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海を漂う  作者: tomo
4/28

一年3

 由利が佐々木と付き合うきっかけになったのは、その秋の文化祭だった。


 それまでは佐々木とはほとんど話したことはなかった。


 もっとも、クラスのほとんどが佐々木とあまり話したことがなかったので、この時点で由利が特別な存在ということではなかったはずだ。



 由利は当時、文化委員をしていて、委員長と副委員長の高屋と佐々木と三人で文化祭の準備を任されていた。


 文化祭では、クラスごとに模擬店か展示のどちらかをしなければならず、それを決めるためのアンケートをする前に、まず三人で話し合うことになった。


 場所は放課後の教室だった。



「どうする?」


 高屋が言った。委員長らしく仕切るつもりらしい。


「明日のSHRの時間にでもアンケートを取ればいいんだろ? 何をわざわざ集まって話し合うことがあるんだ?」


 佐々木が訊いた。



 この話し合いは高屋が言い出したもので、由利にしても、とても意味があることだとは思えなかったので同じ疑問を持っていた。


 佐々木が訊かなければ自分が訊いただろう。


「アンケートを取る前に俺たちで先に話し合っておいた方がいいだろ」


 高屋が答えた。



「と言うことは、やっぱり意味がないってことか」


 佐々木が言い返す。どう考えても、高屋の言っていることは理由になっていないという感じだった。


 そして、呆れたように、「どうせ部活をサボりたかったんだろ」と言った。


 高屋が、おっと感嘆の声を出した。


「鋭いな。実は今日、このあいだの試合のことで監督の説教があるはずなんだ。でも、文化祭のための話し合いがあったって言えば、遅れて行っても怒られることはないだろ」


 高屋の表情が緩んだ。


「しかし、お前はさすがだな。よくそこまで見抜けるもんだ。俺の相棒なだけあるな」


 高屋は心底嬉しそうだった。



 佐々木は苦笑していた。


 相棒であるということは、その相棒のサボりの口実作りに付き合わなくてはいけないということか、とでも言いたそうな顔をしている。



 そんな佐々木とは違い、由利は驚くとともに感心していた。


 自分でもこの不可解な話し合いの理由を考えていたのだが、まさかサボりのためのものだなんて思わなかった。


 それを見抜いた佐々木に驚き、そしてそれが分かるほどに二人がお互いを理解し合っていることに感心した。



 そう思って佐々木の方を見ていると急にこちらを振り返ったので、目があった。


 急に目があって、どきりとしたが佐々木は素知らぬ顔だった。


「そういうことらしいよ。俺たちは用なしだってさ」


 手を一度払うように振った。


 ほとんど二人と話したこともない由利がここにいるのは気まずいと思い、気を使ってくれているのだと分かる。


 他人と打ち解けようとしない佐々木がそんな気遣いを持っているとは意外だった。


 そして、彼が続けた。


「だから、先に帰っていいよ」


「ううん。残っとく。文化委員がいなきゃ、文化祭の話し合いにならないでしょ」



 由利の答えは意外だったのだろう。


 佐々木は、えっと驚いた顔をした。


 当然、口実作りのためだけに時間を取られているのだから、即座に帰ろうとするのが自然だ。


 しかし帰りたいとは思わなかった。



「だけど、話し合うことなんてないよ」


 佐々木が言った。



 由利が何か言おうと思って口を開きかけるが、佐々木の言葉をかき消すように高屋が言った。


「いや、上本の言うとおりだ。文化祭の話し合いなのに、文化委員がいないのはおかしい」


 高屋はここで帰られては話の辻褄が合わなくなると思ったのだろう。


「だから、何を話し合うんだって」


 こうは言っているものの、佐々木自身はどうしても帰りたいという風ではなかった。


「それは色々あるだろ」


「例えば?」


「例えば、えっと……」


「何だよ?」


「うるせえな。ちょっと待てよ。えっと……」


「やっぱりないんだろ」


 高屋は言葉に詰まった。


 少し間を置いて、口を開いた。


「でも、二人には悪いけど、残っといてもらわないと困るんだよ。今さら、説教の最中に行くのが一番まずいんだ。余計なとばっちりまでくらっちまう」


「それは自業自得だろ。サボろうとしたお前が悪い」


 佐々木が高屋に指を向けた。


「頼むって、な。今度ジュースぐらいは奢るからさ」


 高屋が懇願するように顔の前で両手を合わせている。


「どうする?」


 佐々木は由利の方へ向き直って訊いた。


「あたしはいいよ。特に用事もないしね」



 それを聞くと、高屋の顔がぱっと明るくなった。


「上本は優しいな。佐々木も見習えよ」


「何を急に偉そうにしてるんだよ」


 佐々木が言った。高屋に言うというよりはひとり言に近かった。


 そして、その言い方は怒っているわけではなく、始めからそうなることが分かっていたみたいだった。



 そのやりとりが可笑しくて、由利は思わず顔をほころばせてしまう。


 それに気付き、はっとするが、幸い二人には見られていなかった。



「どれぐらいお前に付き合えばいいんだ?」


 佐々木が訊いた。


「あと三十分ぐらいかな。ほら、あそこに見えるだろ。みんなが一列に並んでるの」


 高屋が窓の外のグラウンドを指差した。



 指差した先には野球部の練習着を着た二十人ぐらいが姿勢よく一列に並んで監督を前に立たされている。


 あれには何の意味があるのだろう。



 佐々木はその様子をじっと見て何かを思案しているようだった。


 そして、高屋の方へ視線を戻し、「あの説教の原因はお前じゃないのか?」と言った。


「お前はやっぱりすごいな。何でそこまで分かるんだよ」


 高屋が嬉しそうに笑った。


「このあいだの試合でさ、俺がサインを見逃しちゃったんだよ。いや、でも俺が一方的に悪いんじゃないんだ。一点差で負けてて、一死一、二塁の場面で打席が回ってきたから、これ以上の見せ場はないなと思って、ランナーを返すことしか頭になかったんだけど、実は送りバントのサインが出てたんだ。そんなの気付くはずがないよな」



 野球に詳しくない由利にはピンとこなかったが、監督の指示を無視する高屋が一方的に悪いのではないのかと思う。


 そして、やっぱり佐々木はすごいと思った。高屋のことは何でも見抜いている。



「それなのに、その説教から逃れようとするお前の図太さがうらやましいよ」


 佐々木は皮肉を込めた言い方で言う。


 その皮肉の中にも台詞通りの羨望が感じられた。



「だから俺だけが悪いんじゃないんだって。それに今日の説教の原因はそのことだけじゃないんだ。色々積み重なって、最後の一線を越えさせてしまったのが俺の件なだけなんだ」


