初めての村の朝
――五月二十八日。
村の鶏と思われる動物の鳴き声で陸斗は目を覚ました。
寝起きはあまり良くない。
陸斗は座っていたソファから立ち上がり、大きく伸びをした。
昨日はあれから、柚季に散々罵詈雑言ばりぞうごんを浴びさせられた後、ソファでの睡眠を余儀なくされた。
まあ、当然といえば当然である。若麗らかな女性の肌を少しばかりでも見てしまったのだから。
それについては自分でも罪の意識はある。
しかし――
「首いてぇ……」
ソファで寝ていたため、首が寝違えたようだった。わざわざソファでなくても床に毛布を敷いて寝ていればこんなことにならなかったのではないか。
遅まきながら気づいたことに軽く肩を落とす。
とりあえず、眠気を覚ますためにコーヒーを飲もうと、台に向かう。
傍に置いてあるカップを取り、コーヒーを注ぐ時、ある事に気づく。
「メールが一件来てる」
それは左腕のログウォッチに届いたダイレクトメールだった。
差出人は昨日メールを送っておいたノブからだ。
陸斗は迷わずそのメールを開いた。
【from高山 信之
ようやった、陸斗! 既に知り合いや他のフレンドたちには伝えといたからクエストがみんなに広まるのは時間の問題や。俺らもすぐにそっちに行くかんな!】
メールを読み終わった陸斗は、何か嬉しくなった。
自分たちの努力がいろんな人に広まり、殺さずとも生きる方法が見つかって、いつか大勢の人たちが帰れることが嬉しかった。
陸斗は一言、待ってます、と打って返信した。
メールの返信を打って数分後に柚季たちは起きてきた。
ベッドで寝た柚季たちは昨日のあの格好のままだ。柚季の浴衣が少し崩れていたのは寝相が悪かったからだろう。対して美姫は肩紐さえ乱さないほど良い寝相だった。
「おはよう、二人とも」
陸斗が挨拶すると、型崩れした浴衣の柚季が目をこすりながら陸斗を見つめる。いや、睨んだようにも見えるかもしれない。
「……おはよう」
控えめな挨拶だったが、少しは機嫌が直ったと言えるかもしれない。
「おはよう。先に手洗い場もらうから」
挨拶から華麗に手洗い場にターンしていくあたり寝起きは本当に良い方なのかもしれない。
美姫が手洗い場に入ると、バシャンバシャン、と洗顔の音がした。
そして、柚季はまだ微かすかに残っている睡魔と戦っているようで視線が虚ろな感じだ。
「眠気覚ましにコーヒーでも飲むか?」
柚季は視点の定まっていない瞳を向けてコクリと頷く。
「……砂糖多めでお願い」
こいつも甘党かと、砂糖は無いんだがという感想が一気に浮かんだが後者を取ることにした。
「すまんな、ここに砂糖はないんだ」
そう言いながら、新しいカップを取り出し、コーヒーを注ぐ。そして先程まで陸斗の座っていたソファに柚季がちょこんと座り、頭をフラフラとさせながら陸斗の持つコーヒーを待ち侘わびていた。
「ほい、砂糖無しのコーヒーだ」
柚季の前にコーヒーを置くとむすっとした表情を見せた。
両手でカップを持ち、少しずつブラックコーヒーを口につける。
「……苦い……」
同じ意見だ、と心の中で呟いた。
朝食は残り少なくなったパンだ。
この食事が終わればもう陸斗たちの食糧は無くなる。また食糧を確保しなければならないのだが、その当てがあるわけがない。
幸いここは村で、人もいるかもしれないが、食糧をくれるという保証はない。
それに、この宿屋は一泊三〇〇ウェルと、今の陸斗たちの経済状況では厳しすぎる。そのための資金確保も今後の目標となる。
そして食事が終わると陸斗は廊下につまみ出された。
理由は、女性陣が着替えるからロリコンは外に出ていろ、ということだ。
「だから、俺はロリコンじゃないってば」
ここで、陸斗の女性趣味は置いておくとして。
この場に幼女などがいるわけがないからロリコン呼ばわりの方がおかしいのではないかと、最近は思っている。
しかし、美姫のあの身長は確かに年齢を知らなければ小学生か中学生に見えないこともない。
(それに美姫のあの性格上俺の方がやらせていると思われても仕方がない気もする)
いつの間にかロリコンを肯定するような思考になっていたことに気づいてすぐに止めた。
仕方なく床に座り込み、考えることを止めて、廊下の窓をぼんやりと眺めていると、ドアが突然開いた。
ボケっとしていただけあって、ドアに背を預けていたこともあり、ドアが開いた時、自然と体勢が後ろに傾いていくことに遅れて気づいた。
「陸斗、着替え終わったから入っ――」
ボスン、と静かな音が二人の間に響いた。
柚季は浴衣から私服に変わっていた。上は半袖のTシャツ、下はミニスカートで――。
まずは現状を説明しよう。
柚季がドアを開いた。
次に陸斗は座った体勢のまま後ろに倒れた。
柚季は私服に着替えてTシャツとミニスカート姿だ。
これから推測されることは、陸斗が下から上を見て、柚季が下の陸斗を見下ろす形となっている。
(これぞ、俺の名推理!)
