第27話 災厄の声
マガツの動きが見える。
その先の“未来”までもが、今は。
(この力は……一体……)
しずくの思考が一瞬、戸惑いに揺れる。
だが――すぐに首を振った。
(いや、いまはそんなことより、この状況だ)
眼前に横たわるのは、今まさに傷つけられた者たち。
(この力を使って、切り抜ける)
しずくの瞳が、強く光を宿す。
(これで、私は……守るだけじゃない)
衝撃波の余韻を残して、マガツの巨体が吹き飛ばされる。
岩壁に叩きつけられ、そのまま大の字に倒れ込んだ。
砂埃が舞い、あたりに静寂が戻る。
しずくは盾を構えたまま、ゆっくりとカレンのほうを振り返る。
カレンは剣を地面に突き立て、膝を立てた状態で、なんとか立っていた。
「……はっ、はっ……」
荒い呼吸。
血に濡れた顔。
吹き出す汗が、頬を伝う。
(あのマガツと……正面から戦い続けて……)
(皆を、あの強さから守って……戦ったんだ)
(もう、限界のはず……)
「カレンさん! 今のうちに!」
しずくが叫ぶ。
カレンはしずくを見つめ、かすかに口元を動かした。
「あぁ……いくぞ……」
そう言った瞬間、カレンの体がぐらりと傾いた。
「……っ!」
しずくがすかさず駆け寄り、彼女の身体を支える。
カレンは倒れこむように、しずくの肩に身を預けた。
「肩、貸します」
「……悪いな」
言葉少なに。
二人はそのまま、森の奥へと歩き出す。
静まり返った緑の中へ――
戦いの余韻を背に、命の火を運ぶように。
森の中。
静寂の中を、しずくとカレンは肩を貸し合って歩いていた。
枝葉の擦れる音。小鳥の鳴き声すら遠く、静けさが辺りを包んでいる。
しずくが支えるたびに、カレンは小さく息を漏らした。
「……しずく」
低く、だが確かに、カレンが口を開いた。
「さっきの、お前の戦いぶり……見事だった」
しずくは少しだけ目を見開く。
「マガツを、真正面から吹き飛ばすなんて……誰が想像できたか」
「……ありがとうございます。でも……。」
しずくは、言葉を探すようにうつむいた。
「私……。」
「まて、私がお前に謝らないといけないことがある。」
カレンの言葉が、静かに重なる。
「私は……セレス様の死を、ずっとお前のせいだと思っていた。
本当は違うって、わかってたのに。
強くありたかっただけなんだ……自分の弱さを、隠すために」
しずくの足が止まる。
「カレンさん……」
「セレス様は……私にとって、全てだった。
誰よりも信頼できる人だった。
……だから、失ったとき、何もかも壊れたような気がしたんだ」
苦笑とも溜息ともつかない声が漏れる。
「だけど――お前が、戦ってるのを見て、わかったよ。
セレス様なら、ああやって、誰かを守ろうとしただろうなって」
しずくは視線を落とし、わずかに唇を噛んだ。
「……私も、謝らなきゃいけないんです。
あのとき、私は何もできなかった。
セレスさんを……犠牲にしてしまったんです……。」
しずくの声が震えた。
「私は、あのときからずっと、自分を責めてた。
でも……カレンさんにそう言ってもらえて、ちょっと、救われました……。」
カレンは一拍置いて、静かに笑う。
ふたりは顔を見合わせ、小さく笑い合った。
緊張と憎しみの鎧が、ほんの少しだけ解けた気がした。
その頃――。
森の奥、戦場の中心。
倒れ伏していたはずのマガツが、ゆっくりと起き上がる。
その眼には、怒りと憎悪が混じった濁った光が宿っていた。
「――オォォォアアアアアア!!」
怒号。森全体を震わせるような叫び。
マガツは森のほうを睨みつけ、背を丸めるように構える。
その背中から、黒い球状の塊――
まるで弾丸のような魔力の塊が、次々と生み出されていく。
「オオオオオオオオ!!」
咆哮とともに、黒い弾丸が空を切って飛び始めた。
無数の線を描いて、森の奥へ――しずくたちの方角へ――。
再び、森の中。
「ふふ、変な感じですね。カレンさんとこんなふうに歩ける日が来るなんて。」
「まったくだ。私はずっと、お前を睨みつけていたのにな。」
ふと、カレンが足を止めた。
「……待て」
「え?」
「なにか来る……!」
カレンが咄嗟にしずくを突き飛ばす。
「きゃっ――!」
次の瞬間、闇の中から放たれた黒い弾丸が、凄まじい速度で迫ってきた。
「カレンさん!!」
振り向いたしずくの目に飛び込んできたのは――
カレンの腹部を貫く、黒い槍のような魔力の塊。
「ッ……!」
カレンは息を呑む間もなく吹き飛ばされ、木に叩きつけられる。
「カレンさんっ!!」
しずくは即座に盾を構え、その身を覆った。
二発、三発――黒い弾丸が立て続けに飛来する。
爆発のような衝撃と魔力の波が、森を切り裂いていく。
しずくは歯を食いしばり、構えた盾でそれを受け止める。
「う、うぅっ……!」
ギリギリの防御。だが――今は耐えるしかない。
――黒い弾丸の雨が、唐突に止んだ。
耳鳴りのような静けさ。
しずくは盾を下ろし、荒く息を吐いた。
「カレンさん……!」
すぐに駆け寄る。
木の根元にもたれるように倒れているカレン。
その横腹には、大きな穴が開いていた。
装甲の裂け目から、血が滲み、呼吸のたびに空気が漏れる音がする。
「……ヒュー……ッ」
胸が上下するたび、音がかすかに森に響く。
「ま、まずい……! 止血を……!」
しずくは慌てて、携行していた応急処置セットを取り出した。
だが、手は震え、視線は血に染まった傷口に釘付けになる。
(こんなの……今ある道具じゃとても……!)