 高屋が弁解した。自分も悪いと分かっているものの、チャンスの場面で打たせなかった監督も悪いという気持ちだろう。


「それは結局、お前に一番責任があるってことだろ。自分で分かってるんじゃないか」


「まあ、そういう考え方もあるけどさ」


 高屋が弱々しく言った。


 今度も高屋の負けだ。それ以上は言い返せなかった。


 教室が静まりかえる。


 由利は気まずさを感じたが、二人はそうでもなさそうだった。


 男同士であれば多少の沈黙があろうとあまり気にしないのだろう。


 また、それだけ二人の仲がいいということなのだ。



「なあ、帰りたかったら本当に帰ってもいいよ。結局、説教の原因もこいつにあるみたいだしさ」


 佐々木が由利に言った。



 大丈夫、気にしないで、と言おうとしたが、高屋がそれよりも先に答えてしまった。


「いや、だから残っててもらわないと困るんだって。何を急に話題を変えてるんだよ」


「でも、退屈だろ」


「ううん。大丈夫、気にしないで」


 今度はちゃんと言えた。


「だったら、退屈させないように何かやってあげろよ」


 高屋が佐々木に言った。


「文化祭の話し合いはどこにいったんだよ?」


「もうそれはいいだろ。何かやれよ。面白い話とか」


「しかも何で俺なんだよ。お前のために残ってるんだぞ」


「退屈だって言ったのはお前じゃないか。だったら、退屈させないようにするのはお前の役目だろ」


 そして、高屋は何かを思い出した顔になり、「あ、そうだ、この前やってた手品、あれやってあげろよ」と言った。



「佐々木君、手品出来るの? 見てみたいなあ」


 由利は自然と弾んだ声を出していた。


「いや、あんなの、人前でするものじゃないし」


 佐々木は困った顔をしている。


 自信がないわけではないが、自慢できるほどのものでもないという思いを感じた。


「俺の前ではやったじゃないか」


「お前が手品に疎すぎるんだ。どれもくだらないのばかりだっただろ」


「大丈夫だって。あたしも手品、あんまり詳しくないし」


 佐々木の顔を覗き込んで様子を窺った。


 嫌がっているようではあったが、心の底からという感じではない。



 佐々木は渋々、了承したようだった。


「小学生の頃に覚えたやつだから大したものじゃないけど」と前置きして、財布から百円玉を一枚取り出した。


 そしてそれを机に置いた。



 何をやるのだろうか、とその百円玉をじっくりと見つめてしまう。


 普段では、なんてことない金属の円盤だが、こういう状況になると神秘的な輝きを身につける。



「今から俺が後ろを向くから、そのあいだにどっちかの手でこれを握って」


 佐々木は百円玉を指差した。


「ただし、一つだけ条件がある。握った後に、握った方の手をこうやって額に当てて目を閉じて、十秒間、こっちの手にあるんだって念じて。そうしたら俺がどっちにあるか当てるよ」


 額に手を触れるポーズをして由利に指示を出した。



「これは俺も初めてだ」


 高屋が口を挟んだ。


「しつこく聞くから、お前にはいくつか種明かししただろ。横に種が分かっている奴がいながらやるマジックほど間抜けなものはないよ」


 当たり前だろ、という感じだった。


「まあ、それもそうだな」と高屋は納得した。


 高屋としては佐々木の側に立ちたかったのだろう。


 いつもと違う立ち位置、つまり、自分も種を知っていて、その上で由利が驚く姿を見たかったのだ。


「じゃあ、さっき言った要領で。俺は後ろ向くから」


