クエスト:樵の頼みごと(2)
三人は散開して黒く細いケルキの枝の振り下ろしを避けた。
バシン! と鞭のような音を響かせて地面を叩く。
「一体なんなのよ! ちゃんと左を狙ったじゃない!」
「まず、左って言ってもこの樹に正面がないんじゃ、右も左も判断がつかないわ!」
美姫と柚季がそれぞれ愚痴を零す中、陸斗は冷静に思考していた。
(攻撃してくるってことは美姫が撃った枝は『右』の枝ということか)
ケルキは植物なりの咆哮らしきものを発しながら攻撃を仕掛け続ける。その間、右の枝から新しい芽が出てきて枝が再生していく様を陸斗は見た。
(くっ……撃退モードでは見られなかった自己再生付きか……!)
心中で舌打ちし、薙ぎ払われる枝を後方に飛んで回避する。
あれ以来誰も枝を撃っていない。それは次も外したら、という不安感によるものだろう。
再生するケルキの右枝を見て陸斗は再度驚いた。
(二本だと……! くそっ、再生したら数は二倍ってことか!!)
瞬時にそう悟った陸斗は鞭のような枝を掻い潜りながらケルキに突撃して行った。
「陸斗っ!!」
「りっくん!!」
柚季と美姫が同時に叫んだ。それに振り返ることなく陸斗は拳銃を顕現させる。
「《開弾》!」
コバルトブルーのリングが閃き、陸斗の右手に光が集まり、銃を象っていく。
銃口は当然、美姫が狙った逆の枝に向いている。そして引き金を引こうとしたその時――
「ぐっ……」
陸斗の右横腹をケルキの左枝が薙いだ。
宙を舞った陸斗は微かに開かれた目で見た照準のズレた銃弾がケルキの樹皮に着弾し、カン! と金属質の音を響かせて反射したのを。
反射された銃弾は柚季たちの斜め後ろのケルキに向かった。そして最悪な所――右の枝を見事に撃ち抜いたのだ。
黒く細い枝が美姫の足元に落ちる。
ドスン! と陸斗が落下するのとほぼ同時にもう一体のケルキが動き出した。自己防衛や敵の排除を目的とした活動として。
次の瞬間、柚季と美姫に向かって左枝を勢い良く振り下ろした。
「ぬあっ!?」
素っ頓狂な声を発したのは美姫だ。左枝の狙いが柚季よりも美姫の方に近く、足元寸前の所を鞭のように撓しなる枝が叩いたのだ。
「美姫ちゃん!」
柚季が叫び、同時に腰から拳銃を取り出す。
それをケルキに向けて無造作に撃ち放った。柚季の銃弾は微かに左枝を掠っただけだった。普通の樹の枝ならば掠っただけでも折れるくらいだったが、あれだけ強靱きょうじんな枝なら樹皮一枚になるまで耐えるだろう。
どうにか膝立ちで起き上がった陸斗は柚季たちを視界に収める。
迫り来る枝を回避しながらあの細い枝を的確に撃ち抜くのは困難のようだった。
陸斗たちを挟むような形で覚醒した二体のケルキは今も枝を振り続ける。右枝から生えてくる再生の芽がだんだん枝の形を成していく。
あの二本の枝が復活すれば、今以上に戦況は悪化するに違いない。早急にこの戦闘を終わらせなければないない。
「柚季、美姫、ちょっと来てくれ!」
バラバラになった三人を一度集め、陸斗が指示する。
「陸斗何か策があるの?」
不安そうに訊ねる柚季に力強く頷く。
「一か八かの作戦なんだか、やってくれるか……?」
「やるわ」
「やってやろうじゃない」
柚季と美姫は同時に頷いた。失敗すればパーティ全体にダメージはやってくるであろうその作戦に。
迫る二本の枝を躱しながら陸斗は二人に手短に作戦内容を伝えた。
「――突撃は柚季と美姫にお願いしたい。おそらくこの中で小回りの利く二人はお前らだろうから。危険な役割かもしれない。いや、危険な役割だ。それでも、やってくれるか……?」
陸斗の要望に二人は同時にため息を吐く。
「だから、やるって言ってるじゃない。まず、このゲーム自体が危険でいっぱいなんだから、今更よ」
「そうよ。この場で危険じゃない選択肢なんてないんだから、アンタに従うわ」
二人の逞たくましい返答に涙を零しそうになった陸斗はぐっと堪えて、一言。
「ありがとう」
二人はふふっ、と笑いながらも叩きつける枝を回避する。
「絶対に 成功させよう。俺が合図を出したら一斉に戻ってきてくれ」
「わかったわ!」
「りょーかい!」
