シルバー・グレー(2)
――小学四年生――
この時期に陸斗の学生時代に闇が落ちたように思える。ある男の子との出会い。それがこの先の学生時代を大きく変えることをまだ理解していない年頃だった。
教室。
もうすぐ朝のチャイムが鳴るであろう時間なのに席を立っている人がちらほらといた。
それはいつもと違う光景だったが、別段気になることでもない。
教室の窓側、一番後ろの席に座る陸斗の周りは空洞のように空いている。
「……はあ」
陸斗は小さくため息を吐き、手に持つ本へと視線を落とす。
小学生ながらにして小説を読んでいるのはこの学校で陸斗だけではないだろうか。小学四年生といえばマンガ、ゲームの話題だけで一日を過ごしてしまいそうだが、陸斗には全て関係のないことだ。マンガを読もうが、ゲームをやろうが、それを話す友人が陸斗にはいないのだから。
右手でページを開くのと同時に教室の前方で横開きの扉がガラガラと音を立てて開かれた。
「さあ、みんな席に着きなさーい」
入ってきたのは我らが担任教師、佐藤先生である。
先生の言葉で席を立っている生徒は己の席に戻り始める。その際、また後でね、という女子生徒同士の言葉が耳に届き、その二人を恨めしげに睨んだ。
担任教師がやって来たということは、朝礼が始まるのだ。陸斗も本の間に栞を挟み、机の中にしまう。
「きりつ、きをつけ、れい!」
クラス委員長の号令でみんなが先生に向かって挨拶をする。
「はい、おはよう。じゃ、今日は転校生が来てるから紹介するわよ」
突然、教室中がざわめき出した。この事態は事前から予想されたことだ。なぜなら朝からその転校生の話題で持ちきりだったのだから。陸斗が聞き耳を建てた噂話では、転校生は外人らしい、という情報が入っている。
しかし普通の転校であればこんなにざわめくはずはない。多少はざわめくかもしれない。
その理由は今の時期に関係がある。
今はゴールデンウィークも過ぎた五月半ばだ。そんな時期に転校してくる生徒は一体どんな人なのだろうと、話題に上がるのは必然的だった。
「はい、静かに! 早く転校生の紹介するよ! ……入ってきて」
先生の合図で扉の向こう側で待機していた転校生がやって来た。
肩までサラリと流れる銀髪に、ひと目で異邦人だとわかる灰色の瞳。身長は高くもなく、低いわけでもない感じだ。
教室の第一歩からクラス中の視線を受け止めていたその転校生は先生と同じ教壇に上がる。
「じゃあ、真樹君、自己紹介してちょうだい」
それを受けて転校生は頷く。
転校生の第一声に注目するクラスメイト。陸斗は、どうせ俺とは関わらないだろう、と思い、耳を傾ける程度に注目していた。
「神無月真樹です。父は日本人で母はハーフですが、日本生まれの日本育ちなので日本語はこの通りバッチリです! よろしくお願いいたします」
一通り自己紹介を終えた転校生は綺麗な六十度お辞儀をしてみせた。明るくみんなに好かれそうな性格だとすぐに理解できた。同時に自分とは一生仲良くなれないな、とも悟った。
「真樹君の席は窓から二列目の一番後ろね。みんな、仲良くしてやってね」
は〜い、と間の伸びた返事をするクラスメイトの横を通りながら真樹は指示されたように窓側二列目の一番後ろの席に辿り着く。そこは陸斗の隣の席だった。
真樹が席に着いたのを見ると、先生はいつもどおりの日程と事務連絡を話し始めた。
そして隣では早速友人関係が成立しようとしていた。
「ま、真樹君でいいんだよね? よろしく」
一つ隣の席の女子が真樹に話しかけた。
それに真樹はニッコリと微笑んで応える。
「うん。よろしく」
その時、陸斗は思った。
――こいつ、嘘ついた。
それは感覚的に感じただけで本当に嘘をついたかどうかはわからない。
今読んでいる小説にも登場人物が嘘をついたのを見破るシーンがあるが、それは表情筋が本気ではないとか、ちょっとした仕草で見破るだとか根拠があるが、今の状況ではどれも当てはまらなかった。
ただ、経験則やら本能的にそう思ったのだ。女子の方は気づいてないようだけど。
先生の話が終わり、また五分の休み時間がやって来た。
陸斗は机の中から栞を挟んでおいた小説を取り出す。
ページを開き、続きの行を探していると、隣からざわめきが聞こえ始めた。
いつもであればざわめきにフィルターをかけて自分の世界に入るのだが、それが作動してないところを見ると、故障か、と思ってしまう。しかし自分の中のフィルターに正常も故障もないか、と思い直して隣に目を向ける。
いつの間にか人混みができていた。
その人混みから少しだけ会話が聞こえてくる。
「ねぇねぇ、真樹君はどんな食べ物が好き?」
「真樹はどんなスポーツが好きなんだ?」
「マンガとか読む? 俺いっぱい持ってるから貸してやるよ」
みんな思い思いに真樹に話しかけるが、真樹は一つとしてその質問には答えていなかった。いや、答えれないのか。