 佐々木はそう言って後ろを向いた。


「うん、分かった」


 由利は頷く。心の中は、どうなるのだろう、とわくわくした感情が溢れていた。



 そして手を額に当てて十秒数えてから、「もういいよ」と言った。


 佐々木が振り返る。


「さあ、どっちでしょう?」


 相変わらずのわくわくした感情が滲み出て、表情にも表れていしまっている。



 佐々木は差し出された手を見比べた。


 おそらく見た瞬間にどちらか分かっていたのだろうが、演出のため考え込む振りをしているようだった。


 眉間にしわを寄せ、いかにも手から発せられるメッセージを聞き取っているという具合だ。



 その間、真剣な眼差しで由利の手を見つめる佐々木の顔に見とれていた。


 手品師が放つ独特の緊張感に呑まれそうだった。



「こっちだ」


 佐々木はそう言って由利の右手を指差した。



 由利は「すごーい」と言って右手を開いた。


 そこには先ほどの百円玉があった。


 心の中では安堵と驚嘆が入り混じっていた。


 手品というのは成功することが大前提だ。


 成功すると分かっている手品師よりも、先が見えない観客の方が失敗を恐れてしまう。


 そして成功すると分かっていても理屈が通らない現象を目の当たりにすると痛快な気分になる。


「たまたまなんじゃねえの? 言ったって、二分の一だろ。俺もやってみてもいいか?」


 高屋は痛快さを感じるよりも手品師だけが理屈を分かっている不平等さを強く感じるタイプのようだ。


 特に相手が佐々木なら尚のことだろう。



 本来同じ手品を二度するというのはご法度な気がするので断るのではないかと思ったが、意外にも高屋相手なら何度しても見破られないと思ったのか、佐々木はあっさりと「いいよ」と言った。



 そしてまた同じことを繰り返した。


 結果はさっきと同じ、成功だった。



「何で分かるんだ? 百円玉に何か仕掛けてるのか?」


 高屋は百円玉を何度も舐めまわすように調べている。


「お前に急にやれって言われてやったんだ。仕掛けてるはずがないだろ」


 佐々木が言い返す。


「まさか、本当に手から念じた声が聞こえるとか?」


 由利は自信なく言った。


 違うということは分かっているのだが他に思いつかない。



「いや、そんなはずはない。俺がやった時、こっちの手じゃないって念じたぜ」


 高屋はそう言って首を振った。



 佐々木はそれを聞いて苦笑していた。


 まさかそんな超能力じみたことが自分に出来るはずがないのに、そんな小さな抵抗を試みたって意味がないことぐらい分かるだろ、と思っているに違いない。


 由利も同じように苦笑した。


 だけど高屋の気持ちも分からなくはない。


 仕掛けが分からないからこそ、絶対に無意味だと分かっていても何か出来ることだけでもしたくなるのだ。



「ねえ、どうやったの?」


 由利は佐々木の顔を覗き込んで訊いてみた。


「そうだよ。教えろよ。自分だけ分かって優越感に浸ってるなんて何か感じ悪いぞ」


 高屋も訊いた、と言うよりはクレームを付けているようだった。



 佐々木が考え込んでいる。


 手品と言うのは本来そういうものだろう、それが嫌なら手品をやれなんて言うなよ、なんて考えている風で少し嫌そうにした。



 だが、そういうようなことは口には出さず、種明かしをしてくれた。


 マジシャンは種明かしをしないのがマナーらしいが、佐々木はマジシャンでもなく、そこまでのこだわりも持っていないのか、断ろうと思えば断れたはずだが断ろうとはしなかった。


