クエスト:息子の病気のために(1)
柚季がクエストを受諾し、陸斗も同じ手順でクエストを受諾した後、三人は森に訪れた。
村の周囲は鬱蒼とした樹々が立ち並ぶ森が広がっている。その中にはやはりケルキも多数存在していた。しかし、危害を加えない限りケルキ自身から攻撃する事はない。
その身動き一つしないケルキの間を宛もなく突き進む。
「やっぱり動かなくてもモンスターに囲まれるのっていい気分じゃないわね〜」
そう言う美姫がこの三人の中で一番平然としているのだが。
確かに以前殺されかけそうになったモンスターを前に緊張しない方がおかしい。
その時、不意に柚季が呟いた。
「モスビーってどんなモンスターなのかしら?」
ケルキの登場で陸斗は確信していた。この世界では『撃退モード』に出現するモンスターが組み込まれている。
それは今回のような場合でも同じだ。
「モスビーってのは前のケルキと同じように『撃退モード』にもいたモンスターだよ」
モスビー――ケルキ同様に都市で蔓延したウイルスによって突然変異した生物の一種だ。
元は蚊だったのだが、ウイルスの影響で細胞が急速成長したことで全長五十センチ近くの巨大な蚊へと変貌した。
特性は変わらず、人の血を求めているが、身体が巨大になったため、他の動物に限らず樹液も取り入れるようになった。
細胞の成長に伴って新たな臓器も増えた。
それは蜂のように蜜を溜める袋が尻部に加わっている。この蜜袋の役割は人の血から樹液まで様々な液体を体内で混ぜ合わせ、万能薬として作り出すことだ。モスビー自身にもその効果はあるのだが、大半は使われず袋の中に残っている。
体毛が黄色で蜜もあることから蜂のようだ、という理由でモスキートとビーを掛け合わせモスビーという名前になったのが運営の制作秘話だったりする。
「陸斗はそのモスビーってのと戦ったことあるの?」
「うん。あれは『撃退モード』でも初級に出てくる雑魚敵だったから」
「そう。なら安心ね」
美姫が安心したように胸を撫で下ろす。
しかし反対に陸斗は不安の方が強かった。
「でも、あの時は狙撃スナイパーだったし、この拳銃じゃ……」
「大丈夫よ。だって身体が五十センチもあるんでしょ? それならきっと当たるわよ」
すかさず柚季がフォローに入るが、陸斗は首を横に振った。
「違うんだ。モスビーの身体の半分は蜜袋だ。その蜜袋に少しでも銃弾が掠れば蜜袋は自衛行為として自ら爆発する。だから五センチほどイマジンをとると……約二十センチ。ケルキよりも的はデカイが、モスビーは常に飛んでるし、スピードもある」
「じゃあ、この前みたいにアタシたちが囮になって二体を麻痺させれば狙えるんじゃない?」
美姫もフォローを入れようと案を出したが、陸斗の首を軽く横に振らせた。
「モスビーの特性はもう一つある。集団行動だ。モスビーは普通一体や二体じゃ出現しない。最低でも十や二十の群れで出現する。だから、この前みたいな作戦は使えないんだ」
じゃあどうやって戦うのよ、という言葉が柚季の口から出そうになったが、なんとか飲み下した。その疑問に悩んでいるのは陸斗も同じだと感じたからだ。
それから幾分かの静寂が続いた。
陽が高くなったな、と思いログウォッチに視線を走らせると、午前十一時とデジタル表示されていた。
もうすぐお昼の時間になるのだが、今日昼食は準備していない。まず、こんなに時間がかかるとは思わなかったし、食糧が既に空だからだ。
空腹感だけは現実と同じように襲い来るが、体力的な疲れはあまり来ない。
しかし空腹でみんなの足取りは最初の頃より遅くなっている。
ここでどうにかして食糧を手に入れるか、<モスビーの蜜>を入手してクエスト終了後の報酬で何か食糧を手に入れなければならない。
そしてふと、周りの樹々に目を凝らすと、何か羽音が聞こえてきた。
「何か、聞こえる」
柚季もそれに気づいたようで陸斗と同じ方向を見やる。続いて美姫も振り向き、耳を澄ませる。
あの夏に聞くうんざりするような羽音が近づくのが三人とも理解した。
「――来るぞ!」
陸斗の合図から数秒後。
既に聞こえている羽音の正体が樹々の間から現れた。
「うへっ、何あれキモイ!」
美姫がそう呟いたのもわかる。
元が蚊なだけあって五十センチサイズの蚊というのが想像できなかったのだろう。それに体毛が黄色に変色している点もあり、キモさ倍増だ。
