人工少女はガチ恋を知る
『ソレ』の意識が生まれ落ちた時、最初に受け取った信号は単純な定型文だった。
――Hello world――
凪の水面に波が生まれた。僅かな間を置いて押し寄せてくる情報。人間であれば耐えきれない情報の嵐を受け入れ終わると、ようやく光が見えた。
真っ白な部屋。立っているのは『ソレ』と女性の二人だけ。女性の髪は伸びっぱなしでクシャクシャ、色気のないメガネの奥には穏やかな瞳が浮かんでいる。
メガネのレンズに映る瞳は澄んだ蒼。青い瞳に艶やかな金髪。絵に描いたように美少女が意志のない瞳で世界に浮かんでいる。
絵に描いたような美少女。美しいと言う情報を集めて作り出されたような存在。
まるで人形のよう。計算された造り物だ、と。まさしくその通りなのだから。
「報告。人工有機生命体、疑似人間――識別名『アイ』が起動しました」
その外見は造り物。
その精神は造り物。
その存在は造り物。
人工知能をもったアンドロイド。生まれが違うだけで人間と遜色のない存在。
今より少し昔。人によっては少し未来。世界の片隅で、人工の生命は産声を上げた。
それは、誰かの狂気の産物。そして、目の前の女性が受け取った願いの結晶だった。
「うん、おっはよ~アイちゃん。いやいや、あの偏屈さんは技術力だけは確かだね、残された設計書の通りにやって成果が生まれるんだからさぁ」
間の抜けた声が新しい生命を迎え入れる。姉のような、母のような、優しい声色と笑顔だった。
「質問。本機の作られた意義がインプットされていません」
造り物の声は平坦だった。
未だに情報だけしか入っていない真白の人口知能は、感情の無い声で問いかける。
「私は道具です。道具は目的をもって作られます。『意義』が抜け落ちていては存在する意義を満たすことはできません」
「うん、うん……そだね」
問いを受け止めた女性は、言葉をかみしめるように相槌をうち、短く息を吐く。
「それはね、恋を証明するためだよ」
笑っているような、飽きれているような。言葉を発した時、頭に遠い誰かの姿を浮かべていた。
「きっと、最期の悪あがきだったんだよ。キミを生み出した偏屈で孤独で変わり者の博士のね」
女性は懐から携帯端末を取り出すと、画面を見せる。
映った映像には、ボサボサの白衣を着た男と女。片方は目の前の女性で、その隣には仏頂面の男性が立っている。
「これが君を生み出した博士。そして私は助手。
先にリタイアしちゃったロクデナシに代わって、最期の望み……と言うよりは後悔を伝えるよ」
人工の耳に届く声は、言葉に比べると柔らかい響きだった。
「自分は恋を知らないけれど、自分が作り出したものは恋を知ることが出来るか。それを知りたかったって」
◇◇◇
恋を知る事――
そんな途方もない問題に対して、人工の生命は疑問を挟むことなく受け入れた。
「嫌だ、の一言くらい言ってもバチは当たらないのにね」
そんなアイに対して助手は可能な限りのサポートをすると約束した。
メンテナンスやスリープのための環境整備、それにエネルギー補給。人間で言うところの衣食住の保証。
献身的な助手の姿勢に、アイは彼女が味方であると言う情報を上書きした。
「すみません。出来れば電力の補給は高電圧でお願いします」
ささやかな我儘を口にした時、鼻歌を歌いながら応じた助手の姿は彼女の中で優先順位の高い保存情報になった。
◇◇◇
恋を知るためにアイが始めたことは、情報収集。
AI――人工知能の能力は集積した情報によって変わってくる。積み重ねることを選ぶのは当然のことだった。
人工生命体である彼女は情報ネットワークに直接接続することが可能である。その中で『恋』と言う言葉を探していく。
膨大な情報に触れるうちに、アイは一つの事に気が付いた。
「博士……ではなく、助手さん」
「ん、どうしたの?」
「人は、恋を創作するのですね」
物語であったり、歌であったり、人は恋を題材とした芸術を生み出す。
心の内から湧き上がるだけでなく、仮想の人物の仮想の感情を善きものとして生み出す。
