第82話 №6エレナ・フォルティス
思考が真っ白に染まる中、
リサの脳裏に、唐突に記憶が溢れ出した。
それは、走馬灯のように駆け巡る、
二人の「始まり」の日々だった。
………… ……
(……そういえば。アタシたちは、最初から一緒だったな)
記憶の中の世界は、セピア色をしていて、
少し埃っぽくて、そして温かかった。
場所は、辺境の街にあった古びた孤児院。
マガツとの戦争で親を失った子供たちが、
身を寄せ合って暮らす場所。
リサとエレナも、そこで出会った。
当時のリサは、今とは似ても似つかない、
泣き虫で臆病な少女だった。
「うぅ……ひっ、ぐすっ……」
膝を擦りむいては泣き、
雷が鳴っては泣き、
大きな犬に吠えられては泣いていた。
そんなリサの手を、
いつも引いてくれたのがエレナだった。
「ほら、リサ。泣かないの!」
当時のエレナは、リサよりも背が高く、
誰よりも活発なお転婆娘だった。
スカートの裾を泥だらけにして、
リサをいじめる男の子たちを追いかけ回すような、頼れるお姉さん。
「あんたは私が守ってあげるから。
だから、私の後ろについてきなさい!」
「うん……ありがとう、エレナちゃん……」
リサにとって、エレナはヒーローだった。
強くて、優しくて、キラキラしていて。
いつも彼女の背中を見上げて、
その後ろをついて回っていた。
ある晴れた日の午後。
二人は、孤児院の裏にある大きな樫の木の下で、並んで座っていた。
そこは二人だけの秘密基地で、
ここから見る夕焼けが一番綺麗だった。
「ねえ、リサ。知ってる?」
エレナが、どこからか拾ってきたボロボロの絵本を広げた。
文字も読めないリサに、エレナは得意げに読み聞かせてくれた。
「昔の世界にはね、「学校」っていう場所があったんだって」
「がっこう?」
「そう。子供たちが集まって、怖いことなんて何もなくて、みんなで本を読んだり、お歌を歌ったりする場所」
エレナの瞳が、
夕陽を反射して輝いていた。
「私ね、将来の夢があるの」
「ゆめ?」
「うん。私、大きくなったら「先生」になりたいんだ」
エレナは立ち上がり、
見えない黒板に向かうように手を広げた。
「もうマガツなんていない世界で、小さな子供たちに勉強を教えるの。
「今日はいいお天気ですね」とか、「お花が綺麗ですね」とか。
戦い方じゃなくて……優しくて楽しいことだけを教える先生になるの」
それは、この荒廃した世界では、
あまりにも美しすぎる夢だった。
でも、リサはそんなエレナの夢が大好きだった。
「すごい! エレナちゃんなら絶対なれるよ!」
「でしょ? リサも生徒にしてあげるからね」
二人は顔を見合わせて笑い合った。
ささやかで、けれど何よりも幸せな時間。
だが、現実は無慈悲だった。
その日の夕食時。
食堂で、年上の男の子たちがエレナを囲んでいた。
「おい聞いたかよ? エレナのやつ、先生になりたいんだってよ!」
「ギャハハハ! 馬鹿じゃねーの!]
男の子の一人が、
エレナの宝物だった絵本を奪い取り、
床に叩きつけた。
「どうせ俺たちは、大人になる前にマガツに食われて死ぬんだよ!
