いてる場所を教えて欲しい」
いくつか訊きたいことがあったが、それはひとつひとつ問うことにしよう。
「<ドクマリー>はですね、村の周辺にある森の大岩の近くに咲いてるの。白くて綺麗な花で、あまり多くは咲いてないの」
意外にも抱えていた疑問がいくつか解消された。<ドクマリー>の特徴と場所が解ったところで、八割方目的は果たした。
そして、最後の質問に移る。
「もう一つ訊いておきたい。このクエストにモンスターとのエンカウントは有り得るのか?」
咄嗟にエンカウントという言葉を使って通じるのか、と思ったが少女は一泊遅れて答えた。
「……有り得る、かもしれないです」
少女は顔を俯かせてすまなそうに言う。
「<ドクマリー>はあの都市ウイルスによる突然変異なんじゃ」
そして、陸斗の視線が自然と、少女の後ろの方に向けられる。
少女の代わりに答えた老人はいつの間にか陸斗を向いており、その細められた眼が陸斗を見据える。
「元は”ドクダミ”という植物なのだったが、都市で蔓延まんえんしたウイルスがこの森に生息するドクダミにも影響を与えたのだ。影響の効果は、その周辺に棲息するタランチュラの毒がウイルスに影響されたドクダミに蓄積されて、植物自体の毒性が強まったのだ」
<ドクマリー>についての情報を説明し終えた老人は再び正面に向き直った。
少女とともに老人の会話が終了したことを理解した陸斗は脳内で情報を整理してから、民家を出る。
時間としてはそろそろ約束の一時間が経つころだ。陸斗が思い当たる聞き込み調査は終了したため、集合場所である噴水広場に足を向ける。
日はまだ南中よりも早く、これなら今日中にクエストまで行けるだろう、とか考えながら雑踏を抜ける。
□ ■ □
噴水広場には、柚希、陸斗、美姫の順番に集合を果たした。
他のプレイヤーも集う噴水広場は会話が飛び交い、喧騒を立てている。
「みんな、情報は集められたかい?」
集合が整ったところで、陸斗は二人に呼びかけた。
「うん、そうね。場所と特徴ぐらいかしら」
「私は……その、あの……何も、ないです……」
柚希は見るからにしょんぼりとした様子で報告を終えた。
こんな時にどう声をかけるべきかわからなかった陸斗は苦笑を浮かべてその話を水に流すことにした。
「俺も美姫と大して情報は変わらないよ」
これは果たして分かれて聞き込みをする必要があったのだろうか、と疑問にも思ったが、すでに済んでしまったことだから、と諦めもついた。
「じゃあ、このまま情報を頼りにクエストまで行こうか」
「お――!」
「……お~」
陸斗の提案に美姫は勢いよく応じたが、柚希の方はまだ自分の失態を引きずるように声を小さくして答えた。
陸斗は特に気休めの言葉を掛けることもなく、無理矢理腕を引いて森の方へ連れていく。その際、抵抗がない当たり、ここでは強引さが正解だったようだ。後ろからは美姫が柚希の背中を押して連れて行った。
□ ■ □
森に入って何時間か経ち、いつもより深いところまで来ていた。いつもより深いといっても目に映る景色はどこも同じで変わり映えしない。
変わらない景色に溜め息を吐きながら、陸斗は情報にある大岩を目指して林道を抜けて行く。
今のところはモンスター――常にポップしているケルキは除く――とのエンカウントはまだない。
日は南中を過ぎ、このまま見つからなければ今日は諦めて村に引き返すことになるだろう。
その事を伝えようと後ろを振り返った時――。
「あれ! あれ見て! 岩があるわ!」
美姫の発した言葉に陸斗と柚季は前方に視線を向けた。
まだ少し遠いが、林の終わりがあるかのように光が差している場所がある。歩くスピードを上げ、その光の所まで一気に迫る。
林道を抜け、光が全身を包む。
眩い景色はすぐに晴れ、目の前の光景が鮮明に映る。
これまでの道ではケルキ同士の枝が絡み合うようにして、最低限の光だけを通して空は見えなかったが、目の前には五メートルほどの大岩がそびえ立つ。そしてその周辺には光の光源かのように輝く白い花が咲いている。
「これが<ドクマリー>なのか」
光るように見える<ドクマリー>は花弁が陽光を少なからず反射しているようだ。そして依頼主の少女から聞いた通り、この大岩の近くに咲き誇る<ドクマリー>の数は決して多くない。
陸斗は周辺を見渡し、大岩に近寄る。
「さあ、早めに採取を済ませよう。この近くにモンスターがいるかもしれない」
「そうね。あまり時間かけると夜になっちゃうものね」
そう言って柚希も陸斗と同じように<ドクマリーの葉>を摘み取る作業に移る。
「少し多めに取っとこうよ。もしかしたら高値で売れるかもしれないから」
美姫の提案に二人も賛成し、この辺一帯の<ドクマリー>を摘み尽くす勢いで三人は作業を進める。
