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四,雨と、汗と笑顔



今朝は気が滅入る。


雨だから。


霧のような小雨ではあったが、乾燥していた空気を洗うように、根気よく降り続く。



教徒と“交換”した上着だが、濡らすのも気が引けて、果物屋の屋根の下にじっとしていた。

傾いた果物屋で、不思議なほどみずみずしいままの果物達と黒をまとったまま並んで座り、柔らかな雨の匂いの中に収まる。


爺さんも椅子を木箱にして屋根の下、火の点かない煙管をくわえている。




この雨で、瓦礫の街は溶けていってしまわないだろうか。


土くれの山に還っていかないだろうか。




《土になったり生まれたり、忙しい》



不意に甦るのは幸徳さんの呟き。


何も考えることがないと、父さんと母さんの事ばかり思い出し、

それが尽きれば幸徳さんの言葉が浮かぶ。




これだから、雨の日は。







「そろそろ止むぞ」


爺さんが呟いた。


頭を傾けて屋根の向こうを見ると、雲が大分薄れている。



頼りない雨の匂いが離れていく。




《水は好きだな》



幸徳さんの声も、遠くなる。












爺さんが言っていた通り、雨上がりの街は俄かに騒がしくなっていた。


荷車に瓦礫だか木材だかが積まれ、運ばれていく。


憲兵達の指示で皆、瓦礫を崩していくのだ。

また建てる為に。




壊したり創ったり、確かに忙しい。




すっかり顔を出した太陽に照りつけられて、半端に湿った地面から温い空気が陽炎になって昇る。

働く人々を歪め、遠くする。



それでなくても、あたしは皆を遠くで見ている。


邪魔にならないように道を歩きながら、黒い上着を頭から被って、皆を盗み見ている。



汗に濡れながらも、人々の顔は少しだけ、生気を取り戻した風に見えた。






五、六人が集まった固まりから、聞き覚えのある声が聞こえた気がして、立ち止まる。



汗に濡れ泥に汚れた顔で、中年の男や若い女が明るく笑顔を向けているのは、やはり少し汚れてはいるが、眩しい白と深い黒の影だ。




黒の上着を被ったあたしは、今や彼の一部である。



案の定、教徒は己の一部を見逃さない。


人叢の中に居るままに、あたしに大きく手を振る。

当然人叢は皆あたしに気付いて振り返ってしまった。




正直立ち去りたい。


彼らにひどく後ろめたかった。




躊躇して立ちすくんでいる間に、教徒はあたしの方へ歩いてくる。


近づけば近づくほどに、腕を大きく捲った真白いシャツにこびりついた泥や塵が目についた。


目前に立ったとき、そのはだけた襟元から銀の十字架を垣間見た。




「ちゃんと、日除けにしていますね」


教徒は昨日より目尻の皺を深くして笑った。

教え子を褒めるような調子に、思わず視線を襟元の十字架まで下げる。


「朝方少しだけ雨が降ったから、まだ涼しい方ですね。助かります」


「………手伝ってるの?」


「ええ。人手はあって困る事は無いようなので」


決して、遠回しに誘うような言い回しでも無いようだが……



「内村さん、娘さんかい?」


教徒の背後から威勢の良い声と、からかい笑いが聞こえてくる。



−−−内村。



内村は振り返った。

きっと誤魔化すように笑っているのだろう。


「そんなに老けて見えますかー?」


また笑い声が上がる。




あたしは気付いていた。



人々は幸せに向かいつつある。


かつて共に暮らした家−−崩れてしまっても、瓦礫となって街に残っていた家−−それらを消し去ることで


昔の街を忘れ去ることで、立ち直ろうとしている。







何がそんなに楽しいのだろう




かつての街の面影を消していきながら



何がそんなに幸せなのか






あの家にとり残されるよりも、街を取り上げられるのが悲しい。







きっともうすぐ、ここからは完全に、公園の影すらも



父さんも母さんも、幸徳さんも居なくなる










キリスト教徒はあたしの方に向き直る。



お手伝いしましょう?



そう誘われる前に、あたしの口が動いた。






「元になんか戻らないのに、なんで直すのさ」




小さいはずのあたしの呟きは、何故だかひどく大きく聞こえて


内村の後ろの人叢や、荷車を押す人達や憲兵にも、聞こえてしまった気分になる。



背筋が震えた。



急に怖くなった。




それでもあたしは







《直すと元に戻らんなぁ》







「やめてよ」



足が、逃げ出す。



「ほっといてよ」







人々の活気を肌に感じる。


立ち直りゆく空気から、逃げ出したい。




震災直後より、もっともっとあたしを疎外する空気なのだ。







思い出に取り巻かれるのも苦しいが、


無くなってしまうのは怖かった。


だから、今のこの現状が、ちょうど良かったのに






街が治っていく。




悲しかった。

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