夢なんて見てんじゃねぇよ、気持ち悪い!」
「……っ!」
リサは怖くて、震えていた。
言い返したいのに、声が出ない。
だが、エレナは違った。
彼女は涙一つ見せず、
自分より大きな男の子を睨みつけた。
「うるさいッ!!」
エレナの拳が、男の子の頬に炸裂した。
「夢を見て何が悪いのよ! あんたたちが諦めてるだけでしょ!弱虫!」
「なっ、こいつ……生意気だぞ!やっちまえ!」
男の子たちが一斉にエレナに飛びかかる。
エレナは必死に応戦したが、多勢に無勢だった。
突き飛ばされ、髪を引っ張られる。
それでも、彼女は最後まで泣かなかった。
男の子たちが捨て台詞を吐いて去っていくまで、
じっと唇を噛み締めて耐えていた。
「……ふん。あんな奴ら、全然痛くないもんね」
泥だらけの顔で、
エレナは強がって笑ってみせた。
リサは、そんなエレナがやっぱり強くて、
かっこいいと思った。
その夜。 リサは手当てをするために、
包帯を持ってエレナを探した。
部屋にはいない。食堂にもいない。
(もしかして……)
リサは裏庭へ向かった。 あの樫の木の下。
そこには、小さく丸まった背中があった。
「……うぅ……っ、ひっ……」
リサの足が止まる。
聞こえてきたのは、押し殺した嗚咽だった。
「……こわいよぉ……」
エレナが、膝に顔を埋めて泣いていた。
昼間の強気な姿はどこにもない。
ただの、傷ついた小さな女の子がそこにいた。
「……死にたくないよぉ……。 先生に……なりたいよぉ……」
月明かりの下、エレナの肩が小さく震えている。
リサは、その時初めて知った。 エレナは、本当に強いわけじゃない。
リサと同じように、本当は怖くて、寂しくて、泣き出したいくらい不安で。
それでも、この世界の絶望に負けないように、
必死に強がっていただけだったのだ。
彼女の夢は、ただの憧れではない。
この地獄のような現実に対する、彼女なりの精一杯の抵抗だった。
(……そっか)
リサの胸の奥で、何かが熱く燃え上がった。
それは、今まで感じたことのない感情。
自分への不甲斐なさと、大切な人を守りたいという強烈な衝動。
優しいエレナ。夢を語るエレナ。
彼女は笑っているべきだ。
影で一人で泣くのは、彼女の役目じゃない。
(だったら……)
リサは物陰から飛び出し、
地面に落ちていた太い木の枝を拾い上げた。
ずしりと重い、鉄のような樫の枝。
それを、両手で強く握りしめる。
「……リサ?」
気づいたエレナが、涙に濡れた顔を上げた。
「見てて、エレナ」
リサは枝を構え、夜空に向かってブンッ! と振った。
不格好で、力任せな素振り。 でも、その瞳にもう涙はなかった。
「私が、強くなるっ!!」
「え?」
「私が強くなって、悪いやつらを全部やっつける。
いじめっ子も、マガツも、全部私がぶっ飛ばす!」
リサはエレナの前に立ち、その小さな背中を隠すように両手を広げた。
「だから、エレナは夢を叶えて。
先生になって、子供たちに……優しいことを教えてあげて」
「リサ……」
「怖いことは、私がやるよっ!! 」
リサはエレナの手を取り、自分の服で泥を拭き取った。
「約束する。私が、エレナの「剣」になる。
エレナが夢見た未来まで……私が道を切り開くから」
エレナが大きく目を見開き、やがてボロボロと涙をこぼして、リサに抱きついた。
「……うん。……うん……! ありがとう、リサ……!」
「へへっ。任せとけって!」
リサはエレナを抱きしめ返した。
その時、リサの中で泣き虫は死んだ。 代わりに、一人の戦士が生まれた。
それから数年後――。
「はぁ!?エレナも魔法少女になるだって!?」
孤児院の食堂で、リサの素っ頓狂な声が響いた。
リサは手にしたスープのスプーンを放り出し、目の前の親友に詰め寄った。
「なんでだよ!!だって、先生になるって言ってたじゃんか!
アタシが戦うから、エレナは夢を追うんじゃなかったのかよ!」
エレナは涼しい顔で紅茶を啜り、きっぱりと言い放った。
「リサだけ危ないことはさせられないわよ!」
「なっ……」
「私の夢は、世界が平和になってから!
それに……あんた、放っておくとすぐ無茶するでしょ?
私はリサのお姉ちゃんなんだから。私が守ってあげないとね!!」
エレナがニカッと笑い、リサの鼻先を指差す。
その笑顔は、かつて泥だらけになってリサをいじめっ子から庇っていた頃と、
何一つ変わっていなかった。
その真っ直ぐな瞳を見て、リサは毒気を抜かれたように肩の力を抜いた。
こいつが決めたらテコでも動かないことは、リサが一番よく知っている。
「……へっ!そりゃこっちのセリフだっての!!」
リサは憎まれ口を叩きながらも、隠しきれない嬉しさに顔を綻ばせた。
こうして、紅の剣士と風の射手。 最強の二人が揃った。
入隊後、リサはメキメキと頭角を現した。
誰よりも過酷な訓練に耐え、誰よりも大きな武器を振るい、
誰よりも前線で戦った。 傷だらけになっても構わなかった。
背中にはいつも、エレナがいてくれたから。
「もう、リサったら!また無茶して!」
「わりぃわりぃ。でも勝っただろ?」
「怪我の治療をする私の身にもなってよ……。ほら、じっとして!」
呆れながらも手当てをしてくれる、優しい時間。 それがリサの全てだった。
私が剣で、彼女が弓。 私が炎で、彼女が風。
二人でなら、どこまでだって行けると思っていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
流瑠々と申します。
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次回 最初で最後の授業 お願いします。
流瑠々でした。