大岩に沿って咲く<ドクマリー>を摘んでいくうちに陸斗は大岩の裏側まで回り込んでいた。そしてふと、岩肌が黒いことに気付く。それは影の黒より尚濃い色をしている。陸斗はそのまま何かに吊られるようにして視線を上に向ける――いや、向けてしまった。
「――――ちょ、これって……!!」
掠れるような声音で呟くと、岩肌の『黒』がゾワッと動き出す。そして次々に浮かぶ赤い点。
赤い点は増殖していくように岩肌全体を染める。
「どうしたの、陸斗?」
大岩の反対側から柚希の声が届く。先ほどの陸斗の掠れ声を聞いて心配してくれたのだろう。
陸斗は目の前の光景を目にしてから言葉を繋げることができずにいる。
返事がないのを気にしてか、柚希がこちらに来ようとする。草を踏む軽い音がどんどん近づく。
このまま柚希がここまで来ればこの『黒』の集合体を目にするだろう。その時、柚希は耐えられるだろうか、――おそらく無理だ。
叫ぶか、最悪の場合失神する恐れもある。
陸斗が思考に耽っているうちに柚希の足音が更に近づいていた。あと、数秒もすればこの光景が視界に入ってしまうだろう。
陸斗は意を決し、深く息を吸い込んだ。
「――――ここから離れるんだ!!!」
精一杯の声を上げ、ここからの退散を叫ぶ。
次の瞬間、赤い点が一斉にこちらを向く。
「どうしたのよ!?」
「いいからここから離れろ!!」
「わ、わかったわ」
戸惑い気味だが、陸斗の言いたいことが伝わったのか、遠ざかる足音が微かに耳に届く。
一瞬の安堵。
同時に臨戦態勢を構える。
「――《権破》!!」
陸斗の言葉に反応し、右手中指の白銀色のリングが輝く。
輝きの中で黒い拳銃が陸斗の右手に収まるように顕現する。
それとほぼ同時に右手の拳銃を岩肌の『黒』に向ける。
これまでは、クエストに関係のあるものに撃っても意味もなく消滅するだけだ、と考え使ってこなかったが、この場合に関してはクエストに何の影響もない。
陸斗が照準を『黒』に合わせようとした時、『黒』も動き始めた。赤い点が岩肌から溶けるようにして蠢く。
地面を這う『黒』――タランチュラは陸斗のリングの光に反応してか、赤い二つの単眼をギラつかせながら陸斗に迫る。
大岩から地面を這うタランチュラに銃口を落とす。そしてタランチュラ群の中心に向かって引き金を引いた。
銃口から飛び出す白銀の光がタランチュラ群の中心を貫き、辺りに着弾時の閃光が満ちる。
当たった、という陸斗の思考は耳に届いた音によって掻き消された。
残光の中から聞こえる微かな音。草地を懸命に這う小型の生物が光の中から飛び出してくる。
まだ視界が回復していない陸斗は気配だけが感じられる。徐々に足元に近づく黒蜘蛛が陸斗に迫る。
「な、なんだ!?」
右足に何か小さな感触が飛びつく。咄嗟に蜘蛛を取り払うために右足を振り上げた。
その小さな感触は離れたが、地面に着いたままの左足に無数の蜘蛛が飛びつく。蜘蛛の小さな足が陸斗の薄くないズボンの上を這い上がる。
妙にくすぐったく、体中から拒絶の意思が溢れ出す。
「うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
背筋が凍るような感覚に駆られ、思わず発狂してしまう。
右手が勝手に自分の足元を狙っていた。そして無意識に引き金を――、
「うわっ」
突如、左足に掛かる重さが一気に増し、陸斗は体勢を崩した。
そのまま崩れる途中で陸斗は引き金を引き絞った。
再び、銃口から白銀の光が発射される。
一条の光は大岩に向かって突き進み、土色の岩肌に着弾する。
次の瞬間、二度目の閃光がこの場を満たす。
しくった、と考えた時、足元を這い上がってくるタランチュラの足が止まる。そして、またタランチュラの足が動き出す。――逆方向に向かって。
膝辺りから不快感が遠ざかっていく。
空気中を漂う残光の中でタランチュラの行動を微かに見ることができた。
着弾した大岩にぞろぞろとタランチュラが集まる。
「……そういうこと、か」
ようやく、タランチュラの特性を悟った。
蛾と似たように、光に集まる習性があるようだ。
今なら陸斗の近くにタランチュラはいない。タランチュラの注意は閃光の発生源である大岩の方に向いている。
逃げるために起き上がろうとするが…………力が入らない。
(あれ? 起き上がれない。なんだよ、これ……)
身体が全く動かない。指先さえも。
そして、意識が遠くなる感覚に襲われる。
遠くなる聴覚の中で人間の足音を捉えた。数は二人分。
「……と……!」
「……くん……!」
誰かが声を掛けてくれるが、よく聞き取れない。
思考もだんだん鈍くなっていく。そして自然と瞼を持ち上げる力も失われ始めてきた。
――陸斗の五感がすべて閉ざされた。