「……しずく……。」
カレンの声が、かすれながら届く。
「私を……置いていけ……。」
「ダメです!」
しずくは声を荒げ、頭を振った。
「絶対に置いてなんていきません!
私が……私が絶対、助けます!」
そう言って、しずくはカレンの身体を支え、ずるずると引きずり始めた。
「カレンさん、大丈夫です……! すぐに安全な場所に……!」
「しずく……。」
カレンの手が、しずくの腕に弱く触れる。
その目に、うっすらと光が浮かんでいた。
――そのとき。
「ォオオオアアアアア!!!」
背後の森から、怒号と足音が響いた。
しずくの背筋が凍る。
(来てる……!)
獣が地を裂くような踏み込み。
枝葉を薙ぎ払う音。
あの“奴”の、殺気に満ちた気配。
「まずい……このままじゃ、やられる……!」
しずくは必死に盾を手にし、カレンを守るように立ちはだかった。
「しずく……」
弱々しく、それでも確かな声が届く。
しずくは振り返る。
カレンが、震える手を懐へ伸ばしていた。
「これを……。」
取り出されたのは、銀のネックレスだった。
古びてはいたが、中央には赤い宝石が埋め込まれている。
「それは……?」
「これは……セレス様から……私が預かっていたものだ。」
カレンの手が、そのネックレスをしずくの掌へとそっと押し込む。
「本当なら……もっと早く渡すべきだったのかもしれない。」
「カレンさん……」
「お前に……渡す。頼んだぞ」
カレンの手が力を失い、だらりと垂れる。
「さあ――行け」
その瞬間、カレンの身体から意識の光が抜けたように、力なく崩れた。
「カレンさんっ!!」
しずくはその身を支えながら、揺さぶる。
「ダメです、まだ……カレンさん!」
返事はなかった。
息はある。だが、意識は深く沈んでしまった。
深く息を吸い、立ち上がる。
盾を構え、視線を前へ。
木々を薙ぎ払って現れたのは、黒き災厄――マガツ。
その瞳は、血のような色に染まり、明確な殺意を携えていた。
しずくは、静かに一歩踏み出す。
「来なさい、マガツ!」
その声に、迷いはなかった。
森の闇が、わずかに蠢いた。
風が止まり、木々が静まる。
そして――マガツが動いた。
瞬間、鋭い踏み込み。
地面が砕け、黒い影が跳ねた。
疾風のような突進。
(見える……!)
しずくの右目に、未来の線が走る。
マガツの拳、脚、爪――
それぞれが向かう軌跡が、“予兆”として浮かび上がった。
「はっ――!」
しずくはそのすべてを読み、身を捩る。
回避。跳躍。スライド。
紙一重で避けるたび、風圧が髪を裂き、衣服を裂いた。
(……やれる。今の私なら……!)
しずくは盾を構え、呼吸を整える。
そして、逆に踏み込んだ。
「はあああッ!!」
盾の縁がマガツの肩を掠め、火花を散らす。
マガツが後退した。
しずくの心が、僅かに震える。
(効いてる……!)
(いけるかもしれない……!)
だが――
マガツが、ふと動きを止めた。
「……っ?」
その場に立ち尽くすような構え。
しずくが構える盾に、視線が向けられたまま。
そして。
空気が――変わった。
体感温度が、数度……いや、十度は下がったような錯覚。
木々がざわめき、鳥が一斉に飛び立つ。
森の気配が、完全に――消えた。
マガツの身体から、濃密な瘴気が溢れ出す。
「……なに……これ……」
ただ立っているだけなのに、
膝が、勝手に震えた。
その赤い瞳が、じっとしずくを見据えていた。
(――さっきまでが、本気じゃなかった?)
咄嗟に背筋を冷たいものが這い上がる。
(これが……本当のマガツ……!)