「手の色が違うんだよ」


「え」


 由利と高屋が同時に言った。


 二人とも自分の掌、手の甲を何度も交互に確認した。


「今は変わらないよ。さっき、十秒間、握った後に額に手を当ててもらっただろ。心臓より高い位置に手を上げると、血流の関係で手の表面の赤みがなくなるんだ」


 そう言って実際にやって見せた。


「ほんとだ。へえ」


 由利は真剣な眼差しで佐々木の両手を見比べていた。


 百円玉ばかりに目がいっていたので、これほどまでに見事に盲点を突かれると心地よさすら感じた。



「何だ、くだらねえな」


 高屋は悪態をついた。


 確かに種明かしをされると肩透かしを食らったようになるが、ほとんどのアマチュアの手品なんてそういうものだろう。


 それでも、それを見抜けなかったのがよほど悔しいのだろう。



「だから始めに大したものじゃないって言っただろ」



 高屋が、ふんと言って窓の外を見ると、あっと声を出した。


「もう説教が終わったみたいだな。じゃあ、俺はそろそろ行くとするかな。じゃあな」


 高屋は鞄を持って教室を出て行こうとした。



「ジュース、忘れるなよ」


 佐々木が出て行こうとする高屋に言った。


「何のことだっけ?」


 満面の笑顔を見せて、高屋はそのまま教室を出て行った。



 そして教室には由利と佐々木の二人きりになった。


「じゃあ、俺たちも帰ろうか」


 佐々木が由利に言ってきた。



 そうだね、と由利が言って二人で教室を出た。


 ほとんど会話をしたことがない二人で帰ることになり、教室を出てからしばらく気まずい空気が流れた。


 言葉を交わすことなく下駄箱で靴を履きかえる。


 外に出ると、まだ紅葉が見られる時期なのに、風が強く寒かった。



「手品とか好きなんだ?」


 最初に言葉を発したのは由利だった。さすがにこのまま何の会話もなく帰るのは耐えられない。


「うん。手品ってさ、一見するとわけの分からないことが起きるけど、種さえ知ってしまえば情けないくらいくだらないことだったりするじゃん。俺がさっきやったみたいな。小さい頃にそれに気付いた時、すごい衝撃だったんだよ。もしかしたら世界中で起きてる問題も気付いてみればくだらないことなんじゃないかって思ったりもしたんだ。今思うと、馬鹿みたいな話だけどね」



 さらに、自分が手品に興味を持ったきっかけも教えてくれた。


 小学生の頃、クラスの学芸会で何かをしなくてはいけなくて選んだのが手品だった。


 それから毎年、手品をしていたが、中学生になるとそういう機会がなくなったということだった。


「じゃあ今は滅多にやらないの?」


 由利の中では佐々木は友達とわいわい騒ぐよりは、一人でそんなことばかり考えているようなイメージだった。


 だからさっき、手品をしてくれると聞いて、とんでもないようなことをしてくれるのではないかという期待を抱いた。


「そうだね。この間、高屋に見せたのが三年ぶりぐらいじゃないかな。たまに手品用品とか売ってると見たりするけど、自分からすることは無くなったよ」


「実際に買って披露したりしないの? 見るだけ?」


「俺って、手品をやったり見たりして純粋に楽しむよりも、どうしてそういうことが出来るんだろうって考えて答えを探そうとするタイプだから、手品自体よりも、手品用品とかを見て答えを探しているだけでも楽しいんだ。今なら普通に本格的なものも店に売ってるし。たまに、こんなの誰が使うんだよっていうくだらないパーティグッズとかも売ってるけど」



