メンテナンス
――五月 二三日
天気は曇りだった。
今にも雨が降りそうな、黒く重くのしかかった暗雲が空を覆っている。
目の前ではLHRで先生が長話に興じている。先生が何か言っているようだが、あんまり興味はない。
自分のような奴は他にもいた。まず、右隣の席の女子は机に隠れて本を読んでいた。何か面白かったページだったのか、肩を震わせてクスクスと笑っている。
左隣の男子は机にノートを二冊出して、忙しなく見比べて写していた。ノートを覗き見ると数学の課題のようだった。
(それって、先週が締め切りじゃなかったか……)
こそっとガンバレコールを念じておく。それよりも今は考えることがあるのだ。この学校が終わったら行くところがあるのだ。
キーンコーンカーンコーン。
終業のチャイムだ。既に帰宅準備は整っており、机の横に掛けていたバッグを引っ掴み、ドアに足を向ける。
「よお、陸斗。今日カラ」
「すまん。今日は無理!」
友人の誘いを即断して足を止めずにドアへ駆けて行く。ドアまであと三歩。このドアを抜ければあとは下駄箱までダッシュだ。だが、それを止める者達が立ちはだかった。
「ねえ、皐月。ちょっと金貸してよ」
いつもの男子達なら軽く躱していくのだが、目の前にいるのは金髪美女! というわけではなく、ただの微ヤンキーの金髪ギャルだ。クラスのトップカーストが何故クラスの後ろまで来ているのか。理由は簡単で、冴えない奴から『お金を貸してもらう』と言って遊びに行くためだ。貸すと言ってもそのお金を返してもらった事はない。
(貸してもらうならまず、貸したお金を返してからにしろよ!)
などと、実際に声に出す事は出来ず、いつもならバッグから財布を出していただろう。
だが、今日は違う。
今日はこれから行く所の為にお金を貯めていたのだ。
「はーやーくー。ウチら忙しいんだけど」
そう言う茶髪ロングの女子は指でクルクルと髪を弄んでいる。その仕草からはとても事を急いでいる様には見えない。
肝心の教師はまだ教室にいたが、一切口を出さない。別に教師と俺達の間に障害物があるわけではない。しかしこの事態を黙認しているわけでもない。
二人の親は教育委員会に強い影響力を持っているらしく、教師もなかなか口を出せないらしい。
教室にいる他のクラスメートも制止には来ない。彼らもこの二人の怖さを知っているから口を出せないのだ。頼れる者はいない。だが俺は、彼らを恨んだりはしない。きっと他の人が同じ状況でも俺はその他大勢の仲間となり傍観するだけだろう。
チャイムが鳴ってから五分が経った。
状況は一向に変わらず、ギャル二人がドアの前で仁王立ちを続けている。
金髪のギャルは手を腰に当てた状態で、茶髪のギャルは相変わらず髪を弄っている。
何時間経とうともこの状況が変わらないのはもう明白だ。クラスメートも早く帰宅するなり部活に行くなりとしたいことがあるだろうが、動く者はいない。
諦めて財布を出そうと右肩に掛けてあるバッグに左手を伸ばす。
(――ダメだッ!!)