マガツが、一歩、踏み出した。
その瞬間、景色が歪む。
黒の残像。斬撃の風。
気づいたときには、拳が目前にあった。
しずくは盾を突き出した。
「うあああッ!!」
衝突――。
盾と拳が激突し、空間が弾けた。
爆風のような衝撃。
だが。
「――あっ……が……ッ!!」
鈍い音。
しずくの右腕が、逆方向に折れ曲がった。
盾ごと、砕かれる。
腕に感覚がない。
痛みだけが、脳を焼く。
「ぎ……あああああッ!!!」
絶叫。
しずくは吹き飛び、地面に転がる。
左手で立ち上がろうとするが――
「ッ……!!」
今度は左腕にも激痛が走る。
肩のあたりで鈍い音。
腕が力なく垂れ下がった。
両腕が、だらんと地面に落ちる。
もう、持ち上がらない。
「カ……レンさんだけでも……!」
歯を食いしばり、顔を上げた。
でも、体は動かない。
両腕は、もう動かない。
それでも。
「カレンさんだけは……絶対に……ッ」
しずくは、歯を食いしばって身体を引きずった。
崩れ落ちたカレンの上に、覆いかぶさるように身体を重ねる。
両腕の感覚は、ほとんどない。
だが――
その身一つで、彼女を守るために。
――マガツが、歩みを進めてくる。
巨体が地を踏み鳴らすたび、大地が震える。
その気配は、まさに“死”の到来だった。
「くる……」
目をつむった。
これで終わりだと思った。
(ごめんね、カレンさん……)
だが――
その足音が、ふと止まった。
目を開ける。
マガツが、そこにいた。
至近距離で、しずくと向き合うように立っている。
巨大な顔が、ゆっくりと近づいた。
そして。
「……フィ……サマ……」
――声?
しずくの目が見開かれる。
(……喋った……!?)
低く、掠れた声。
それでも、確かに“言葉”だった。
(この声……まさか……)
記憶の奥に、同じ響きが蘇る。
(あのとき……!)
(№8と戦った時……あのマガツも、喋った!)
しずくは震える瞳で、マガツの目を見据えた。
「あなた……言葉を……話せるの?」
「セ……サマ……」
マガツの唇が、どこか懐かしげに動いた。
言葉にならない音が、微かに響く。
「……何?」
「あなたたちは……なにが目的なの!?」
しずくの声に、マガツは反応を示した。
だが、その意味は読めない。
「わからない……なにを言ってるの……
なぜ、攻撃してこないの……?」
問いかけの合間――
マガツが、ぴくりと首を傾けた。
何かに気づいたかのように。
そして――ゆっくりと後ろを振り返る。
森の奥。誰もいないはずの深淵。
何かに、“呼ばれた”ように。
そのまま、マガツは一歩、また一歩と森の奥へ向かい始めた。
重く、静かに。
まるで、使命を思い出したかのように。
そして、木々の影へとその姿を消していった。
残されたのは、傷ついたしずくと、倒れたカレンだけだった。
森に静寂が戻る。
マガツの姿は、すでに見えない。
ただ、その存在が残した瘴気と恐怖だけが、肌に貼りついていた。
しずくは崩れ落ちたまま、動かないカレンを見つめた。
両腕はもう、力が入らない。
だらりと垂れ、肩から感覚が消えている。
それでも――。
「……助けなきゃ……」
声が震える。
身体も震える。
でも、心だけは――折れていない。
しずくは、カレンの服の端に顔を寄せ、
――そのまま、噛んだ。
奥歯を立て、噛みしめ、引っ張る。
口の中に、土の味。鉄の味。
それでも、ただ懸命に――引っ張る。
「ぜったい……助ける……」
噛んで、引っ張る。
また、引っ張る。
顔は泥に汚れ、涙も汗も流れきって、
それでも――止まらない。
「……助ける……」
小さく、声にならない声。
目の前が、じわじわと滲んでいく。
視界が、揺れた。
まるで水の中に沈んでいくように、世界が歪んでいく。
そのとき――。
「…………しずく……」
現実とも幻ともつかない、朧げな呼びかけ。
風に乗って流れてくるような――
けれど、確かに自分を呼んでいる声だった。
しずくは、かすかに目を動かす。
視界の中に、人影があった。
ひとり。
木々の向こう、逆光の中に、誰かが立っていた。
顔は見えない。
それでも、しずくは震える声で叫んだ。
「……お願い……カレンさんを……助けて……。」
もう、声を出すのも苦しかった。
それでも、その一言だけは――どうしても。
そして――
意識が、ふっと落ちた。
視界が、完全に闇に染まっていく。
しずくの身体が、そっと地に倒れ込んだ。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
流瑠々と申します。
もし「続きが気になる」と思っていただけましたら、
ブックマークや評価で応援していただけると、がんばれます。
次回 黒翼の魔女 お願いします。
流瑠々でした。