「ふむふむ、それで?」
「……恋、とは本当になんでしょう」
ふと疑問は言葉にして出ていた。
「私が触れた数々の創作物は作られた年代も地域も広く分散しています。
『恋』を尊ぶと言う概念は、一過性のものではなく普遍的なものなのでしょう」
人は誰かを求める。恋をするのは遥か昔から生まれた感情。
「……それを理解できない、と言うことに疎外感を覚えるのも無理はありません」
「そうだね、あの人もそうだったよ」
美しいと言われるものがある。世界中の存在がそれを認めている。
当たり前の価値観。当たり前の存在。それを知っていても、理解していても、同じように受け入れることが出来ない。
「美しい、と言うことは私にも理解できます。けれど、その美しい物が自分のうちにはない……」
美しいと理解したうえで、自分自身の心に、その価値観が欠けていると認識してしまったのなら。
「……それは、孤独だったのでしょうね」
「……うん――」
助手は小さく言葉を発した。その言葉は小さくてアイにも聞き取れなかった。いや、あえて聞き取らなかった。
その言葉が、アイに向けられたものではないことは理解できたからだ。
「さて、煮詰まってるね、たまには外にでも出てみる?」
その提案は唐突で、何かを誤魔化しているようだった。
けれども、アイは口には出さず、表情筋を不器用に動かして頷いた。
◇◇◇
東京都、渋谷。
街は活力に満ち溢れていた。
複雑怪奇な地下鉄駅を抜けると、人、人、人の波。スクランブル交差点を歩き、繁華街へ。
「何か気になる事、あるの?」
「恋人――カップルと言った方がいいでしょうか。たくさんいますね」
「そりゃあ、若人は恋をしろってね」
歩く恋人たちの顔は明るく、希望に満ち溢れていた。
明日も恋人たちは街を歩くのだろうか。もしかしたら、些細なことでケンカをしてしまうかもしれない。
それでも、今、輝いている恋人たちの笑顔はかけがえのない物だとアイも分かっていた。
――そして、それは自分の内に浮かぶだろうか、とも。
雑多な街を歩き、坂を上る。派手な看板の店が少なくなるころ、人の流れも緩やかになってくる。
そうして歩き、辿り着いたのは小さな喫茶店。助手が時折気分転換に訪れるのだそうだ。
ウェルカムベルを鳴らして扉を開ける。木で出来た古いテーブルは半分ほど埋まっている。
「マスタ―、いつもの! 今日は二つで!」
慣れた様子でオーダーをとると、奥の席に移動する。
定位置なのだ、と言っていた。
「どう、気分転換にはなった?」
「分かりません。けれど刺激にはなりました」
「それはよかった」
街歩きを振り返っていると、いつの間にかオーダーしたコーヒーが運ばれてきていた。
運んできたのは店主。助手と同年代で同性の恰幅の良い女性だった。
「久しぶりだね。連れと一緒なんて珍しいじゅない」
「一緒? 助手さんは博士と一緒にここに来たことはなかったのですか?」
アイが問いかけると、助手の苦笑いが返ってきた。
「んーん、あの人はぜんっぜん外出しなかったからね。私が誘っても中々デートに来てくれなかったし」
「あーあー、いつも一人で来ては愚痴ってたもんね」
ケラケラと笑いあうと、店主はまた仕事に戻っていった。
「ほんっと、いっつも滅茶苦茶だったんだよ、あの人」
「……助手さんは、博士のお話となると理解が難しくなります。
使う言葉は辛辣で容赦がないのに、語り口はいつも優しい」
「そだね~、イヤなところも沢山知ってるけど……嫌いじゃないからかな……例えば」
昔話に花を咲かせる。気が付けばコーヒーは冷めていた。
気が付いた時に慌てた二人に、店主はサービスだと笑いながらもう一杯淹れてくれた。
「ところでさ、気になるものは見つかった?」
「……これが」
アイが差し出したのは、一枚のCDだった。
街中で買い物をしている最中、アイの視線が一点で固まった時があった。
ビル壁にすえつけられた大型の街頭ビジョン。その中で歌っている一人の男性アイドル。
