第3話 白の魔法少女
輸送車両の振動が骨にまで伝わる。
装甲輸送車は未舗装の砂利道を跳ねながら進んでいた。
ガラス窓は厚手の防弾素材に変えられているが、
ガシャンという金属のきしみ音やショックは避けられない。
しずくはアオイの横に座り、ナギはその隣で小さな荷物袋を抱えていた。
袋の中には、救急キット、魔素弾の予備、
通信機器――最低限の装備だけが詰められている。
しずくは、自分の膝の上で固く組んだ手を見つめていた。
視線を上げることができない。
緊張で呼吸が浅くなり、胸の奥がじわりと熱を帯びていく。
背中には汗がにじんでいた。
唇を噛みしめても、震えは止まらない。
――これから、戦場へ行く。
あの、《マガツ》と戦うために。
「ねえ、しずく。」
アオイが囁いた。
声の調子はいつもの軽さを装っていたが、
その手元は落ち着きを失っていた。
銃のマガジンを差し込もうとして――カチッと音が鳴らない。
アオイは小さく舌打ちして、やり直す。
「訓練通りに動けば、絶対平気!
……あれだけ死ぬ気でやったんだし!」
無理に笑おうとした笑顔が、
少し引きつって見えた。
「よし、行こう。私たちで……ぶっ潰してやろう!」
「はいはい、まずはマガジンちゃんと入れてからね。」
ナギが呆れたように目線も向けずに言った。
「うるさっ……こちとら手ぇ震えてんのよ!」
アオイがムッとしながらも、どこか安心したように苦笑する。
そのやりとりに、周囲の数人が思わずクスッと笑った。
少しだけ、空気がやわらぐ。
誰かの笑い声が小さく漏れた。
「とにかく――」
一拍置いて、彼女はぐっと胸を張った。
「わたしたちなら、大丈夫!」
その声は震えていたけれど、確かに明るかった。
「ね? しずく、顔、上げていこうよ。」
しずくは、アオイの言葉に小さく頷いた。
少しだけ胸の奥が温かくなるような気がして、
緊張にはまだ混ざっていない希望があった。
しずくはゆっくりと顔をあげた。
その瞬間、世界が崩れた。
アオイの顔が――半分、なかった。
笑いかけようとしていたその表情が、
左側から裂け、
血と肉片と骨がむき出しになっていた。
目の奥がえぐれ、顎は砕け、
頭蓋の中身が霧のように宙に舞っていた。
鮮血がしずくの頬に跳ねた。
音が消えた。
キィィンという耳鳴りが世界を塗りつぶし、
思考も、感情も、
すべてが遠くへ引きずられていった。
現実感が、消えていた。
誰かの声が、遠くから響いてくる。
いや――目の前だ。ナギが、何かを言っている。
けれど、その口の動きは理解できなかった。
声が、聞こえない。
まるでガラス越しの世界に閉じ込められたかのように、音が遮断されている。
“キィィィィィィィン……”
耳の奥で金属音が暴れ、喉が焼けつくように痛む。
自分の鼓動だけが、頭蓋の内側で爆発していた。
「……っく……ッ!」
その瞬間、世界が音を取り戻した。
「しずく! 敵襲だ! なにぼーっとしてるの! 早く降りる!!」
強烈な声とともに、しずくの体が後ろに引かれた。ナギだった。
爆発音、悲鳴、機械のうなり、何かが燃える匂い。
現実が、一気に押し寄せてきた。
轟音、爆風、燃える匂い。
音が洪水のように押し寄せ、しずくの身体を叩きつける。
装甲輸送車のドアは爆風で吹き飛び、砂と火花が吹き込んできた。
しずくはナギに引きずられるように外へ転がり出る。
瓦礫と灰が舞う光景は、まるで割れたガラス越しに覗いた悪夢の世界だった。
「岩陰に隠れろ!」
ナギの叫びが空気を切る。しずくは震える脚を動かし、
転がるように車外へ飛び降りた。
「アオイちゃんが……! アオイちゃんがまだ車両の中に……助けなきゃ……!」
震える声でしずくが叫んだ。
「違う! 見たろ!アオイは――目の前で死んだ!!」
ナギが怒鳴った。瞳は潤みながらも、しずくの肩を乱暴に掴む。
「置いていくしかないんだ! 今は、生きることだけ考えろ!!」
廃墟の奥からマガツの唸りが聞こえた。地面が揺れ、装甲が引き裂かれたような音。
次の瞬間、ナギが教えた通りのフォーメーションを取るために指示を出した。
「火器はこっち!魔素弾型も準備して!訓練通――」
だが、静かに、残酷に。
空気を切る鋭い光が、岩を貫通する軌跡を描いてナギの方向へ伸びた。
砂埃と光の稜線が一点で交わり――頭部を貫く。
しずくの頬を、温かい液体が叩いた。
ナギは言葉を途切れさせたまま、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
そこにはもう、声も、表情も、何もなかった。
「ナギ……? いや……いやだ……!」
喉の奥から獣のような叫びが漏れた。
頭が真っ白になり、心臓が砕けるような痛みが走る。
そのとき、光が差した。
「みんな、落ち着いて! 私のもとへ集まれ!」
セレスだった。
彼女は瓦礫の上に立ち、杖を掲げて詠唱を始める。
澄んだ声が、血と砂の世界を切り裂くように響いた。
「――光よ、私ひとりじゃなく、皆を……!我らを護る盾となれ!
