援交少女(2)
メールをもらった翌日、アタシは隣町にやって来た。
時刻は十九時。冬至を過ぎた最近は暗くなるのが早い。
未だに残っているネオンの光が辛うじて道を照らし出す。
壁に寄りかかったまま、待ち人を待っていると。
「やあ、君がミキちゃんかい? 本当に小さいなぁ」
右側から声を掛けられ、振り向くと、Yシャツ姿の少し太りぎみの中年サラリーマンがいた。
手には紺色のスーツを掴んでいるところを見ると、どうやら職場から直接この場所に来たらしい。
こんな寒い日にYシャツ一枚というのは寒くないだろうか、という疑問が浮かんだが、その必要もなさそうだ。
男性の身体からは視認できるほどの熱気が立ち上っていた。
「えっと……、ヤジマさんですよね?」
「そうだよー。良かったぁ名前覚えててもらってー」
にこやかに笑うヤジマの隣でアタシは顔を引きつらせて笑っていた。
(無理無理! 絶対に無理!! 誰がこんな奴と夜一緒にいなきゃけないのよ! まあ、お金くれるから少しだけ付き合ってあげるけど)
顔に表れないように心の中で愚痴をこぼしていた。
「じゃ、早速行こうか」
「……はい」
男のリードでアタシ達は歩き出した。
(ううー臭い!)
男の背中の近くにいるせいか、加齢臭というのだろうか、とても臭い。
(男ってみんな臭いの?)
高校時代の時は、男子が臭いとは思ったことはないが、やはり、歳をとると臭くなっていくものなのだろうか。
そんなことを考えているうちに目的地へと着いた。
ピンク色の蛍光灯で彩られた看板にはHOTELと書かれている。
心臓がバクバクと早鐘を打つ。初めての場所で戸惑っていると、またしても男がリードする。
「さあ、入ろうか」
「……はい」
入口に入る前に立ち止まり、いつもの呪文を唱える。
(アタシは自慢の娘アタシは自慢の娘アタシは自慢の娘……)
母の残した最後の言葉を自分に言い聞かせるように心の中で呟くと、胸の前でグッと拳を握り込む。
意を決してアタシは、ホテルに入っていった。
部屋のチェックインを終えた男が戻ってきて、男のリードで廊下を歩く。
全体的に明るい廊下は少しイメージと違って心を落ち着かせるものだった。
男はガラスのキーストラップを見て、部屋番号を呟いていた。
アタシもその番号の部屋を探していると、やっとの思いでその部屋を見つけた。
男は扉を開くと、中は暗く、何が置いてあるか見えなかった。まあ、何が置いてあるかは大体想像できるけども。
「えっと、スイッチはどこだ〜?」
スイッチを探している男の後ろで、アタシは捻るタイプのスイッチを見つけ、軽く右に回した。
「おお〜ありがとう、ミキちゃん」
男のお礼にも作り笑いで対応し、目標までもう少しだ。
「まずは、ヤジマさんから先にシャワー浴びてきてよ。アタシ次入るので」
「そうかい? じゃあ先に貰うよ。仕事帰りで汗かいたままだったからね」
(だから臭かったの!?)
部屋に備え付けられたシャワー室に向かう男を笑顔で見送ったあと、アタシは、男の持ち物を漁り始めた。
この援助交際の目的はお金をもらうこと。上手くいけば、ノーリスクハイリターンで済む。
男の持っていたカバンから茶色の革財布を取り出した。
メールでは、二万円のお小遣いちょうだい、と言っていたが、どれほど持ってきたのだろうか。
「わっ、こんなに……」
諭吉の顔が、七つ。その内の、二枚を取り出すと、残りの諭吉が五人に減った。
「もうちょい貰ってもいいよね」
欲が出て、手も出てしまった。
最終的に財布に残った諭吉さんの数は一人だけになってしまった。
ホテル代とかもあるだろうから、という理由で一枚残した。
そして、財布を元の位置に戻し、男の様子を確認する。
まだシャワー室で入浴中のようだ。陽気に鼻歌まで歌っている。近くで財布の中身が盗まれていることも知らずに。
そして、音を立てずに部屋を出ようとしたとき、何かに止められたように動けなくなった。
男はまだシャワー室だ。他に人はいないはず。
ならば、誰がアタシを止めているの?