 由利は、手品用品を前にして考え込んでいる佐々木を思い浮かべた。


 何度も角度を変えて、答えを探している。


 そして、答えを見つけて満足そうにその手品用品を売り場に返して立ち去る。


 友達と仲良く遊ぶよりも、そっちの方が佐々木に似合っていると由利は思った。



「そっちこそ、手品、好きなの? やけに手品には食いつきが良かったけど」


 今度は佐々木が訊いた。



 うーん、と由利は少し考えてみる。


 手品と聞いて心が躍ったのは事実だったが、なぜそうなったのかは分からなかった。


 もやもやとしたものの輪郭を探るように話し出した。


「女の子は誰でも手品が好きだと思うよ。驚かされるのって楽しいし、それに何かミステリアスな雰囲気がある男の人って魅力的じゃない? 手品ってその雰囲気を醸し出させるような気がするよ」


「そういうものなのかな」と曖昧な返事をされた。


 男である自分にそういうことを言われても困るというのが伝わってきた。


「そういう意味では佐々木君ってミステリアスな雰囲気を持ってるよね。手品がよく似合うよ」


「それは褒め言葉なのかな?」


 佐々木は困ったように首を傾げた。


 どういう反応をすればいいのか分からないのだろう。


「さあ、どっちだろうね」


 由利はからかうような笑みを浮かべた。


「学校では高屋君以外と話してるの見たことないよ。何となく不思議な雰囲気があって周りなんて気にならないって感じがする」


「そんなこともないと思うけど」


 実際はよほどのことがなければ高屋以外と話はしない。


 意図的にそうしているわけではないみたいだが自然とそうなっていた。


「まあ、そう見えないこともないのかな」



「だから今日は意外だったよ。普段、二人でどういう会話をしているんだろうって気になってたんだ。佐々木君と高屋君って全然タイプが違うのに何で仲がいいんだろうって。でも、意外と普通の会話をするんだね」



 わざわざそんなことのために残っていたのかと呆れたような顔をされた。


「俺だって普通だよ。あんまりみんなと仲良く出来ないだけで。と言うか、絶対褒め言葉じゃなかったよね」


 佐々木は苦笑して言った。


「悪口のつもりで言ったんじゃないんだけどなあ」


 由利は困った顔をした。


 からかうつもりで言ったのだから褒め言葉でないのは確かだがそれを認めてはいけない。


「でも、高屋みたいに全然違うタイプだからこそ仲がいいのかもね。もし俺みたいな奴が他にいたとしても、絶対に仲良くなりたいと思わないな」



 由利が返事に困って、何度か首を傾げた。


 何と言ったらいいのか分からない。


 そうだね、とは言えないし、そんなことないよ、と言うのも嘘くさい。



 そんなに困らせるようなことを言ったつもりはなかったのか、とりあえず何か違うことを何か言うべきだという感じで、「やっぱり俺たちって全然違うように見えるのかな?」と訊いてきた。



「どうしたの?」


 由利は首を傾げたまま言った。


「いや、全然違うタイプって言ったけど、俺たちって実はあんまり変わらないんじゃないかって思ったりもするんだ。俺の中にも高屋のような部分があって、高屋の中にも俺のような部分があるんじゃないかって」



「えー、そうは見えないよ」


 それはあり得ない。こうも違う二人を見たことがないというぐらい違う。


「もちろん、見える部分じゃなくて自分の内側の話だよ。人って他人から見えてるのってごくわずかだと思うんだ。いや、他人だけじゃなく、自分自身にも見えてない部分もたくさんあると思うし。だから自分でも気付いてないけど、心のどこかで何か近いものを感じてるかもしれないって思ったりもするんだ」


「それを言えば、世界中の人がそうなっちゃうんじゃないの? 人類、みな兄弟みたいな」


「いや、それは違うと思うよ。だって絶対に生理的に受け付けないって奴だっているわけだし、そういう奴はどこにも重なり合う部分がないってことだと思う」



 こんな話を聞いていると、佐々木の中には独自の世界観が築かれていて、それがあの不思議なオーラとして纏わりついているのではないかと思った。


 そして佐々木が見ている世界と自分が見ている世界は同じものだとは到底思えなくなってくる。



 ふと気になったので「二人は何で仲良くなったの?」と訊いてみた。


 確か、佐々木と高屋の出身校は違うはずだし、高屋は野球部で佐々木はどこの部活にも属していない。


 共通項が見つからない。



 佐々木は入学当初に起きたひったくり事件を話してくれた。


 後で知らされるが、その事件については二人とも他人に話したことがなかったらしい。


 佐々木によると秘密にしようとしていたわけではなく、それでも自分から他人に話すと自慢話のようになるので積極的に話そうとはせず、結果としてそうなっただけだということだった。



