復讐者
「わっ、ホントだ。んで、陸斗キモッ」
陸斗が少女の泣き声を聴いたと、言われてついて行くと本当に少女がいた事に柚季は驚きの声を上げた。しかしやはり何かしら引っかかるような気持ちがあったのか、悪態までついてしまったのだ。
「ひどっ! なんで!?」
当然、そんなことを悟りもしない陸斗は素直にショックを受けた。
「いや、普通にあんな小さな泣き声を聞き分けるとかキモいわよ」
陸斗に聞こえて自分には聞こえていなかったことにプライドが傷ついたのだろう。その所為か、いつもより陸斗に対する接し方に棘があるように聞こえるかもしれない。
「それは柚季の耳が悪いだけじゃないのか」
茶化すように柚季に言ってみると、柚季は笑顔で答えた。
「なんですって?」
笑顔でお上品に答えているが、明らかに目には怒りの炎がメラメラと燃えているように思えた。
「イエ、スミマセンデシタ」
口元をひくつかせながらカタコトで答える陸斗。前方に視線を送った柚季は目尻に雫を貯める少女を見据えた。
「ほら、陸斗がキモいから女の子が泣いちゃったじゃない」
横暴だ、と思う陸斗は敢えて口にはしなかった。なぜならまたしても蛇に睨まれた蛙状態になるのはわかっているから。
「いや、キモいのは関係ないだろ。それにキモくないしっ」
やっとできた反抗だったが、柚季は気にも留めることなく話題に入っていった。
少女はいつの間にかボロボロと涙を零していた。
「で、どうするのよ。この子泣いてるけど、耳の良いロリコンさん」
「おい、しれっと変な設定付けてくるなよ!」
当然、陸斗にそんな趣味はないとわかっているが、どうしてもこの悪態を止めることが出来なかった。
「なあ、大丈夫か、君?」
このまま言い争いをしても埒があかないと判断し、少女に声をかけた。決して言い争いをしても負けるとかではない。今のところ全戦全敗の戦績ではあるが。
「こんなキモい奴が嫌なら私でもいいわよ」
柚季の悪態は止まることを知らない。口を開けば陸斗に関する悪態が出てくる。まるで陸斗専用悪態製造マシンのようだ。
そして初めて少女が口を開いた。
「あの、アタシ――」
キュルルルルル。
一瞬陸斗と柚季は固まった。突然の可愛らしい音に耳を疑ったのだ。それは前方から聞こえた音で、その音の主を二人して見つめる。
「……ッ!?」
少女も信じられないといった顔で自分の腹を抑えていた。それでも流れ続ける少女の腹の音は二人の耳にしっかりと刻まれていく。
「あ、あのさ、これでも食べる?」
そういって出したのは腰に付けてあった大量のパンの入ったビニール袋だった。
当然、柚季はその異常行為を見逃さなかった。
「ちょっと何やってるの、陸斗! それはアンタのパンでしょ!?」
突然掴まれた陸斗の右腕はすぐに止まった。急に止まったことで少しよろけたが、すぐに立ち直す。
振り返った陸斗は優しい表情で答える。
「大丈夫だよ。予備はまだある。それよりもこんな小さな子がここで餓死するのが危ないよ。柚季のには手を出さないから心配するなって」
そう言って柚季の肩に左手を掛けると、柚季の掴んでいた右手はスルリと垂れ下がった。
自由になった陸斗は右手に持ったパンの袋を少女に手渡す。
それを後ろで見ていた柚季はボソリと呟く。
「やっぱりアンタっておかしい。いろんな意味で」
「もしかしてその中にさっきのも含まれてます?」
「当然じゃない。耳の良いロリコンさん」
ニッコリと微笑む柚季。その言葉に肩を落とす陸斗。
「で、その子どうするのよ」
軽く腕を組む柚季が陸斗に問いかけた。
「うーん。じゃあ、まずは名前でも聞いておこうか。君の名前はなに?」
柚季は低い姿勢になり少女と同じ目線に合わせた陸斗を見て、手馴れてるなー、と思いながら傍観していた。
「……アタシは、弥生美姫」
「美姫ちゃんか。うん、よろしく。俺は皐月陸斗だ。で、こっちの怖いお姉さんが霜月柚季」
直後、陸斗の頭に鋭い手刀が迸った。
「訂正は?」
まだ痛みの引いていない頭を擦りながら陸斗は訂正を口にした。
「このお優しそうなお姉さまが霜月柚季さんです……」
「ま、まあ許してやるわ」
柚季は頬を赤らめた様子でそっぽを向いた。怒ったり赤くなったり忙しい奴だ、と思いながら陸斗は再び少女に向き直る。
全員の自己紹介が終わり、フレンド登録をしようとした時――
「おい! そこに誰かいるのかい!?」
路地の入り口から男性の低い声が響き渡る。
上げかけていた左腕を下ろし、咄嗟に《開弾》を唱える。
右手に納まった拳銃を声のした入り口方向へ向けた。
