逢うべきではなかった再会
緑の草地とコンクリートの境目。
今陸斗たちは都市の最北端にいる。
鉄材やコンクリートに囲まれた都市をずっと北に進むと緑色の樹々が姿を現したのだ。そして都市と目の前の鬱蒼とした森の境目はいたって簡単にきっぱりと別れていた。
左右を見やるとずっと先まで森と都市の境界線が続いている。
「意外と現実感のない境界なのね」
そう呟いたのは柚季だ。陸斗もそうだな、とだけ返して一歩を踏み出せないでいる。
あと一歩進めば森の領地に入るのだが、ここまで綺麗に別れていると何か越えてはならない線のようにも思える。
「何グズグズしてるのよ! さっさと行くわよ! こんな所で止まってても仕方ないじゃない」
美姫はそう言ってピョンと線を越えた。
そして森の領地に入った美姫は、わぁ、と感嘆を漏らしたのだ。
美姫のその反応を見て不思議に思い、陸斗と柚季は一瞬顔を見合わせ、同時に線を越えた。
「……すげぇ……」
次に感嘆の声を漏らしたのは陸斗だ。
線を越えると、新緑の草木の匂いが微風に乗って鼻腔をくすぐる。
地面には低い雑草の緑が波打っている。そして周りには名前のわからない――いや、何か喉の奥に引っかかる感じがする。見たことがないわけではない。一度ならず何度か見たはずなのだ。しかしそれがどのような名前なのかが思い出せないのである。
「陸斗、どうしたの? 何かあったの?」
心配して声をかけた柚季はその樹を触っていた。その先で美姫が地面に生えている草花を調べているようだった。
柚季の声掛けに陸斗は物思いから現実に引き戻された。いや、現実じゃなくてゲームの中か。
「いや、なんでもないんだ。それより柚季こそどうかしたのか?」
「それがね、この樹ってとてもツルツルだなって思って。あとこの樹、変なのよ」
「どこが変なんだ?」
言われて陸斗は樹を見上げる。柚季の言うとおりに樹皮はツルツルと光沢のようなものが見られる。
「上を見てちょうだい。葉が付いてない枝が二本だけあるのよ。他の樹も同じように葉が付いてない枝が二本だけあるの」
「ホントだ……」
樹の天辺には深緑の葉が茂っている。しかしその葉の生えた枝群より不自然に下の位置で枝が二本だけ対になるように生えているのだ。
その枝の生え方が人間の腕のように見えるのは錯覚だろうか。
「アンタたち何してるの。先に行くわよ!」
陸斗と柚季が不思議な樹について考えているうちに美姫はかなり遠くまで歩いていた。
一度、思考を振り切り、二人とも雑草を踏みしめて美姫の後を追った。
森の中を歩き続けて数分が経った。
どんなに歩き続けても光景が変わることはない。謎の二本枝樹が林立していく光景を延々と眺めている。
眺め飽きた木々の間から覗く太陽が真上に来ているのが見えた。
そしてついに森にも切れ間が見えた。
森を抜けると、そこは小さな広場のように樹が一切植えられていない原っぱになっていた。
ぽっかりと空いた円形の原っぱは差し渡し十メートルほどある。
「ここは何なのかしら?」
原っぱを見渡し、呟いたのは柚季だった。
陽の光をふんだんに浴びる原っぱは煌々と輝いているようだ。
陸斗がその光景に感嘆を零しそうになった時――
「ほぅ、俺様以外に都市を出ようと考える奴がいるとはな」
声は突然前触れもなく降ってきた。低音寄りの中性の声音が上から聞こえたのだ。
陸斗は声の方向に振り仰いだ。
「――誰だ!! ……あっ」
声の人物は謎の二本枝樹の細くはない枝に腰を下ろしていた。
そしてその人物は腰を下ろしていた枝から飛び降りた。
幅広の黒いロングコートを翻して、スタッと華麗な着地をしてみせた男性に陽の光が差す。
サラサラと流れるような銀髪、ギラリと輝く灰色の瞳。
陸斗はかつてこの髪と瞳を見たことがある。ずっと一緒だと思っていたのに、自分が約束を守れなかった所為で、心に深く刻む言葉を残していった大切な友達。
「……ま、まさ……」
陸斗が言い終わる前に銀髪灰眼の男が前髪を掻き揚げて言葉を発した。
「よう、久しぶりだな――陸斗」
「…………真樹……」
もう二度と会えないと思っていたのに、思わぬ形で再会を果たしてしまったことに陸斗は言葉を失くす。
しかし、その言葉を失くした時間はそう長くはなかった。出すべき言葉は七年前から変わらない。
喉に詰まりそうな感覚を押し切り、陸斗は口を開いた。
「真樹、俺、お前に言わなくちゃいけないことがあるんだ。あの時、俺――」
「ああそうだな。確かにお前はあの時、俺様を見捨てたよな。――この裏切り者」
背筋どころか心の奥底まで冷え切るような感覚。
真樹の言葉に陸斗は反論する余地はなかった。
「ねぇ、陸斗。あれが陸斗の言ってた小学校の時の転校生なの? 聞いてた話と全く違うんだけど」