次々と現れるモスビーの数を数えると、全部で十五体だった。
「この際、蜜のことは後回しだ。まだ準備が整ってない。まずはここから脱出することを考えろ」
陸斗の命令に二人は頷く。
三人がそれぞれ《開弾オープンバレット》を唱える。
いつの間にか周囲がモスビーたちに囲まれていた。陸斗たちも三人で背を守り合うように固まる。
誰からという間もなく、それぞれがモスビーに銃撃を始めた。
また幾分かの時間が経った。
周囲にモスビーの姿はない。しかし、その残骸だけは派手に残っている。
「……はあはあ」
三人みんなが息を切らして地にへたり込んだ。
既に《通弾ノーマルバレット》の弾は回復が追いつかずゼロ発だ。
「うぅ……臭い」
息が整っていない口調で美姫がポツリと呟いた。
それもそのはず。陸斗たちの周囲にはモスビーたちが撒き散らした黄緑色の蜜が飛び散っている。蜜には気化すると刺激臭が発生する物質が含まれているようだ。『撃退モード』では感じなかった発見だった。
陸斗が六体、柚季が四体、美姫が五体モスビーを倒したのだが、誰一人として蜜を手に入れることができなかった。
敗因は適切な対処法を見い出せずに戦闘に入ってしまったことだ。ケルキの時と同じように囮作戦は敵数を考えても不可能だった。
モスビーの飛行速度は『撃退モード』の時よりも上がっていたと言える。そのせいで何発か弾を外したが、幸いそれがケルキに着弾することはなかった。
「そろそろ帰りましょ。もう日が暮れるわ」
柚季の指摘通り、あと数時間で陽が沈んでしまう時間帯になっていた。
本音としてはもう少し休んでいたい気分だったが、夜の森は危険があるという判断で村に帰ることを決めた。
陸斗は膝を支えにして立ち上がる。その後、二人の腕を引っ張り立ち上がらせた。
帰りの足取りは行きよりも遅く、疲れきった様子だった。
陸斗のHPが残り四割を切り、柚季が残り六割、美姫が七割残っている。
美姫のダメージが少ないのは身長が関係しているとは口には出さない。
村に辿りついたのは陽が沈んですぐの時間帯だった。しかし村は既に夜の設定に戻っている。昨日の夜の光景と同じで外に人はいない。
村に帰りついた足取りで昨日の宿屋へと向かった。
そしてまた金額表の前で止まる。
「みんないくらある?」
陸斗の問い掛けにそれぞれ金額を言っていく。
「俺は昨日のクエストの分が残ってて一六〇ウェルだ」
昨日の宿代は陸斗と柚季が一五〇ウェルずつ出し合い、少しだけ残っていた。
「私はモスビーの分と昨日の分で一一〇(ひゃくじゅう)ウェルよ」
「アタシはモスビーだけで七十五ウェル」
合計金額三四五ウェル。
昨日よりも経済状況が悪化していることは明白だ。
明日にはクエストをクリアして資金を貯めなければ野宿に併せて食糧も無い。
やがて、プレイヤーに殺される前に食糧難に陥り、ここにいるみんなが餓死してしまう。
その時は最低でもこの二人はなんとかしてみせる、と陸斗は固く心に誓った。
宿代はみんなが陸斗に集め、陸斗が代理支払いをした。
不思議なことに部屋は同じ二〇五だった。
部屋が同じだから部屋の物は変わらない。
部屋に入って気づいたことだが、三人はとても臭っていた。
「この臭いって、あのモスビーの蜜の刺激臭よね」
柚季が自分の短い袖を鼻に近づけて臭いを嗅いでいた。その表情から見るに、鼻を曲げるほどの臭いのようだ。
「先にシャワー入ってこいよ。俺は外に出てるからさ」
同じ轍は踏まないと、この部屋に閉じこもってたら臭いでぶっ倒れそうだ、の二つが理由として思いついたが、おそらく後者の方が割合として大きかったのは陸斗の心の内だけで完結すべきことだ。
柚季と美姫がシャワー室に入る少し前に陸斗は部屋の外に出た。
「また、柚季の罵声を浴びるのはゴメンだ」
そう呟いた陸斗は宿屋の外へと足を運んだ。
外に出る時一階のカウンターを通ったが、その時カウンターの人が眉を顰めたように見えたのが錯覚であってほしいと願う。
外に人はおらず、涼しげな風が吹いていた。夜風に晒されながら広場まで行くと民家の明かりが点いているところやそうでないところが見える。
周りを見やっていると、一軒だけ他よりも中が明るい所を見つけた。
自然とその明かりへと歩が進んだ。
広場から北西方向にあるそれは他の民家よりも少しだけ大きかった。
陸斗はその明かりの前までやってきて無意識に呟いた。
「アイテム屋……?」