後ろにいた柚季も既に臨戦態勢に入っている。
暗い路地に緊張感が立ち込める中でまたしても男性の声が響いた。
「ちょっと待ってくれ! 俺は戦闘しに来たわけじゃないんだ!」
入り口方向からやってきた男性に背後から日の光が当たり両手を挙げるポーズが見て取れた。
バックから日の光を受けている所為か男の表情は見えない。男の手に銃の類は無かった。
「そっちにいる人数を教えてくれないか」
男は陸斗たちから離れた位置で止まり、再び質問を投げかけた。
質問を受けた陸斗は柚季に視線を送り、伝えていいものか訊ねる。
柚季が頷くのを見て人数を伝えることを決めた。
「その前にあなたの人数を教えてください」
一応抜かりの無いように相手の人数も把握しておく。出てきたのは一人だが背後でまだ待機している人がいるかもしれない。
「こっちは見ての通り一人だ。できればそっちに行ってもいいかな。話したいことがあるんだ」
「話ならそこからでもできるでしょ」
拳銃を下ろさず照準は男性の足元を狙っている。男性を近づけさせなかったのは少しでもリスクを減らす為だ。この距離からであれば既に銃を顕現させているこちらの方が強い。もしあちらも銃を出してきてもこちらが脚を狙い撃ち、その間に後ろの路地に逃げ込めばいい。
「ここからじゃダメなんだ。内密に話したいことがある。外にいる奴らには聞かれたくない。アンタらにも有益な情報だ。だからそっちに行かせてくれ」
陸斗は柚季と顔を見合わせると同時に頷いた。男性の情報というのも気になったし、外部の人との情報共有も必要だと思ったからだ。
「では、ゆっくりとこちらに来てください」
男性のシルエットは頷くのを見せると少しずつこちらに近づいてきた。
近づくにつれ男性の色がはっきりとしてくる。
白いカッターシャツに紺のズボン。一見してサラリーマンのようだ。丸みのある顔に、ベルトの上にのしかかる横腹が見え、中年男性と見える。
そして陸斗の後ろにいた美姫は顔に驚愕の色を浮かべていた。
美姫は知っているのだ。あの男性の姿を。かつて美姫が出会い系サイトで知り合った人でも未だに脳に焼き付いているあの男を。初めてお小遣い稼ぎに成功した男を美姫は忘れていなかった。
男性も同じだろう。かつて自分を騙した女のことを忘れない。復讐するまでは決して忘れないだろう。
だから美姫は背筋に感じる恐怖に耐え切れなかった。
「……撃って」
「え?」
突然の美姫の発言に陸斗は反応できなかった。
陸斗は後ろの美姫に振り返りどういうことか聞こうとした時――
「早く! 早くヤジマを撃って!!」
悲鳴にも似た美姫の声は陸斗を困惑させた。
柚季も突然美姫が叫んだことに思わず振り返る。
男性が誰の視界に映らなくなった瞬間、口元がニヤリと歪み、ゆっくりとした歩調からダッシュに変わる。
「見つけたぞぉぉぉ!! ガキィィィィィィィ!!!」
狂気の瞳を宿した男は美姫目掛けて襲いかかろうとする。
「――ッ!!」
美姫も応戦しようと腰に挿していた《通弾》が装填されている拳銃を取り出す。
意外なところから出された拳銃に驚く陸斗と柚季。それに目もくれずに美姫は男に銃を向ける。
美姫が引き金を引こうと指に力を込めた時、男は右脚から崩れるように落ちた。男はダッシュの慣性がそのまま地面にスライディングするように滑り込む。
美姫はそれが男の回避行動と思い込み、そのまま照準を滑り込んだ男に合わせた。
しかし男の狙いはそこではなかった。
「タッペイさんお願いします!」
男の放った人物名に誰も心当たりはない。しかし陸斗は本能で危険だと察知した。
前方から見える路地の入り口で、光る銃口が美姫を照準に合わせているのがわかった。
美姫は男に気を取られていてまだ二人目の存在に気づいていない。
「美姫危ない――ッ!!」
後ろから投げかけられた言葉に美姫は反応が少し遅れた。
突然背中に強い衝撃を押し付けられた。衝撃に耐えかね、そのまま地面に倒れ込んだ。
後からもう一つ軽い重りがのしかかる。
美姫が倒れた直後、美姫の頭上を一発の銃弾が通り抜ける。
「――クソッ」
入り口から微かに男の声が路地の壁に反響して耳に届く。
美姫の隣には陸斗の顔があった。
もう一人の銃に気づいた陸斗は回避できない美姫を無理矢理倒したのだ。
美姫の背中から右腕を挙げ、手に持つ拳銃を倒れ伏したまま入り口に向けた。
ここから入り口まで五〇メートルはある。
(ここから撃つの!? それにこんな不安定な場所から撃っても当たるわけない!)
