第17話 №8ミラ・ヴェイル
蒼光の余韻が、まだ夜の街を揺らしていた。
瓦礫の上で肩を上下させながら、しずくは震える腕で再び盾を構える。
――まだだ。
崩れ落ちそうな体に、必死に言い聞かせる。
「……厳しい……けど……!」
血の味を噛みしめながら、しずくは一歩を踏み出した。
「もう一度……! もう一度だけ――!」
その瞬間。
夜空を裂くローター音が、頭上に降り注いだ。
「……ヘリ?」
誰かが呟く。
見上げた先。
軍用ヘリの機体が光を落とし、旋回しながら上空に姿を現していた。
「き、きた……!」
隊長が目を見開き、思わず声を震わせた。
機体の横扉が開き、そこに――ひとりの少女が立っていた。
夜風を受けて揺れる黒衣。
白磁のように蒼白な肌に、血を吸うコウモリを思わせる冷ややかな気配。
真紅の瞳が爛と輝き、夜闇に浮かんでいた。
【№8 ミラ・ヴェイル】
《十星会議》にその名を連ねる、八番の魔法少女。
「あれは……っ、№8……!?」
アヤメが絶句した。
次の瞬間、ミラはためらいもなく機体から飛び降りた。
漆黒の影のように、風を裂きながら舞い降りる。
マガツが反応する。
咆哮を上げ、伸びた触手が空中のミラを薙ぎ払おうと迫る。
「危ない!」
しずくが思わず叫ぶ。
その刹那。
マガツの触手を避けるように、ミラの姿がふっと煙のように掻き消えた。
「……えっ!? 消え……た……?」
しずくが戸惑いに目を見開いた瞬間――。
光の盾が夜に浮かび上がらせた“影”。
その濃い陰の中から、ぬるりと黒い気配が形をとった。
――背後。
しずくの影から、まるで引き裂かれたようにミラの輪郭が現れる。
冷ややかな吐息。
真紅の瞳が、至近からしずくを覗き込んでいた。
「……ふふ。やっぱり、あの時の《白封筒》ね?」
低く囁くような声。
確信に満ちた響きは、出会った瞬間から全てを見透かしていたかのようだった。
しずくの心臓が跳ね上がる。
光と影の境界から現れたその姿は――まるで影そのものが形をとったかのようだった。
背後から急に現れた影の女――№8、ミラ・ヴェイル。
しずくは反射的に身を引き、盾を構え直す。
「な、なんでここに……!」
ミラは肩をすくめ、赤い瞳を細めて微笑む。
その声音は甘く、しかしどこか人を試すような響きを帯びていた。
「ふふ……驚いたかしら? 影は私のテリトリーなの」
白い指先が、しずくの頬のすぐ近くを掠めるように動く。
「あの時の《白封筒》がこんな戦場に顔を出すなんて……ずいぶんと大胆になったわねぇ」
「っ……!」
しずくは答えを返せない。
ただ、胸の鼓動が速まっていくのを感じる。
その瞬間、背後から轟音。
マガツの巨体が再び動き、触手が地を割る勢いで振り下ろされた。
「危ないっ――!」
しずくが慌てて盾を構えようとした、その刹那。
「うるさいわねぇ……」
ミラの唇から零れた声は、まるで溜息のように軽かった。
次の瞬間。
彼女の影が揺らぎ、触手をすり抜けるように滑り込む。
そして、しなやかな片腕が軽く振るわれた。
――轟音。
マガツの巨体が、まるで紙細工のように吹き飛んだ。
石造りの建物を三つ、四つと突き破り、瓦礫と共に沈み込む。
「なっ……」
しずくは目を見開いた。
――今の一撃は、ただの払いのけにしか見えなかった。
夜気に舞う砂塵の中。
ミラは赤い瞳を細め、艶やかな笑みを浮かべた。
隊列の中央に立つ黒髪の魔法少女隊長が、険しい表情で声を張り上げる。
「ミラ様! 市街地に被害が出ています! いくらナンバーズであろうと、命令違反は――」
その声を、ミラは片手をひらりと掲げて遮った。