黄金防護結界!」
魔素が弾け、透明なシールドが展開される。
光の壁が兵たちを包み込み、轟音を外へ遮断する。
一瞬の内に、守られている錯覚を与えた。
その姿は――まさに皆を守る魔法少女だった。
だが――。
“ドンッ!!”
衝撃音とともに、シールドが軋む。
次の瞬間、赤黒い閃光が貫通し、セレスの頭部を吹き飛ばした。
血の雨が降り、光は砕け散った。
彼女の身体は糸を切られた操り人形のように崩れ落ちる。
「う、そ……でしょ……?」
誰かが呟いた声を最後に、
戦場は――地獄へと変わった。
次々に、同期たちが消えていった。
絶叫。血飛沫。ちぎれた手足。
訓練で肩を並べた少女たちが、名前を呼ぶ暇もなく肉片になっていく。
マガツの唸り声が大気を震わせ、鋭い触手が次々と兵士を貫いた。
体を引き裂かれ、砕かれ、喰われていく。
誰かが泣き叫んでいた。
誰かが逃げていた。
誰かが何かを叫んでいた。
それは、地獄絵図だった。
しずくは動けなかった。
(動いて。訓練通りに、動かないと……!)
繰り返し叩き込まれた手順も、
今はぼやけて思い出せない。
銃を握る手が震え、足が止まり、呼吸ができなかった。
恐怖が、すべてを飲み込んでいく。
体が、自分のものじゃないみたいだった。
――次の瞬間。
眩い閃光が、しずくの正面を貫いた。
岩陰に伏せていたはずの彼女の頬をかすめ、その光は視界を真っ白に焼き尽くす。
熱と痛みが、顔の右半分を襲った。
「っあああああ!!」
しずくは地面に叩きつけられ、血の海の中でもがいた。
右目から視界が消えていた。
ただ赤い闇と激痛だけが、そこにあった。
「やだ……やだ……死にたくない……。」
マガツの影が覆いかぶさってきた。鋭い触手が地面を叩き割り、彼女の身体を貫こうと迫る。
その瞬間――しずくは声にならない声を漏らした。
「……お姉……ちゃん……。」
絶望に閉ざされた世界を、強烈な光が裂いた。
「――そこまでだ、化け物!」
轟音とともに、別方向から魔素の閃光が飛び込み、マガツの触手を切断した。
焼け焦げた断面から黒煙が上がり、異形の肉が苦悶のように蠢く。
その隙に、二つの影が瓦礫の上に舞い降りた。
一人は、金髪を後ろで束ね、深翠の弓を携えた少女。
魔素で形作られた矢を次々と生成し、マガツの触手を狙撃していく。
その精密さは、まるで戦場を支配する冷徹な狩人のようだった。
もう一人は、
赤白の鎧に身を包んだ長身の少女。
巨大な魔素剣を両手で握りしめ、
瓦礫を蹴って突撃する。
剣が振り下ろされるたびに、
地面が震え、マガツの肉体が大きく裂かれた。
「好き放題やってくれたなぁ!ぶっ殺す!!」
剣の少女が叫ぶ。
弓を引き絞った金髪の少女が、
しずくを振り返った。
血と瓦礫に埋もれた戦場を見渡し、
短く息を呑む。
「生き残った子は――あなただけみたいね。」
「……まだ動けるなら、立ちなさい!」
しずくの胸が締め付けられた。
仲間たちの声も、笑顔も、すべてが血と絶叫の中に沈んでいた。
残ったのは、自分ひとり。
「……わたし……だけ……?」
掠れた声が喉から漏れる。
その瞬間、マガツの影が蠢き、
触手が再びしずくへと襲いかかった。
金髪の少女が弓を引き絞る。
魔素で形作られた矢が、空気を裂き、マガツの触手を次々と貫いた。
赤黒い肉が焼け焦げ、断末魔のような絶叫が響く。
「今よ!」
呼応するように、赤白の鎧を纏った剣の少女が跳んだ。
大剣に魔素が収束し、刃全体が白銀の光に包まれる。
空気を割く轟音とともに、その一撃はマガツの首筋を深々と切り裂いた。
災厄体の巨体が大地を揺らし、崩れ落ちる。
腐臭と煙が立ち込め、しずくの片目に焼き付く。
「……すごい……。」
血に濡れた視界の中、二人の背中は神々《こうごう》しいほど鮮烈に映っていた。
その姿は、かつてテレビ越しに見た“お姉ちゃん”を思い出させた。
マガツが大地を揺らして崩れ落ち、血と腐臭が広がった。
剣の少女が剣を肩に担ぎ、吐き捨てるように言った。