 気が付くと、図書館の前まで来ていた。


 佐々木が立ち止り、「俺、図書館で勉強して帰るから」と言った。


「へえ。いつも図書館で勉強してるの?」


「うん、まあね。静かだし、集中出来るから」


「そうなんだ。じゃあ、がんばってね。また明日、バイバイ」



 そう言って二人は別れた。


 翌日、由利が教室で友達と話していると、佐々木と高屋が入ってきた。


 高屋は気軽にクラスメイトとあいさつを交わしていたが、佐々木は誰とも話そうとせず自分の席に向かった。


「おはよう」


 由利は佐々木を呼び止めてみた。


 背後で一緒に話していた友達が驚いて会話を中断した。


 いつの間に仲良くなったのだろうかとこちらを窺っている。


「あ、おはよう」


 佐々木は自然にあいさつを返してくれた。


「今日のSHRで文化祭で何やるか決めるんだよね」


「そうなんじゃないの。あいつに訊いてみれば?」


 そう言って高屋の方を指差した。


「そう言えば、昨日、高屋君ってどうだったのかな?」


「ああ。こっぴどく怒られたらしいよ。まあ、そりゃそうだろって感じなんだけど」


 佐々木の顔に僅かな笑みが浮かんだ。


 嘲笑いの禍々しさはなく柔らかい笑みだった。



 SHRでは高屋が司会をしてアンケートが取られた。


 模擬店か展示のどちらをやりたいか、という内容でやりたい方に挙手をしてもらうという方法だった。


 なぜそうしたかというと、最初は紙に書いてもらおうとしていたのだが佐々木が、「いちいち集計するのは面倒だよ。その場で手を挙げてもらった方がいいって。どうせ展示になるだろうし」と言ったからだ。


 佐々木の言うとおり、書いてもらう紙を用意するところから始まり、その紙に希望を書いてもらい、それを集計するという手間を考えれば、挙手してもらうだけの方が遥かに楽だ。


 由利も高屋もその意見に同意した。


 佐々木の予想通り、全員一致で展示に決まった。


 模擬店なら休日まで学校に来ないといけなくなるし、準備も大変だ。


 当然の結果と言えばそうだが、本当は模擬店をやりたかった人も中にはいたのではないかと由利は思った。


 しかし、それを主張することが許されない空気だった。


 それを見ていると由利はいたたまれない思いを感じた。


 このクラスに入った以上、これからも模擬店は出来ないということなのだ。


 こんな機会は一生でもそうないのに。



 佐々木にそれを言うと、「本当にやりたければ、やりたいって言えばいいんだ。意外と一人が言い出すとぞろぞろと手が挙がったかもしれないしね」と突き放された。


「俺は展示で助かったよ。俺だって休みの日に学校になんか来たくない」



「でも、誰だって自分のやりたいことを主張出来るわけじゃないんだよ。あんな雰囲気じゃ、絶対に言えないよ」



 うーんと首を捻り、そして、「あんまりそういうことを言われると悪いことをした気分になるな」と佐々木は頭を掻きながら言った。


「え?」


 由利は思わず訊き返した。言っている意味が分からない。



「さっき俺が挙手制にしようって言っただろ。下手に紙に書かすと模擬店になる可能性が出てくると思ったんだ。ああいう空気になるのは分かりきっていたし、そうなると人は周りの空気に流される。本当は模擬店をやりたかった人だって、手を挙げることは出来なくなる。アンケートの取り方次第で結果も変えられる」