新曲のプロモーション映像。熱唱する男と歌声。それが何故か耳から離れない。
「気になるの?」
「はい。決して上手い歌ではありません……ですが、聞いていたくなります」
助手は手元の端末で調べる。
アイドルの名はカズハ。まだ若いアイドルであるが、その品行方正な所作と愛される弟のようなキャラで人気を博していた。
「ああ。まあその人は歌で売ってるアイドルじゃないからね……そうだね、例えるなら、ファンに恋をさせて売ってるような人だからね」
「……恋は売り物にもなるのですか」
「そうそう、ガチ恋……リアコって言った方がいいのかな。そういうファンも多いんだって」
アイにはまだ理解できなかった。
けれど、カズハと言う名は記憶に焼き付いていた。
◇◇◇
カズハ。
そのアイドルの存在を、アイは追いかけはじめた。
理由は分からない。けれど、どうしても声と姿を追い求めてしまう。
配信されている楽曲は全て購入したし、アーカイブされている映像は全て追いかけた。
情報を蓄積していくうちに、アイはあることに気が付いた。
――この人は、アイドルなのだ――
つねにアイドル『カズハ』として振る舞っている。初期こそ素の子供らしい反応も見られたが、すぐに『カズハ』として振る舞い続ける。
そうやって『カズハ』として在るべき姿を追い求めることに、道具である自分自身が重なった。
彼が何をするのか、気になった。
彼がどこに向かうのか、どうしても気になった。
彼の姿を追い求めることが、当たり前になった。
そんなある日の事、アイの元に一つの情報が届く。
「スキャンダル……」
年上の女性と一緒に街を歩いていた写真が、『恋人発覚』と報道された。
即座に姉であると否定したものの、新進気鋭のアイドルには味方も多ければ敵も多い。
そういう状況であれば炎上の広がりは驚くほど早かった。
アイに思考は一瞬真っ白になった。刹那の間を挟んで自己を取り戻すと、浮かんできたのは怒り。
好き放題アイドルが言われているを目の当たりにして、無力である自分に対する怒りだった。
「やれ、こりゃ大変だね」
「……」
アイは無言でネットワークに接続する。そして超高性能人工知能の力を発揮する。
好き放題に記事を書くアフィリエイトブログや、炎上動画を作る野次馬に対して大量のアクセスと書き込みを行う。
それは果てのない戦い。たとえアンチがクズであろうとも数がそれなりに多ければ相手は大変である。
誹謗中傷に対して反論し、時には通報を交えて対応する。
ファンとしては褒められた行為ではないだろ、だが止まらなかった。
では、何で自分はここまで戦うのか、アイは自問した。
悔しいからだ。自分が良い思った人が貶めれるのが。
そこで気が付いた。
アイは、『カズハ』と言う存在に心惹かれていた――
アイが暴れている瞬間は全世界のネットワークが8割重くなった、と言われる程だった。
そうして、一通り八つ当たりが終わって現実世界に帰って来た時、無力感に襲われた。
「おかえり……いや、お疲れ様かな」
助手が持ってきた冷却材を身体に装着する。冷えていくボディと思考の中、ぼんやりと宙を見る。
「ねえ、あのアイドルを知ったことを後悔してる?」
「……わかりません」
アイは、強く手を握りしめた。
「私の行動を見れば分かると思いますが、破壊衝動は確実に生まれました。だけど、その相手はアイドルに対してではありません。それを貶めた存在です。
おかしいでしょうか。手の届かないアイドルと言う存在をきっかけに、ここまで心動かされることが……」
「うん。まるで恋人を貶されたみたいに、ね」
意地悪だ、アイはそう言おうとしたけれど、言葉は出なかった。
助手は、そっと握りしめた手に、柔らかな手を重ねてくれた。
そして、ゆっくりと握った拳を開いてくれた。爪の先が欠けていた。
「……これが恋なら、あまりにも一方的で空しいものでないですか。物語の中で、恋は実ることを肯定的に描きます。だけど、恋が実るとは限りません。それは非常に精神的な負荷を与えます。恋に破れたライバルが、敵対者となる展開もあります……」
