第41話 消えた真実
「終わった……終わったんだ……」
ヘーゲル卿は崩れるようにその場に座り込み、
ぼそぼそと呟いた。
「私は死ぬ……いや……ただ死ぬだけじゃない……
この世の地獄を味わうことになる……」
虚空を見つめる目は、
すでに現実をとらえていなかった。
「私だけじゃない……家族も……ああ、ああぁ……っ」
その声は次第に嗚咽と混ざり、
狂気の淵へと落ちていく。
床に転がったヘーゲルの胸倉を、
ミラがぐいと掴んで引き起こした。
「あなた、どうやって外部と連絡を取ったの!」
怒声が地下の空気を震わせる。
「ち、違う! わたしじゃない!!」
「私にそんなこと、できるチャンスなんてなかっただろう!!」
「じゃあ、なんでここがバレるのよ!」
「わたしに聞くなあっ!!」
ヒステリックな叫びが交差する中――
バンッ!
ミラの手がヘーゲルを床に叩きつけた。
「……白封筒」
「は、はいっ!」
ミラの視線が鋭くなる。
「この事が外部に漏れたら――ただの情報流出じゃすまない。大問題よ」
冷たい声が、床に落ちたままのヘーゲルを突き刺す。
「……もし、さっきの奴が裏切り者だったら、なおさら」
ミラは静かに言い切った。
「私は、あの者を殺す。誰であれ」
重たい沈黙が落ちた。
「ミラさん、それは……」
しずくが声をかける。
わずかな躊躇いと、
罪悪感が入り混じった声だった。
ミラは、ふっと笑った。
「……あなた、まだそんな甘いこと言うつもり?」
言葉は穏やかでも、目は決して緩まなかった。
「私を――失望させないで」
「……はい……」
しずくは唇を噛み、下を向いた。
その瞬間。
ミラの眉がぴくりと動いた。
「……眷属たちが、やられた?」
その声は低く、鋭く。
空気が凍りついた。
「認識する前に……?」
そして――
「……ミラ様」
影から、ひとりのメイドが音もなく現れた。
「申し訳ございません」
深く頭を垂れるその表情は、
わずかに汗ばんでいる。
「見失いました」
「ミラ様のコウモリも……全滅です」
「……いま、アメリーが追っていますが――
おそらく、逃げられるでしょう」
しばしの沈黙。
ミラは静かに立ち上がると、
口元に微笑を浮かべた。
「……あなたたちから逃げられる人間が、
いるなんて」
その目がゆっくりと細められる。
ミラは低く呟いた。
「……ここはまずいわね、シズ」
「イザベラに報告を」
「かしこまりました」
メイドは一礼すると、
まるで最初から存在しなかったかのように
――影へと溶けて消えた。
ミラはほんの一瞬だけ眉を寄せる。
「……ここから移動しないとだめね。
完全に足跡を掴まれたわ」
その言葉を聞いた瞬間、ヘーゲル卿が床にすがりつくように手を伸ばした。
「頼む!! もう私はだめだ!!」
絶望が裂けた声となって地下室に響く。
「殺される……殺される! あいつらは必ず来る!!
どうか……助けてくれ……!」
ミラは冷たい瞳のまま、
ひざを折って彼に顔を寄せた。
「あなたが知っていることを話せば
――誰からでも守ってあげる」
その声音は甘く、けれど刃のように鋭い。
ヘーゲル卿の喉が、ごくりと鳴った。
「くっ……」
数秒の沈黙。
震える唇。
そして――
「……わ、わかった……話す……話そう……」
ヘーゲル卿が、
まるですがるように言葉を吐き出す。
「よろしい」
ミラは静かに立ち上がる。
その瞳に光が宿り、空気がわずかに張り詰めた。
「でも、この場所を知られた以上――すぐに移動を」
「で、でも……どこに?」
しずくが思わず問う。
ミラはくすっと微笑んだ。
「私達を舐めないで。私の隊は隠密・偵察専門よ?
