化物
気持ち悪い声が僕の名前を呼んでいた。
僕は声がしたほうに体を向けて、遅れて視線を向かわせた。
その人物を視界に入れた瞬間、僕は一瞬動揺して視界を眩ませてしまった。
それでも何の気もない素振りを装ってその場にやっとの思いで立ち止まった。
自分の目を疑って指で擦ってみても、目の前の景色は何も変わらなかった。
なんということだ、僕は目の前の現実を受け入れられないようだった。
僕を呼んだ声の主は形が不鮮明で非対称な化物だった。
性別も何も分からず、顔の形もぐちゃぐちゃでどんな顔をしているかが分からなかった。
その人物ともいえない蠢く物体を僕は生物だと受け入れることができなかった。
見た感じその物体の身長は僕の3倍くらいはあって、ゴーストのような見た目をしていた。
僕はその物体を見て、人間的な形をしておらず気持ち悪いという感情と神秘的で美しいという気持ちが混在し複雑な気持ちになっていた。
今目の前にいる物体は、顔は見えずとも僕のことをじーっと見つめていることは理解できた。
なぜなら周囲に僕以外の人はいなかったのだ。
その物体は僕の目の前に立ち尽くして僕のことを見ていた。
左右に三つずつ付いている金色に輝く瞳のようなものが、僕を睨んでいる。
ということはつまりは僕がターゲットにされているということだった。
これは何かの子供騙しなのか、それとも僕の普段の行いが悪かったせいで神様の代行人のようなものが
悪い子である僕のことを罰しにやってきたのだろうか。
ともかく、僕は今から待ち受ける運命を無様にも受け入れるしかなかった。
無力な僕は何もできずに死にゆく定めなのだ。
僕はこの化物に殺されるんだ。
そう思った瞬間、瞼が開いた。
誰の瞼かは言うまでもない、僕はただ部屋の天井を見上げていた。
「クソっ...」
精神は安定せずに鼓動は未だ早くなり続けていた。
僕は悪夢を見ていたようだ。
悪夢は毎日のようにやってくる。
そして悪夢はいつも予想の範疇を超えてくる。
毎回命の危険を感じるようなシチュエーションで僕の精神をじりじりと削ってくる。
夢を見せる側の存在も怖い夢はそろそろ飽きてくる頃なんじゃないか?
と、僕は誰も聞いていないであろう減らず口を心の中で叩く。
誰もいない部屋で僕は孤独だった。
いつ頃眠りについたのかも分からないけれど、もう外は暗くなっていた。
今が何時かは興味がないのだけれど、きっと深夜だろうと予想する。
外の騒音が姿を消していたからだ。
つい部屋の沈黙に耐え切れなくなった僕は
埃の被ったリモコンを操作して、普段は絶対見ないであろうテレビの電源を入れた。
深夜なのでちょっとアダルト向けな番組やテレビショッピングくらいしか放送されていなかった。
電源を入れたは良いのだけれど、正直全然興味を惹かれなかった。
しかし他にすることもなく、仕方がなく惰性でチャンネルを次々と乗り換えてぼーっと見ていた。
夜になればいつもテレビに出ているあの芸人もあの俳優も
誰でも寂しく惨めな気持ちになっていると、幼い頃の僕はそう思っていたのに
夜を好んでいる人もいるのだと僕は最近知ってしまった
成長による弊害だろうか、僕は精神的には大人になりきれない子供もどきであるのにもかかわらず
世間一般ではもう立派な大人と言われるような年齢にいつの間にかなってしまったのだ
自分の行動に責任を持て、又は責任を取れと言われるような立場になってしまった
これはとても悲しいことだった
僕なんて大した知識も経験も精神も持ち合わせていないただの身体が大きいだけの子供であるというのに
社会に居る人々は僕のことを大人扱いするのだ。
大人になり現実を見なければならないのはつらいことだなあと思った。
虚無で見ていたテレビショッピングに飽きて、チャンネルを変えたとき、
テレビの中が砂嵐の画面になり、ザーといった騒音が部屋中を包んだ。
うるせえな...と思ってチャンネルを変えようとしても、リモコンが動作しない。
一体どうしたんだ。電池切れか?故障したのか?
「はあ...」
面倒くさいと思いながらもリモコンの電池を取り換えようとしたその時。
テレビ画面の砂嵐が歪んでいるのが見えた。
不思議に思ってじっと眺めていると、画面から手のようなものが飛び出してきた。
僕はその光景が信じられなかった。
このオンボロテレビが3D対応なわけないよな...としょうもないことを考えている内に
テレビから変な音が出ていることに気づいた。
よく耳を澄ましてその音を聞いていると、声のようなものであると確信した。
何か言葉を発音しているみたいだ。
僕は寒気がした。
なぜなら僕はその声を聞いたことがあったからだ。
僕の名前を呼んでいたからだ...