そして、気づいた。
――自分だ。
こんな事をしていることに罪悪感を抱いていたのだ。
他人を騙し、他人の財布からお金を盗ったことに。
まさか、自分で自分を止めるなんて思わなかったアタシは、少しでも罪悪感を拭うため、手の中にある一万円を力任せにテーブルに叩きつけた。
「ん? どうしたんだい、ミキちゃん? ミキちゃん?」
男の声は誰もいない、扉の開いたままの部屋に悲しく響いた。
フロントの人の目にも止まらないように飛び出たアタシの手の中には五万円が握り締められていた。
上を向けば、空には月も星もなかった。
残るのは心の中に蟠る罪悪感だけだった。
こんな事を続けて三年が経ったある日。アタシは援助交際をしていたある男に『マジック・オブ・バレット』というゲームの話を聞いた。
アタシは元からゲームなんてやったことがなかったが、その時はちょうど、お金にも余裕があったこともあって、初めてゲーセンに行った。
「ったく、うるさいなぁ」
鼓膜を破るような大音量のゲームを耳を塞ぎながら通り抜けると、赤いフレームの大きなスクリーンが備え付けられている機械の場所に辿りついた。
「これが、『マジック・オブ・バレット』なの?」
手前の台には一本のコードが伸びる銃が二丁置かれていた。
それを手に取ると、重みのある銃がズシリと手に乗った。
「……重たっ!?」
意外な重さに驚くが、腰は引けてなかった。
気を取直して、百円を投入した。
専用のヘルメットと思われるものを被ると、スクリーンに赤黒い『マジック・オブ・バレット』の文字が浮かび出た。
これが、アタシの、悪夢の、始まり。
□ ■ □
現在は、暗い路地裏の細い一本道にいる。
手には《独弾》が装填されている銃が握られている。
(アタシは自慢の娘アタシは自慢の娘アタシは自慢の娘……)
母の言葉と共に、それを地面に向け、引き金を引き絞った。
「――《査弾》」
銃声が路地裏に無数に反響する。
銃弾は地面に深々と突き刺さり、弾痕だけが残っていた。
周囲に変化は起こらない。しかし、美姫自身の内で明らかな変化が起こっていた。
「女プレイヤーが一人、男プレイヤーが一人。男がこちらに近づいてくる」
《査弾》は、周囲のプレイヤーの性別と人数を感覚的に自分へ伝えられる。
彼女の中では、周囲にエコーロケーションを使ったように敵の位置が分かるようになっている。
周囲の状況がわかったところで、《独弾》のマガジンを取り出し、地面に落とす。
マガジンは光の塵になり、粉々の光粒子が元のリングに吸い込まれるように戻る。
その間に美姫は、床に置いていた《通弾》のマガジンを装填した。それを腰とスカートの間に挟み込み、上から服で見えないようにする。
そして路地に腰掛け、一呼吸。
「ええええぇぇぇぇぇぇぇん」
幼く高い声音が路地裏に響く。
声を張り上げずとも路地裏には美姫の泣き声は綺麗に反響していった。
反響音が路地裏の入口まで届くと、ちょうどそこを通りかかった男性プレイヤーの耳に届いた。
「なんだ? 誰の声だ?」
声に釣られるように男性プレイヤーは路地裏に足を踏み入れた。
薄暗い路地裏に一時は不安を抱いたが、声が女の声、それも幼い子供の声と分かれば、不安なんて一気に吹っ飛んだ。
自然と足取りが軽くなって、声の主の元へ駆け寄っていく。
そして見つけた女の子は、路地裏に腰掛けた小さな少女だった。
「ねぇ、君大丈夫かい?」
男性プレイヤーはキラリと光る白歯を見せて笑った。
それは善意なのか、あるいは別の感情によるものか。それは分からない。でも、目が後者を示しているような感じがするのは美姫にも分かった。
「……っんぐ。怖った。怖かったよぅ、お兄ちゃん」
頬に涙を滴らせ、男性プレイヤーを見つめた。
男性プレイヤーの心臓は鼓動を加速させていった。
「ぼ、僕が守るよ! この奥にはゆっくり休める所があると思うから、そこまで行こう」
(そんなのあるわけねーだろ、バァーカ。この路地はアタシが一番良く知ってんだよ)
この路地の奥にはいくつか曲がればただの行き止まり。そこはここよりも暗く、自分の腕さえも見えない。
初めてこの路地に来た時、一番奥まで行ってみたが、軽く心霊スポットにもなりそうな場所だった。
男性プレイヤーが美姫の腕を取り、少し進んで路地の半分くらいの所まで来た。
(ここなら銃声も聞こえないか)
美姫は男性プレイヤーの手からサッと腕を引き抜いた。
「ん? どうしたんだい?」
男性プレイヤーは立ち止まった美姫に振り向いた。
しかしそこには、さっきまで可愛く愛らしい少女の顔はなかった。
銃口を向けた無表情の女だった。