三人はそれぞれの位置に着く。
陸斗はその場で二人を見た。柚季は最初のケルキの方を向き、美姫はもう一体のケルキの方を向いている。
そして、大きく一呼吸。
「ゴー!!」
陸斗の合図で二人は同時に駆け出した。
迫り来る枝をギリギリで躱し、どんどんケルキに近づいていく。
そして、ケルキの枝が針のように突く一撃を繰り出す、その時――
「――今だ!!バック!!」
陸斗の作戦の合図が響き渡る。
二人の突撃に急ブレーキをかけ、一斉にバックターンして、最初の位置に駆け戻る。
一直線に駆け戻る柚季と美姫。そしてその後ろからはケルキの枝が二人を貫かんと迫ってくる。
二人が陸斗の前でぶつかりそうになるその距離で、突然向きを変えた。左右に別れた柚季と美姫を追いきれずケルキの枝は双方が激突する形となった。
鋼鉄のように堅い枝がぶつかり合うその衝撃は普通の木の棒をぶつけ合う音とはかけ離れたものだった。周囲に高い金属音を響かせて、痙攣したようにその場に数秒固まる。
陸斗はこの状況を待っていた。
右手に携えていた拳銃を両手で持ち照準の性能を高める。そして引き金を瞬時に二回引く。
「撃ち抜けぇ――ッッ!!」
陸斗の叫びと共に撃ち抜かれた二発の銃弾は固まった細く堅い枝に向かって直進する。
枝は直径二センチあるかないかくらいだ。それを撃ち抜くことは的の真ん中の小さな円よりももっと小さく精確な射撃を求められる。それを同時に二発成功させるのはかなりの技術が必要となる。しかし陸斗はそれを成功させなければならない。失敗すれば近くにいる柚季と美姫が狙われるからだ。
三人は必死に願った。
――当たれ!
――当たって!
――当たりなさい!
次の瞬間――
――バキッ! ボキッ!
二つの音が静寂を突き破った。
ポトリポトリと落ちる二本の枝を見て、歓喜を上げようとした時――
ケルキの折れた左枝から緑色の光が樹全体を包み始めた。そして、ケルキの全身が緑色の光に包まれた瞬間、緑色の光粒となって霧散した。同時に二体のケルキが消滅したことで周りには無数の緑色の光粒が舞い散る。それは人間が消滅した時と同じ散り方だった。光の色が違うだけで、この世界の生き物が死んだことには変わらない。
しかし、そこはちゃんと陸斗は区別をしていた。
ケルキはこのゲームの運営が作ったモンスターに過ぎない。しかし人間は実際に生きている。時間が経てばポップするモンスターとは違う。
そう思い込むことで陸斗は平静を保っていられた。
ケルキの散った光が無くなった頃、既に時刻はログウォッチが五時を示していた。
この世界ゲームと現実の季節が同じかは分からないが、空はオレンジ色になってもうすぐ夜に近づいていた。
陸斗は二体のケルキの落とした黒く堅い<ケルキの若樹皮>を手に入れ、一つは陸斗が、もう一つは柚季に分け、ガロウの元に戻った。
「おお! 持ってきてくれたか! ありがたい! これは礼じゃ。受け取っておくれ」
ガロウの出した手には何もなかった。
陸斗は首を傾げそうになったが、すぐに左腕の振動とともに視線を落とした。
すると、画面の右上に【220ウェル】の文字が出現した。
報酬の二〇〇ウェルとおそらくケルキを倒した報酬が二〇ウェルと陸斗は予想した。
柚季も同じくガロウから礼を受け取り、陸斗たちと合流した。
そして、もう一つの報酬が、右肩に出現した。
緑色のデジタル表示で【1】と出てきた。
「アタシと色が違う……」
美姫が小さく呟く。
数日前目にした陸斗は美姫の肩に出現したポイント表示を思い返した。
確か、赤色の【7】と表示されていたはずだ。おそらくそれはPKとクエストで手に入れたポイントが違うのだろうと、陸斗は考えた。
まだ様々な疑問が残る中、三人はここで野営するのは嫌! という判断でどこか街を探そうとして、動きかけたその時――
『ヤアヤア、おめでとう。君たちは初めてのクエスト達成者だ。心から祝福しよう』
突然の聞き覚えのない異質な声に三人は同時に後ろを振り向いた。
そこには異形の姿の人物が岩に腰掛けていた。