「うるさい」
冷ややかな声音が、戦場を支配する。
赤い瞳が隊長を射抜いた。
「……この状況で、まだ規則の話をするつもり?」
歩みを進め、影を引きずるようにしずくの隣へ並ぶ。
「安全な指令室でふんぞり返ってるジジィどもの言葉を守っていたら――ここにいるみんな、もっとたくさん死ぬわよ」
隊長は唇を噛み、言葉を失った。
ミラの視線がゆるやかに巡る。
倒れ伏したエクリプス、血を吐いて動かない魔法少女。
砂塵に埋もれる遺体の数々。
「……見なさい。これが現実」
妖艶な笑みを浮かべながらも、その声には揺るぎない冷酷な力が宿っていた。
「机上の理想で救える命なんて、ひとつもないの」
隊長は拳を震わせながらも、何も返せなかった。
瓦礫の山が震え、崩れ落ちた石壁を押し退けるように、赤黒い巨影が再び立ち上がった。
血のような双眸がぎらつき、咆哮が夜空を震わせる。
「あら、……あの一撃で死なないなんて」
唇を赤く艶めかせ、愉悦に満ちた声が零れる。
指先で髪を弄びながら、妖艶に笑う。
「……いいわ。久しぶりに楽しめそうじゃない」
砂塵の中、赤黒い巨影が再び咆哮する。
しずくは血に濡れた頬を拭い、ふらつく足で立ち上がった。
「……私も、援護します……! あのマガツは攻撃力が異常です、注意してください……!」
盾を構えようとしたその瞬間。
ミラは振り返りもせず、赤い瞳を細めて言った。
「必要ないわ」
その声音は甘やかで、けれど拒絶のように冷たい。
「あなたは寝てなさい。……巻き込まれて死んじゃうわよ?」
「え……」
しずくは言葉を失う。
ミラは足音ひとつ立てず、ゆるやかに前へと進み出た。
影を纏うその姿は、夜気の中で一層濃く滲んでいく。
背後から、黒髪の魔法少女隊長の声が響いた。
「……君も見ておくといい。これが――ナンバーズの戦いだ」
ミラは細い指先をわずかに上げ、低く囁いた。
「――さぁ……眷属よ。あの汚らわしい肉を食らいなさい」
次の瞬間、ミラの影から黒い獣が躍り出た。
赤い眼を爛々と光らせる狼たち。
翼を広げて旋回する無数のコウモリ。
そのどれもが影のごとく実体を曖昧にしながら、マガツへと群がっていった。
「グアアアアアッ!!」
マガツが触手を振るう。
だが狼たちは霧のように散り、再び噛みつく。
コウモリの群れが眼を覆い、触手が空を切る。
ミラは笑みを浮かべたまま、影の中をすり抜けるように姿を変えた。
振り下ろされた触手が地を抉る。
轟音と砂塵の中――そこに彼女の姿はなかった。
「……ここよ」
背後。
マガツの影が揺らぎ、その中からミラがぬうっと現れる。
赤い瞳が妖しく輝き、影の狼たちと共鳴するように力が奔った。
「――《影喰ノ饗宴》」
名を告げた瞬間、狼と蝙蝠が一斉に咆哮し、マガツへと襲い掛かった。
無数の牙が肉を裂き、翼が視界を塞ぎ、影そのものが巨体を蝕んでいく。
「グオオオオオオオッ!!」
マガツの悲鳴が夜空を裂いた。
触手を振り回し、建物を砕きながらも、その身を食い破られていく。
だが、それでも倒れない。
巨影はなおも立ち上がり、赤黒い光を放って咆哮を響かせた。
「ふふ……まだ死なないのね」
ミラは舌先で唇をなぞり、愉悦に満ちた高笑いを上げた。
「いいわ……ほんとに、楽しませてくれるじゃない!」
その姿を見つめ、しずくは震える声で呟いた。
「……すごい……」
影と獣を自在に操り、圧倒的な力でマガツを翻弄するミラ。
その戦いはまるで舞踏のようで、しずくはただ見上げるしかなかった。
「しずく様!」
背後から声が飛ぶ。