耳元でひっそりと呟いた柚季に陸斗は震える奥歯を噛み締め、頷いた。
確かにあれは陸斗の知る神無月 真樹だ。
しかし以前の真樹との違う点がある。
真樹のここまでの性格の変わりようである。小学生の時は当り障りのない口調で突っ張ったイメージはなかった。
「陸斗にも感謝してるぜ。あの後、俺様は遠い地方の小学校に転入したんだ。そして学んだ。あんな弱っちい性格してるからいじめられるんだ、と。だから、俺様は逆側に立ったんだよ。陸斗が守ってくれなかったから、守られる存在をやめたんだ」
「お前……一体何を……」
言っているんだ、とは言葉が続かなかった。聞かずとも分かっていた。真樹にここまでの変革を与えたのは自分のせいだ。そして望んだのは真樹だ。
「いじめ側に立ったんだよ。簡単な話さ。いじめられるのは心が弱いから、自分が相手よりも下に見られてるから。じゃあ、誰も俺様に逆らえなくすればいいじゃないか!」
「それは違う! いじめは決して心が弱いからなんかじゃない! なんでいじめが起きるかなんて、俺にはわからないけど……でも、真樹のやってることは間違ってる!!」
陸斗は必死に友のために叫んだ。誤った道に進まないように、友達がこれ以上傷つかないようにするために。
しかし、真樹にその真意が届くはずもなく、すっ、と目を細めた。
そして大きく足幅を取り、冷たい声音で陸斗に言葉を返す。
「お前が、テメェごときが……俺様を否定するんじゃねぇぇぇ!!!」
黒のロングコートを大きく翻し、腰から黒い物体を取り出す。
黒のフレーム、金属質の光沢を持つ銃身、深淵のような深さの銃口。
そして、その銃口の向く先は、陸斗の額――ヘッドショットキルだ。
「――みんな伏せて!!」
陸斗は咄嗟にそう判断し、柚季と美姫の肩を強引に地面に引き寄せた。
ドスン、と響く二つの音の中で、真樹は引き金を引いた。
銃弾は陸斗を掠めることなく、後ろの謎の樹に向かった。
カン! と響く音を背に、陸斗は一人立ち上がった。
真樹は小さく舌打ちをしてもう一度陸斗に照準を合わせる。
陸斗も対抗するため、《通弾》を唱える。
しかし、あと出しの陸斗に真樹のスピードには追いつけない。
「死ねっ! 陸斗ぉぉ!!」
真樹の叫びとともに撃鉄が雷管を叩いた。
回避を試みる陸斗だが、真樹の完璧な狙いだった照準に誤差はない。
もう、ダメだとそう悟ろうとした時――
――黒い影が陸斗の前に突然現れた。
靡なびく黒髪が陸斗の鼻を掠め、視界がその影に覆われた。
次の瞬間、陸斗の額を貫くはずだった銃弾はその黒い影に阻まれた。
黒い影はすぐに視界から外れ、地面にドスンと音を立ててその姿を晒す。
「――柚季っ!!」
音に遅れてポニーテールの黒髪が後からフサっと舞い落ちる。
倒れた柚季を抱き起こす。幸いというべきか、腹部に銃痕が見られ、大きなダメージとはなっていないようだ。
しかし陸斗にとってそれは重要なことではなかった。
自分が油断していたせいで柚季が身代わりとなってしまったことに激しい怒りを覚えていた。
陸斗はキッ、と真樹を睨み、右手に握る拳銃を風を切るよりも速く抜き放ち、真樹に向かって構えた。
まだいくらか理性が残っていて頭部を狙おうとはしなかった。しかし多少の痛手は覚悟はしている。
陸斗と同時に構えた真樹は素早くポケットの中から新たなマガジンを取り出し、マガジン交換を行った。
カチッとマガジンが装填された音と同時に陸斗は引き金を引いた。
一瞬遅れて真樹も引き金を引いた。
「――ッ!!」
「――《壁弾》!!」
交差されると思われた銃弾は互いが違う作用を起こしていた。
《通弾》である陸斗の銃弾はブレのない最高照準で真樹に直進しているのに対して、真樹の放った銃弾は発砲してから二メートルのところで変化を起こした。
弾が炸裂したように広がり、真樹を囲む半円状の透明な障壁を作り出したのだ。
次の瞬間、陸斗の放った銃弾が透明な障壁に着弾し、弾の先端がぐにゃりと潰れてしまった。
銃弾は真樹に届かず、空中で潰れた状態で止まっている。
「……なんなんだ、あれは……」
陸斗は目を見開き、今起こっている事態を整理した。
陸斗と真樹はほぼ同時に引き金を引いた。
そして先に真樹の銃弾が炸裂し、透明な障壁を作り出した。
それに着弾した陸斗の《通弾》が空中で停止したのだ。
「《独弾》、なのか……?」
そう悟った陸斗は更に三発発砲した。
しかしどれも障壁に阻まれ、空中で停止した状態となる。
「よくわかったじゃねぇか。ならテメェも《独弾》持ってんだろ。見せてみろよ、それ」
口角を上げて薄笑いを浮かべながら陸斗の右手のリングを指さした。
確かに、陸斗の持つ《権破》であれば、あの壁を消滅させることができる。
――しかし、そのあとはどうする……?