バッグのチャックを開けかけていた左手を右手で抑えた。
このままお金を渡せばまた同じ事が起こるだろう。お金を渡さなければ彼女たちの肩を持つ奴等からボコボコにされる。それは他の人達も一緒だ。ここで何か言い返さなければこのジレンマは終わらない。
意を決して一つ深呼吸をして、想いを口に発した。
「僕はお前等にお金を貸さない……! それよりも今までのお金を返せ!!」
クラスメートのみんなが息を呑んだ。その先をみんなが想像して、同じ結末に至ったのだろう。
(僕だって、そのくらいわかっているさ)
膝はガクガク、背中は冷や汗でびっしょりだ。
金髪のギャルが陸斗を一睨みして、今まで閉ざしていた口を開いた。
「アンタ、自分が何言ってんのかわかってる? アンタなんてあたしの男達に言えば」
「それでもいい! 僕はお前等にお金を貸さないし、これからもずっとそうするつもりだ!!」
金髪のセリフを途中でぶった切り、ギャルの間をダッシュで抜けた。
さっきまでガクガクだった膝も今では不思議なほどに動く。今なら長距離マラソンも速度を落とさずにゴールできそうだ。学校のゴールはもう無さそうだけど。
下駄箱からローファーを掻っ攫い、駐輪場までノンストップで走り抜けた。
「はあ……明日から学校行けないなあ」
自転車のロックを解除しながら溜め息と共に呟いた。
未練たらたらで自転車に跨り目的地へと漕ぎ出した。
目的地到着。
目の前の建物は赤い壁で、中から騒がしいほどにうるさい音楽が漏れ聞こえてくる。
不知火アミューズメントパーク。
ボーリング、カラオケ、ゲームなど様々な娯楽を堪能することが出来る総合施設である。
一階はダーツやシミュレーションゲーム、二階にボーリング場、三階がカラオケルームである。
陸斗の目的は一階のゲームコーナーにある。ゲームコーナーにある『マジック・オブ・バレット』というシューティングゲームだ。
舞台は荒廃した都市で、蔓延したウイルスによって人間の消えた後の建物に棲まう未確認生物を射撃していくゲームだ。携帯にアカウントを持っていて百円で簡単にログインができる。
あれは一昨日の夜――
夜の十時ごろに風呂から上がって携帯を見ると、一件のメールが届いていた。
送り主は知らないアドレスですぐに削除しようとしたが題名で指を止めた。
「『マジック・オブ・バレット』の新モードについて」
陸斗は毎日のように公式ホームページを見ていていち早く情報を仕入れていた。そんな陸斗には「新モード」という言葉はとても魅力的だった。
とりあえずメールを開くと画面全体がスパムに包まれたようにゴチャゴチャとしていた。その文面を要約すると。
「現在開放されている『撃退モード』のほかに新モード『バレットモード』を追加。二日後にメンテナンスを行い、昼頃からプレイ可能。本情報は公式には掲載せずメールをもって通達いたします……っと」
一応そのメールを削除せずにそのままにしておいた。本当なのかは分からないが、二日後となれば不知火に行くことがあるからその時に確かめことにしよう。
そう考えてその日は携帯をしまった。
――今日。
空を覆う暗雲は「降りそう」で終わり、無事に不知火アミューズメントパークに着いた。
自動ドアをくぐり抜け、ゲームセンター独特の喧騒に包まれる。そして違和感にも気付いた。
いつものこの時間なら、いろんな所でゲームをプレイしている人の姿があるのだが、まるで貸切状態のように人気がない。鮮やかな色と音を出すゲームを素通りしていき、目的のゲームコーナーへと足を進める。
カウンターの角を曲がり目前に『マジック・オブ・バレット』が鎮座してあった。
同時に二人の人影も視界に入った。青い作業着に青の帽子の格好の二人組。一人は帽子から溢れる長い茶髪で女性だと分かる。もう一人は髪をバッサリと刈り上げ、とても涼しそうな頭の男性だった。
この二人は見た目からして、おそらくメンテナンスの係員だろう。だが、いつもならこの店の店員が調整などをやっていた。そして陸斗はこの店の常連であり、それなりに顔見知りではあるが、目の前の二人は会った事がない。
そういえば、まだ入店してから店員に会っていない。客も店員も含めて人がいない。
まさか、店休日なのか、と思ったがそれもありえない。本当に店休日なのであれば前日に連絡がメールで届くように店員に言ってあるからだ。
陸斗がいろいろと考えを巡らせていると、メンテナンスを行っていた二人組が立ち上がり、こちらを向いた。
「『マジック・オブ・バレット』のプレイヤー様ですね。只今メンテナンスが終了致しました。新モードも追加されております。『バレットモード』をプレイされる際はこのパイプ椅子に腰掛けてプレイ下さい。所要時間が長いので」
軽い高音で説明した女性が言い終わると、隣の男性がパイプ椅子を立て掛けた。そこにどうぞ、と言わんばかりに席を勧める。
大人しくそれに従い、陸斗はパイプ椅子に腰掛けた。座り心地はまあまあ良く、少し長いくらいなら十分楽に出来る。座ったままで携帯をカードリーダーに翳し、百円を投入した。
目の前の液晶が起動し、ヘルメットを被るように指示を受けながらログインへ順序を踏んでいく。
バッグを椅子に引っ掛け、自分の一番楽な体勢にリラックスさせる。
これからはヴァーチャルの世界でゲームが始まる。現実とは違う世界。現実とは違う身体で。
最後のログイン音声認証で完了だ。
「――バレット・オン」
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