「ちょっと待ってよ! そんな一度に質問されても答えられないよ」
「そ、そうだよね」
「少しは自重しろよな」
「いや、お前が一番質問してただろーが」
「ありゃ、バレた?」
人混みがどっ、と湧いた。それを横目で見て小説を閉じる。
こんな状況で読めるわけない、と判断して机に突っ伏した。
陸斗はこの教室で笑っていないのが自分だけではなかったことにまだ気づいていなかった。
――十二時半。給食の時間。
給食の時は近くの人と四人班を作って食べることになっている。当然、陸斗の隣の真樹も同じ班だ。朝、話しかけていた一つ隣の女子からは恨めしげにこちらを睨むが無視してスプーンで掬ったスープに口をつける。
同じ班にいるのは陸斗と真樹とクラスの人気者・ムードメーカーの古賀甲斐とその友人の伊達駿だ。
陸斗の正面に真樹、その隣に駿が座り、陸斗の隣に甲斐が座る構図だ。
陸斗は黙々といつものように食事をしている横で、甲斐と駿の会話が途切れたことに気がついた。
いつもであれば食事中のBGMのように聞いていた会話だったが、それが止まるのは初めてだった。
「なあ、真樹。お前の両親って日本人とハーフなんだろ? それって"クォーター"ってやつだよな」
甲斐の会話の矛先が真樹に変わっただけだと悟った陸斗はまた食事に戻る。
「う、うん。そうなるね」
真樹は食事の手を止め、躊躇いがちに応えた。駿も真樹に体の向きを変えて会話に混じる。
「"くぉーたー"ってなんだ?」
「お前知らねーの? 外国じゃよくある話だぜ。自分の両親のどっちかに外人が混じるとその子供が外人の血を受け継いで産まれるんだ」
答えたのは甲斐だった。甲斐の人気者の由縁はその博識さにある。テレビで得た情報もどこから仕入れたのかわからない情報も甲斐は知っていて、それを披露してみんなの注目を集めていた。
「でも、それってハーフだろ?」
「だからそのハーフが真樹の母ちゃんなんだろ。そのハーフの子供が外人の血を受け継いだのがクォーターってわけさ。だから真樹の四分の一の外人の血が混じってるんだ。だから――」
甲斐はそこで言葉を切り、突然立ち上がった。強引に引かれた椅子はガタガタと音を立ててクラス中に響く。その音を聞いてクラスメイトがみんな甲斐の方向に振り向く。
そしてみんなの視線が甲斐を集まったのを見て、まっすぐ人差し指を真樹に向けた。
「――こいつは、"混血児"だ!!」
声高らかに告げた言葉にクラスメイトは理解できずにいた。――ただ一人、真樹を除いて。
「うあぁぁぁぁ!!??」
突然、クラスに悲鳴が木霊した。
陸斗は甲斐から悲鳴の方へ視線を正面に流す。
そこには今まで――朝から昼までの間――見たこともない形相で真樹が悲鳴を上げながら、耳を抑えて聞こえないようにしている姿があった。
その光景を見て、いつの間にか陸斗は食事の手を止めていた。
真樹は耳を抑えたまま突如立ち上がり、教室の後ろのドアに駆け出す。
真樹は机に給食を残したまま教室から姿を消した。
後に残るのはクラスメイトのざわめきだけだった。
そのまま真樹は帰ってくることなく、帰りのHRになった。
「え〜っと、真樹君は昼から体調を崩し、早退しました。また明日から来ると思うのでその時は何も聴かずに接してあげてくださいね」
先生の言葉の通り「真樹が体調を崩した」と受け取る者はこの教室にはいなかっただろう。
陸斗は家に帰ったあと、台所にいる母に尋ねた。
夕食の準備をしてた母を見つけ、母の後ろに駆け寄る。ジャッジャッと米を研ぐ母の背中をポンポンと叩いた。
「ん? 何、陸斗」
母は米を研ぐ手を止めずに陸斗に応えた。
そのままでもいいか、と思い陸斗は母に今日の事を訊ねた。
「お母さんは、"こんけつじ"って知ってる?」
その時、台所から音が消えた。
空気が凍てついたように背筋に寒気が奔る。
母は手に米が付いたまま振り向き、陸斗の肩をギッと掴んだ。
水で冷たくなった母の手が陸斗の肩を冷やす。
「陸斗! どこでそんな言葉を覚えたの!? それは差別の言葉なのよ。絶対にそれを人に向かって言っちゃダメ!!」
そう言うと、母の手から力が少し抜けて肩が軽くなった。
陸斗は目を瞠って驚いた。母がここまで怒るのはとても珍しいからだ。いつもは温和な性格である母がこんなに怒るというのはそれほどこの"こんけつじ"という言葉が悪い意味を含んでいるかが理解できた。
母は何事もなかったように米を研ぐ作業に戻っていった。
ふと、疑問が脳裏を過る。
――ならば、どうして甲斐はその言葉を真樹に向かって叫んだのだろう?
みんなからも好かれて人気者でもある甲斐がなぜ今日転校してきたばかりの真樹に混血児という言葉を使ったのかがわからない。
その答えがその日の内には出ることはなかった。
翌日、真樹は教室に姿を見せなかった。
「シルバー・グレー」があと一話で終わるか分かりませんが、よろしくお願いします。
もしかしたら追加で一、二話あるかもしれません。