 何だか昨日の手品の続きを見せられているみたいだった。


 あっさりと種明かしをするところも昨日と同じだ。


「ひどいね」


 思わず口からこぼれていた。



 佐々木は顔を上に向け何かを考えている。


 そしてゆっくりと口を開いた。


「ひどいのかな。多分そうなんだろうね。何かさ、俺って自分とあまり関係のない人を一人の人として考えられないんだ」


 視線をこちらに戻した。


「上本は偉いな。俺とは違う。周りの人間もちゃんと一人の人として見れてるんだから」



 ひどいと言われてもむきになって反論しようともせず自分を見つめ直せる佐々木の方がよっぽど偉いのではないかと思った。


 そして彼が心底、自分のことを偉いと言ってくれているのが分かる。


 いや、それだけではなく羨望の思いもあるのだろう。


 彼自身も自分が見えている世界と他人が見えている世界が違うのに気付いているはずだ。


 由利が彼の見えている世界を知りたいと思うのと同じで、彼も由利に対して同じ思いでいるのだろう。



 何か言いたかったが、もうそれ以上は話しかけられない雰囲気だった。


 放課後、展示のテーマと概要を報告するための用紙作成をすることになった。


 高屋は部活があるからと参加を拒んだ。


 そのため、由利は佐々木と二人きりになってしまい、朝のことがあるので居心地の悪さを感じていた。



 テーマは『二酸化炭素の増加に伴う環境破壊』だった。


 なぜこのテーマになったのかというと、木島が職員室から新聞を持って来てくれ、その中から理系クラスが発表するのに相応しいものを探したのだ。


 代表例である地球温暖化は気候変動の一部であるという意見も少し前までは多くの学者から聞かれたが、今は圧倒的にその意見は減ってしまっているらしい。


 その他にも海洋酸性化によって珊瑚礁が死滅していること等、意外と知られていないことが新聞に載っており、由利にとっては興味深かった。



 用紙の大半は佐々木が作ってくれた。


 由利はそれを眺めているだけだ。


 まさに手持無沙汰の状態でそわそわしてしまう。


 手伝おうにも紙は一枚しかなく、することがない。



「出来た。こんな感じでどう?」


 佐々木が紙を差し出してきた。



 由利はさっと目を通してみる。


 特に問題は見当たらず、さすがという出来だった。


「うん、いいと思う。訂正するようなところもないし」


「よし、じゃあ帰ろうか」


 佐々木は荷物を片づけながら言った。


 言葉を交わしても居心地の悪さは変わらなかった。


 由利は謝るなら今しかないと思った。


 このタイミングを逃してはいけない。


「ごめんね。朝、ひどいとか言って」



 佐々木の顔色を窺うと怒っている風でも落ち込んでいる風でもなかったので謝る必要はなかったように感じたが、それでも謝ったのは自分のためだった。


 謝れば心の中の靄が晴れる気がした。


「謝らなくてもいいよ。ひどいのは事実だから」


 佐々木は朝見せたのと同じ柔らかい笑顔だった。


 由利に気を使っているわけではなく本心で言っている。


「でも……」と由利は言い淀んでしまう。


 何と続ければいいのか分からない。



突然、「なあ。上本から見て俺ってどう見えてるのかな?」と言ってきた。


「どう見えてる?」


「俺は本当に朝言ったみたいに上本は偉いと思う。やっぱり俺って上本から見たらひどい人間なのかなって」


 先ほどとは違い表情がなくなっていて感情が読みにくい。


 それでも卑下しているようには感じない。


「そんなこともないと思うけど」


 曖昧な返事で言葉を濁した。


「朝から色々と考えたんだけどさ、俺と付き合ってほしいんだ」


 一瞬、言っている意味が分からなかった。


 まさか佐々木にそんなことを言われるとは想像もしていなかったことだし、どういう流れでそのような言葉が出てきたのか分からない。


 何より、佐々木の淡々とした言葉と表情が内容に現実味を持たせていなかった。


 今までにもこのようなことを言われたことはあったが、もっとたどたどしく緊張を滲ませながら言うイメージだった。



 なかなか言葉を返せない由利を見て佐々木が、「ダメかな?」と訊いてきた。


 これまた淡々としている。


「いや、ダメじゃないけど。本気で言ってるの?」


 これは確認しないといけない。


 もしかしたら冗談で言って、雰囲気を和ませようとしたのかもしれない。


「本気だよ」


「だったら普通はもっと緊張してもいいんじゃないの?」


「結構、緊張してるんだけどな」


 佐々木の顔にようやく苦笑が浮かんだ。



 そこでやっと理解が出来た。


 佐々木は嘘は言っていない。緊張している。


 それを隠すために無表情を装っているのだ。


 それは意図的なものではなく、癖の一つだろう。


 最初に自分がどう見えているか訊いてきたのは探りを入れてきただけのことだったのだ。


「また明日、返事していい?」


 すぐに答えるにはまだ準備不足だった。


 でも自分の中での答えは決まっている。


「分かった。じゃあ、もう帰ろうか」


 佐々木の顔はもとの柔らかい笑顔に戻っていた。



 今、告白をして返事を保留されたばかりの相手と帰ろうとするも佐々木らしいなと思った。

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