振り向けば、アヤメとミカ、そしてソラがユイを連れて駆け寄ってきていた。
息を切らし、ユイを背に庇いながら走ってきた彼女たちは、しずくのもとへと集まる。
「ご無事ですか!」
アヤメが焦燥を浮かべて問う。
「№8って……! あんなに強いの!?」
ミカは青ざめながらも、戦場を見て声を震わせる。
ユイが涙で濡れた顔を上げ、必死に指を差した。
「あの中に……! お母さんがっ!」
指の先――崩れ落ちた教会のような建物。
瓦礫に埋もれた階段が、かろうじてその存在を残している。
ソラが険しい目を向け、短く言った。
「……あれでは、さすがに……」
だが、しずくは即座に声を張った。
「――私が行きます!」
「しずく様!? 危険です!」
アヤメの制止が響くが、しずくはすでに駆け出していた。
迫りくる瓦礫と触手の影。
スライディングで滑り込み、火花のような破片を紙一重でかわしながら、階段へと飛び込む。
「――ちょっと!」
背後から、鋭い叱責が飛んだ。
赤い瞳がぎらりと光り、影の女――ミラ・ヴェイルがしずくを見据える。
「あなた、死にたいの!? 忠告したはずよ!」
低く艶のある声に、怒気が混じる。
それでも、しずくは振り返らなかった。
「ごめんなさい! でも……どうしても助けたいんです!」
その言葉を残し、しずくは暗がりへ身を滑り込ませた。
崩れかけた通路を抜け、薄暗い空気に包まれた奥へと足を進める。
そこには――血に濡れ、瓦礫に押し潰されながら倒れている女性の姿があった。
「っ……!」
荒い息を吐きながら、しずくはそのもとへと駆け寄った。
薄暗い瓦礫の奥で、女性は血に濡れた姿で横たわっていた。
しずくは駆け寄り、その手を強く握った。
「ユイちゃんのお母さんですね……! 助けに来ました。行きましょう!」
女性は苦しげに息を吐きながら、かすかに首を振った。
「わたしは……もう、動けない……。どうか、ユイを……お願い……」
「そんなこと言わないでください! 私が担ぎます!」
しずくは決然と答え、女性の体に手を回す。
――その瞬間。
外から轟音が響いた。
ミラが指先ひとつで影を操り、圧倒的な力でマガツを叩き伏せる。
巨体が絶叫を上げ、ついに瓦礫の中へと沈んでいった。
――ゴゴゴゴッ!
地鳴り。
倒れたマガツの巨体が、瓦礫の構造そのものを崩し始めていた。
瓦礫が弾け飛び、しずくと女性の頭上に大量の破片が降り注ぐ。
「しずく様!!」
「お母さんっ!!」
外にいたユイと仲間たちの悲痛な声が響く。
煙と砂塵が一気に辺りを覆い尽くした。
ミラはその光景を細めた瞳で見つめ、低く呟く。
「……だから言ったのに。自分の命を優先しないから、そうなるのよ」
しかし――煙が薄れた時。
そこに見えたのは、なおも立ち続ける小さな影。
蒼く光を宿した盾を掲げ、降り注いだ瓦礫をすべて受け止めていた。
「……っ、はぁ……!」
肩で息をしながらも、しずくは膝をつかずに踏みとどまっていた。
その腕の中には、しっかりと母を抱えたまま。
彼女の瞳には、痛みにも揺らがぬ決意が宿っていた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
いつもリアクション、評価 本当にありがとうございます。
支えになっております。
流瑠々と申します。
№8ミラ・ヴェイル
ナンバーズの圧倒的戦力
ユイの母を助けることができたしずく
次回 禁忌の囁き お楽しみに
もし少しでも「続きが気になる」と思っていただけましたら、
ブックマークや評価で応援していただけるとありがたいです。
以上、流瑠々でした。