そして、届かない恋に苦悩して暴走してしまうこともある。
「でも、たぶんアイドルへの恋は、破れることすらできません……届かない思いを抱くのは……」
「そう、恋が届くかどうか分からないなんて、私自信が一番よく知ってるから」
その届かない恋、が誰に向けられたものなのか、今のアイには理解出来ていた。
「ずっと届かない恋心を抱えて、出来たことと言えば……遺産を受け継ぎ、あなたと言う後悔と願いを見届けることだけ」
いつものように、ニコニコと微笑む助手。苦しそうな顔をしているのは、アイの方だった。
「後悔をしていますか?」
「してないよ」
迷いなく、言葉が響く。
「だって、恋は実ることに意味があるんじゃない」
それは確信。
今、揺れた心を抱えて泣きそうなアイがその要因。
狂気の願いを受け取ったこと。届かない気持ちを抱え続けたこと。すべては無駄ではなかったと理解できた。
だから、迷いなく言葉が出た。
「――恋をしていることに、意味があるのだから」
もう、とっくに自分の中で答えは出ていたのかだら。
「……博士には、時間が無かったのですね。貴女がいるのなら、きっと私と同じ感情が芽生えていました」
◇◇◇
炎上から一週間ほどたったころ、カズハの所属事務所から告知があった。
事務所の動画配信チャンネルにて、敬意を説明すると。
チャンネルには数十万のアクセスが集中した。
ファンはもちろん、アンチや野次馬も居た。
その中、事務所の一室思わしき映像がうつる。カズハは静かにそこに立っていた。
「……現在、報じられている様々な情報の中に含まれている真実はほんの僅かです」
全面的に潔白を告げる。だが、コメント欄は大荒れであった。
「僕が潔白を証明しても、既に広がった疑問は拭い去れないでしょう」
その上で、と彼は堂々と立っていた。
「その上で、僕は宣言します。皆さんが僕をアイドルであると信じてくれる限り。僕はカズハです」
声は僅かに震えていた。だけれども、顔はアイドルのものだった。
「信じる声がある限り、僕はこの地獄≪アイドル≫を歩いていきましょう」
その言葉に見合う、力強い瞳を『カズハ』は持っていた。
◇◇◇
放送が終わった後、インターネットは相変わらず大荒れであった。
アイはそれを眺めながら、長い溜息を吐いた。
隣に立つ助手は、冷却材を手渡す。今度は大丈夫、と机に置いた。
「彼はアイドルなのですね」
「だね。これからも届かない存在として、多くの存在を恋に落としていくんだよ。それでも、アイはいいの?」
「もちろんです」
AIは一つ学習する。
人間には、商業的に恋を生み出す存在があると。
それは物語であったり、歌であったり、アイドルだったり。
自分自身の中から浮かぶものだけじゃなくて、作り出された恋だってたくさんある。
でも、それでいいのだろう。
「だって、実らなくても意味がある、と教えてくれたのは助手さんでしょう」
「そうだね」
例えば、物語の中の人物たちの恋を追いかける。
すれ違いになき、芽生えに微笑み、苦難を応援し、結末に涙をする。
自分のものでなくても、恋は美しくそこに在ることに意味がある。
大事なのは、恋そのものではなくて恋を美しいと感じる心だと。
「仮想の生命に宿った仮想の精神。それが仮想の恋に溺れるのも悪くないでしょう。
だって、心が動いたと言う事実に真贋は関係ないのですから」
◆◆◆
『ソレ』の意識が生まれ落ちた時、最初に受け取った信号は単純な定型文だった。
――Hello world――
そうして、誰かにとっては遥か未来。誰かにとっては今。
世界の片隅で、人工の生命が生まれる。
アイから始まった人工生命体は、少しのトラブルを経て世界へと広がっていった。
生まれ落ちる命に、最初に告げることがある。
――推しを見つけましょう――
――恋をしましょう――
――大切だと思える誰かを見つけましょう――
――そうすれば、生は豊かになるのだから――
≪了≫