美姫の不安は陸斗には伝わっていない。むしろ当たると確信している。
「消し去れ――《権破》!!」
聞きなれない単語を隣で聞いていると、陸斗は力強く引き金を引いた。
直後、陸斗の銃口から眩いほどの青白い閃光が迸る。
光を超える速さで突き進むそれは的確に相手を射た、と思った。
しかし、着弾の時の瞼を焼くような閃光が収縮すると、敵は倒れた状態で存命していた。
外した、と思ったが、すぐに違うと判断した。敵の持っていた銃が綺麗に跡形もなく消滅していたのだ。
目の前の光景は目を疑うものだったが、とりあえず自分が助けられたことは実感できた。
「タッペイさん!!」
地面に伏していたヤジマは閃光の先を見つめて仲間の名を叫んだ。仲間の状態は無事だったが、銃を失ってはこの世界を生きていけない。
そんな葛藤を抱きながらヤジマは震えた脚を動かせないでいた。あの一瞬にして銃を消した光に恐怖を覚えていたのだ。
「よし、逃げよう!」
未だに信じられない光景を目にして美姫は固まった状態だった。そこに陸斗の声が掛かり、ハッとなって我に返る。
陸斗の提案に柚季は頷くが、美姫は驚愕していた。
「なんで! 今ならアイツらを殺れるのよ!」
美姫は倒れている男を指差し、陸斗に訴えかけた。路地の入り口に倒れている男ではなく、美姫の言うヤジマという男を指したのは何かしらの思いがあるからだろう、と悟った陸斗は無言のまま歩くスピードは緩めずに路地の奥に突き進もうとする。美姫は諦めて大人しく陸斗に従い、後をついていったが、
「……アンタら二人は気をつけな。そこのガキは、何人もの男を――」
掠れた声音で語るヤジマは美姫の素性を話そうとしていた。それは美姫にとって今は都合の悪い話だ。美姫はいづれ陸斗と柚季には話そうと思っていた。しかしそれは今ではない。今彼らに自分の素性を知られればきっと二人は幻滅してしまうだろう。そしてまた独りになってしまう。また暗い路地で、喉を痛めるような悲鳴を叫び、やってきた人を殺す日々を繰り返す。
一人殺すたびに内から湧き起こる罪悪感を背負って生きていかなければならなくなる。
(そんなの、嫌だ!!)
では、どうするべきか。
答えは簡単だ。
自分の中のもう一人の自分のような存在が呟くように聞こえる。
――昔の自分を知っている奴らを消してしまえばいい。
至極当然のようにその答えは自分の中にピッタリと納まった。
右腕を引く陸斗の手を力強く引き抜き、美姫は左手に持つ拳銃を構え、ヤジマに近づく。
ヤジマは開きかけた口を閉じきれずに、美姫の持つ銃口の奥を覗き込んだ。視界がそれ以外ないくらいに迫る。
美姫の瞳は普段の色を表していなかった。目の前の敵を消すことに全神経を注いでいるかのように狂った瞳を宿していた。
そして、美姫の狂気による殺戮衝動が引き金を引いた。
「黙れ黙れ黙れだまれだまれだまれダマレダマレダマレ!!!」
最初の銃弾がヤジマの頬を掠めて肩口に当たる。
それでも美姫は引き金を引き続ける。引き金を引くたびに美姫の腕が反動で跳ね上がる。
美姫の銃弾はヤジマの頭を撃つことはなかった。それが狙ってやっているのか、無意識のうちに避けているのかはわからない。ただ、ヤジマの頭上に浮かび出た緑色のバーが黄色、赤色と危険色へと変わっていくのがヤジマの『HP』だと陸斗が気づいたときには既に遅かった。
ヤジマは言葉にならない悲鳴を叫びながら、美姫の銃撃を浴びている。
「美姫、止めるんだ!!」
後ろから腕を回し、美姫の腕を無理矢理下に向けさせ、ヤジマから軌道をずらした。
ヤジマの身体には銃撃の生々しい傷跡が残っていた。全身が穴だらけで現実であれば周囲が真っ赤に染まるであろう惨状を陸斗は吐き気を堪えて見ていた。
下を向けたままでも撃ち続けた美姫の銃はカチカチと引き金を引く音だけが鳴っていた。乱発された銃弾が底を尽いたようだ。
次の瞬間、HPが消えたヤジマの身体にノイズが奔ったように見えた。そしてヤジマの身体が青い光粒に包まれ、放射線状に霧散した。
このゲームにおいて二度目のプレイヤーの死――実際に目の前で死を感じたのは始めて――に直面した陸斗は再び吐き気に襲われた。それをどうにか奥歯を噛み締めて堪える。
陸斗が美姫から離れようとした時、美姫の右肩に赤い数字が現れた。そのデジタル数字が六と見えると、数字が変化して七に変わった。
次話予告
遂に陸斗のノンキルプレイヤー精神を掲げる理由を示す過去が明らかに!
更新予定
26日~28日ごろ
詳しい日時はツイッターで連絡します。