「……ったく。セレスがやられたってのかよ。何が“期待のルーキー”だ……。」
弓の少女が眉をひそめ、すぐに言い返した。
「やめて、そんなこと言わないで。
彼女だって必死だったのよ。」
しずくはその会話を遠くに聞きながら、足元に横たわるマガツの死体を見ていた。
骨のような外殻、膿んだ皮膚、そしてもう動かない触手。
その巨体の裂け目から、まだ微かに熱が漂っていた。
――そうだ。ナギ。
隣に倒れていた、ナギの亡骸が目に入った。
しずくはその体を抱きかかえる。
冷たくなった体温、血に濡れた制服、
割れたヘルメットの下にある、
もう動かない表情。
そのすべてが、現実だった。
「……ごめんね……わたしのせいだよね……。」
涙が溢れ、止まらなかった。
声が震え、喉が詰まって、
それでも言葉を吐き出さずにはいられなかった。
「守れなかった……何も、できなかった……。」
その姿を見つめながら、二人の魔法少女は静かに歩き出す。
崩れた瓦礫の向こう、
セレスの亡骸へと向かって――。
しずくの立ち位置は、
自然とそこから少し離れていた。
距離が開いた、その瞬間――。
瓦礫の下で、低い唸り声が響いた。
「……ッ!」
砂煙を突き破って現れたのは
――二体目のマガツ。
「二体目なんて……聞いてないぞ!!」
剣の少女が叫ぶ。
「逃げて!!」
弓の少女が声を張り上げた。
しずくの視界が揺れる。
立ち上がろうとした足が、
瓦礫に絡まり思うように動かない。
「……ナギだけでも……守るんだ……!」
「これ以上…ナギに、顔向けできない…っ!」
そのときだった。
――死んだはずのマガツの体から、
光が漏れ出した。
黒い肉の裂け目から、
淡い青白いエネルギーが立ち昇り、
糸のようにしずくの身体を包み込む。
光は眩しく、苦しく、そして温かかった。
――頭の中で声がした。
「ねえ、しずく。魔法ってね、ただの力じゃないんだよ。」
小さな頃、三つ編みにしてもらいながら姉に尋ねた日の記憶。
「それは、守りたいって気持ちに応えてくれるもの。しずくの未来とか、青空とか……」
「……お姉ちゃん……。」
その言葉とともに、しずくの片目に焼け付くような光が宿った。
消えたはずの右目が、
魔素の輝きを持つ義眼となって再生する。
マガツの触手が、彼女を貫こうと迫る。
だが、その瞬間――。
「――ッああああああああああッ!!!!!」
しずくの身体から、
爆発的な魔素光が解き放たれた。
周囲の瓦礫ごと吹き飛ばし、
二体目のマガツを超高火力の光で焼き尽くす。
災厄の咆哮は、最後には断末魔に変わり、
やがて跡形もなく消えた。
燃え尽きた戦場に、
砂埃がゆっくりと舞い落ちていく。
しずくは膝をつき、肩で荒く息をしていた。
その姿を見て、剣の少女が目を見開く。
「う、うそだろ……あいつ、
……エクリプスだから、白封筒だよな……?」
弓の少女も、
信じられないというように唇を震わせた。
「……そうね。まさか……金の封筒以外から、
魔法少女が現れるなんて……。」
剣の少女は、
血と埃にまみれたしずくに歩み寄る。
その顔に、荒々しい笑みが浮かんでいた。
「はっ……どうやらこんなこともあるみてーだな。」
弓の少女はゆっくりと膝をつき、
しずくに手を差し伸べた。
その声は、どこまでも穏やかで優しかった。
「ようこそ――白の魔法少女さん。」
その言葉が耳に届いた瞬間、しずくの視界は闇に沈んだ。
意識が途切れる刹那、彼女の頬をあたたかな光が撫でていた。
――こうして、“白の魔法少女”が誕生した。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
流瑠々と申します。
白の魔法少女が誕生しました。
しずくたちはどうなっていくのか。
もし「続きが気になる」と思っていただけましたら、
ブックマークや評価で応援していただけると、がんばれます。
それではまた次回。
流瑠々でした。