「こんだけ近ければヘッドショットはできるだろ。なあ、お兄ちゃん」
「なっ、テメェ! このガキがぁぁ!!」
男性プレイヤーは血走った目をこちらに向けて上から覆うように襲いかかろうとした。
「銃に適うわけねぇだろ」
美姫はボソッと呟き、躊躇なく引き金を引いた。
またしても路地裏に銃声が響く。
目の前の男性プレイヤーは目を見開いたまま、眉間に銃弾が貫かれたことを意識することも出来ずに、光の粒子となってそこで霧散した。
すると、美姫の右肩に赤い数字が現れ、五から六に変わった。
「これで、やっと六人か」
この数字は現在のポイント数だ。脱出するのに必要な一二〇ポイントの内の六ポイントとなる。
この調子を続けていれば、あと百十四人も殺さなければならない。
それは気の遠くなる話で、気の狂うような作業だ。
実際にあの男性プレイヤーが消滅した事で現実のあの人が死んだわけだ。それは確認出来ないが、今はあの運営からのメールがただ一つの真実だ。
「人は、生きるために動物を殺す。だから、アタシは生きるために人を殺す。そう、これは生きるためなんだ。なんの罪もない」
美姫は自分に言い聞かせて、気が狂わないように何度も反芻した。
彼女がこのポイントの集め方を思いついたのは路地に着いて少し経った頃のことだ。
自分に合った方法で何かないか。
そう考えていると、援助交際の事を思い出したのだ。
男を如何に騙し、どれだけお金だけを貰うか。
それが美姫のポリシーだった。
だから、この身長と幼さを活かした泣き真似を思いついたのだ。
それが思いのほか上手くいってしまった。
「今日はもうひと狩りしていこうかしら」
口角がクイッと持ち上がるのをなんとかもち堪えて自分の元いた場所に辿りついた。
そして腰掛けると、緊張が解けたのか、
ぐぅぅぅうぅぅぅう〜〜〜!!
と腹の音が鳴った。
「あちゃ〜、そういや、まだログインして食べ物なんて食べてないや。でも、ここから出るのはなぁ……」
しかし、腹の虫は早く食べ物を寄越せと訴えかける。
その時、美姫の頭の上の電球がピカリと閃いた。
「そうだよ。やることは変わらないじゃん! また此処に誰かを呼び込んで食べ物貰えばいいじゃん。例え持っていなくても、殺ればいいことだし。ヤッバ、アタシって天才!!」
無い胸を張って自己を誇張していた。
早速思いついた作戦を実行する為に《独弾》を呼び出す。
「《査弾》!!」
少し浮かれていたからか、羞恥心が消え、声を張り上げて《独弾》名を叫ぶ。
左手にマガジンが現れると、薬指と小指に挟む。そして銃から《通弾》のマガジンを人差し指と中指で挟んで取り出す。それから流れるような動きで《査弾》のマガジンを差し込む。
そして《査弾》を地面に向けて、思いっきり引き金を引く。
路地裏に響く銃声さえも心地よく聞こえてしまう。でも、意識はしっかりと周囲に注いでいた。
「男と女が一人ずつ。ゆっくりだけど一緒に歩いてる?」
美姫にとっては初めてだった。このゲームが始まってから二人以上のプレイヤーが一緒にいることが。
そして少し、羨ましく思えた。
今まで会った人は全員殺して、自分の生きる糧となっていった。でも、あの二人は仲良く道を歩いている。その状況をエコーロケーションで知りもっと羨ましく思った。
美姫は頭をブンブンと横に振った。
「そんなんじゃない! アタシは一人で生きるんだ! そして、早く現実に帰るんだ!」
再び自分に言い聞かせる。
気持ちを落ち着かせて、一つ深呼吸をする。
《独弾》と《通弾》を交換して待機の体勢を整える。
「ええええぇぇぇぇぇぇぇん」
綺麗な泣き声が路地裏に反響して入口まで達する。
そして二人は路地裏へと足を踏み込んだ。
「ほら、やっぱり女の子だよ」
「わっ、ホントだ。んで、陸斗キモッ」
「ひどっ! なんで!?」
「いや、普通にあんな小さな泣き声聞き分けるとかキモイわよ」
「それは柚季の耳が悪いだけじゃないのか」
「なんですって?」
「イエ、スミマセンデシタ」
「ほら、陸斗がキモイから女の子が泣いちゃったじゃない」
「いや、キモイのは関係ないだろ。それにキモくないしっ!」
いつの間にか美姫の頬を伝う雫の量が増えていった。
今まで会った人達の中で、一番優しく、一番温かい。
(アタシもこの人達と一緒にいれば……)
この温もりを受けることができる、と脳裏を過ぎった。
「なあ、大丈夫か、君?」
「こんなキモイ奴が嫌なら私でもいいわよ」
二人の言い合いがとても微笑ましく、いつしか一緒にいたいと思っていた。
この二人が美姫の人生を変えてくれる。
「あの、アタシ――」