白く細く長い腕。黄色の軽装備。頭には先端が二つに別れ、その先が下に垂れ下がっている帽子。そして顔には三日月形に切り抜かれた目と鋭く吊り上がった口の形をした仮面。それは明らかにプレイヤーではないと分かった。
「一体いつから……?」
「全然気づかなかった」
美姫と柚季がそれぞれ驚きの声を上げる。
そう、これほど派手な人物が近くにいたのにこの三人の誰も気づかなかった。
『スマナイ、申し遅れたね。ボクは<道化>。"道化"と書いて"ジョーカー"と呼んでくれ。ちなみにボクはここに最初からいたよ』
最初からいた? そんなことがあるわけない、そう思い込むだけで陸斗には精一杯だった。
今日はいろいろとあり過ぎたのだ。初めてのクエストで初めてのモンスターに殺されかけた後でこんな得体のしれない人物に会うなんて運がないにもほどがある。いや、クエストでポイントを手に入れたのは運がいいと思う。
途中からどうでもいい思考に走っていたことに頭かぶりを振って思考を散らす。
「道化っていったら普通"ピエロ"じゃねーのかよ」
陸斗がここまで軽口を叩くのはいろんなことが吹っ切れたせいもある。
『アハハハハ! ボクに、このボクにそんな人を笑わせる才能なんてないよ!』
体を反らせて高笑いのように声を上げてその異質な声を響かせた。仮面に手を当てて必死に笑いを堪えようとするが、その異質な声は仮面の下から盛大に漏れ聞こえてくる。
次の瞬間、ピタリと道化と名乗るそいつは動きを止めた。
『――でも、人を騙すことに関しては、ボクはピエロごときに負ける気はないよ』
道化ジョーカーの指の隙間の三日月形の穴から覗く赤い瞳が三人を捉えた。
その時、三人は同時に戦慄さえも超える恐怖を味わった。これはどんなモンスターを前にするよりも恐ろしい、と直感で全員に心底思わせるほどの迫力があった。
震える奥歯をぐっと噛み締め、陸斗は口を開いた。
「……お前は、一体、何者なんだ……!」
どうにかして紡ぎ出せた言葉は酷く具体的なことが添えられていなかった。
しかし、陸斗の心中を読んだかのように道化は答える。
『ハハッ、ボクは道化のジョーカーさ。人を騙すことに関して誰にも引けを取らない自信があるよ。そして、君が訊きたいのはボクがどういった存在なのか、ってとこだね』
既に周りは夜の闇に包まれ、空には星々と頭上に輝く三日月が姿を現している。
道化は岩の上から立ち上がり、仮面の目と同じ三日月を背に高らかに告げる。
『ボクは、この世界の住人(NPC)であり、殺す側(Player)であり、最も神に近い者(Game Master)だよ』
そして、道化ジョーカーはプレイヤーの証であるあの文言を唱える。
「《開弾》」
光の粒子が道化の手に収まる瞬間を見ていた陸斗は瞬時に自分も拳銃を取り出した。それは咄嗟の行動で無意識の内にやったことだ。そして素早く銃口を道化に向けた後、ヘッドショットを狙って撃ち放った。
道化が銃を構えるよりも速く撃った銃弾は的確にヘッドショットを決めた、と思った。
柚季と美姫は驚愕の眼差しで陸斗を見るが、陸斗としては正確な判断だったと思っている。
あの男をプレイヤー――人間だとは陸斗が判断しなかったのだ。
しかし、銃弾が道化の額に当たる直前、道化に変化が起きた。
突然身体が透けるように薄くなり、陸斗の銃弾を受けずに消えたのだ。
「――消えた!?」
三人が同様に驚いた。先程までいた大柄の細い男が瞬時に姿を消したことが信じられなかった。
『オーイ、ボクはここだよ』
声は斜め後ろ上空から聞こえた。一斉に振り返ると、あの黒く細い樹の枝に逆さでぶら下がる道化がいた。
「今の一瞬で……?」
「そんなの、ありえない……!」
柚季と美姫の驚きを無視して、道化は形成し終えた黒い拳銃を逆さの状態で構える。
狙いは当然陸斗の額。そして引き金に指を掛ける。
あまりの驚きで動けなくなった陸斗を無情の表情――仮面のせいでわからないが――で道化は引き金を引いた。
――パンッ!
今話に初登場の道化はこの物語中最・重・要・人・物となります。
そして初のクエストもクリアできたのでこれからバンバン物語を進めていきます。
次話はまだ道化の話ですが、お付き合いよろしくお願いします。