この《独弾》をプレイヤーに向ければ確実に真樹を光の粒子に変えてしまうだろう。
――ならば、撃って障壁を消した後に《通弾》にマガジンを交換するか……?
それもダメだ。たとえ、《権破》で障壁を消したとしてもマガジンを交換する間に真樹は再度障壁を作り出して振り出しに戻ってしまう。それに、現在《権破》の装填弾数が残り一発と無駄遣いはできない。
陸斗が無限に続きそうな思考を繰り返している間に美姫は独自に動いていた。
腹部を撃たれた柚季に肩を回し、ゆっくりと立ち上がった。
柚季は美姫と身長差がかなりあるため、少ししゃがんだ状態で撃たれた腹部を右手で押さえている。
勝手に飛び出して陸斗を守ろうとしたが、こんなザマでは逆に足手まといとなってしまった、と柚季は歯がゆい思いだった。
「ナイスブロックよ。アンタのおかげでりっくんは助かったの。足手まといなんかじゃないわ」
まるで心の声を聞いたようなセリフに思わず柚季の目が潤む。
「……うん。ありがと……」
それだけを言って柚季は前を向いた。
いつの間にか腹部に感じる激痛からは開放されていた。
目の端でチラリと美姫が柚季を連れて離れているのを見やり、陸斗は意を決した。
無造作に右手を前に出す。
そして、顕現の言葉を発する。
「――《権破》」
白銀の光が周囲に広がる。突然の光に真樹は目を細めた。それでも、陸斗の行動には細心の注意を払いながら。
陸斗は顕現が完了する前にマガジンリリースボタンを押した。
マガジンケースから顔を出した《通弾》は重力に引かれ、そのまま地面に落下する。マガジンは光の粒子へと変換され、右手人差し指に嵌められているコバルトブルーのリングに吸い寄せられて光は収縮された。
その間に《権破》のマガジンの顕現が完了し、弾が一発入っているのを瞬時に確認してマガジンケースに挿し込む。
陸斗と真樹は互いに銃口を向け合い、互いに牽制し合っていた。
ハラリハラリと舞い落ちる木の葉が二人の間を通過する。そして木の葉が地面に着地した直後――
「――《壁弾》!!」
「――《権破》!!」
叫んだのは同時。引き金も同時に引かれたが、効果を発動したのは真樹が一瞬速かった。
真樹を中心に半円状の透明な障壁が再び姿を現す。
対して青白い閃光が真樹に真っ直ぐ向かっていた。
次の瞬間、透明な障壁と青白い閃光が激突した。
着弾時の強烈な閃光が二人の間で爆発のように巻き起こる。
視界が二人とも遮られた中、陸斗は既に次の行動を取っていた。
背後で《権破》の閃光を受けながら、柚季と美姫は足を止めなかった。
後ろを振り返ることなく、前だけを向いてできるだけ遠くに逃げようと必死に足を動かしていた。
そして、後ろから土を蹴る走る足音が聞こえる。
まさかもう追っ手が! とは考えなかった。閃光が見えた時点で次に陸斗がどうするかは二人とも分かっていたからだ。
柚季は美姫の肩から離れると、一瞬腹部にチクリと小さな痛みが襲ってきた。
それを美姫は、一人で歩ける、と受け取り抵抗はしなかった。
その数秒後、後ろから聞こえてきた足音が背後に迫る。
そして過ぎ去る男に軽く安堵する。
「走るぞっ!」
そう言って二人の手を掴み取る。自然と足が動き出すことを不思議に思ったが、今はそれを気にする余裕はなかった。
三人は樹々の間を縫うように走り去った。
閃光が止み、視界に再び色彩が戻り出した頃。
真樹はまだチラつく光を鬱陶しく思いながら周りを見渡した。
既に陸斗たちが逃げ去った後で広い原っぱには真樹一人だけだった。
次に自分の銃を見つめる。そして不思議なことに気づいた。
「障壁が消えている……?」
《壁弾》は通常三十秒の間、周囲を障壁で囲むことで銃弾を防ぐ効果がある。その効果で陸斗の発砲した三発の銃弾を防ぐことができたのだ。
しかし、陸斗の放った最後の銃弾に関して真樹には届かなかったものの、完璧に防いだわけではなかった。
どんな銃弾を受けようとも残り続ける障壁が陸斗の撃った《独弾》一発で消滅したのだ。
かつてない不安に駆られながら、真樹は陸斗に対する憎悪を増すのであった。
「陸斗、テメェはいつか絶対に殺すからな……!」
真樹の声は樹々を揺らす風に乗ってその場から消え去った。
久しぶりの戦闘シーンはすごく緊張しました。
また不備などがあった場合はお知らせください。
次話は火曜か水曜あたりに更新予定です。