カッと見開かれた目は柚季を見上げた。
「――いつまで見てんの!!」
次の瞬間、陸斗の顔面を柚季がサッカーボールよろしくといった感じで蹴りつけた。
柚季の後ろで眺めていた美姫はとっても満足そうに微笑んだことを陸斗は決して忘れないだろう。
午前九時、陸斗たちは宿屋を出発。
まずは村を調査してみようということで広場までやってきた。
昨日は夜ということもあり、人がいなかったが、朝になるとチラホラと人の姿があった。
それはどれもプレイヤーらしい洋服を着てはいない。一昔前の庶民の着る布生地のような服だ。
昨日の今日でプレイヤーがここに来るとは思っていないが、本当に人(NPC)がいるんだなと少し感慨深くなるところがある。
「まずは、どうするの?」
物珍しそうに人(NPC)を観察しながら陸斗に問う。
「そうだな。……とりあえず、どこかでクエストを探してみよう。RPGとかではこういう村にこそクエストがたくさんあるもんだ」
実際、陸斗のRPG経験なんて高が知れていることだが、決して多い方ではない。
一般的なイメージとしてそうあるだけで、そんな確証はないのだ。
「それじゃあ、片っ端から村の家に入るの?」
「まあ、そうなるね」
柚季が心配そうに口にしたことは、おそらく無断で村の家々を訪ね回るという行為に罪悪感を抱くからだろう。
いくら相手がコンピュータに制御された人間だからといってそんなプライバシーを無視した行動をしていいのか柚季は迷っていた。
「じゃあ、こうすればいいだろ」
そう言って陸斗は柚季の腕を引っ張り、近くの家の前に立つ。
柚季は陸斗がいったい何をするのか検討がつかなかった。
陸斗はおもむろに右手を上げ、振りおろした。
コンコン、と控えめな音を響かせる。それは木製のドアが奏でるノック音だった。
「…………」
当然の静寂が訪れた。
いくらノックしても返事はない。
その時、返事がないただの〜、というフレーズが思い浮かんだが、すぐに思考の片隅に追いやられた。
返事が返ってこないのは分かっていた。まず、この世界の人(NPC)に『ドアをノックされた時のパターン』というものが搭載されていないはずだ。
そしてついに陸斗はそのドアを開いた。
「あ、あの〜、失礼しま〜す〜」
声を出しているのにコソコソと入るところが泥棒と間違えないだろうか、と心配になったがそんなことはなかった。
中は至って普通の木造建築の造りだ。木製のテーブルに、木製のチェア、木製の食器棚まである。しかし人影はなかった。
部屋はここだけではなく、奥へと部屋が続いていた。
そこまで足を運ぶとようやく人がいた、二人も。
一人は床に敷かれた布団の中で寝ている子供、そして傍でその子の看病をしているように見える女性。
おそらく、病気の子供を看病する母親という設定によるものだろう。
「あの、すみません。どうかなされましたか?」
このセリフは柚季のものだ。口調がいつも自分たちに向けられているよりも丁寧なところがお嬢様の気品があるように思われた。
柚季のセリフに女性NPCが反応した。
「旅の御方ですか。少し、頼みたいことがあるのです。聞いていただけますか?」
どうやらNPCは自分たちを旅人という設定で認知されているようだ。
確かに、この服装でこの村の人とは思わないだろうが。
「はい。なんでしょう」
「実は、私の息子が病気で倒れてしまったのです。ひどい高熱で息子も苦しそうにしてます。どうか、旅人のあなたに森に生息する<モスビーの蜜>を採ってきて欲しいのです。その蜜さえあれば、薬を作ることが出来ます。どうか、お願いいたします」
女性の話が終わると、柚季の左腕のログウォッチが作動した。
案の定、それはクエストの依頼だった。
【クエスト:息子の病気のために
依頼者:母親ルルフ
内容:<モスビーの蜜>の入手
報酬:1ポイント・300ウェル
備考:報酬は1人1度きりのみ
受諾or拒否】