私たちしか把握していない部屋なんて――
いくらでもあるわ」
その時、扉がそっと開いた。
足音も静かに、アメリーが影のように姿を現す。
「ミラ様。逃がしました」
「ええ、シズから聞いたわ。すぐこいつを移動させる」
「周辺には人影なし。
監視網にも反応はありません」
「さすがね」
ミラが短く頷くと、
アメリーがすぐに準備へと動き出した。
その間に、ヘーゲルが声を震わせながら叫ぶ。
「わ、わたしを……守ってくれるんだろうな……!?
話したら……捨てないって、約束を……!」
ミラが一歩近づいた。
その影がヘーゲルの顔を覆う。
「だが……今、すべてを話せば、私は“用済み”になる……。
お前たちだって、そうするだろう……
私だってそうやってきた……!」
その言葉に、ミラの目が細められる。
「ふふ。場数を踏んできたのね。
――ただの司祭にしては、ずいぶん用心深い」
ミラの口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「わかったわ。続きを聞くのは、明日にしましょう」
ヘーゲルはしばらく黙っていたが――
やがて、小さく頷いた。
「……明日……続きを話す……そのときに……全部……」
ミラは何も言わずに背を向けた。
そして、しずくに振り返る。
「白封筒、あなたは先に自分の部屋に戻りなさい。」
「え……でも、私も手伝います!」
しずくが前のめりになるように言う。
けれどミラは、やわらかな声音で遮った。
「気持ちはありがたいけれど――ここからは、私たちだけの方が動きやすいの」
「あなたの帰りが遅いと、周囲に怪しまれるわ。
どこに裏切り者が潜んでいるかわからない今――それはとても危険なことなのよ」
「部屋に戻って、何もなかった顔をしていなさい」
しずくは唇を噛み、そして静かに頷いた。
「……わかりました」
しずくは振り返り、暗闇の廊下を駆けていった。
角を曲がろうとしたそのとき。
「……しずくちゃん?」
思いがけない声に、しずくは足を止めた。
振り向いた先に立っていたのは――
エレナだった。
「エレナさん……?」
「ちょっと、こんな時間にどうしたの?」
その声は、変わらず穏やかで、どこか母のような
温かさを持っていた。
「い、いえ……ちょっと眠れなくて……外の空気を吸いたくなったんです」
しずくは、咄嗟に言葉を取り繕う。
けれど、エレナは問い詰めるでもなく、
ただ静かに微笑んだ。
「そう……私もね、似たようなもの。
昼間は忙しくて、自分の時間が取れないのよ」
「だからこんな時間に一人でゆっくりしてるの。」
そう言って、エレナはすこし首をかしげて笑う。
その言葉に、しずくも少しだけ肩の力が抜けた。
「しずくちゃん」
ふいにエレナが、少しだけ声を落として言った。
「無理は、しないでね。ほんとうに」
その言葉は、あまりにも優しくて――
けれど、どこか深く刺さった。
「……はい。ありがとうございます。」
しずくは軽く頭を下げ、
そのままエレナの横を通り過ぎる。
その背中に、エレナは何も言わなかった。
静かな廊下に戻りながら、
しずくは小さく息をついた。
そのやさしさに、どこかくすぐったさと、
小さな違和感を感じながら――
しずくは軽く頭を下げ、再び歩き出した。
やがて、自室の前に着く。
ゆっくりとドアを開け、部屋に入る。
カチリ――と鍵を閉め、小さくため息をついた。
「……今日はいろいろありすぎた……」
そして――
その廊下の先。
わずかに開かれた扉の隙間から、
誰かが――じっと、その様子を見ていた。
少女の影。
銀の髪。
赤い瞳。
それは、アンナだった。
無表情のまま、何も言わず、
ただ――しずくの部屋に入るのを見届けていた。
やがて、彼女はそっと扉を閉じる。
音もなく。
その気配は、夜の静寂へと溶けていった。
――翌朝。
ユナイトアーク南棟――
人気の少ない補給倉庫の一角で、
正体不明の焼死体が発見された――
ここまで読んでいただきありがとうございます
流瑠々と申します。
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