そのことに気づいた瞬間
テレビの中から悪夢の中で見た化物が飛び出してきたのだ。
「うわあああああっ」
僕はその姿を見た時、足が震え始めた。
本能で感じているのだ。
この化物には勝てないと、早く逃げないと殺されてしまうのだと。
化物は僕の姿を見て奇声を上げた。
まるで格好の獲物を見つけたかのように金色の瞳が輝いていた。
早く逃げなければという僕の思考とは異なり、僕の身体は言う事を聞かなかったみたいだ。
足が震えて動かなかったのだ。
化物は僕の目の前まで近づいてきていた。
見上げる形になり、化物の口のようなものからよだれがたくさん垂れていた。
ああ、僕はついに死んでしまうのだと。
死ぬ瞬間に思ったことは、両親への謝罪だった。
どうしようもない息子を育ててくれた恩を仇で返す形になり
僕はなんて親不孝者なのだろうと自責の念に駆られた。
僕はただ瞼を閉じて、来るべき時を待っていた。
その瞬間が来た時、一つの生命が途絶えた。
・・・
瞼が開いた。誰の瞼かは言うまでもない。
呼吸は安定しない。
僕は何が起きているのかが分からなかった。
僕はベッドの上で目覚めた。
ここがどこなのかが分からなかった。
そんな事よりも、僕はなぜか生きていたのだ。
あの化物に殺されたはずなのになぜか意識を保ち存在を確かなものとしている。
一体なぜだ。あれは夢だったのか?
悪夢から覚めたらそれもまた悪夢だったのか?
なんという地獄のようなデジャブ。勘弁してほしいものだ。
まだこれが現実なのかが信じられない。
もしかしたら、この景色も現実のふりをした悪夢の一部なのではないだろうか?
しかし僕にはその仮説を確かめる方法は思いつかなかった。
不安に駆られながら、ただ僕は真っ白な天井を見つめていた。
ベッドの周りはカーテンで仕切られていた。
まるで病室のようだ。
遠くから足音がした。
何者かが近くまで近づいてきている。
何か危険な存在が迫ってきているような気がしてならない。
僕はその足音の正体を確かめるためにベッドから起き上がった。
白色のカーテンを開けると、衝撃の景色が広がっていた。
頭が焼けそうなほど赤色で瞳が染まっていた。
床も壁も天井も全てが血のようなもので赤く染まっていた。
激しく動揺してカーテンを開けたまま後ずさりをした。
一体何なんだこの有様は...
何があったというのだろうか。
足音はどんどん近づいてきていた。
一面赤色だったせいで分からなかったのだ。
突然右側にある扉が開いた。
僕はその扉の存在に気づいていなかったのだ。
僕はその正体を見た。
僕を呼んでいる声がした。
だから僕は反射的にその物体を殴った。
恐怖心に押しつぶされそうになりながら僕はひたすらその物体を殴った。
元々不鮮明だった形がもっとぐちゃぐちゃになりとても気味が悪かった。
殴るたびにぶちっ、ぶちっといった気色の悪い音が耳を支配する。
数分殴り続けていると、ついにその物体は生体反応を示さなくなった。
その物体は不思議にも抵抗してこなかった。
けれど僕はそのことなんか気にも留めなかったのだ。
僕は勝ったのだ。
己の恐怖心に勝利しついに悪夢の元凶をこの手で破壊したのだ。
ははは。僕についに平穏が訪れるのだ。
もう化物はいない。僕が恐れる存在はいない。
何も怖がるものはない。
その事実に安心した僕は、急に体の力が抜けて眠くなってきた。
ここ数日は悪夢のせいでまともに寝れていなかったのだ。
その弊害が今になって表れてきたのだろう。
貪るような自身の睡眠欲に抵抗する意味も特になかった。
今の僕は無敵のようなものだ。恐れるものはない。
悪夢に苛まれることなく、やっとまともに寝れるんだ。
僕はふいに瞼を閉じてしまい、そして意識を失った。
・・・
薬の効果が切れてきた。
僕は重大なことをしてしまったんだと後になって気づいた。
全て夢の中だと思っていたのに。
全て現実だったんだ。
悪夢なんて見ていなかったんだ。
僕が恐れるものなんて何もなかったんだ。
なのに今夢であってほしいと願っているのはなぜだろう。
これは悪い夢なのだと信じたい自分がいるのはなぜだろう。
僕が恐れていた化物の正体は...




